2014年4月15日火曜日

甲子園に出場するくらいの高等学校から内部推薦で日本大学法学部に進学した生徒

彼は高等学校2年生の1学期の期末試験で学年でビリから9番だった。野球部だということから、「ある意味、裏のレギュラーだ」と嘯(うそぶ)いた。

彼はスポーツ推薦で、日本大学鶴ヶ丘(つるがおか)高等学校に進学した。

大学もスポーツ推薦で進学しようと思っていた。

ところが、肩を壊(こわ)した。大学へのスポーツ推薦はなくなった。

真面目に勉強しなければ大学に進学できなくなった。

高校2年生の9月から当校に入校した。

日本大学鶴ヶ丘(つるがおか)高等学校の規定(きてい)では、スポーツ推薦で入学した生徒は、怪我(けが)をしても、故障(こしょう)しても、当該(とうがい)の運動部を辞(や)めてはならないという規定(きてい)がある。

だから、しっかり練習をしなければならない。

故障した肩を庇(かば)いながら、早朝からの朝練(あされん)、昼食後の筋力(きんりょく)トレーニング、放課後の練習、これら、すべてに参加しなければならなった。

甲子園に出場するくらいの高等学校は、毎日、どのくらい練習しているのかと訊(き)いてみたところ、うちは東京都内の強豪校(きょうごうこう)ほどではないので、合計で1日あたり7時間くらいですと言った。

強豪校は毎日、9時間以上は練習するという。ナイター設備があれば、夜の9時や10時まで練習できる。

おまけに、ある高等学校の野球部では、「四合飯(よんごうめし)」といって、昼食時の弁当のご飯の量が「四合」だという。

毎日、当校にやってきて、指導を受けながら、当校の効果的なプリントをこなした。日によっては、午後10時にやってきて、午後11時半まで勉強するということもあった。

野球の練習で疲れて、プリントを渡した途端(とたん)に、そのまま眠ったこともあった。

それでも、必ず、毎日、当校にやって来て、勉強をした。

日本大学の付属校からの内部推薦では、高等学校の3年間の内申点の平均と、高校3年生の11月に実施(じっし)される「日本大学統一試験」(通称「日大統一テスト」「日統一」)を受験し、4科目の標準化点[=偏差値]を合計したものの数値で、内部推薦が決まる。

彼は、日本大学統一試験(日大統一テスト)の前に、日本史の対策をした。とにかく、暗記できるものは暗記した。

その年は、日本史の出題パターンが大きく変わった。

その結果、日本大学統一試験(日大統一テスト)の対策専門塾の生徒の大半は、日本史の出題傾向の変更に対応できなかった。

試験の結果、よい成績を、英語・国語のみならず、日本史でも収(おさ)め、クラス担任が、これなら法学部に進学できますねと言った。

3年間の内申点の平均と日本大学統一試験の標準点合計によって、推薦が決まるのだが、その上で、面接がある。これは概(おおむ)ね、形式的なものである(一部例外はあるらしい)。

彼は、3年間の内申点の平均も、日本大学統一試験の標準化点[=偏差値]の合計も、推薦基準のぎりぎりだった。

よほどのことがなければ、合格するのだが、彼は心配した。

3年間の内申点の平均も、日本大学統一試験の標準化点[=偏差値]の合計も、推薦基準のぎりぎりだったことから、たとえば「君はぎりぎりの成績なのだから、大学進学後は心を改めて真面目(まじめ)に勉学に励(はげ)みなさい」などと面接で説教されるなどと彼は予想していた。

ところが、面接ではこんなことを言われた。

「スポーツ推薦で入学して、甲子園に出場するような野球部に所属して、それで、この成績とは、君は本当によく頑張(がんば)ったね」

そう言われて、本人は拍子抜(ひょうしぬ)けしたという。

彼は、日本大学法学部に進学した。父親は大いに喜んだ。

内部推薦とはいえ、スポーツ推薦で高等学校に進学した彼が、法学部に進学することが決まったとき、同じくスポーツ推薦で進学した同級生がこう言った。

「スポーツ推薦でも、努力すれば法学部にも(内部推薦で)進学できるということを証明してくれて、ありがとう」

おい、おい、おまえもちゃんと勉強しろよ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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