2014年3月31日月曜日

練馬で最強の自転車屋さん:タカムラ製作所:ブランド名はラバネロ

東京都練馬区で最強の自転車屋は、タカムラ製作所だろう。

自転車のブランド名は「ラバネロRavanello」である。ラバネロというのは、イタリア語で「二十日大根(はつかだいこん)」または「大根(だいこん)」の意味である。

練馬大根にちなんだものらしい。

プライベート=チームなのに、なかなかの結果を出している。

フレームビルダーとして、註文主の体格に合わせたフレームを製作する。

そこで、うちの自転車の空気を入れるところのキャップをお洒落(しゃれ)なアルミ製のものにしようと思って、ラバネロに行ってみた。

わざわざ重量の嵩(かさ)むアルミ製のキャップをつけようというのは、馬鹿のすることだ、虫ゴムさえちゃんとしていれば、別に空気が漏(も)れることはないなどと、延々と説教された。

説教されたことを、ラバネロの近所に住んでいる女子高校生に話したところ、説教されたことはなく、いつでもものすごく親切なおじさまだと言っていた。

カッコつけでトラックレーサーに乗っているおっさんには厳(きび)しいけれども、可愛い女子高校生にはやさしいおっさんらしい。

↓ホームページはここね。
ラバネロ

2014年3月30日日曜日

インパール作戦(ウ号作戦)は終わらない。果たされたインドとの約束。

昭和18年10月23日、日本政府はチャンドラ=ボースが主席を務める自由インド仮政府を承認し、仮政府の目的達成を極力(きょくりょく)、支援(しえん)する帝国政府声明を発した。

その翌日である昭和18年10月24日に自由インド仮政府はアメリカ合衆国・大英帝国に宣戦布告した。

そして、チャンドラ=ボースの申し出に応じて日本政府は占領下のアンダマンとニコバル諸島を自由インド仮政府に帰属(きぞく)させた。

2週間後の昭和18年11月6日、大東亜戦争(だいとうあせんそう)のさなか、東京で大東亜会議が開催された。

大東亜戦争を完遂(かんつい)し、大東亜を欧米列強から解放するということを謳(うた)った「大東亜宣言」を採択した。

その後、ビルマのバー=モウ総理の提案で、インドを大英帝国から解放しようとしているチャンドラ=ボースに、完全なる支援(しえん)を与えるという宣言が追加された。

そして、自由インド仮政府のチャンドラ=ボースがこう語った。

「インドにとりましては、大英帝国の帝国主義に対する徹底的抗戦以外に途(みち)はないのであります」

対英妥協(たいえいだきょう)は奴隷化(どれいか)との妥協を意味するものである。

奴隷化との妥協は決して行なわない。

大日本帝国はインドの独立支援(どくりつしえん)を国際的に約束したのである。

大東亜会議の2か月後、昭和19年1月にインパール作戦が決定され、同年3月8日に発動された。

指揮(しき)を任(まか)されたのはビルマ方面軍第15軍司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将であった。

第15軍の3個師団とインド国民軍第1師団で、コヒマとインパールを陥落(かんらく)させる。

補給は充分ではなかった。

作戦前に敵の爆撃によって物資の大半を焼失し、兵站能力(へいたんのうりょく)は牟田口廉也中将の希望の2割にも満たないものであったが、インパール作戦(ウ号作戦)だけではなく、どの戦場でも物資不足との戦いであった。

牟田口廉也中将はコヒマを攻略した後、ただちに第31師団をアッサム鉄道が通る大英帝国軍の物資集積地であるディマプールへ急行させるように考えていた。

ディマプールを占領すれば、大日本帝国陸軍は武器・弾薬・食糧、戦いに必要な物資が手に入る。

アラカン山脈を越えていく第31師団と第15師団は、軽装備を余儀(よぎ)なくされたが、コヒマとインパール攻略後は、自動車道が開通し、補給が受けられる。

牟田口廉也中将は作戦期間を3週間から1か月とし、不足分は「敵に糧(りょう)をよる」とした。

敵の虚(きょ)をつく迅速(じんそく)な進撃がこの作戦の要(かなめ)であった。

第33師団とともに国境を越えたインド国民軍は、祖国にインドの国旗を掲(かか)げることができた。

ほかの師団よりも1週間早く作戦を開始した第33師団は、3月13日、インパールの南のトンザンで、混乱した英印第17師団を包囲した。

しかし、前線から「玉砕覚悟(ぎょくさいかくご)で戦う」という主旨(しゅし)の電報が届いたため、「玉砕寸前」と誤解した師団長の柳田元三中将(やなぎだげんぞうちゅうじょう)は包囲を解き、敵をインパール方面に逃がしてしまった。

さらに柳田元三(やなぎだげんぞう)中将は、敵への追撃を10日間も躊躇(ちゅうちょ)し、インパール手前に防御陣地(ぼうぎょじんち)を構築(こうちく)する時間を与えてしまった。

一方、3月15日から進撃した第15師団は果敢(かかん)に攻め、3月28日にはコヒマ―インパール道を遮断(しゃだん)したが、第33師団の動きが遅く、一手でインパールを攻撃する破目(はめ)になった。

同じく3月15日に、コヒマを目指し進撃を開始した第31師団は、宮崎繁三郎(みやざきしげさぶろう)少将率(ひき)いる歩兵第58連隊が、3月21日にウクルルを占領(せんりょう)し、敗走(はいそう)する敵を追ってサンジャックに突進した。

しかし、サンジャックは第15師団の担当地区であり、このときの宮崎繁三郎少将の1週間のロスが、後で大きく響(ひび)くことになった。

その10日後の4月5日に第31師団はついにコヒマを占領した。

牟田口廉也中将はコヒマの第31師団に、ただちにディマプールを攻略するように命じた。

コヒマとディマプールは、徒歩で2日、大英帝国軍の補給基地はすぐそこである。

しかし、ビルマ方面軍の司令官川邉正三(かわべしょうぞう)中将が、ディマプールへの突進命令を取り消してしまった。

ビルマ方面軍の作戦案には、アッサム州ディマプールまでの進出は含まれていなかった。

大英帝国軍は体制を整(ととの)え、空からも補給を受け、迅速(じんそく)さを欠いた日本軍は、やがて、不利になっていった。

さらに、第31師団の佐藤幸徳(かとうこうとく)中将は、6月1日に補給途絶(ほきゅうとぜつ)を理由に無断で撤退(てったい)を開始した。

佐藤幸徳率いる第31師団に置き去りにされた第58連隊や、背中を敵に晒(さら)された第15師団は、限られた物資で懸命に1か月以上戦ったが、矢尽(やつ)き刀折(かたなお)れ、7月13日、命令を受け、撤退(てったい)を開始した。

大日本帝国陸軍の退却路(たいきゃくろ)には無数の日本兵の遺体がならび、「白骨街道(はっこつかいどう)」と呼ばれた。

そもそも、インパール作戦の発端(ほったん)は、ビルマの防衛にあった。

前年に、オード=ウィンゲートOrde Wingate准将(じゅんしょう)率(ひき)いる挺身隊(ていしんたい)が、突如、ビルマの防衛線内に侵入し、チンドウィン河方面の地形が、必ずしも敵の作戦行動を阻害(そがい)しないと知らされた。

その結果、それまでの防衛方針を一擲(いってき)して、インパール方面に対する果敢(かかん)な侵攻作戦を決意するようになった。

政略的(せいりゃくてき)にもインドの独立を望む東條英機(とうじょうひでき)首相や大本営(だいほんえい)もインパール作戦を支持し、戦局の挽回(ばんかい)を期待した。

チャンドラ=ボースら、自由インド仮政府にとっても、祖国の地にインド国旗を掲(かか)げるため、大日本帝国陸軍との協同作戦を強く要望した。

インド国民軍Indian National Armyの第1師団が参加し、大日本帝国陸軍の第33師団の後方についた。

牟田口廉也中将は、戦闘に不慣(ふな)れなインド国民軍を大英帝国軍の正面に当てるのは危険と考え、インド国民軍を成功の寸前で投入するつもりであった。

しかし、インパール作戦の成功が難しくなった状況において、チャンドラ=ボースはインド国民軍だけでもインドに進攻すると作戦継続を強く要望した。

そのことが、ビルマ方面軍の作戦中止の判断を遅らせ、雨期に入って、退却時の損害を甚大(じんだい)にした。

それがインパール作戦(ウ号作戦)だった。

インパール作戦(ウ号作戦)における第15軍の最大の敗因として、南方軍総参謀副長(なんぽうぐんそうさんぼうふくちょう)稲田正純(いなだまさずみ)少将が、牟田口廉也中将のアッサム州までの進攻を無謀(むぼう)として、作戦時期を大幅に遅らせ、妨害したことが挙(あ)げられる。

稲田正純(いなだまさずみ)少将は、インパール作戦(ウ号作戦)に参加する第15師団をタイに留(とど)めて、道路工事を命じた。

結局、第15師団は到着が大幅に遅れた上、その半分の戦力しか参加できなかった。

そして、作戦決行の直前の3月5日、大英帝国のオード=ウィンゲートOrde Wingate准将の率いる空挺旅団(くうていりょだん)が、第15軍の後方に降下し、インパール作戦(ウ号作戦)中、大日本帝国陸軍の後方を脅(おびや)かし、第15軍の補給を妨害した。

また、雨期(うき)に突入してしまい、河が氾濫(はんらん)して、退却(たいきゃく)が難渋(なんじゅう)し、被害を大きくした。

作戦発動の遅れが致命的(ちめいてき)であった。

さらに第33師団の師団長柳田元三(やなぎだげんぞう)中将や、作戦途中で前代未聞(ぜんだいみもん)の無断撤退(むだんてったい)をした第31師団の佐藤幸徳(さとうこうとく)中将も、インパール作戦(ウ号作戦)に対して、懐疑的(かいぎてき)で、作戦中も終始消極的(しゅうししょうきょくてき)だった。

インパール作戦(ウ号作戦)に反対の幕僚(ばくりょう)や現場の指揮官は補給を懸念(けねん)していたが、インパール作戦は急襲(きゅうしゅう)を旨(むね)とする作戦である。だから、師団の指揮官が作戦に消極的で躊躇(ちゅうちょ)すれば、この戦いには勝てない。

名将と言われた第31師団第58連隊の宮崎繁三郎(みやざきしげさぶろう)少将は、サンジャック攻略に時間を費(つい)やし、当時、増援(ぞうえん)がなく、手薄(てうす)だったコヒマを急襲する機会を逃(のが)した。

それでも、宮崎繁三郎少将は敵の物資を奪い、装備を充実させながら、勝ち進んでいった。

戦後、宮崎繁三郎少将は、当時、第58連隊は士気も装備も充分で、ディマプール進撃中止命令は疑問だったと語っている。

作戦中盤以降の物資不足はどの戦線でも見られたが、戦利品で、武器・弾薬や食料を確保していたのは、第58連隊だけではなかった。

牟田口廉也中将の「糧(りょう)は敵による」は行なわれていた。

そんなきわどい作戦が、なぜ、実行されたのか?

牟田口廉也中将や大日本帝国政府が戦争全体の好転を諦(あきら)めていなかったからである。

大日本帝国が大英帝国を追い払い、インドを独立させるということは、インドからの援蒋(えんしょう)ルート、つまり蒋介石(しょうかいせき)を援助するためのルートを遮断(しゃだん)し、重慶(じゅうけい)の蒋介石(しょうかいせき)を屈服(くっぷく)させ、大英帝国本国への補給を遮断(しゃだん)し、大英帝国を屈服(くっぷく)させることになる。

さらに、大英帝国を脱落させることにより、アメリカ合衆国の戦争継続意志を削(そ)ぐという考えがある。

このインドへの侵攻、そして、インド独立に関する基本構想は、開戦直前の11月に出された「対米英蘭蒋(たいべいえいらんしょう)*戦争終末促進に関する腹案(ふくあん)」に明記されている。
*米=アメリカ合衆国、英=大英帝国、蘭=オランダ(和蘭陀)、蒋=蒋介石率いる国民党軍

すなわち、戦争反対のアメリカ合衆国国民を激怒させた山本五十六(やまもといそろく)の真珠湾攻撃などは、この基本構想に全く反するものであり、インパール作戦(ウ号作戦)こそが基本構想にかなうものであった。

大日本帝国がインド独立のため、チャンドラ=ボースら、インド国民軍を支援したのは、大日本帝国の戦略のためでもある。

決して、大日本帝国の一方的な善意のだけでインド独立支援を約束したわけではない。

日本人のアジア解放という使命感と、大日本帝国の自存自衛(じそんじえい)の戦いと、インドの人々の独立したいという思いが一致したからである。

戦後のGHQは、日本人を自虐史観に洗脳するために、インパール作戦の真実を隠し、惨敗(ざんぱい)だけを強調し、「愚(おろ)かな作戦」としなければならなかった。

大英帝国第14軍司令官:ウィリアム=スリムWilliam Slim中将

大日本帝国の軍司令官のなすべきすべては、コヒマに一支隊(いっしたい)を残し、師団の主力をもって、猛烈にディマプールを衝(つ)くことであった。

幸いにも佐藤幸徳(さとうこうとく)師団長はほとんどそれをしなかった。

大英帝国ディマプール方面第33軍団長:スタフォード中将

このとき、もし、大日本帝国軍がコヒマからディマプールに果敢(かかん)に急進していたのなら、(作戦全体において)大英帝国に勝利はなかった。


大英帝国軍東南アジア総司令部司令官:ルイス=マウントバッテンLouis Mountbatten大将

英印軍に非常に幸運だったのは、大日本帝国軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。

すぐに第2目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころはまだ兵力の集中ができていなかった連合軍はこれを防ぐ方法はなかった。

ディマプールで補給を済ませれば、大日本帝国軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることができる。

さらにもっと偉大な全アッサム補給線の切断ができ、対支那援助も北部方面への補給も不可能になる。

英国の軍事史研究者で、20世紀を象徴する戦略思想家:リデル=ハートSir Basil Henry Liddell-Hart

現地軍司令官牟田口廉也将軍が、ディマプール攻略を目指して進撃許可を求めたのに対し、大日本帝国軍ビルマ方面軍の司令官川邉正三(かわべしょうぞう)将軍は、その許可を与えなかった。大日本帝国軍がここを急襲して占領していれば、インパール救援のための大英帝国軍による反撃は、阻止され、不可能となっていたであろう。


第2次世界大戦後、大英帝国はインパール作戦(ウ号作戦)
に参加したインド国民軍の3名の将校(しょうこう)を、反逆者(はんぎゃくしゃ)として、処刑(しょけい)しようとした。これがインド国民の怒りを買い、抗議運動がインド全域に広がっていった。

この抗議運動は大英帝国軍のインド兵の反乱にまで発展し、事態収拾(じたいしゅうしゅう)が困難になった大英帝国は統治権(とうちけん)を譲渡(じょうと)し、昭和22年8月15日、日本の終戦から2年後に、インドはパキスタンとともに独立した。

英国ロンドン大学教授:エリック=ホプスバウ博士

インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動によるものではなく、大日本帝国軍とチャンドラ=ボースが率いるインド国民軍が協同して、ビルマを経由してインドへ進攻したインパール作戦(ウ号作戦)によってもたらされたものである。

インド国民軍退役軍人:テロン中佐の手紙

日本はインドにとっていい国だと思います。

大日本帝国はチャンドラ=ボースとともにインド独立のために戦ってくれました。これははっきりいえます。

インドは大日本帝国軍の犠牲により、独立することができたのです。

もし、あんなに犠牲者を出さず、また、インド国民軍に協力しないで、インドに進出した場合、大英帝国軍のインド部隊は、自分たちの方針を変えなかったでしょう。

25万のインドの軍が方針を変え、チャンドラ=ボースの軍となったことにより、大英帝国から独立することができたのです。

私たちは常に日本に対し、感謝の気持ちを持っています。

……最後にもう一度、ありがとうございました。

プラン=ナス=レイキ(インド最高裁弁護士)

太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤(うるお)すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。

追記:2014年3月23日、インパール作戦(ウ号作戦)の70周年を記念する式典が、インパールにて、地元の団体によって行なわれた。インド独立に関してチャンドラ=ボースの貢献(こうけん)はすこぶる大きいが、同時に、日本に対する恩義(おんぎ)を彼らは忘れてはいないようだ。

チャンドラ=ボースの墓は、東京都杉並区の蓮光寺にある。

2014年3月29日土曜日

一定レベル以上の大学を卒業しているとブラック企業でアルバイトができないそうだ。

早稲田大学卒業や慶應義塾大学卒業であっても、ときには、リストラ、つまり、解雇(かいこ)されることがある。

再就職先を見つけるまでのつなぎとして、アルバイトをしようとして、3か月や半年くらいなら、ブラック企業だと噂(うわさ)されるところでもいいかと、あちこちに、ウェブ経由(けいゆ)の電子メールでアルバイトを申し込んでも、返信がまったく来なかったという話を聞いた。

そういえば、練馬区内にあるチェーン店ではない独立系カラオケ店で、大学の法学部の学生は雇(やと)わないところがあるという噂(うわさ)を耳にしたことがある。

法学部の学生は、「それは、法律違反ですよ」とごちゃごちゃといらんことを言うからだという。

それは、法律違反をしているほうが悪いだろう。

ブラック企業とされるところは、たぶん、違法就労(いほうしゅうろう)を強(し)いているから、訴えられると困るので、警戒して、一定レベルの大学卒業者を雇わないようにしているのではないだろうか?

一方、ブラック企業に雇われた者は、基本的な法律も知らない馬鹿だと判断されたということにならないのかな。

雇われても哀(かな)しいことになるな。

2014年3月28日金曜日

日比谷公園に関して、少なからずの人が意外に思うこと

日露戦争the Russo-Japanese Warの講和条約は、アメリカのポーツマスで行なわれた。ポーツマス条約the Treaty of Portsmouthである。

このとき、日本は、というか、当時の大日本帝国は、戦争賠償金(せんそうばいしょうきん)が得られなかった。

そのことに憤(いきどお)りを感じ、ポーツマス講和条約反対の国民集会は、日比谷公園(ひびやこうえん)で日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)を起こし、死者17名を出した。

日比谷焼打事件そのものは、日本史で習うことなので、よく知られている。

ところが、「日比谷公園って、日比谷焼打事件の2年前にできたばかりなんだよね」とつけ加えると、どういうわけか、ちょっとばかり驚く人がいる。

日比谷公園は1903年6月1日に開園され、日比谷焼打事件があったのは、1905年9月5日である。

日比谷焼打事件の2年前に日比谷公園が開園されたからといって、驚く理由はわからない。

2014年3月27日木曜日

ロンドンと雨

ロンドンは雨が多いようなイメージがあるが、そうではない。

年間の降雨日数(こううにっすう)は100日くらいで、年間降水量も600mmくらいである。東京の1500mmと較べて4割くらいでしかない。

しかも、たいていの雨は、いわゆる霧雨(きりさめ)である。傘(かさ)を持っていない者が少なくないし、傘を持っていても、霧雨なら傘をささない人が多い。濡(ぬ)れても、日本と較(くら)べて湿度(しつど)がずいぶんと低いので、すぐに乾(かわ)くからである。

イングランドでは、雨が降っても、サッカーやラグビーは試合をすると言われるが、あれは霧雨ばかりだからである。中学校や高等学校で、「イングランドでは雨でも試合をするんだ!」と、土砂降(どしゃぶ)りの中で練習試合をさせられたことが何度かあって、うんざりしたものだ。

もちろん、イングランド人は土砂降りでも試合をすることがある。けれども、霧雨ばかりで、本格的な雨が滅多(めった)に降らないから、はしゃいでいるという側面がある。

乾季(かんき)から雨季(うき)に入ったときに、アフリカの子どもたちが屋外(おくがい)ではしゃぐのと同じなのである。あるいは、日本の南国で、たまに雪が降ったときの子どもの大はしゃぎぷっりと同じとも言える。

しかも、長時間にわたる雨は滅多(めった)にない。

動画サイトのYouTubeで、「イングランドの都市名+rain」で検索すると、日本人の感覚からすると「普通の雨」を撮影したビデオがむやみにアップロードされている。

以下の動画も、日本人の感覚からすれば、「普通の雨」なのに、heavy rainとなっている。日本の辞書では「豪雨(ごうう)」「土砂降り」「大雨」となっているにもかかわらずだ。

どうやら、イギリス英語では、こういうことらしい。

rain =霧雨
heavy rain =(日本人の感覚での)普通の雨

「土砂降りの雨が降る」を、英語では、It rains cats and dogs.と習ったが、イギリス英語では、もしかすると、雨音(あまおと)が聞こえる程度の雨のことなんではないかと訝(いぶか)しんでいる。

まあ、日本人の感覚での「豪雨」は、台風が基準になっていて、イングランドには台風はないからね。



2014年3月26日水曜日

都立高校英作文必勝法

これは難関都立高等学校が行なう自校作成問題(一般の都立高等学校の入学試験問題よりも、はるかに難しい)の英語の問題のことではなく、一般的な都立高等学校の英作文の対策である。

以下に、事例(じれい)を挙(あ)げてみよう。

長くはない英文の後で、ひとつ、問題文に関する問いがあり、そのつぎに、英作文の問題が出される。

事例(1)
あなたも自由な時間の過ごし方についてスピーチをすることになりました。あなたが自由な時間にすることを一つ取り上げ、そのことについて、三つの英語の文を書き表しなさい。

第1文
I play baseball.
ぼくは野球をします。

第2文
It is interesting.
それはおもしろいです。

第3文
I really think so.
ぼくは本当にそう思います。

事例(2)
あなたも、外国人に住んでいる友人に手紙を書くことになりました。あなたが、友人に伝えたい感動した出来事を一つ取り上げ、そのことについて三つの英語の文で書き表しなさい。

第1文
I watched the movie The Lion King.
私は『ライオン・キング』という映画を見ました。
註(ちゅう):I watched The Lion King.としても、減点されないだろうし、減点されたとしても少しだろう。なお、上記の英文は、手書きの場合には、I watched the movie The Lion King.とイタリック体(斜体(しゃたい))のところは、普通にブロック体で書いて、下線を施(ほどこ)す。
また、I watched The Lion King.としても、レベルが高くない高等学校なら、減点されないだろう。

第2文
It was interesting.
それはおもしろかった。

第3文
I really thought so.
私は本当にそう思いました。

事例(3)
このスピーチを聞いた後で、あなたはHarukaに何をしたらよいか助言することになりました。あなたがHarukaに助言したいことを一つ取り上げ、そのことについて、三つの英語の文で書き表しなさい。

第1文
You should take her a nice  Japanese restaurant.
あなたは彼女を素敵な日本食のレストランに連れて行くべきです。
または、
You should be kind to her.
あなたは彼女に親切にしなければなりません。

第2文
It is important to do so.
そうすることは重要でしょう。

第3文
I really think so.
私は本当にそう思います。

事例(4)
あなたは、人の役に立つために取り組んでみたいことについて授業で発表することになりました。あなたが取り組んでみたいことを一つ取り上げ、そのことについて三つの英語の文で書き表しなさい。

第1文
I want to be a doctor.
私は医師になりたい。

第2文
It is important to be so.
そうなることは重要です。

第3文
I really think so.
私は本当にそう思います。

以上のほかにもバリエーションがある。

I was moved.
私は心を動かされた。→私は感動した。
I really felt so.
私は本当にそう感じた。

自校作成問題の高等学校でなければ、この程度の内容で充分である。きわめて短時間で攻略(こうりゃく)できる。少なくとも12点中8点は得点できる。

ところが、ある年、以上のパターンでは答えにくい問題が出された。このテクニックで得点をする受験生に腹を立てた出題者なのであろう。

しかし、すぐに、英語が苦手でも12点中8点は得点できる問題に戻った。

これは、たぶん、あまり難しくすると、0点が続出して、問題として意味をなさないからであろう。

そのほかのテクニックとしては、表現や単語の綴(つづ)りに自信がなければ、入試問題の英文から、いろいろと借用(しゃくよう)して、利用するという方法もあるが、英語が苦手すぎると、この方法は利用できない場合が多くなる。処理速度(しょりそくど)が遅いなどの理由からである。

2014年3月25日火曜日

痴漢(ちかん)しそうにない男

私は痴漢(ちかん)しそうにない男性であるらしい。

始発駅である西武池袋線池袋駅で、発車まで10分から15分くらいある電車に乗ったときには、どういうわけか、自分の周囲が女性だらけになっている。

電車に乗るときには、左手で吊(つ)り革(かわ)を摑(つか)み、右手で、岩波新書やら、洋書やら、ブルーバックスを読んでいる。

左手で吊り革、右手で本ということは、両手が塞(ふさ)がっていることになる。

また、中高年の加齢臭(かれいしゅう)が嫌な女性の場合、背広姿(せびろすがた)の中高年のおっさんを避(さ)けるらしい。

私は若いときから、今まで、服装がそれほど変わっていないから、毎日、洗濯(せんたく)している。

一方、背広となると、自宅で洗濯(せんたく)しづらいので、1週間に1度のクリーニングという場合が多いらしい。

これは加齢臭が溜(た)まる。つまり、変な臭(にお)いがするわけだ。

とういうことで、左手で吊り革を摑(つか)み、右手で本を読み、毎日、洗濯(せんたく)できる衣類をきていると、どういうわけか、女性が集まる。

いや、本を読んでいなくても、女性が集まる。両手が塞(ふさ)がっているのが理由ではないらしい。

どうやら、痴漢しそうにないオーラが出ているらしい。

それにしても、はっと気がつくと、自分を中心に女性が10人から20人が集まっているのを目にすると、一体何が起こったんだと、はじめの頃は思った。

近所の女性にこのことを話したら、女性が3人くらいいれば、その近くだと痴漢されにくと思って、私もそこに乗るという。

なるほど、それほどまでに痴漢が多いということか!?

2014年3月24日月曜日

40年くらい前、日本のテレビではアメリカのドラマが放送されていた理由

40年くらい前には、日本のテレビ放送では、アメリカのドラマなどが大量に放送されていた。

それというのも、放映権料が無料だったからだ。

当時の日本のテレビ局には、採算がとれるドラマを制作する能力がなかった。コマーシャルによる収入は大したものではなかった。

そこにつけ込んだアメリカ合衆国政府は、日本にアメリカのテレビ=ドラマを無料で大量に送った。

しかし、それは善意によるものではなかった。

豪邸(ごうてい)や大型の自動車を日本人に見せつけることで、これほどの国力を備えた国を相手に戦争をしたのは間違いだったと思わせるためだった。

とはいえ、昭和40年代(1965年以降)になっても、そんなことをしているのは疑問である。戦後20年も経(た)っているのに、アメリカ合衆国の国力を見せつけて、日本人を洗脳(せんのう)しようとしていたのである。

これは、むしろ、アメリカ合衆国が、大東亜戦争[だいとうあせんそう=太平洋戦争]で、手こずったことの裏返しであろう。

とはいえ、『奥さまは魔女』Bewitched『かわいい魔女ジニー』I Dream of Jeannieは好きだな。

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2014年3月23日日曜日

数学者ラマヌジャンの伝記で大笑いしたこと

『数式に憑(つ)かれたインドの数学者』は、インドの数学者シュリニヴァーサ=アイヤンガー=ラマヌジャンSrinivasa Aiyangar Ramanujanの物語である。

ラマルジャンは毎日、定理を半ダース、見つけ出すような人物であった。

ゴッドフレイ=ハロルド=ハーディGodfrey Harold Hardyは、ラマヌジャンにさまざまな援助を行なった。

ラマヌジャンは体系的に数学を学んでいなかったので、証明というものがよくわからなかった。ハーディは、ラマルジャンの出した定理を証明した。ラマヌジャンに証明を強制するのはよい影響を与えることはないだろうと、ハーディは考えた。

ハーディは、数学史での自分のいちばんの業績はラマヌジャンを発見したことだと言った。また、数学者に点数をつけるとすれば、自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、ラマヌジャンは100点だと言った。

ハーディは、ジョン=エデンサー=リトルウッドJohn Edensor Littlewoodという数学者と共同で数多くの論文をしたためた。素数の分布に関するハーディ=リトルウッド予想は有名である。

『数式に憑(つ)かれたインドの数学者』を読んでいたら、つぎの一節に出喰(でく)わした。

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そしてリトルウッドはと言えば、当時のケンブリッジではお目にかかれぬ人種であることが、たちまち見て取れた。彼は男性よりも女性を好むのだ。女性と過ごすのが好きで、女性の体を好んだ。ごく自然に女性と戯(たわむ)れる。
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数式に憑かれたインドの数学者 上
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2014年3月22日土曜日

高等学校の男子ラクロス部は、全国で4校しかないのだけれど……。

高等学校の女子ラクロス部は多いけれども、男子ラクロス部は、2014年の現時点で、全国で4校しかない。

ということは、常に全国でベスト=フォーに入れるのだと考えてしまうが、そうではなかった。

部員の多い男子ラクロス部は、2チーム出場したりする。

◯◯高校Aチーム・◯◯高校Bチームという具合(ぐあ)いである。

すると、全国で4校しかない男子ラクロス部なのに、ベスト=フォーに入れないことがある。

優勝:◯◯高校Aチーム

準優勝:△△高校Aチーム

3位:◯◯高校Bチーム

4位:△△高校Bチーム

ということになることもある。

4校しかないのに、ベスト=フォーに入れなかったら、一生忘れられない嫌な思い出になるんだろうな。

2014年3月21日金曜日

副将・副キャプテン・副部長だらけの慶應義塾大学

以前に、早稲田大学くらいでも、文化部や運動部、サークルの部長や幹事長の場合は、企業からの勧誘が多数、来るということを書いた。

慶應義塾大学では、副将・副キャプテン・副部長だらけになっているそうだ。

ひとつの文化部・運動部・サークルで、副将・副キャプテン・副部長が10人くらいいる場合があるそうである。

そうすることで、1流企業の採用を増やそうという戦略(せんりゃく)であるらしい。

このあたり、慶應義塾大学は、早稲田大学よりも賢(かしこ)いなあ。

2014年3月20日木曜日

国ごとの数学の得意分野

なんとなく、国ごとに、歴史的にみて、数学の得意分野があるような気がする。

英国は代数学で有名な数学者が多いような気がする。

フランスは、整数論で有名な数学者が多いような感じだ。

日本はというと、微積分が得意なようである。

ときおり、その理由を考えたりしてみるのだが、よくわからない。

フランスに、整数論の得意な数学者が多いのは、フランス語の数字の読み方が、12進法と20進法が混(ま)じっているから、むしろ、整数の性質を見て取ることができるのではないだろうか?

以前、石原慎太郎が、フランス語は数(かず)もちゃんと言えないことばだというような意味のことを言った。これは、あながち、不当な貶(おとし)めではない。

「80」のことを、quatre-vingtsというが、これは、文字通りには、「4つの20」という言い方である。

また、『プチ・ニコラ』Le Petit Nicolasというフランスの児童書を読んでいたら、生徒たちが騒ぐので、怒(おこ)った女性教師が、これ以上、騒ぐと午後の授業は、全部、計算にしますと言った途端(とたん)に、生徒全員がピタリと騒ぐのをやめたという場面があった。そのくらいに、フランス人は、というか、ヨーロッパ人は計算が苦手なのである。

一方、日本人は、小学3年生までは、世界でもトップ=レベルで、計算が得意である。

これついては、日本語の数字の表し方が、10進法的だからと説明する人々がいる。

話は戻って、フランスは整数論が得意である傾向がある。

たとえば、ロシアの盲目(もうもく)の女性数学者が、空間に関する業績でめざましいものを残したそうだ。彼女は、目が見えないからこそ、空間の本質とでもいうようなものを把(とら)えることができたのだろう。

これと同様に、フランスの数学者が整数論が得意な傾向があるのは、10進法的な数体系(すうたいけい)ではないからこそというのが考えられるのではないだろうか?

しかしながら、英国人の数学者が代数学が得意で、日本人の数学者が微積分が得意という理由が、今のところ、想像がつかない。

2014年3月19日水曜日

映画版『僕の初恋をキミに捧(ささ)ぐ』を、つい、観てしまった。

つい、『僕の初恋をキミに捧(ささ)ぐ』を観てしまった。

レンタルDVDにあった予告編を観て、興味を抱(いだ)いた。本当は、病気と恋愛を重ねる設定は安易(あんい)だと思っているから、好きではないのだけれど。

これは、二十歳(はたち)までの生命の若者と、幼馴染(おさななじ)みの娘との恋物語であるが、最後には若者はなくなってしまう。

2人が口論をしたあとで、若者は娘のいる女子寮近くに足を運び、部屋の窓に小石か何かをぶつける。窓から顔を出した娘に、若者はこう言う。

「月が綺麗(きれい)だからデートしないか?」

これは夏目漱石(なつめそうせき)の逸話(いつわ)に基づくものだろう。

夏目漱石は I love you.の訳し方について、当時の日本人は、そもそも夜に女性と出歩くことがなかったなので、文脈から「月が綺麗ですね」と訳せばいいのだと言った。つまり、月が見える夜に男女が逢(あ)うというのは、当時の日本人の感覚では、それだけで、「愛している」ということになるというのだ。

この夏目漱石の話を元に、「月が綺麗だからデートしないか?」という台詞(せりふ)にしたのだろう。

すると、「月が綺麗だからデートしないか?」は、「君のことが大好きだから、デートしないか?」という意味を含(ふく)むことになる。

ところが、この映画は若い人が観るものらしく、ウェブなどで検索(けんさく)しても、以上のことを指摘しているものは見当たらなかった。

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2014年3月18日火曜日

Googleの検索システムで、検索ワードが表示されなくなっていた。このことが意味するのは……。

けっこう前から、アクセス解析(かいせき)を見ると、つぎのような表示を目にするようになった。

https://www.google.co.jp/ (Keywords Unavailable)
日本語訳:https://www.google.co.jp/(キーワードは利用できません)

これが何を目的としているのかわからなかった。

検索(けんさく)ワードを暗号化しているのだという。

最近の情報だと、たとえば、国家が検閲(けんえつ)をして、特定の検索(けんさく)ワードに対応した検索結果がでないようにしているところに対する対抗手段(たいこうしゅだん)だそうである。

国家が検閲(けんえつ)によって、一定の検索ワードに関する検索結果が出ないようにしているところがある。

そうした国家に対する嫌がらせかもしれない。

たとえば、支那大陸にある社会主義国家では、都合の悪い事実であることを隠(かく)したい。そこで、「天安門事件(てんあんもんじけん)」や「チベット虐殺(ぎゃくさつ)」などで検索した結果を隠(かく)したいので、そうした検索ワードで検索しても、なにも出てこないようにしている。

ところが、Googleが検索ワードを暗号化することで、検閲(けんえつ)できず、支那大陸の社会主義国家の人民も、事実を知ることになる。

どうやら、Googleでの検索ワードの暗号化は、こうした国家に揺(ゆ)さぶりをかけるものであり、もしかすると、Googleはアメリカ合衆国国防総省(こくぼうそうしょう)と連携(れんけい)しているのかもしれない。

その一方で、「言論・表現の自由」を確保するために、そうしている可能性もある。

2014年3月17日月曜日

近所のウイークリー=マンションでは、夏休みなどの時期の予約は、日付によっては相当に早い時期に予約でいっぱいになる。

うちの近所にある「フレックステイイン江古田」という元ウィークリー=マンション(今は1泊からでも宿泊可能)では、夏休みなどの時期は、特定の日付によっては相当に早い時期に予約でいっぱいになる。

池袋まで西武池袋線で3駅だし、新宿までは都営地下鉄大江戸線で7駅で、東中野まで3駅だから、それなりに便利といえば便利だが、ビジネスホテルのほうが廉(やす)いから、不思議だった。

最近になって気がついたのだが、近所の武蔵野音楽大学で、夏休みに「夏期音楽大学受験講習会」をきわめて低価格で行なっていた。たいへん人気のある講習会であるそうだ。

その講習会を受講に来る地方の人々が、親子連れでやって来る。

そのことに気づいたら、そういえば、夏休みの時期に、「フレックステイイン江古田」から、母親連れの女子高生くらいの年齢の女性が出てくるのをよく見かけたことを思い出した。

2014年3月16日日曜日

学生服の第2ボタンを欲しいという人がいないかと大学の卒業式の日にキャンパスに行ったが、だれからも求めれなかった。

大学生のときに、夏にはリーバイスのジーンズに、ヘインズの白いTシャツ、それにドクター=マーティンの靴だけでいた。リーバイスのジーンズは数本、ヘインズの白いTシャツは10枚くらいあった。ドクター=マーティンの靴も、8穴のブーツから、普通の靴まであった。

それ以外では、学生服でいた。

服を毎日替(か)えるのが面倒だったからだ。ズボンは、大学生活協同組合(生協)で売っていた黒いズボンにした。脚が太いので、一般学生用のものではなく、体育会用の太いズボンを買った。

夏以外では、学生服でいた。一般的に、学生服でいるのは、体育会の運動部の連中と、応援団、ならびに、早稲田精神高揚会(わせだせいしんこうようかい)という変なサークルの連中だけである。

好(す)き好(この)んで学生服を着ているから、詰襟(つめえり)もきちんと留(と)める。いわゆる変形学生服(袖(そで)のボタンが3個以上あるとか、定形(ていけい)よりも長い、あるいは短いなど)は身につけていない。

私は高校生のときの学生服を実家から送ってもらって、ボタンだけを大学のものに変えた。学生服はいわゆる「中ラン」というやつで、普通の学生服よりも裾(すそ)までがちょっとだけ長い。ズボンは体育会用のものだったので、幅が広い。だから、ちょいとばかり変な恰好(かっこう)だった。

しかし、女子校出身者や、制服のない都立高等学校出身には、それがいくぶん妙な学生服だというのはわからなかったようである。

ときおり、近所にある早稲田高等学校(早稲田大学の附属でも系属(けいぞく)でもない)や、当時は早稲田鶴巻町にあった早稲田実業高等学校の生徒が文学部の学生食堂に食事に来た。男子校だから、綺麗な(?)おねえさんのいるところでご飯(はん)をたべようというのであるらしかった。彼らのほとんどは詰襟(つめえり)を留(と)めていないので、簡単にわかった。

卒業式の日に、制服の第2ボタンを求める女子学生がいるのではないかと、学生服でキャンパスをうろうろしていた。式典(しきてん)というものは好きではないので、卒業の式典そのものには出席しなかった。なお、入学式も出席していない。

ところが、キャンパスで出逢(であ)っても、だれからも制服の第2ボタンを求められなかった。

そうしたところ、知り合いの大学院生のおねえさん2人に逢(あ)った。

そこで、学生服のボタンを外(はず)した。

当時は、ボタンを糸でくくりつけるものではなくなっていて、すでに、プラスチックの部品で、裏からカチリと嵌(は)めるだけで済(す)むようになっていたから、学生服のボタンを簡単に外(はず)せるようになっていた。

5つのボタンを混(ま)ぜて、「5分の1の確率で『第2ボタン』が当たります」とやった。

ちょっとばかり嬉(うれ)しそうだった。

先日、そのうちのひとりが、ウェブで検索して、私を調べ、メッセージを送ってきた。「あのときのボタンは今でも大切に持っています」と。

2014年3月15日土曜日

『もののけ姫』のアシタカって、よく考えると、二股(ふたまた)をかけていた。

タタリ神による呪(のろ)いを断つため、アシタカは旅に出る。

---
カヤ:兄さま。

アシタカ:カヤ、見送りは禁じられているのに。

カヤ:おしおきは受けます。どうか、これを私の代わりにお供(とも)させてください。

アシタカ:大切な玉(ぎょく=黒曜石(こくようせき))の小刀(こがたな)じゃないか。

カヤ:お守りするよう息を吹き込めました。いつも、いつも、カヤは兄さまを思っています。きっと……きっと……。

アシタカ:私もだ。いつもカヤを思おう。
---

「兄さま」と呼んでいるが、アシタカはカヤの実兄(じっけい)、実際の兄というわけではない。村全体をひとつの家族のように見なしている。

これは、戦前の八紘一宇(はっこういちう)という思想、簡単にいうと「人類は皆、兄弟姉妹」という考えに通じるものではないのか? 

宮崎駿(みやざきはやお)は、高等学校生のときに学生運動をしており、そのせいで勉強ができなくて、学習院大学くらいにしか合格しなかったという。当時の学習院大学は、今よりも偏差値で10から15は低かった。

いずれにしろ、宮崎駿は左翼思想の持ち主らしいのだが、こういうところで、国粋主義というか、民族主義というか、あるいは軍国主義というか、そういう思想が見えるのは不思議だ。

それはともかく、アシタカはお守りとしてカヤにもらった玉(ぎょく)の小刀を、山犬を介(かい)して、サンに与える。

玉の小刀を女性が男性に与えるのは、エミシ(蝦夷)の世界では、永遠に変わらぬ愛を示している。女性からのプロポーズのようなものである。

永遠の愛を示すものを女からもらっておいて、それを別の女にあげているということになる。

挙句(あげく)の果(は)てには、サンを抱きしめたり、「そなたは美しい」と言ったりしている。

最後には「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう。逢(あ)いにいくよ、ヤックルに乗って」と、なんらかの事情があるのかもしれないが、カヤのいる村には帰ろうとしない。

よく考えると、アシタカは相当にひどい男である。でも、かっこいいから、まあ、いいか。

2014年3月14日金曜日

早稲田大学くらいでもサークルの部長・幹事長なら、あちこちの企業から勧誘が来る。

大学の運動部や文化部、ならびにその他のサークルで、部長をしていると、企業からの勧誘を受ける。

私自身、勉強ばかりしていたので、サークルにでも入りたいと思ったが、3年生になってから入るのは、なんだかなあと思った。

そこで、友人と一緒にサークルを立ち上げることにした。

当初は、「現代論理学研究会」にしようと考えたが、早稲田大学には「数学研究会」がなかったので、最終的には「数学研究会」にした。

とはいえ、実際にやっていたことは、現代論理学の勉強だった。

現代論理学のクルト=ゲーデルKurt Gödelの「完全性定理」と「不完全性定理」は理解した。

ちなみに、ゲーデルの「不完全性定理」を解説し、証明方法を説明する授業をしたいと思っているのだが、うちの生徒はだれも興味を示してくれない。

早稲田大学には、「マイル=ストーン」という同人誌を発行しているサークルがある。

毎年、サークル紹介(しょうかい)の同人誌を4月に発行する。

その紹介号に「早稲田大学数学研究会」を掲載した。

すると、全国の企業から、勧誘のダイレクト=メールが連日、おそろしいほど届いた。

「マイル=ストーン」に掲載された住所や電話番号があちこちに流出(りゅうしゅつ)したようである。

早稲田大学くらいでも、サークルの部長なり、幹事長なりを務(つと)めているというのは人望があると判断されるらしい。もっとも、旧帝国大学ほどには評価はされていはいないようであるが……。

2014年3月13日木曜日

「馬鹿(ばか)は風邪(かぜ)をひかない」というのは、厳密(げんみつ)には正しくない。

「馬鹿(ばか)は風邪(かぜ)をひかない」と言われる。

しかし、疫学(えきがくepidemiology)上、これは間違っている。どんな人でも年に1回以上は風邪をひく。

20年間、風邪をひいたことがないという人は、風邪をひいたことがないのではなく、風邪をひいたことに気づいていないだけの人である。

風邪をひいたということに気づかず、ちょっと体調が悪いと思って、運動をしたり、熱い風呂に入ったりして、汗を流し、健康によいものを食べたりして、自然と風邪を治す。

その結果、「馬鹿は風邪をひかない」という俗諺(ぞくげん)ができた。

ところで、私は、春先になると、なんだかみょうに鼻汁(はなじる)が多くなる。ティッシュ=ペーパーで鼻をかんでばかりいる。

「それって、花粉症なんじゃないですか?」

10年以上も自分が花粉症だということに気づかなかった私は、もしかして、「馬鹿」?

2014年3月12日水曜日

うちの生徒が敬意を払うM先輩の話

小学校から高等学校まで、M先輩がいた。

その人は、短距離走は遅くはなかったが、身体能力は高くはなかった。


学習塾・予備校を運営していると、どういうタイプが成績が伸びやすいか、あるいは、成績が伸びにくいのかはわかる。スポーツや音楽ができるタイプは、本気を出せば、成績がすこぶる伸びやすい。


M先輩は、今にして思うと、成績が伸びやすいタイプではなかった。


中学校のとき、同じサッカー部にいたけれども、ボールの蹴(け)り方が、なんだか奇妙だった。


私は1年生のときからレギュラーだったが、M先輩は最後まで補欠だった。


スポーツや音楽のできる人間は、本気を出せば、少なくとも難関大学の受験までの勉強はできる。


たとえば、北京オリンピックのサッカー日本代表の監督だった反町康治(そりまちやすはる)は、清水東(しみずひがし)高等学校でサッカーの全国大会で優勝を経験し、スポーツ推薦で、大学に進学したが、その大学のサッカー部の監督の方針がどうしても好きにはなれず、中途退学し、受験勉強を始めた。


翌年、慶應義塾大学法学部政治学科に合格している。


スポーツまたは音楽の才能がまったくないのに、勉強ができるというのは、あまりないようである。


私が高等学校3年生になったとき、河合塾の模擬試験(もぎしけん)の日に、M先輩が、うちの教室にやって来た。生徒の分の机と椅子(いす)しかないから、倉庫から机と椅子(いす)を持ってきた。


「先輩、どうしたんですか?」と訊(き)いたところ、「浪人したから」と答えた。


1回目の模擬試験(もぎしけん)のときは学生服でやって来たけれども、2回目からは私服で来た。


M先輩は、家がどうしようもないほどに貧乏なので、予備校に通うお金さえなかった。


個人で河合塾の模擬試験を受けるよりは、高等学校での集団で受験するほうが受験料が廉(やす)くなる。それで、母校で模擬試験を受けに来ていた。


M先輩の家にはクーラーがなかった。浪人中、夏の間は、空調設備のある市立図書館で、午前9時から午後5時まで勉強して、夜は扇風機(せんぷうき)に当たりながら、パンツ1丁(いっちょう)で勉強した。


あまりにも貧乏なので、参考書や問題集を買うお金もなかった。いや、買えなくはなかったけれども、買うと、大学への入学金が出せなくなる。奨学金(しょうがくきん)というものがあるけれども、入学金は奨学金の対象ではないから、どんなに貧乏でも入学金は出さなければならない。


それで、M先輩は、高等学校に送られてくる「試供品(しきょうひん)」を教師からもらって勉強した。


「試供品」というのは、当社ではこういう参考書・問題集を作ったので、そちらの高等学校で採用していただけませんかということで、出版社が高等学校に送りつけてくるものである。


M先輩はそれらをもらって勉強した。


翌年、M先輩は岡山大学医学部に合格した。関東でいえば、千葉大学医学部くらいのものだろう。


私は他人の進学先にはあまり興味がなかった。だから、高等学校の同級生の進学先もあまり知らない。


しかし、ある同級生が「M先輩って、岡山大学医学部に合格したんやって。あの人って、頭がいいっていう印象がなかったんやけどなあ」と言った。


以上の話をすると、うちの生徒たちはすこぶる感動する。


一方、高等学校の同級生に無茶苦茶(むちゃくちゃ)頭のよいのがいて、半年ほど本気で勉強したら簡単に京都大学理学部に合格したという例もある。スポーツも音楽もできるタイプだった。


そのまた一方で、ものすごく真面目な同級生がいた。彼は、高等学校入学後に京都大学の過去問(かこもん)を調べて、3年後に合格するには、今後、何をすべきか、また、高等学校の受験用の勉強では駄目だと考えた。


その結果、勉強の方針を変え、3年間、こつこつと勉強していた。


彼はそれなりに優秀で、最終的には現役で京都大学文学部に合格した。


しかしながら、京都大学理学部に現役合格した同級生は、ほんのちょっと真剣に勉強しただけで英語・国語・数学の3教科での成績では軽く追い抜いた。


ところが、この同級生の話をしても、うちの生徒は感心しない。最初はちょっと驚くが、「頭がものすごくよくて、ものごとの処理速度が速い人なんでしょ」と思うだけらしい。


私自身は、小学2年生のときに実施された知能指数検査では、時間内ですべてを解き終え、翌日から教師の態度が変わったということがある。



駿台予備学校で3教科合計で偏差値82.4で全国2位をとっている。

早稲田大学とはいえ、大学での成績は「優」が8割で、「優」にも、A評定の「優」とB評定の「優」があるが、全体の65%以上は「A評定」の「優」だった。


なお、GPA (Grade Point Average)は3.76だった。最高が4.0である。アメリカ合衆国や英国の名門大学院に進学するには、3.4から3.6は必要だとされる。そうした基準を軽く超えている3.76だった。


しかしながら、うちの生徒は、それほど馬鹿ではないけれども、体力のある努力家にすぎないと私のことを思っているようである。

努力ができない馬鹿よりはましだと思うのだけれどもねえ。


その一方で、不器用で、地頭(じあたま)はそれほどよくはなかったけれども、努力して、名門医学部に進学したM先輩は、うちの生徒の敬意を集めている。「その人は本当にすごい」と。


頑張(がんば)れば同じようになれるのではないかと思える人は、モデル=ケースになれるからなのだろう。


2014年3月11日火曜日

柄物(がらもの)文化としての日本

日本人は、古来から、柄物(がらもの)の着物を着てきたし、今でも、柄物が好きだという傾向がある。

もっとも、戦乱(せんらん)となると柄物のような手間のかかるものを拵(こしら)えることが難しくなるので、シンプルな着物になることもあった。

その一方で、アニメでは、柄物の衣服にすると、作画に関して作業工数(さぎょうこうすう)が増え、予算の関係で、柄物を着せるのは難しいようである。

たいていは、柄のない衣服を纏(まと)っている。

日本らしくするなら、柄物の服を着せればよいと思うのだが……。

なお、武術の稽古着(けいこぎ)は、白一色だったり、紺一色だったりするが、これは、修行(しゅぎょう)の場にお洒落(しゃれ)を持ち込んではいけないということだろう。

2014年3月10日月曜日

ファミリー=マートに行ったら、サッカーの日本代表のレプリカ=ユニフォームを、店長から店員まで着ていた。

近所のファミリー=マートに行ったら、店長から店員まで全員が、サッカーの日本代表のレプリカ=ユニフォームを着ていた。

ものすごく不思議な光景だった。

店長は、寒くて堪(たま)らないと言っていた。

まだまだ寒いのに、半袖(はんそで)だった。

2014年3月9日日曜日

篠笛(しのぶえ)を始めた。

篠笛(しのぶえ)を独学で始めた。

音楽を聴くのは好きなのだが、これまでの人生で楽器というものを演奏したことがなかった。このまま楽器の演奏をしないままで死ぬのは嫌だなと思ったので、なにか楽器をやりたいと思った。

篠笛にした理由は、楽器の値段が廉価(れんか)だったからである。

バリトン=サックスやバイオリン、コントラバスは、ちゃんとしたものだと100万円くらいする。

篠笛だと、普通レベルの高級品で4万円以下である。

ところが、日本の楽器によくあることだが、演奏するには、演奏者の身体能力に大きく依存(いそん)する。

音がちゃんと出ない。

篠笛をやっている生徒に、うちの廉価品(れんかひん)で吹いてもらったら、ちゃんと音が出ていた。

相当に稽古(けいこ)がいるようだ。

ところで、うちの塾・予備校の斜向(はすむ)かいには、元・東京藝術大学学長(もと・とうきょうげいじゅつだいがくがくちょう)にして、武蔵野音楽大学の創設者の子孫の豪邸(ごうてい)があり、そんなところで、下手な篠笛の稽古(けいこ)をしているのは、ちょっと恥(は)ずかしい。

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2014年3月8日土曜日

微積分のことをcalculusと書いてある数学書が英語圏には多い。

数学の「微積分」は英語ではdifferential and integral calculusという。

ところが、英語の数学書を読むと、微積分を、単にcalculusをしか書いていない場合がよくある。

日本の感覚では、calculusと書かれると「計算」と思ってしまって、戸惑(とまど)ってしまう。

慣れれば、大丈夫なんだけどね。

2014年3月7日金曜日

検索ワードに「ロシア語」が増えていた。

例年、2月から3月には、第2外国語に関して検索する人が増える。大学に合格して、第2外国語を選択しなければならないので、調べる人が増えるようである。

アクセス解析を見たところ、今年は、例年と較(くら)べてロシア語を調べる人が異常に多くなっている。

早稲田大学文学部ロシア語ロシア文化専修(旧・ロシア文学専修)は、超不人気専修なのに、今年(2014年)は、ロシア語のことを調べている人が多くなっている。

ちょっと考えたところ、ロシアで開催されたソチ=オリンピックの影響らしい。

なかでも、女子フィギュア=スケートのロシア人選手のアデリナ=ソトニコワ・ユリア=リプニツカヤ・エレーナ=ラジオノワたちが綺麗(きれい)だからではないかな。

これ以外には、ロシア語を第2外国語として選択することを検討している人が増えている理由が、今のところ、見当たらない。

この逆で、男子フィギュア=スケート金メダリストの羽生結弦(はにゅうゆづる)の影響で日本語の学習を検討している外国人も増えているのだろうな。

2014年3月6日木曜日

大したことだとは思っていないのに、子どもに羨(うらや)ましがれること

大したことだとは思っていないのに、子どもに羨(うらや)ましがられることがある。

その1

Jリーグが開幕した1993年に、川崎ベルディ対横浜マリノスの試合が、まず、5月15日に行なわれ、翌日の5月16日に残りの試合が行われた。

5月16日に、鹿島アントラーズ対名古屋グランパス=エイトの試合を鹿島スタジアム(現・カシマサッカースタジアム)で観戦した。

これはサッカー小僧に羨(うらや)ましがれる。のみならず、近所の店員さんで30歳手前くらいの人にも、それすごいですね、俺(おれ)が幼稚園のときじゃないですかと驚かれたことがある。

ところが、ドイツのクラブ=チームである1FCケルンと日本代表との試合をスタジアムで観戦したとか、王様ペレの引退興行での試合を観戦したとか、このあたりになると若い人には羨(うらや)ましがられない。ピンとこないらしい。

その2

公開後、ずいぶんと経って、新宿の映画館1館だけで『もののけ姫』を公開していた。そして、公開最後の日となった。当時の彼女に誘われて、公開最後の日に、観賞(かんしょう)した。

DVDを何度も何度も観(み)ている『もののけ姫』の大ファンの女の子からすると、劇場で観られたなんていうのは、すこぶる羨ましいという。

その子は、『もののけ姫』の大ファンであり、理想の男性はアシタカだという。

以上のように、長く生きていると、大したことではないことでも羨ましがられるようになるらしい。

2014年3月5日水曜日

なんでも「崩す」日本文化(その2):能管(のうかん)

日本の楽器は不思議なものである。

西洋の楽器は倍音を極めるために、研(と)ぎ澄(す)まされてきた。倍音というのは、基音とされる音の整数倍の周波数の音である。

ところが、和楽器は、噪音(そうおん)という倍音以外の音が多い。いわば、雑音的な音が多いのである。この理由を説明することはできない。日本人の民族性としか言えないらしい。

また、西洋楽器は、倍音を研ぎ澄ましつつ、楽器の役割を細分化した。たとえば、バイオリンとビオラとチェロとコントラバスのようにサイズの違うものを考案した。サキソフォンにしても、アルトサックス・テナーサックス・バリトンサックスなどとサイズの違うものを開発している。

しかしながら、和楽器はさほど進化していないし、機能に応じての細分化もない。

支那から入った龍笛(りゅうてき)はそのままの形であるし、篠笛(しのぶえ)も、ずいぶんと長く同じままである。

さて、なんでも「崩す」日本文化という観点から取り挙(あ)げたいのは、能管(のうかん)である。

能管は、室町時代に能のために考案されたものである。

龍笛を元に、その内部に細い竹の棒を入れることで、能管は独特なものになっている。

能管の音は、一般の人が耳にするのは甲高(かんだか)いものが特徴のひとつである。また、幽霊が登場するときの効果音でも用いられる。

ところが、能管は、旋律(せんりつ=メロディ)も出せなければ、リズムを刻(きざ)むこともできない。

龍笛(りゅうてき)を改変して、わざわざこんなものを作った。

日本人なら、折(おり)にふれて和楽器の音色を耳にしているから、それほど抵抗はないのだろうが、たとえば、西洋音楽しか知らない人間が、能管の音を耳にするとどう感じるのだろうか?

私自身、インドネシアのガムランという音楽を耳にしたとき、まったく馴染(なじ)めなかった。

2014年3月4日火曜日

「元気をもらう」はおかしい表現である。

「元気をもらった」という言い方をする人が多くなっている。

しかし、本来の日本語の表現では「元気が出た」が適切だろう。

どうやら、英語の受動態の影響なのではないかと考えている。

たとえば、「私は感動した」というのは、英語の子ども英語ではI was moved.であるが、これは、直訳としては「私は(心を)動かされた」という意味であり、そこから、「私は感動させられた」となり、自然な日本語としては「私は感動した」となる。

このような西洋語の表現が影響して、「元気をもらった」という言い方が普及(ふきゅう)したような気がする。

2014年3月3日月曜日

ピエール=マルコリーニのオンラインショッピングでガーナ産のカカオを使ったチョコレートが売れ残っていた。

お歳暮などを贈ってくれた人や、お世話になった人に、高級チョコレートを贈ろうと思って、ウェブで調べた。

2月10日あたりだと、「完売しました」というのが多かった。

ところが、日本で大人気のピエール=マルコリーニPierre Marcoliniのオンライン=ショッピングでは、売れ残っているのがあった。ことごとく、ガーナ産のカカオ豆を使ったチョコレートだった。

ちょっとだけ不思議に思った。ピエール=マルコリーニは、カカオ豆の生産農場に直接、足を運び、カカオ豆の品質を確かめてから仕入れている。

だから、品質には問題はないはずである。

私としては、ピエール=マルコリーニが選んだガーナ産のカカオ豆で拵(こしら)えたチョコレートの味には興味がある。

これはどういうことなのかと考えた。

どうやら、ロッテのガーナチョコレートのせいで、ガーナ産のカカオ豆のイメージが悪くなっているのではないかと思った。ロッテのガーナチョコレートは砂糖が60%以上だから、ベルギーの基準ではチョコレートとは呼べないものらしい。

2014年3月2日日曜日

成績が伸びすぎる学習塾・予備校の経営上の難点

経営上の難点はいろいろとある。

1)両親の学歴を軽く超えるの確実になると、退塾させられる生徒が出現する。

とりわけ、女子生徒の場合、経験上、6割はやめさせられる。

東京の東部(大卒率が30%未満や25%未満の地域)にある大手進学塾では、上から2番めのクラスの女子生徒をいちばん上のクラスに上げると、ふっとやめてしまう事例が多発しているので、一般的な基準であるいちばん上の上のクラスの平均点を超えたら上げるは適用せず、女子生徒の場合は、なるべく上のクラスには上げないようにという通達が出されたことがあるくらいである。

2)あまりにも短期間に成績が伸びるので、簡単な仕事なのではないかと思うらしい。

その結果、受講料を値切る親が出現する。

また、勝手に月謝袋の中身を千円や2千円少なくする親も出現する。

プリント作成にかかる作業工数などを説明し、当校のように個別対応型の塾では、プリント作成に関しては、少品種大量生産ではなく、多品種少量生産なので、これでもぎりぎりの受講料なのだと説明しても、一定レベル以上の知的な仕事をしたことがない女性やパソコンを使いこなせない女性は、論理的には多少は理解しても、感情の点では受け入れられないようである。

こうした場合、即座に退塾処分にしている。家庭環境ゆえに伸び代(しろ)が少ないのが判明したからである。

3)口コミが少ない。

あまりにも効率よく成績が上がり、周囲から、「やればものすごくできる子」と思われる。すると、その評価を下げたくないので、こんなすごい塾・予備校に通ったからですとは言いたくなくなる。

ある事例では、偏差値34から、高校3年生の8月から受験勉強を始め、立教大学に合格して、早稲田大学商学部には、0.052差で不合格になった生徒がいる。その生徒が大学生のときに、同じ部活動の後輩に受験で相談を受けても、当校を紹介しなかった。

また、別の事例では、当校入校時に「2」が6個、「3」が3個の成績で、学年順位は134人中110番台だったという生徒がいる。ところが、当校入校後、成績が上がり、周囲から、「どこの塾に通っているの?」と訊かれて、「あなたが通えないくらい遠くの塾よ」と答えた。

4)あまりにも成績の伸びがよすぎるので、はったりをかましているのではないかと疑われる。

私は小学2年生のときに実施された知能指数検査では、時間内にすべてを解き終えた。だから、知能指数は160以上はあった。

そういう人間には見えるけれども、そうでない人には見えないことがある。

その観点から受験校の対策を講じる。

しかしながら、とにかく暗記さえすればよいとような小学校の勉強や中学校の定期試験のための勉強は、受験に関しては無駄が多い。小学校のときにオール5だったのに、中学校で失速し、高等学校で終わってしまった人は、勉強方法を間違えているのだけれども、その間違いに気づいていない。「暗記量が足りなかった」と反省する。

これがわからない人は多い。

2014年3月1日土曜日

「うちの母ちゃんがおばさん化していました」

「うちの母ちゃんがおばさん化していました」とうちの生徒が言った。

今年は、お歳暮をいただいたり、お世話になった人に、1粒1,050円のチョコレートを差し上げた。

その生徒のお母様は大喜びで、「ご夫婦でお分けください」と伝えておいたのに、当然のごとく、ひとりで食べた。

変な誤解をされるといけないので、「お歳暮のお礼ですから、『愛』は一欠片(ひとかけら)も入っていません」との伝言も頼んでおいた。

すると、お母様は、「あら、まあ、減るもんじゃないんだから、少しくらい『愛』が入っていてもいいのにねえ」と言ったという。

そのとき、うちの生徒は、「いかん。うちの母ちゃん、おばさん化している」と思ったという。

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自己紹介

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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