2014年2月21日金曜日

ナポレオン=ボナパルトのときだけフランスが戦争に強かった理由

フランスは、フランス革命によって国民国家nation-state/état-nationとなったがために、1815年までは戦争に強かった。

フランス革命la Révolution françaiseにおいては、1787年に始まり、1799年のナポレオン=ボナパルトNapoléon Bonaparteがクーデタcoup d'Étatによって政権を掌握(しょうあく)するまでの期間を革命期とする。


フランス国内には、他国の国王の領地があった。たとえば、ブリュターニュBretagneにはイングランド国王の領地があった。


フランス革命を認めると、他国の国王の領地が、フランス民衆のものとなってしまう。だから、「反革命」という活動を、各地の国王が起こした。

フランス国民は、フランス革命を成就(じょうじゅ)するために必死で闘(たたか)あった。


また、他国の軍隊は、傭兵部隊(ようへいぶたい=外国人部隊)しかなく、傭兵は、所詮(しょせん)は金儲(かねもう)けなので、命を賭(か)けてまでは闘(たたか)わない。


もっとも、フランス革命時にフランス国王の傭兵であったスイス人の兵士たちは、フランスの民衆に全員が虐殺(ぎゃくさつ)されている。


フランス革命を成立させるには、反革命勢力である他国の軍隊と死に物狂いで戦わなければならなかった。

その結果、この時期だけは、フランス軍は戦争に強かったのである。

1815年に、ワーテルローの戦いBataille de Waterlooでナポレオンが敗れてから、フランスは戦争に負けてばかりいる国となっている。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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