2013年12月9日月曜日

世界の人口爆発の責任は、日本の農業技師にあるような気がする。

世界の人口爆発は、頭の痛い問題である。

1800年代初頭には、10億人だったのが、いつのまにか、70億人を突破している。

日本の農業技術者が優秀すぎるせいなのではないかと、以前から考えている。

大豆と小麦と稲作を採り上げてみよう。

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まずは、大豆から。

日本人は大豆が好きな民族で、縄文時代中期から栽培していたらしい。豆腐・厚揚げ・味噌・油揚げ・黄な粉(きなこ)・醬油(しょうゆ)と、大豆製品はじつに多い。

満蒙開拓(まんもうかいたく)にあたって、満州国で大豆を栽培するようにした。

大豆に共生する根瘤菌(こんりゅうきん)には空気中の窒素(ちっそ)を取り込んで、大豆に供給する。大豆は不毛な大地でも栽培できるし、その結果、肥沃(ひよく)な大地に変える。

満州国は、当時、大豆生産の8割を輸出に回し、日本は大豆を食(しょく)す習慣のないヨーロッパ人に大豆料理のレシピなどを普及させようとした。

ブラジルや世界最大の大豆生産国であるアメリカ合衆国で栽培されている大豆は、日本生まれの品種である。

ついでに記しておくと、日本の陸軍が馬賊(要するに馬に乗った盗賊)などを抑え込み、満州国が平和で地味豊かな大地となると、安心して豊かに暮らせると、満州国へと人口が流入し、国民党を率(ひき)いる蒋介石(しょうかいせき)が、満州国は元来、われわれのものだと言い出した。

このあたりのことは、石油資源が見つかってから、尖閣諸島は元来、われわれのものだと言い出したどこかの共産党と同じで、100年経っても、変わっていない。

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つぎに小麦を採り上げる。

稲塚権次郎(いなづかごんじろう)農業技師が、小麦農林10号を育成した。従来の3倍から4倍の収穫量を誇るものだった。第2次世界大戦終結後、日本に来たアメリカの農業技師が驚き、小麦農林10号の小麦の種子をすべて、かき集めて、アメリカ合衆国に送った。よく考えると、かなり阿漕(あこぎ)なことをしてやがるな。

その後、小麦農林10号の種子を受け取ったひとりが、それを栽培して、売り出した。収穫量が4倍程度になるから、売れに売れた。

メキシコにアメリカ人の農業技師ノーマン=ボーローグNorman Borlaugがいた。メキシコ特有の小麦の病気に強い品種を育成したものの、背が高く、すぐに倒れてしまうし、収穫量が増えない。

そこで、合衆国で販売している小麦農林10号とかけあわせてみたところ、太くて、背が低くて、倒れにくく、病気に強く、収穫量が3倍から5倍になった。その後、1963年までにメキシコは小麦輸出国となった。

その後、インドとパキスタンで飢饉(ききん)が起き、数千万人が餓死(がし)した。ボーローグは、メキシコの場合と同様に、近代的な農業生産技術とともに、品種改良した小麦を導入した。

その結果、たとえば、インドの人口は3倍に増えた。

ボーローグによって、世界人口のうちの10億人は餓死から免(まぬか)れたとされ、彼は、大統領自由勲章・議会名誉黄金勲章のみならず、ノーベル平和賞まで受賞した。

ということで、世界の人口爆発に対して稲塚権次郎の果たした役割は大きい。

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稲作では、寒さに強い品種を作り出し、現在の稲作の北限地は北海道天塩郡(てしおぐん)遠別町(えんべつちょう)である。稚内から100kmと離れていない。

収穫量の多い品種改良もしている。

国際農林水産業研究センターと農業・食品産業技術総合研究機構作物研究所の研究チームが、インディカ米と交配すると、収穫量が1割から3割、増える遺伝子を特定したと、先日、発表があった。

また、世界の人口が増えるなあ。まあ、餓死者を出すよりはいいか。

ほかにも、遺伝子組み換えで、海水でも育成できる稲を開発しようとしているグループがいる。

これが開発されると、海岸沿いを、水田(すいでん)ならぬ、海水田(かいすいでん)にすることができて、世界の食料問題がかなり解決される。

さらに、世界人口が増えることになるな。

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ほかにも、冷涼な気候でしか栽培できない馬鈴薯(ばれいしょ、じゃがいも)を、九州ような暖地(だんち)でも栽培できる品種を育成した農業技師もいる。

日本の農業技師は優秀すぎる。

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以上のことから、世界の人口爆発の責任は、日本のきわめて優秀な農業技師にあるような気がする。

エネルギー問題が解決していないうちに、人口を増やしまくってどうするんだろうかという疑問があるけれども、ここは、エネルギー関係の技術者に、エネルギー問題を解決してもらいたい。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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