2013年9月19日木曜日

『坂の上の雲』のナレーションについて

NHKに受信料を払うのが嫌で、テレビを持っていない。だから、『坂の上の雲』は、原作を読んでいたので、興味はあったが、観ていない。

先日、YouTubeにいくつか動画があったので、視聴してみた。そこで、気になったことがある。ナレーションにつぎの一節がある。

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明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。誰もが「国民」になった。
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これは日本が国民国家(E: nation-state、F: Etat-nation、D: Nationalstaat)になったことを表現しているが、なんとなく、日本が非常に遅れた国である印象を与えている。

もちろん、イングランドやフランス、オランダが国民国家となった時期は早い。しかしながら、ヨーロッパで国民国家が多数、生まれたのは、1848年革命による。

明治維新は明治元年1868年に始まった。1848年革命と較べて、20年しか違わない。

だから、明治維新によって日本人は初めて近代的な『国家』というものを持った。誰もが「国民」になった。不慣れながら『国民』になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚(こうよう)したという言い回しには、ひっかかりを覚える。

もうひとつ、気になる箇所(かしょ)がある。

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社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏(かんり)にも、軍人にも、教師にも成り得た。この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
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ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏(かんり)にも、軍人にも、教師にも成り得た」という部分である。

記憶力と暗記だけで得られる資格は大したことはない。当校では、論理的に思考することを指導している。ときおり、勉強=暗記と思い込んでいる生徒が入ることがあるのだけれど、この先入観を取り除くのに、じつに苦労する。暗記だけでよい点がとれるのは、小学校だけである。

また、逆に、暗記していなくても、その人の潜在能力はわかる。

『坂の上の雲』に登場する秋山好古(あきやまよしふる)は、陸軍士官学校を受験したとき、受験科目にある数学を勉強していなかった。数学は勉強していない旨(むね)を伝えると、残りの受験科目だけでも提出しろと言われ、そのようにした。合格した。

漢文の答案を読めば、その人物がどの程度に数学のセンスがあるのかはわかる。

それにしても、秋山好古は、日露戦争で、酒を呑(の)みながら戦闘をしていたが、個人的にはこのエピソードは好きだ。

ところで、今の日本は、坂の上に到着したら、遙(はる)かに下の位置に雲がある状態になっているような気がする。手本がなくなっている。





『坂の上の雲』のナレーション


まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。
誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚(こうよう)した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏(かんり)にも、軍人にも、教師にも成り得た。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば、実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。
財政の成り立つはずがない。
が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は3人の人物の跡を追わねばならない。
四国は、伊予松山に3人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之(あきやまさねゆき)は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵(きへい)を育成し、史上最強の騎兵といわれるコルサック師団を破るという奇跡を遂(と)げた。
もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人・正岡子規(まさおかしき)である。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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