2013年8月28日水曜日

いわゆる「出席カード」を大量にもらって人気者になったことがある。

マンモス大学にかぎらないが、大学では「出席カード」というものがある。出席しているかどうかを点呼して確かめる時間が惜(お)しいので、「出席カード」を助手や副手と呼ばれる者が学生に配り、学籍番号や氏名・専修(専攻)を記入させて、その「出席カード」を回収して、出席したかどうかを確認するのである。

細田守の『おおかみこどもの雨と雪』では、一橋大学がモデルになっている大学で「出席カード」が登場したが、早稲田大学とはちがって、助手などが回収することなく、箱に入れるようになっていたが、こんなことを早稲田大学でやれば、鉛筆で書いた出席カードを取り出して、消しゴムで消して、悪用される。

早稲田大学では助手などが回収するとはいえ、4人掛けの机に3人しかしなくても、どこかから手に入れた出席カードをズル休みする学生が出席する学生に、自分の出席カードを一緒に提出するように依頼するのであった。助手などにしても、忙しいから、いちいち、4人掛けの机に3人しかいないのに出席カードを4枚も出されてもあまり気がつかない。出席点というものがある授業では、出席カードを出しておけば、その分、成績が上がる。

ある教授が、第1回の講義で、助手などを使わず、自分で出席カードを配って、回収した。出席カードを配ったのは、その最初の授業だけだった。

そのとき、「先生、出席カードを何枚か、貰(もら)えませんか?」と私は気楽に訊(たず)ねた。すると、「事務所から叱責(しっせき)されるので、出席カードを学生にやるわけにはいかない。だから、うっかり忘れて帰るので、勝手に持っていってください」とその教授は言った。

というわけで、私は200枚近くの出席カードを手に入れた。古き良きいい加減な時代だったのである。

すると、大量の出席カードを持っているということを聞きつけた学生たちが、私のところにやって来て、出席カードがほしいと言ってきた。私は気楽にわけてあげた。

ものすごい人気者になった。しかし、出席カードがなくなったら、私に話しかけなくもなった学生がたくさんいた。なんだか、悲しい思い出だ。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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