2013年8月1日木曜日

帝国陸軍航空審査部 坂井雅夫少尉:「キ61の神様」と呼ばれた男 その1

坂井雅夫少尉は地上勤務者、すなわち整備兵であった。帝国陸軍少年航空兵第1期技術生徒であった。当時の地名で、和歌山県伊都郡橋本町(現在の和歌山県橋本市)の出身である。

以下、階級は面倒臭いので終戦時の階級で表記する。

坂井雅夫少尉は並(な)みの整備兵ではなかった。まず、つぎの3点を挙げておこう。

1) 満州時代かなにかで、部品がなかったので、水道管やその他、日用品を使って、戦闘機だか、爆撃機だかを飛べるようにしたことがある。

2) 帝都防衛(ていとぼうえい)を担(にな)う陸軍航空第244戦隊がキ61三式戦闘機「飛燕」の整備で苦戦しており、相談を受けた「整備の神様」と呼ばれた刈谷正意大尉(かりやまさいたいい)に推薦され、指導したところ、戦時稼働率が80%になった。現在、現時点で整備能力が世界最高である航空自衛隊が平時稼働率90%で、アメリカ合衆国空軍の平時稼働率が80%で、アメリカ合衆国海軍の航空部隊の平時稼働率は空軍のそれより遙(はる)かに劣(おと)るとされる。40%くらいらしい。またニューギニア戦線の三式戦闘機「飛燕」の稼働率は、ひどいときには25%だったり、あるいは、0%だったりした。当時の物資供給や工作技術からすると、液冷式の戦闘機の戦時稼働率80%は驚異的な数字なのである。

3) 支那でP-51CマスタングMustangを鹵獲(ろかく)した。当初、日本へ海上輸送しようと、とりあえず、適当に分解してバラバラにした。ところが、潜水艦の攻撃の可能性が高いから海上輸送はやめることになった。より安全な空輸、つまり、現地で修理・整備を行ない、その機体を操縦(そうじゅう)して本土に運ぼうということになった。修理・整備の担当として、坂井雅夫少尉が派遣(はけん)された。敵国の戦闘機であるのだから、当然のことだが、設計図もなしに、初見(しょけん)で、ばらばらのP-51Cマスタングの機体を組み上げ直し、きちんと飛べるようにした。

この3点だけでもすごいが、実はもっとすごいぞ。

帝国陸軍航空審査部 坂井雅夫少尉:「キ61の神様」と呼ばれた男 その2


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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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