2013年7月5日金曜日

東西冷戦が終結するまで、自民党はアメリカから、社会党はソ連から選挙資金の供与をうけていた。

東西冷戦が終結するまで、自由民主党はアメリカ合衆国から、日本社会党はソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)から、選挙資金の供与(きょうよ)を受けていた。

アメリカ合衆国としては、自由主義陣営を守らなくてはならないから、自由民主党に対して内密(ないみつ)に選挙資金を供与していた。

ソビエト社会主義共和国連邦は、社会主義陣営の勢力拡大のために、日本社会党に選挙資金を提供(ていきょう)していた。

ところが、この2つの事実が発覚したときに、新聞や週刊誌でも、小さな記事にしかならず、大事(おおごと)にはならなかった。

さて、東西冷戦の終結は1985年に始まり、1989年に決定的なものとなった。

そうなると、自由民主党にも、日本社会党にも選挙資金が入らなくなる。

すると、1993年に細川護煕(ほそかわもりひろ)が首相になった。1955年以来の初の自由民主党ではない首相である。

また、1990年の湾岸戦争に際して、日本労働組合総連合会(連合)などの労働組合の幹部との摩擦(まさつ)が強まっていた。これ自体、ソビエト社会主義共和国連邦からの選挙資金供与がなくなり、金をもらえなくなったから、離反(りはん)したのではないか? その結果、日本社会党は1991年の統一地方選挙で敗北し、土井たか子は委員長を辞任した。

以上のことから、アメリカ合衆国からの資金供与やソビエト社会主義共和国連邦の資金供与がなくなると、両方の政党が没落(ぼつらく)したということがわかるだろう。

選挙資金が貰(もら)えないなら、大衆迎合主義(たいしゅうげいごうしゅぎ=ポピュリズムpopulism)でいくしかないと考えた議員が民主党に流れたと考えられるのではないか? だから、民主党には元・自由民主党や元・日本社会党の議員が少なくなかった。

この場合、可哀(かわい)そうなのは、元・官僚で、本当は自由民主党から出馬したかったけれども、出馬枠(しゅつばわく)がなかったせいで、民主党に入った人々である。というのも、ウェブ上では「ちょっと待て。その候補者は元・民主」という標語(ひょうご=スローガンslogan)を掲(かか)げるところもあるようだから。もう少し政策を見てやればいいのにねえ。

今回の参議院議員選挙では、前回の衆議院議員選挙と同様、自民党が勝ちそうだ。これは、民主党が酷(ひど)すぎたということもあるが、選挙資金の供与を目当てとして自由民主党にいた代議士が民主党などに移り、国益を損(そこ)なう議員が少なくなったことがあるのではないかと思っている。もちろん、今でも、親中派・親韓派の議員はいるが、肩身の狭い状態らしい。

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早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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