2013年4月23日火曜日

その昔、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかった。

戦前、あるいはそれ以上に昔の話になるが、美人は高学歴になれなかった。美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかった。

高等女学校でも授業参観はあった。しかし、今とはちがって、生徒の保護者や祖父母以外の、まったくの部外者も授業参観ができた。

当時の校長は、自分が勤務する高等女学校の生徒ができるだけよい縁談に恵まれるようにと、地元の名士・資産家・大地主などに、授業参観を開放していたのである。

すると、息子が28歳くらいになった地元の名士の奥様が、高等女学校の授業参観に出かける。高等女学校の生徒であるということから、一定の学力は担保(たんぽ)されるし、ある程度以上に裕福な家庭の出身であることも保証される。

授業参観で、女子生徒の品定めをしようにも、立ち居((たちい)振る舞い(ふるまい)に大きなちがいはないし、また、内面の性格は推(お)し量(はか)り辛(づら)い。

すると、ほぼ外見だけで、息子の嫁に相応(ふさわ)しそうな娘さんに目をつけ、校長に当該(とうがい)の女子学生の連絡先を訊(たず)ねる。

女学生の親としては、地元の名士や資産家からお見合いの申し込みがあれば、大喜びで承諾(しょうだく)する。

かくして縁談がまとまる。

今とはちがって、当時は、縁談が決まれば、そのまま中途退学して、嫁入りするものであった。今なら、卒業を待ってから結婚となりそうなものだが、即座に中途退学して入籍したのである。

以上のようにして、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかったのである。

なお、その逆の場合はどうだったのであろうか?

学習院女子中・高等部の前身である華族(かぞく)女学校・学習院女学部・女子学習院の時代には、「卒業面(そつぎょうづら)」ということばがあった。

「不細工(ぶさいく)すぎて、在学中に縁談が来ることはなく、まちがいなく卒業できる顔」をしているという意味である。

また、この子は器量(きりょう)が悪いから、いい縁談に恵まれそうにないので、ひとりで生きていけ、かつ、女性のできる職業で安定しているものは教師だということで、教師になるように勧める場合が多かった。

かくして、今のお茶の水女子大学や奈良女子大学の前身である女子高等師範学校には、器量のよくない女性が集まった。

「女子高等師範学校卒業写真」でGoogleの画像検索をしてみると、おもしろいよ。

早稲田の女子学生が、決して綺麗だとは到底(とうてい)言えないというのは有名だが、世の中には上には上がいるものだと、納得させられる。

今は、どんなに美人でも、一流大学を卒業できる世の中になっているのだから、いい時代だよね。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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