2013年4月30日火曜日

都立高校の自校作成問題の数学が難しすぎた年の3年後の合格先の特徴

東京都立高校の上位校は、自校作成問題で入学試験を実施する。自校作成問題の対象となる科目は英語・数学・国語である。理科・社会は共通問題である。

英語と国語はそれほど極端に難しくはないが、数学はかなり難しくなる。

しかも、出題者が難易度の調整に失敗して、無茶苦茶難しすぎるものを出題してしまうことがある。

たとえば、都立西高等学校の自校作成問題で、受験者平均点が30点くらいという年があった。その3年後の都立西高は、東京大学合格者数が都立日比谷高校よりも多かった。

そういうレベルの高校で、受験者平均点が30点程度の数学の問題を出題すると、その3年後の合格実績に顕著(けんちょ)な特徴(とくちょう)が表(あらわ)れる。

まず、東京工業大学の合格者数が増えるのである。

東京工業大学の数学の問題は、東京大学のものよりも難しい。ひらめきが必要である場合が多い。慶應義塾大学理工学部の数学も難しいが、難しすぎて差がつきにくいので、結局、英語勝負となっている。

自校作成問題の受験者平均点が30点くらいのときに、90点以上で稼ぎ逃げして合格した者は、だいたい、英語・国語はそれほどでもない場合が多い。となると、数学ができなくては話にならないが、英語・国語のバランスが悪すぎると合格しづらい東京大学・京都大学とは相性が悪い。

その結果、東京工業大学の合格者が多くなる。ついでに数学と物理などで満点あるいはそれに準ずる得点をあげて稼(かせ)ぎ逃げして東京大学に合格する者も増える。

2013年4月29日月曜日

水道は国営もしくは市営・町営すべて民営化しますと麻生太郎が言った真意を検討してみる。

 諸外国にあっては、民営の水道には碌(ろく)なものがない。ところが、麻生太郎は、水道はすべて民営化するとワシントンDCで発言した。

 私は法律的なことはよくわからないのだが、こんなことを考えた。

 国営や市営・町営のままだと、法律上の規制により、その水道運営のノウハウを海外に輸出できない。ところが、民営化すると、ノウハウを海外に販売することができる。

たとえば、医療技術のロシアへの輸出を最近、決めたようである。

 水道民営化計画には、このくらいの深謀遠慮(しんぼうえんりょ)があるのかもしれないと思ったのだが、どうなのだろうか?

2013年4月28日日曜日

高校入試や大学入試から英語などの外国語の試験をなくそうという提案がなされたときの政府回答

 ずいぶんと昔のこと(40年以上前の話)だが、高校入試や大学入試から英語などの外国語の試験をなくしてはどうかという提案がなされた。

 日本では、ほとんどのことは日本語で学べるので、日本語しかできなくても学習に困らない。ビジネスなどで外国語が必要だとしても、通訳などを雇えば済む。ほとんどの日本人は外国語ができなくても困らない。語学の才能のある者と、将来、研究者となって最先端の論文を読む必要がある者だけが、外国語学習を選択すればよい。使えない語学力しか身につかないのであれば、それに費やした時間と努力をほかの勉強に振り分けたほうが効率がよいのではないか?

 それに対する政府の回答はつぎのようなものであった。

 世の中には、中学生・高校生に英語を教えるしかできない人間が多数、存在する。入学試験から英語を外し、語学を選択制にすると、そうした教師たちが失業する。すると、大失業問題となり、経済が混乱するので、それはできない。

2013年4月27日土曜日

40歳を超えると、同窓会で、雛壇(ひなだん)で記念写真を撮るときには、なぜか、多数がいちばん上の段に立ちたがる理由

 40歳を超えると、同窓会で、雛壇(ひなだん)で記念写真を撮るときには、なぜか、いちばん上の段に立ちたがるやつが急に増える。

 私は、5列あるうちの前から2列目に並ぶ。写真屋さんが、最後列に固まらないで、ばらけるようにと指示するのだけれども、なかなか、前の列に行こうとしない。もともと背の高い連中が後ろにいるのは理解できるが、背が高くないというか、寧(むし)ろ、背の低い連中も前に移動しようとしないという局面がある。

 その後、背が高くないのに、最後列、つまり、雛壇(ひなだん)のいちばん高いところに立ちたがった連中を観察してみた。

 全員が、天辺禿(てっぺんはげ)だった。

 つまり、上から禿(はげ)を見下(みおろ)されるのが嫌で、高身長でもないのに、最後列に立とうとしていたということらしい。

 なお、これまでの個人的な経験からすると、天辺禿(てっぺんはげ)になる人は、数学や物理の才能がない。

 このことを指摘したところ、小学生から高校生まで、天辺禿(てっぺんはげ)の教師に算数・数学・物理を習った経験のある生徒たちは、全員が、確かに教え方がおかしな教師だったという感想を洩(も)らした。

2013年4月26日金曜日

どの国でも美男美女の輩出率が高いのは、最底辺の階級・階層である理由

「その人は、インドのカースト制でも、最底辺に属しているよ」

「その人の祖父はイングランドで炭鉱夫をしていた労働者階級の出自(しゅつじ)だよ」

 そんなことを言っていたところ、上流階級には美男美女は少ないのかという話になった。

 もちろん、そんなことはない。ただ、最底辺の階級・階層のほうが、とびきりの美男美人の輩出率が高いような気がする。

 しかし、考えてみれば、これは当然のことである。

 彼らには、資産はないし、教養もないし、誇るべき家柄や血筋もない場合が多い。

 すると、結婚し、子孫を残すための基準は、外見のよさと、男性の場合は肉体の逞(たくま)しさになる。一方、外見が悪く、肉体も貧弱だと、子孫が残せない。その結果、最下層の人々は、美人や逞(たくま)しい男前が多くなる。

 実際、英国に関しては、労働者階級のほうが逞(たくま)しい男前の割合が高いし、謂わば、原石としての美人の割合が高いようだ。

 貴族階級はというと、顔の輪郭(りんかく)が微妙に歪(ゆが)んでいたり、鼻がちょっと曲がっていたりしている人の割合が高くなる。家柄や血筋を重視して配偶者を決めるからだろう。

 日本でも、いささか、そういう傾向があるようだ。

 私? 家柄がよすぎるので、男前じゃありません(すいません、嘘です)。

2013年4月25日木曜日

役者の国籍が、演じる人物とちがいすぎるときに違和感を覚えるのだが、一般的にはそうではないらしい。

『信長のシェフ』というドラマが人気だそうである。テレビを持っていないから、視聴したことはないが、生徒から聞いたところでは、ポルトガル人であるルイス=フロイスの役をダニエル=カールがやっているという。

 私からすると、ダニエル=カールは、めっちゃドイツ人顔をしている。調べてみたら、やっぱり、ドイツ系アメリカ人だった。

 違和感を感じるんだ。

 同じような例として、2010年に公開されたティム=バートンTim Burton監督によるアリス=イン=ワンダーランドAlice in Wonderlandの主演女優ミア=ワシコウスカMia Wasikowskaにも強い違和感を感じた。

 イングランドの物語なのに、アリス役の女優が、いかにもなポーランド系の顔をしているのである。女優の国籍がオーストラリアと知って、これはおかしいと思って調べたら、母親がポーランド出身であった。

 もっとすごいのがある。

『荒野の七人』The Magnificent Sevenである。これは黒澤明監督の『七人の侍』のハリウッド版リメイクである。主人公のクリスChrisを演ずるユル=ブリンナーYul Brynnerが、スイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親との間の子どもであるのは、移民国家アメリカ合衆国だからいいとして、メキシコ人の農民の出である若きガンマンのチコChicoを、アメリカに出稼(でかせ)ぎにきたドイツ人俳優に演じさせている。

 流石(さすが)に、これはまずいと思ったのか、続編では、メキシコ人に替(か)えていた。

 また、ロマン=ポランスキーRoman Polanski監督の『テス』Tessの主演女優ナスターシャ=キンスキーNastassja Kinskiにしても、両親ともにポーランド系ドイツ人で、イングランドの小説の映画化作品に出ているのか、不思議でならなかった。ナスターシャ=キンスキーはポーランド系ぽくはないけれども、いかにも東欧系という顔つきである。

 どうしてこういうことが起こるのかと思っていたが、どうやら、経費の都合らしい。

 たとえば、演技のできる美人のイングランド人女優は滅多におらず、無理に起用しようとすると、経費がかかるようだ。経費節約のために、ポーランド系などを起用する。

 そういうことらしい。

 ただ、私は、そうしたことに強く違和感を感じてしまう。さほど美人ではないイングランド人女優を起用してもいいのではないかと思う。

イギリス人に美人はあまりいない。『ハリー=ポッター』のハーマイオニー役を演じている女優さんは綺麗じゃないかとの反論を受けたことがあるが、彼女は4分の1フランス人、つまり、フレンチ=クオーターである。

 ところで、日本の映画については、たとえば、昭和30年代の映画に出演している俳優・女優と、最近の映画に出演している俳優・女優とでは、ずいぶん、顔つきが変わったと感じている。全体として、目と鼻と耳が隨分(ずいぶん)と小さくなり、顎(あご)が逞(たくま)しくなったような気がする。

 経費節約のためのせいなのか、それとも、流行の変化なのだろうか?

2013年4月24日水曜日

人類が最後に定住を開始した土地:ニュージーランド

 ニュージーランドに人類が最初に到達したのは、9世紀頃のことで、ニュージーランドは人類が定住するようになった最後の土地である。

 このことを初めて知ったとき、たいそう意外な感じがした。とっくの昔に、オーストラリアから筏(いかだ)で移住していそうな気がしたからだ。

 海流の流れが、オーストラリアからニュージーランドに向かうのに適していないのかもしれないと思って、海流を調べてみたが、そういうわけでもない。

 人類発祥の地であるアフリカから最も離れたアルゼンチンに最初に人が住み始めたのは、紀元前11,000年だそうだ。また、オーストラリアに人が住み始めたのは、40,000前から45,000年前とも、60,000年以上前とも言われているそうである。

 それなのに、ニュージーランドに人が住み始めたのが、1,200年前で、日本でいえば、平安時代の初めあたりというのだから、驚かないわけにはいかない。

 ところが、このことを話しても、あまり驚いてくれる人がいない。

 こっちも、不思議な気がする。

2013年4月23日火曜日

その昔、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかった。

戦前、あるいはそれ以上に昔の話になるが、美人は高学歴になれなかった。美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかった。

高等女学校でも授業参観はあった。しかし、今とはちがって、生徒の保護者や祖父母以外の、まったくの部外者も授業参観ができた。

当時の校長は、自分が勤務する高等女学校の生徒ができるだけよい縁談に恵まれるようにと、地元の名士・資産家・大地主などに、授業参観を開放していたのである。

すると、息子が28歳くらいになった地元の名士の奥様が、高等女学校の授業参観に出かける。高等女学校の生徒であるということから、一定の学力は担保(たんぽ)されるし、ある程度以上に裕福な家庭の出身であることも保証される。

授業参観で、女子生徒の品定めをしようにも、立ち居((たちい)振る舞い(ふるまい)に大きなちがいはないし、また、内面の性格は推(お)し量(はか)り辛(づら)い。

すると、ほぼ外見だけで、息子の嫁に相応(ふさわ)しそうな娘さんに目をつけ、校長に当該(とうがい)の女子学生の連絡先を訊(たず)ねる。

女学生の親としては、地元の名士や資産家からお見合いの申し込みがあれば、大喜びで承諾(しょうだく)する。

かくして縁談がまとまる。

今とはちがって、当時は、縁談が決まれば、そのまま中途退学して、嫁入りするものであった。今なら、卒業を待ってから結婚となりそうなものだが、即座に中途退学して入籍したのである。

以上のようにして、美人は、美人であるがゆえに、高等女学校を卒業することができなかったのである。

なお、その逆の場合はどうだったのであろうか?

学習院女子中・高等部の前身である華族(かぞく)女学校・学習院女学部・女子学習院の時代には、「卒業面(そつぎょうづら)」ということばがあった。

「不細工(ぶさいく)すぎて、在学中に縁談が来ることはなく、まちがいなく卒業できる顔」をしているという意味である。

また、この子は器量(きりょう)が悪いから、いい縁談に恵まれそうにないので、ひとりで生きていけ、かつ、女性のできる職業で安定しているものは教師だということで、教師になるように勧める場合が多かった。

かくして、今のお茶の水女子大学や奈良女子大学の前身である女子高等師範学校には、器量のよくない女性が集まった。

「女子高等師範学校卒業写真」でGoogleの画像検索をしてみると、おもしろいよ。

早稲田の女子学生が、決して綺麗だとは到底(とうてい)言えないというのは有名だが、世の中には上には上がいるものだと、納得させられる。

今は、どんなに美人でも、一流大学を卒業できる世の中になっているのだから、いい時代だよね。

2013年4月21日日曜日

エジプト政府が観光客誘致のために、それまで禁止していたベリーダンスを解禁したが、観光客が集まらなかった理由

 ベリーダンスbelly danceとは、イスラム文化圏の踊りである。

 厳格(げんかく)なイスラム圏では女性は肌を見せてはならない中で、お腹(なか)を出して、くねくねと踊るのであるから、イスラム教徒にとってはきわめて卑猥(ひわい)なダンスであるにちがいない。

 あるとき、エジプト政府は、外国人観光客が気楽に楽しめるようにと、外国人の前で行なうのを解禁した。観光によって外貨(がいか)を稼(かせ)ごうとしたのである。

 彼らは、できるかぎり観光客が集まるようにと、素晴らしい美女たちを選んだ。

 ところが、外国人観光客はさっぱり集まらなかった。

 彼らが選んだ美女たちは、彼らの美的感覚(びてきかんかく)に基(もと)づくものであったからだ。

 中東にしろ、インドにしろ、こうした国々は貧しいので、あるいは、貧しかったので、肥満は富の象徴である。太れるくらいに飲み食いができる社会階層であるということになる。

 だから、デブが好きなのである。

 そういえば、ファッション=ショーのミラノ=コレクションにモデルとして出演してもおかしくないくらいのアラブ人の美女がいたのだけれど、あの人って、とても綺麗ですよねと、あるサウジアラビアの男性に言ったところ、ええーっ、お前、なに言ってんの、あんなの駄目だよと言われた。じゃあ、どういうのが美人なのかと訊いたところ、そうだな、◯◯さんかなと言う。◯◯さんはただのデブ女だった。

 その人が特殊な趣味の持ち主だと考えて、ほかのイスラム教徒たちに訊(たず)ねた。

 全員がデブ好きだった。

 一時期、ウェブでベリーダンスの動画を集中的に視聴したことがあるが、悉(ことごと)くデブ女ばかりだった。

 すごいのになると、妊娠数か月の女性がベリーダンスを踊り、喝采(かっさい)を浴(あ)びるという動画さえあった。このあたりになると、日本人の感覚では、理解はできない。そういう文化なんだろうと思うだけだな。

 どうでもいいけど、マーケティングくらい、ちゃんとやれよ。



2013年4月20日土曜日

なんとなく仁徳天皇陵に忍び込んだやつの話

 なんとなく仁徳天皇陵に忍び込んだやつがいた。

 彼は和歌山県北部の国道のバイパス沿いに住んでいた。

 夏休みのある日、ふと、彼は考えた。目の前の道路を南に進めば、1kmほど進めば、川に差し掛かり、橋がないので、左右のどちらかに曲がらなければならない。北に進めばどうだろうか? 小原田(おはらた)・御幸辻(みゆきつじ)・橋谷(はしたに)・慶賀野(けがの)……と、いつまで進んでも、方向指示器を使わないまま進める。

 そこで彼は方向指示器を使わないでどこまで行けるのかを確かめたくなり、ホンダのオートバイに跨(またが)った。

 大阪府に入っても、北上し続けることができた。河内長野市(かわちながのし)を通過した。当時は、国道170号線で、現在、高野街道と呼ばれる国道を北上し続けた。堺市に入った。

 方向指示器を使わないで、一体、どこまで行けるのか、彼の胸は高鳴(たかな)った。

 高野街道が片側3車線の中央環状線に合流するところで、方向指示器を使わなければならなかった。

 仁徳天皇陵の北側だった。

 自宅の前の道路から、方向指示器を使わないで、仁徳天皇陵まで行けるということを知って、彼は、さらに興奮した。

「ここまできたら、ぜひとも、忍び込まねばなるまい」と彼は思った。

 おいおい、論理的に飛躍しすぎていないか?

 近くで遊んでいた小学生に、いちばん侵入しやすいポイントはどこか教えてくれたら、10円をあげるよと話しかけたところ、気安く教えてくれたという。

 簡単に侵入できた。

 3重に濠(ほり)がめぐらされているが、いちばん内側の濠を除けば、ところどころ、埋まっていて、通ることができた。

 いちばん、内側の濠のところで佇(たたず)みながら、すぐ近くに片側3車線の道路があるのにもかかわらず、静謐(せいひつ)を湛(たた)えていることに心を打たれた。

 ふと、思った。古墳というものは、古代に構築された人工物であるのに、周囲が宅地になったりすると、本来、人工物であるはずの古墳が最も「自然」に満ちているという逆説(パラドクスparadox)がおもしろいと感じ、鎮守(ちんじゅ)の森が本来は人工物であるのに、周囲の宅地化で「自然」らしく見えるのと似ていると思った。

 不意に、オートバイの音が聞こえた。怪訝(けげん)に思っているうちに、音はどんどん大きくなった。宮内庁職員(くないちょうしょくいん)が、近所の小学生や中学生が忍び込んで釣りをしていたりするのを監視(かんし)しているのだった。車種はヤマハのバーディーBirdieだった。陵(みささぎ)が広いので、単車で移動しているのであった。

「おい、こらあ!」と怒鳴(どな)られ、「立入禁止 宮内庁」の看板が見えなかったのか、ここは、警察権力でさえも、宮内庁の許可がなければ入れないところなんだという意味のことを関西弁で言った。

 すると彼は、自分の家も、捜査令状がなければ、警察権力でさえも入れませんから、ここはその程度の価値しかない場所なんですかという意味のことを関西弁で答えた。

 胸ぐらを摑(つか)まれたが、最終的には解放されたという。

 その後、うちの高校では、どこそこを起点に東に進めば、方向指示器を使わないでどこそこまでいけるぞという発言が続出するようになった。「方向指示器を使わないでどこまで行けるか」ブームが起こったのであった。

2013年4月18日木曜日

貧困層が多い同窓会が冬に行なわれると毛糸のセーターを身に着けている人が多い。

 貧困層が多い同窓会を冬に行なうと、セーターを着ている参加者が異常に多い。貧乏なサラリーマンの場合には、溝鼠色(どぶねずみいろ)の安物スーツ姿も見かける。

 貧乏な人々は、同窓会だからといって、高価な服を誂(あつら)えることができない。

 そこで安物セーターの登場である。1,000円や2,000円のセーターだってある。高価なセーターと安物セーターの違いは、安物セーターは、毛玉ができやすかったり、2回か3回、着ただけで、肘(ひじ)のところが伸びたりするが、高価なセーターはそういうことがないという点である。

 しかし、買ったばかりのものを着る分には、さほど問題はない。安物だと見抜かれる可能性はあるけれども。

 そんなことから、貧困層の多い同窓会では、とりわけ、女性ではセーターを身に着けている割合がみょうに高くなるらしいのだ。

2013年4月16日火曜日

所属ゼミをプロフィールに記載する理由:早稲田出身の国会議員

 私立大学では、教員数に対して学生数が多いので、ゼミナール、所謂(いわゆる)ゼミに入れる学生数は限定される。早稲田大学の場合、半分くらいの学生がゼミに入れない所謂(いわゆる)「ゼミなしっ子」になる。

 ゼミなしっ子は、1年生と2年生の成績が悪いか、成績がよかったとしても、人格に問題がありそうだということで、ゼミの面接で落とされたか、そういう学生である。

 半分の学生はゼミに入れない。ということは、ゼミに入っていないということは、真ん中以下の成績であったと考えてよい。この手の連中は就職活動で大いに苦戦する。

 そう考えて、早稲田大学出身の国会議員のプロフィールを読むと、ほとんどの議員は所属ゼミについて書いていない。ということは、ほとんどの議員は、真ん中以下の成績でしかなかったらしいということになる。

 衆議院に関しては、うちの選挙区の隣の選挙区に、菅原一秀(選挙用では「すがわら一秀」という表記を採用している)という国会議員がいるが、彼のウェブサイトには、所属したゼミと何を学んだのかが書かれている。わかる人にはわかるように、勉強ができたということをアピールしているのである。

 一方、国立大学では、学生数に対する教員数が、私立と較べて多いので、だれでもどこかのゼミや研究室に入れるので、その大学の出身者でなければ、あの研究室だから勉強ができたのだろうなどということはわからない。

 しかしながら、私立大学の場合だと、ゼミに入れるのは限られているので、ゼミに入っているというだけで馬鹿ではないということになる。

 ところで、ちょっと前の話だが、立教大学で、ある学生の親が、同じ授業料を払っているのに、うちの子がゼミに入れないのは不公平であると訴(うった)えたそうである。

 全員がゼミに入れるようにすれば、教員数を増やさなければならず、そうなると、授業料は現行よりも3倍以上になるだろう。さらに、だれでもどこかのゼミに入れるとなれば、日本の1流企業の人事部は、この大学では、なんとかという教授のゼミ出身者は能力が低いということを調べあげるので、3倍以上の授業料を払っても、就職の成果は、今と変わらない。そんなことがわからない親が「同じ授業料」というだけで、アホなことを言っていたのである。親子揃(そろ)って馬鹿だったのである。

2013年4月15日月曜日

ときおり、アクセス解析を見たときに、ビビること

 あまりアクセス解析(かいせき)は見ない。うちのブログにつけているアクセス解析はインターネットを介(かい)してのアクセスしか解析しない。

 ところが、最近ではiPhoneやiPodやiPadやAndoroidなどからのアクセスが増えている。携帯電話の類(たぐい)からのアクセスはアクセス解析に反映されない。このブログのアクセス=カウンターの数字は、実際には2倍くらいになる。2倍になっても大したものではないんだけど。

 それでも、たまに、アクセス解析を見ることがある。

 そんなときに「衆議院」からのアクセスがあっても、あまり気にならない。その他の特殊法人も、どうでもよい。特殊法人は仕事中にどうてもよいことを検索しているうようだ。衆議院は、これまでのところ、残業時間のときに、自分の子どもの高校受験に関することを調べているものしかない。なかなか、真面目(まじめ)だな。

 で、そんな中で、ビビってしまうのがある。

 米軍基地からのアクセスである。

 米軍基地からのアクセスが多いと、ビビってしまう。ちょっと待てよ、俺は既存(きぞん)の情報から適当に推測しているだけであって、機密情報になんか、そもそも接触(せっしょく)できもしない。こっちが推測したことが米軍の機密事項に抵触(ていしょく)するのがあったのかもしれないと思いつつも、CIA(アメリカ合衆国中央情報局)に狙(ねら)われたらどうしようかと悩んでしまう。

 まあ、思いすごしなんだろうけどね。

2013年4月14日日曜日

ちょんまげ結びは、なぜ、日本人しかしないのか?

丁髷結(ちょんまげむす)びというものがある。つぎのようなものである。ちっちゃい女の子の画像はじつに多いのだが、一般人ばかりなので(まあ、かわいらしいんだけど)、そこそこの年齢で可愛らしい歌手の画像を選んでみた。



ちょんまげ結びをするのは、日本人しかいないようである。そうはいっても、たいていは、風呂あがりやシャワーを浴びたあとに一時的にするだけであって、ちっちゃい子どものを除けば、街を歩くときにするわけではない。

なぜだろうかと、考えた。

まず、金髪などの毛質(もうしつ)が柔らかい場合、結んだところから倒れてしまうので、ちょんまげ結びができない。

つぎに、ネグロイド(黒人)のように1本1本の髪の毛が太すぎる場合も不恰好(ぶかっこう)になりそうだ。

お、なんとか説明がつきそうだと思ったが、以上の2点だけだと、日本人以外の東洋人がちょんまげ結びをしない理由がわからない。


そこで、当校の女子高校生に訊(たず)ねてみた。

「ちょんまげ結びって、日本人しかしないようなのだが、理由はわかるか?」

「風呂あがりや勉強中に前髪がうざいと思ったときにするくらいで、男の人の前ではしませんよ」

「いや、これまでにも、といっても、若いときの話だが、何人もの女の人が、私の前でちょんまげ結びをしていたんだけど……」

「じゃあ、好きな人の前ではしません」

「つきあっていた女性で、ちょんまげ結びをしていた人が何人かいるんだけど……」

「わかりました。訂正します。かっこいい大好きな男の人の前ではちょんまげ結びはしません

お前、おっさん相手に喧嘩(けんか)、売っとんのか!

ということで、ちょんまげ結びの謎は解決しないままであった。

2013年4月13日土曜日

台湾映画『セデック=バレ』が、早ければ4月20日から劇場で観られるぞ。

 台湾映画『セデック=バレ』は霧社事件を扱った映画である。

 原題は『賽德克・巴萊』であり、英題はWorriors of the Rainbow: Seediq Baleである。

 霧社事件とは、1930年に発生した台湾原住民であるセデック族による抗日反乱である。

 当時、台湾は貧しかったが、日本も貧しかった。それでも、欧米列強に殖民地にされぬようにと、防衛線を構築しなければならなかった。日清戦争後に、朝鮮半島を支那の属国から離脱させ、台湾を統治した。

 そうした地政学上のことがわからなければ、台湾原住民が、使役(しえき)で酷使(こくし)されたことに不満を抱くのは理解できないことはない。

 そうした状況で事件が起こった。婚礼の祝賀に通りかかった日本人巡査が、セデック族から婚礼の祝杯を呷(あお)るように勧められた。

 しかし、彼らの酒は、咀嚼法(そしゃくほう)による醸造(じょうぞう)だった。つまり、原料を一旦(いったん)口に入れ、噛(か)み砕(くだ)いてから、それを吐き出したものを醗酵(はっこう)したものだったので、一般の日本人の感覚では不潔極(ふけつきわ)まりない。

 しかも、酒を差し出した者の手は、血に塗(まみ)れていた。婚礼の祝いのための獲物(えもの)を捕らえた際のものだった。

 それでも、原住民は日本人巡査(じゅんさ)に酒を呑(の)むように勧めた。巡査は彼をステッキで殴った。

 これをきっかけにして、反乱が起こった。

 その霧社事件に基(もとづ)いて製作されたのが『セデック=バレ』である。

 監督である魏德聖(ぎとくせい:ウェイ=ダーション)は、すこぶるつきの親日家である。前作『海角7号 君想う、国境の南』は、日本人なら恥ずかしくなるくらいの親日ぶりである。

 その彼が、セデック族による抗日暴動(こうにちぼうどう)を描き、日本側の数千人の鎮圧軍(ちんあつぐん)が大砲・機関銃・航空機・毒ガスを用いて、虐殺(ぎゃくさつ)していく様子を描いたのか、不思議だった。

 また、日本の映画では考えられない展開もあった。

 バワン=ナウイという少年が反乱に参加し、日本兵をつぎつぎと斃(たお)し、勇者になる。勇者になると、死後、祖先の元に行けるという伝承(でんしょう)がある。彼は、銃の弾が切れ、蕃刀(ばんとう)で戦おうとするが、日本兵が撃った弾が蕃刀に中(あた)り、手が痺(しび)れてしまって、蕃刀が使えなくなる。すると、崖(がけ)の近くに立っている日本兵に素手のまま跳(と)びかかり、日本兵とともに崖の下に落ちて死ぬ。

 日本の映画ではまず考えられない展開である。日本の映画だと、戦いを通じての経験と智慧(ちえ)を、後の世代に伝える役割として、年少者は死なないものである。

 たとえば、黒澤明の『七人の侍』では、7人のうち4人が命を落とすが、生き残った3人のうち、最年少である岡本勝四郎が含まれている。人間の経験と叡智(えいち)は蓄積(ちくせき)されていくというのを日本人は好む傾向にあるようだ。

 ところが、『セデック=バレ』では、少年までもが、勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦死する。

 だから、びっくりした。

 魏德聖監督は、異なる文化が出逢ったときのことを淡々と描いたというようなことを言っていたように記憶している。

 まあ、日本でも、開国後に生麦事件から薩英戦争となったし、ほかにも神戸事件や堺事件も起こっている。

 けれども、いちばん言いたかったことは、つぎの台詞にあるのではないだろうか?

 河原(かわはら)さぶ演ずる鎌田彌彦(かまだやひこ)支援総司令少将(史実では台湾守備隊司令官:陸軍士官学校10期:最終階級は陸軍中将)が最後のほうで語る。
三百人の戦士が数千人の大軍に抵抗して、戦死しない者は自決したとは。私は、百年前に失った……、日本から遙(はる)かに遠いこの台湾の山岳(さんがく)で、われわれ大和民族が百年前に失った武士道の精神を見たのだろうか? それともこの土地の桜がこんなにも紅(あか)く咲き誇(ほこ)っているからなのか?

 すると、安藤政信演ずる小島源治巡査部長が答える。
いえ、今年は咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません

 また傍証(ぼうしょう)として、件(くだん)の鎌田彌彦(かまだやひこ)を起用した宣伝用のポスターには、つぎのことばが記(しる)されていたことが挙(あ)げられる。


「為何我會在這裡見到我們巳経遺失百年的武士精神?」
(何故(なにゆえ)に、われわれがすでに百年前に失った武士道の精神を私はここで目にしたであろうか?)

 つまり、台湾の原住民にも、武士道の精神がある、と。そして、桜に言及(げんきゅう)することにより、日本の特攻機「桜花(おうか)」や軍歌の「同期の桜」を想起(そうき)させることによって、セデック族の戦いは、大東亜戦争での日本の戦いぶりをも連想させる。

 だから、つぎの2重構造を孕(はら)んだ物語なのだといえよう。

 セデック族VS日本の鎮圧軍=大日本帝国VSアメリカ合衆国をはじめとする連合国軍

 霧社事件をつうじて、大日本帝国は悠久の大義に目覚め、殖民地解放戦争である大東亜戦争へと突入するということを仄(ほの)めかしているようだ。

 投降勧告(とうこうかんこく)の小さな紅(あか)いチラシが航空機からばら撒(ま)かれたときに、幼い女の子が「空に桜の花びらだ」とかなんとかいう場面がある。

 鎌田彌彦支援総司令少将のことばに対して、小島源治巡査部長が「(桜は)咲くのが早すぎます。まだ桜の季節ではありません」と述べるところは、11年後の大東亜戦争突入を暗示している。

 1941年12月8日に桜が咲き、玉音放送(ぎょくおんほうそう)の1945年8月15日、あるいは降伏文書調印(こうふくぶんしょちょういん)の9月2日に桜が散ったということだろう。

 そういえば、ペリリュー島の戦いで玉砕する際に送った電文は「サクラ、サクラ、サクラ」だった。

註:台湾の桜は寒緋桜(カンヒザクラ)であり、1月下旬から2月中旬あたりに咲くようだ。標高によって開花時期も変わるだろう。史実によれば、暴動の鎮圧(ちんあつ)は12月であった。

 史実(しじつ)では、1930年10月下旬に起こった霧社事件は12月中に鎮圧(ちんあつ)している。11月初めに頭目のモーナ=ルダオが失踪(しっそう)し、跡目(あとめ)を継いだ長男のタダオ=モーナが戦闘を指揮していたが、タダオ=モーナは12月8日に自決(じけつ)する。

 12月8日は大東亜戦争開戦の日である。

 ついでにいうと、うちで飼っている大黒鼠(だいこくねずみ)の半兵衛(はんべえ)と幸村(ゆきむら)の誕生日でもあるが、これはまったく関係ない。

 また、セデック族の戦いぶりを見ていると、映画の中のこととはいえ、これほどの戦いができるのであれば、大東亜戦争で、ゲリラ戦・白兵戦(はくへいせん)・夜間の偵察(ていさつ)に関して、帝国陸軍で最高の部隊が高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)であったというのは、すこぶる説得力のあるものとして感ぜられる。

 抗日暴動を描きつつも、大東亜戦争での、高砂義勇隊を中心とする大日本帝国の戦いをも描いた映画なのだ。「隠喩(いんゆ)で描かれた大東亜戦争」でもあり、大日本帝国軍の賛美(さんび)でもありうるわけだ。帝国陸軍の軍人がセデック族の戦いぶりを賞讃(しょうさん)することが、同時に、大日本帝国軍を賞讃することにもなっている。あるいは、日本もすごかったけれども、台湾にだって同じくらいにすごい部族がいるのだということにもなるだろう。つまりは、台湾と日本の両方を褒(ほ)め称(たた)えているのである。

 魏德聖監督は大したもんだな。この映画の梗概(こうがい=あらすじ)だけを目にしたときには、前作がすこぶる親日的な作品だったのに、どうしてなんだろうと怪訝(けげん)に思ったが、こんな仕掛けがあったのだ。

 撮影のために村をひとつ拵(こしら)えたとか、最後に、(わかる人にしかわからない)どんでん返しをするとか、なんていうか、「自虐史観(じぎゃくしかん)のない黒澤明」というものがあるとして、魏德聖監督は、さらにそれを超えているといえる。

 ちょっと好きな台詞(せりふ)を紹介(しょうかい)する。

 反乱の前のエピソードだったと思うが、少年が、部族の頭目(とうもく)であるモーナ=ルダオに言う。
「じいちゃんが言っていたけど、モーナは若いとき、勇者だったんだってね」
 モーナが答える。
「私は今でも勇者だ。じいちゃんはわかってるのかな?」

   

3枚目は、セデック族出身で、花岡一郎という日本名を名乗り、巡査となっている者のポスターで、そこには「我們到底日本天皇的子民、還是賽德克祖霊的子孫」と書いてある。中国語は勉強したことがないので、よくわからんが、「われわれは天皇陛下の臣民であり、セデック族の祖先の血を受け継ぐ末裔(まつえい)である」というくらいの意味か。

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2013年4月12日金曜日

東條英機神社というものがあった。

 ウェブ=サーフィンをしていたら、「東條英機神社(とうじょうひできじんじゃ)」ということばを目にした。

 東郷平八郎を祀る東郷神社はある。乃木希典を祀る乃木神社もある。児玉源太郎を祀る児玉神社もある。

 東條英機神社って、あったっけ?

 それに、東條英機神社とフルネームであるのはおかしい。

 書簡(しょかん)などで相手の名前をフルネームでしたためてよいのは対等な間柄(あいだがら)にかぎられる。

 たとえば、相手の名前が「山田太郎」だとすると、こうなる。

「山田太郎様」「山田太郎君」とするのは、対等な関係の場合である。

 相手が目上であれば、「山田様」としたためる。

 相手が目下であれば「太郎君」とする。

 以上のことを、夏目漱石(なつめそうせき)が書簡で弟子に説教していたのを夏目漱石書簡集で読んだ記憶がある。

 だから、「東條神社」はあったとしてもおかしくないが、「東條英機神社」は、変なのである。

 それで検索(けんさく)してみた。

「インターネット神社」だった。リンク→東條英機神社

「東條英機神社は、現実には存在しません。ここは、仮想空間に存在するインターネット神社です」と書いてあった。

 それにしても、「東條英機神社」は、日本語の常識として、まずい気がする。やはり、「東條神社」でないといけない。たとえば、つぎのように表記すればどうだろうか?

---
東條英機閣下を祀る
  東條神社
---

「東條英機神社」という表記そのものが、東條英機に対する不敬であるように感じてしまう。

 とはいえ、社務所にはお神札(ふだ)がダウンロードdownloadできるようになっていたので、ダウンロードしてみた。なんだかよくわからないマークと東條英機の花押(かおう=日本の昔の署名(しょめい))を背景に、「御祭神東條英機之命」と書いてある。

2013年4月11日木曜日

台湾地位未定論に関して、台湾は日本領であると認めたアメリカ合衆国の狙(ねら)い

 台湾地位未定論がある。大東亜戦争終戦後、台湾の地位・主権は定まっていないというものである。もちろん、中華民国政府も中華人民共和国政府も、台湾地位未定論には反対しており、自国の領土としている。

 2006年10月、林志昇(りんししょう)が台湾の国際上の地位と台湾人の人権保護に関してアメリカ合衆国政府を告訴した。2009年4月、合衆国連邦裁判所の判決が下された。「台湾(民)政府官網」の記述を引用すると、「64年来、本土台湾人は無国籍であり、国際社会で承認された政府は無く、台湾人は今に至るも政治煉獄(れんごく)の中で生活している」であった。そして合衆国政府は最終的にすべてを受け入れる。その結果、アメリカ合衆国は大東亜戦争終戦後の戦後処理を再開することになり、台湾民政府Taiwan Civil Governmentが登場し、ワシントンD.C.に駐米代表部を設置することになった。その結果、中華民国政府は、たまたま台湾にいる亡命政府という扱いになる。

 こうした一連の流れそのものは、じつは、アメリカ合衆国が仕掛けたものじゃないかと疑(うたぐ)っている。

 サンフランシスコ講和条約第23条には「主たる占領国のアメリカ合衆国」とあり、アメリカ合衆国は日本に対して主たる占領権のある国家であったが、中華民国に台湾の占領を委託(いたく)した。その後、蒋介石(しょうかいせき)率(ひき)いる国民党軍は毛沢東(もうたくとう)率いる人民解放軍との内戦に敗れ、台湾に逃げ込む。戦後、アメリカ合衆国は蒋介石に資金と武器の供与(きょうよ)を止めたが、共産主義インターナショナル[=コミンテルン]だか、ソビエト社会主義共和国連邦だかが毛沢東に資金ならびに武器を与えたのが原因である。

 それでも、アメリカ合衆国は、本来は連合軍の占領下であるはずの台湾に中華民国という自由主義陣営を配置することで、社会主義陣営と対峙(たいじ)させる道を選んだ。ところが、近年、自由主義陣営であるはずの中華民国の外省人には、支那に寝返(ねがえ)っているものがいるようなのである。

 現在の中華民国政府総統である馬英九は、総統になったのが2008年だが、支那大陸の共産党に買収され、私腹(しふく)を肥(こ)やそうとしているようだ。それ以前から、支那大陸の共産党に懐柔された外省人は目に余るものとなっていた。いずれ、支那に併合(へいごう)される可能性が高い。そうなると、地政学geopoliticsでの第一列島線the first island chainの一角が崩れることになる。第一列島線とは、日本列島・沖縄・台湾・フィリピン・ボルネオ島からなるものである。

 それで、林志昇に裁判を起こさせ、国際法上は、当然のことらしいのだが、台湾の処理が終わっていないということにした。ところが、サンフランシスコ講和条約第2条【領土権の放棄】(b)には「日本国は、台湾及び澎湖諸島(ほうこしょとう)に対するすべての権利、権原(けんげん)及び請求権を放棄(ほうき)する」とある。「すべての権利……を放棄する」とあるのだから、解釈によっては、領有権も放棄(ほうき)したと読めなくもない。しかし、放棄したとはいえ、条約によってどの国にも割譲(かつじょう)していないので、領有権は日本にあるままであるらしい。

 そんなことから、すべては大東亜戦争終戦後の状態に戻る。アメリカ合衆国が主たる占領国であり、一時的に国民党=中華民国に占領を委託(いたく)していたにすぎない。

 アメリカ合衆国は改めて戦後処理を粛々(しゅくしゅく)と進める。まずは、合衆国による再占領化、あるいは占領の強化、ならびに国民党への占領の委託(いたく)の取り消しである。

・2万坪[=約66,000㎡]の土地を借用して、アメリカ合衆国領事館を作った。敷地内(しきちない)には海軍陸戦隊(かいぐんりくせんたい)の隊員の宿舎もある。借用期間は99年+99年=198年である。

・3つの空軍基地がアメリカ軍管轄下(あめりかぐんかんかつか)となり、最新鋭機のF22ラプターも配備され、航空管制(こうくうかんせい)も握(にぎ)っている。

・アメリカ合衆国軍は、台湾空軍隊員に早期退役(たいえき)を迫っている。

 ほかにもいろいろとあるが、それは、最後にリンクを貼っておくので、興味があれば、それらを閲覧してもらいたい。

 つまりは、アメリカ合衆国が支那を締(し)め上げるために、台湾を再占領化し、中華民国政府を単なる亡命政府とすることで、中華民国政府から権限を奪うという戦略である。

 それを支援するために、日本もいろいろとやっている。

 たとえば、2012年7月9日に外国人登録制度を廃止し、新たな在留管理制度(ざいりゅうかんりせいど)を導入(どうにゅう)した。その際、国籍欄が、台湾人には、従来の「中国」ではなく、「台湾」になった。これはアメリカ合衆国を援護するものであろう。ところが、当時の政権与党である民主党の議員は、台湾民政府ならびにそれに纏(まつ)わるアメリカ合衆国政府の戦略のことを知らなかったらしく、だれも反対しなかった(らしい)。民主党の議員は本当に勉強していないんだな。官僚も余計なことは教えたくはなかっただろうし。

 また、現在の安倍政権が日台漁業協定を締結(ていけつ)したのも、この一環(いっかん)だろう。

 ま、詳しいことは以下のリンクを参照してもらいたい。

台湾民政府ウェブサイト日本語版

ねずさんのひとりごと「台湾と主権のお話」
↑なぜ、国際法上、台湾の領有権が日本にあるかが書いてある。長いけれど、わかりやすいよ。

台湾(民)政府官網

Taiwan Civil Government

2013年4月9日火曜日

マーガレット=サッチャー元英国首相が亡くなったが、報道で使用される写真が首相在任時と晩年のものだけというのは疑問に感じる。

 元英国首相のマーガレット=サッチャーMargaret Thatcherが亡(な)くなった。

 この手の報道の場合、いつも疑問に思うのは、社会的地位が高い全盛期の写真か、あるいは、晩年の写真しか報道で用いられないことである。

 そこで私は、マーガレット=サッチャーの若いときの画像を掲載しようと思う。




「それ、若すぎるやないか」というツッコミがありそうなので、もうちょっと成長したときのものを掲載しよう。




右端が若き日のマーガレット=サッチャーである。














 パブpub(居酒屋)でピアノを演奏するマーガレット=サッチャーである。

 鉄の女のイメージが変わってしまうのではないだろうか?

 ところで、有名人は死ぬ前の写真を使用されることが多い。詩人の中原中也は30歳で亡くなったから、相当に若いときの写真しか流布(るふ)していない。しかし、小説家の井上靖や万葉集の研究家である犬養孝は長生きしたから、よぼよぼの爺(じじい)の写真が流布している。ところが、この3人は同い年なのである。

 そこで思った、葬式や報道では、亡くなった人の写真は、男性の場合は40歳のときのものを使用し、女性は30歳あたりのものを使用するのがいいのじゃないかと。

 古代ギリシアの文献を読み解く場合、「彼は第◯◯回のオリンピア[=オリンピック]の年に男盛(おとこざか)りであった」という記述があると、その年に40歳であると考えて、生年(せいねん)をその40年前だと考える。40歳というのは、一定レベルの経験があり、且(か)つ、なにごとかを成し遂げるのに必要な体力も備わっているということから、男盛りとされた。

 女性の30歳は、もうおばさんじゃないかとの意見がうちの中学生から出た。

『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に、こういうのがある。

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女のさかりなるは、十四五六歳二十三四とか、三十四五にしなりぬれば、もみぢの下葉に異ならず。

訳:女盛りというものは、14歳・15歳・16歳、23歳・24歳とかいうが、34歳・35歳にでもなってしまうと、もみじの下葉と変わらない。

意訳:女盛りというものは、14歳くらいから24歳くらいまでであって、34歳を超えると紅葉(もみじ)の葉が落ちて、木の根本で腐っているのと変わらない。
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 時代が違うと、こうも価値観が違うという例だろう。

 丸谷才一の小説『女ざかり』の主人公の女性は、40歳という設定だったと記憶している。これは、ギリシア時代の男盛りに合わせたものだろう。

 さて、女ざかりは、何歳なのだろうか?



2013年4月8日月曜日

その昔、司法試験の問題を解いてみせたら、行方不明者が出た。

 旧司法試験の頃の話である。旧司法試験は2011年まで行なわれていた。

 さて、予備校や進学塾の非常勤講師には、司法試験浪人が少なからずいた。ちなみに、生徒の成績を上げるのが上手い非常勤講師は、だいたい、2年以内に合格していたものである。一方、何年も司法試験浪人を続ける非常勤講師の担当クラスは、驚異的な成績の上昇はなかった。

 旧司法試験では、大学の一般教養を終えていれば第1次試験(一般教養の試験)が免除される。第2次試験では、短答式試験・論文式試験・口述試験がある。

 早稲田大学社会科学部出身の非常勤講師がいた。彼は短答式試験を5回、不合格になっていた。同じ大学の後輩ということから、「短答式試験なんかは、国語力だけで合格できるんじゃないの?」と言ってみた。

「国語力で解けるのは、憲法の問題だけです」

 そう答えた彼は、数日後、学説史の問題を持ってきて、解いてみてくれという。彼は国語力だけでは解けない問題を吟味(ぎんみ)して、その学説史の問題を持ってきたのだった。

 司法試験の問題を初めて目にした。記憶が定かではないけれども、そこそこに長い文章に、8箇所(かしょ)だか、10箇所だかくらい空所がある。その空所すべてを正解して、1問正解となるという。

 解いてみた。

 途中で2箇所、どうしても国語力だけでは正解に到(いた)らないものがあった。

 そこで、この学説史の問題が、ドイツの法律の理論に基づくものだと仮定してみることにした。一か八(いちかばち)かの賭(か)けに出たのである。このことは彼には黙っておいた。

 すると、批判哲学のイマヌエル=カントImmanuel Kantからゲオルク=ヴィルヘルム=フリードリヒ=ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの哲学へという流れに沿って、学説史もその流れとなると仮定すると、パズルのピースがうまく嵌(は)まった。

 全問正解だった。

 社会科学部出身の彼は、解答を見つめながら、こう訊(き)いた。「掃除機先生は、子どもの頃に、知能指数検査をした翌日から教師の態度が変わったという経験はありますか?」

「えっ、なんでわかるんですか?」

「でも、この問題には3分30秒しか時間が割(さ)けないのですが、今、5分30秒かかっていましたから、掃除機先生は合格できません」

「あのぉ、一般教養も含めて、今まで法律を勉強したことないんですけど」

 そして、彼は行方不明(ゆくえふめい)になった。つぎの授業のときに予備校にやって来なかった。経営者が下宿に電話しても連絡がつかなかった。また、親元に連絡しても、行方(ゆくえ)はわからなかった。

 当時の早稲田大学社会科学部の入試は暗記重視の問題ばかりだった。その学部出身ということは、彼は「勉強とは暗記である」と思っていた可能性が高い。

 ところが、法律の知識をなにも暗記していない者が目の前で学説史の問題を解いてしまった。たぶん、世界が崩壊(ほうかい)するような思いを経験したのだろう。

 ただ、よくわからないのは、私がどういう思考回路によって正解したのかを、何故(なぜ)、彼は訊(たず)ねなかったのかということである。解き方のすべてを習得できなくとも、半分以上は簡単に習得できるものなんだけどね。もちろん、そうした解き方を編み出すのはきわめて困難なことではあるが。

 こういうことができるから、うちの塾の生徒の成績が、謂(い)わば「異常値」というくらいに上昇するのだが、信じてもらえない。

 ところで、早稲田大学社会科学部の入試問題は、あるときを境(さかい)に、暗記重視の問題から思考力重視の問題に転換(てんかん)した。学生の質は、中年以上の人がイメージしているものではなくなっているようだ。30年前とは較べものにならないくらいに、地頭(じあたま)がよくなっている。暗記バカではなくなっている。けれども、30年前のイメージで判断しそうな人事部はありそうだから、あまりお得(とく)ではないようだ。

2013年4月7日日曜日

4月7日午後5時の放映で『宇宙戦艦ヤマト2199』のテレビ放送が始まったが、4月7日は戦艦大和の沈没した日だ。

『宇宙戦艦ヤマト2199』の劇場公開は、2012年4月7日土曜日だった。

 今回、『宇宙戦艦ヤマト2199』のテレビ放送は2013年4月7日日曜日だった。

 4月7日は、大日本帝国海軍の戦艦大和がアメリカ合衆国海軍に撃沈された日である。

 この日付にこれほどまでに拘(こだわ)るのは、よほど思い入れが強いのだろう。

2013年4月6日土曜日

台湾のブラック=メタル=バンドで凄(すご)いのを見つけた。

 台湾にChthoniC(ソニック)というブラック=メタル=バンドがある。漢字表記では「閃靈樂團」である。

 下に貼りつけた音楽動画では、帝国陸軍の旭日旗が出てくる。帝国陸軍の戦闘帽を被(かぶ)っている人もいる。着物姿の台湾人も出てくる。楽器としては、二胡(にこ)も出てくるけど、琴(こと)も出てくる。三八式歩兵銃も登場する。

 日本では、一時期、和魂洋才(わこんようさい)が主張された。日本の魂=精神を忘れずに、技術は西洋のものを導入するという意味のことばである。差(さ)し詰(ず)め、台魂和才(たいこんわさい)といったところだろうか?

 この音楽動画では、額(ひたい)に刺青(いれずみ)を入れているが、これは、台湾のある部族では、曾(かつ)て、首狩りの習慣があり、若者が他の部族の首を狩ると「英雄」とされ、額に刺青を入れることを許された。そうした史実に由来する。

 また、この楽団[=バンド]には、『高砂軍』Takasago Armyというアルバムもある。高砂義勇隊(たかさごぎゆうぐん)に由来する。本来は、軍人ではなく、軍属(ぐんぞく)だったから、高砂軍という名称は、ちょっとおかしいのだけど、彼らからすれば、「軍」としたい心情は理解できる。

 ま、実際のところ、大日本帝国陸軍の普通の部隊よりも、遙(はる)かに活躍したんだから。政治上の国交がないから、戦後補償(せんごほしょう)が充分には行なわれていないのは、残念なんだけど。



2013年4月5日金曜日

男の海外旅行一人旅だって、少しは危険である。

 海外での女性の一人旅は危ないとされるが、男性にも少しは危険がある。

 若いときに、イタリアを旅行した。ローマで、夜、散歩にでかけ、円形闘技場(コロッセオ;ラテン語Colosseum、イタリア語Colosseo)のあたりを彷徨(うろつ)いた。

 円形闘技場の近くにある丘に、若い男性たちが屯(たむろ)していた。

 フランス語やイタリア語は、当時、それほど流暢ではなかったので、英語で話した。普通に世間話をしていたが、途中から、雲行きが怪しくなった。

「ところで、君はホモセクシュアルについてどう考えるか?」

 性癖(せいへき)に関して、差別してはいけないと考えていたので、その人がそういう人であっても、別に問題はないと思うと答えた。

 勘違いされたらしい。

 そこに屯(たむろ)していたうちのひとりが、ねえ、一緒に散歩しようよ、円形闘技場のことやら、いろいろとローマのことを教えてあげるよと言う。

 それで、一緒に散歩した。自分が知らないローマの歴史を教えてもらった。

 そうするうちに、円形闘技場でも、とりわけ奥のところまで行けるところに連れていかれた。

「どうだい、ローマの歴史は素晴らしいだろ? こんな凄(すご)いものを造ったんだ」

 そして、彼は不意に振り返り、私を抱きしめ、頬(ほほ)にキスして、股間(こかん)に手を伸ばした。

 びっくりした私は、自分はそういう種類の人間ではないという意味のことを英語で言って、逃げた。

 今にして思えば、かのイタリア人青年は、一緒に散歩することになってから、みょうにウキウキした様子だった。たぶん、東洋人と同性愛行為ができると思って、嬉しかったのだろうな。ところが、私はそうした種類の人間ではなかった。

 ということで、夜に、ローマの円形闘技場近くの丘の公園に、よい子は行っちゃ駄目だよ。

2013年4月4日木曜日

練馬区の「みどりのおばさん」「みどりのおじさん」の平均年収は802万円だそうだ。

 当校では、将来、どんな職業に就(つ)くべきかを生徒に考えさせる。

 年収も考慮(こうりょ)に入れるべきだろうと思うので、職業別に年収を話す。その職業の平均年収がわからない場合には、話しながら、ウェブで検索する。

 そうしたところ、練馬区の「みどりのおばさん」「みどりのおじさん」の平均年収が802万円だというのが判明した。

 朝、小学生が登校する時間帯に1時間くらい、下校時には2時間から3時間、横断歩道に立っているだけだ。おまけに、今なら、土曜日・日曜日は働かなくてよいし、春休み・夏休み・冬休みも働かなくてもよい。そもそも、旗を持って、立っているだけなのだから、「働いている」と言えるのかさえ、怪(あや)しい。

 けれども、私は、こういうのは悪くないと思う。

 尤(もっと)も、新規にその職に就くとすれば、区長や有力な区議会議員などのコネがなければ難しいのだろう。

 個人的には、こういうのはいいと思う。但(ただ)し、たとえば、真面目(まじめ)な、ちょっとだけ知的障害のある者に、こうした仕事を与えると、もっといいと思う。できれば、無駄遣(むだづか)いが好きだともっとよいだろう。そうすれば、経済が回るからだ。

2013年4月3日水曜日

陸軍の旭日旗がみょうに除外されているのは、陸軍悪玉論のせいらしい。

 帝国陸軍の旭日旗はあんまり売っていない。一方、帝国海軍の旭日旗は、ちょっと探せば、普通に買える。

 調べてみたら、陸軍の旭日旗はここくらいでしか買えないようだ。URLを貼っておこう。

TOSPA トスパ=オンライン=ショップ 旭日旗

 靖国神社のウェブサイトで頒布品(はんぷひん)を見てみたが、帝国海軍の「卓上旭日旗セット」しかなかった。「卓上日の丸セット」はもちろん、「卓上Z旗セット」さえあるのに、陸軍の旭日旗セットはなかった。

 所謂(いわゆる)陸軍悪玉論というのがある。

 支那事変(しなじへん)[=日中戦争]は盧溝橋(ろこうきょう)事件から始まった。支那事変から大東亜戦争[=太平洋戦争]への流れは帝国陸軍が作ったとされる。しかし、それまでの歴史を眺(なが)めると、日本は好戦的な国家ではない。止むに止まれぬ場合にしか戦っていない。

 盧溝橋事件にしても、共産主義インターナショナル[=コミンテルン]を通じてソビエト社会主義共和国連邦から資金と武器を受けた毛沢東率いる、今の人民解放軍(当時の名称は知らない)が、帝国陸軍ならびに、蒋介石率いる国民党軍に発砲(はっぽう)したことから始まった。

 帝国陸軍も国民党軍も、戦闘になるとまずいと思っていたから、ずっと対峙(たいじ)したままだったらしい。

 そこへ、共産主義インターナショナル[=コミンテルン]から資金と武器を供与(きょうよ)された毛沢東一派が帝国陸軍と国民党軍に発砲した。

 帝国陸軍は国民党軍が発砲してきたと思い、国民党軍は帝国陸軍が発砲してきたと思い、戦闘状態になった。発砲してきたのは毛沢東軍なのに。

 支那事変の発端(ほったん)が帝国陸軍にあるということから、陸軍悪玉論があるのだが、これは帝国陸軍のせいではなく、共産主義インターナショナル[=コミンテルン]のせいである。

 陸軍悪玉論が普及(ふきゅう)しており、帝国海軍が立派であったようなイメージがある。

 ところが、ミッドウェー海戦以降の帝国海軍は負けてばかりだった。

 だから、アメリカ合衆国からすれば「帝国海軍、何するものぞ」であった。だから、日本海軍悪玉論をアメリカ合衆国は言い立てることはしなかった。

 しかし、帝国陸軍には酷(ひど)い目に遭(あ)った。

 マッカーサー将軍General McArthurにしても、チェスター=ニミッツChester Nimitz提督にしても、帝国陸軍を史上最強の陸軍と評価している。

 だから、アメリカ合衆国は情報操作によって、帝国陸軍悪玉論を言い立てたらしい。国際極東軍事裁判で、絞首刑にされたのは、ひとりの文官を除けば、9人中8人が陸軍の軍人であったのは、偶然ではない。海軍の軍人で絞首刑になった者はひとりもいない。海軍は糞(くそ)だが、陸軍は怖ろしいと考えた証左(しょうさ)である。

2013年4月2日火曜日

アバクロンビー&フィッチの白人至上主義には笑った。

アバクロンビー&フィッチAbercrombie & Fitchのコーカソイド(白人)至上主義は凄(すご)いぞ。

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基本的にコーカソイド系アメリカ人しか店員に雇(やと)わない。有色人種は雇用(こよう)されたとしても、倉庫係などにされる。

ネグロイド(黒人)の店員が髪型が変だと解雇された。

イスラム教徒の女性がヒジャブというスカーフを身に着けているという理由で不採用になった。

先天的に左腕のない男性が、特例として長袖の服を着ることを許されたが、のちに服装規定に反するということで倉庫係にされた。

自閉症autismらしき女の子の試着を拒否した。

同社の姉妹ブランドの従業員が韓国において差別的発言を繰り返した。

支那人らしきアジア人を卑下(ひげ)するデザインのTシャツを販売した。
---

これだけではない。広告にはコーカソイドしか起用しないとされる。

そこで、"Abercrombie & Fitch"で画像検索してみた。

確かにほとんどがコーカソイドばかりだったが、ちょっと例外があった。8分の1あるいは16分の1くらいネグロイド(黒人)の血が入っているのはよいらしい。それでも、ベースはコーカソイド(白人)でなければならない。

モンゴロイド(黄色人種)の血が入っているのは皆無(かいむ)であるようだった。

一方、白黒の写真だけれども、髪の毛の具合いや雀斑(そばかす)などから、この女性は赤毛じゃないかなと思われるモデルがいた。コーカソイドなら、赤毛でもよいらしい。

ネグロイドの血が入っているモデルはいたが、モンゴロイド(黄色人種)の血の入っているモデルは見当たらなかった。勿論(もちろん)、純然たるモンゴロイドは皆無(かいむ)だ。

モンゴロイドは駄目だけれども、犬は広告に出してもらえるらしい。ただし、洋犬にかぎるらしい。ここまで徹底すると、寧(むし)ろ、清々(すがすが)しい。

イングランドでは、ジーンズにダッフルコートだと入れないレストランがあるけれども、犬は入れるレストランがある。ま、そういうもんだろう。

日本の着物の広告でも、コーカソイドやネグロイドは起用せず、日本人ばかりだ。白人や黒人をモデルに起用しろという声はない。だから、安物カジュアル=ウェアはコーカソイドの文化だと考えれば、いいんじゃないかな。

この画像は、Abercrombie & Fitch Kidsの広告だが、私にはどうしても中学生に見えないんだが。

2013年4月1日月曜日

高校時代の恩師が出ている動画を見つけた。(高校の同級生限定ネタ)

 高校時代の恩師が出ている動画を見つけた。和歌山県立向陽高校が21世紀枠で甲子園出場が決まったときの動画と、向陽高校に負けて、その監督が末代までの恥と言ったことに対する相手校の校長による謝罪会見である。



 板橋孝志先生には、高校生のときに「倫理・社会」を教わり、駿台予備学校の試験で私は全国1位をとっている。

 それにしても、テレビ和歌山は、音声の調節がなっていないな。余計な雑音を消したりできないものかな。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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