2013年3月28日木曜日

テリー伊藤の『お笑い大蔵省極秘情報』『お笑い大蔵省極秘情報(2)大蔵官僚の復讐』を読み返したら、相変わらず面白かった。

 テリー伊藤の大蔵省を扱った書籍を、久しぶりに読み返した。『お笑い大蔵省極秘情報』(飛鳥新社、1996年)と『お笑い大蔵省極秘情報(2)大蔵官僚の復讐』(飛鳥新社、1998年)である。

 テリー伊藤が、2冊で、国家公務員1種試験(現・国家公務員総合職試験)を経(へ)た総合職の官僚(所謂(いわゆる)キャリア)5名と、国家公務員2種試験(現・国家公務員専門職試験)を経た専門職の官僚(所謂ノンキャリ)2名とのインタービューから成り立っている。

 2000年頃に読んだもので、ほんの少ししか内容を憶(おぼ)えていなかったが、やはり面白かった。


 大蔵官僚(現・財務官僚)は、意外とせこい。以下の内容は今でもそうなのかは知らない。

 官舎は、一見すると、都営住宅3軒分に見せかけているが、見かけは3軒分だが、中身は1軒分なのだ。千代田区などの都心にありながら、面積が110平方メートルもある。しかも、見た目とちがっては、内装は豪華で、防音などにも贅沢(ぜいたく)に金をかけている。

 検察庁だったと記憶しているが、これまた、幹線道路から見えやすい場所には古い建物を残して、その裏に豪華なハイテクビルを持っている。興味がないかぎり、気づきにくくなっている。

 少なくとも当時の大蔵省の建物はオンボロで、ダニなどもいるくらいで、接待漬(せったいづ)けになっているのが後ろめたいからと、自分のところの庁舎を豪華にすると、他省庁の予算が削りにくくなるかららしい。

 大蔵省のキャリア官僚の場合、たとえば、午後6時に庁舎から黒塗りの自動車で接待に出かけ、翌日の午前1時に庁舎に戻ってきても、その分の残業手当てがちゃんとついた。

 ガリ勉で入れるのは精々(せいぜい)、建設省(現・国土交通省)までだと言ったりして、他の省庁を小馬鹿にする。

 その一方で、外務省の官僚は、シャツの襟(えり)と身頃(みごろ)の色のちがうシャツを着ているのが多いことに驚いたことがあると、自(みずか)らのファッション=センスのなさを告白してみたり、外務省のアルバイトの事務員の若い女性が全員、美人で、外見だけで採用しているにちがいないと羨(うらや)ましがったりした上で、女にモテるのは外務省だと言ったりする。外務省は家柄(いえがら)・出自(しゅつじ)が悪いと出世しにくいので、たぶん、大蔵官僚は、家柄・出自がよくないのだろうな。

 通商産業省(現・経済産業省)出身の秘書官に大蔵省が嫌がらせを受けたので、大蔵省は通商産業省に復讐(ふくしゅう)すると宣言するが、その方法がせこい。通商産業政策に関わる予算を削(けず)ると大蔵省が復讐したとバレるから、ボールペン1本からはじまって、建物の保守・修理に関わる営繕費(えいぜんひ)などを査定(さてい)の段階からネチネチといちゃもんをつけていくという。「営繕費を削られると、実際に勤めている人が結構困るわけですよ。エアコンがちゃんと働かなかったり、窓がちゃんと閉まらなかったり」と言って、それを「神経戦」よる復讐と名づけて、悦(えつ)に入(い)っている。

 意外とみみっちい小人物ばかりのような気がした。世界を念頭(ねんとう)において、天下国家を語る人物はいなかった。


 なかでも、最高に可哀(かわい)そうなキャリア官僚の例がつぎのもの。

 まず、国家公務員1種試験はおよそ2万人が受験して、合格するのは1000人くらいであるが、合格したからといって、どこかの省庁に入れるとはかぎらない。何年ごろのことか忘れたけれども、こういうのがある。日東駒専の中では専修大学はこうした試験対策がうまく、駒沢大学や東洋大学よりも一般の就職もよい。その専修大学から2年連続で3名、国家公務員1種試験合格者を出したが、だれひとりとして、どの省庁にも採用されなかった。合格してもキャリア官僚になれない例さえあるわけだ。一方、大蔵省には毎年20名ほどが入省するが、合格者のトップ20位までだと考えてよい。

 さて、この哀(あわ)れなキャリア官僚は、学生時代から東京女子大学の学生とつきあっていた。結婚をせがむので、大蔵省入省が決まり、東京大学法学部卒業後にその女子学生と結婚した。

 テリー伊藤に挫折(ざせつ)はなかったのかと訊(き)かれ、自分の人生にはミスは2つしかないと答える。あるミスについては話さなかったが、一方のミスは、結婚が早かったことだという。

 インタービューでは、結婚生活を気にしながら、仕事に打ち込まなければならないのが嫌だったから挫折であると説明し、その後、脈絡(みゃくらく)もなく、閨閥(けいばつ)を利用しなくてものし上がれると信じていたとも言っている。

 しかし、べつの箇所(かしょ)で、大学時代に自分が所属(しょぞく)していたゼミの教授は世俗(せぞく)のことを教えない人だったと述懐(じゅっかい)していた記憶がある。また、インタービュー当時、このキャリア官僚は30歳であった。30歳あたりで、世俗のことを知らなかったが故(ゆえ)に後悔したことがあったと見て取れる。それは何か?

 挫折経験を語った暫(しばら)く後で、外務官僚の閨閥を持ちだして、閨閥(けいばつ)を利用しなくても、自分は、のし上がれると、脈絡(みゃくらく)なく、述べる条(くだり)があるのが、これがあやしい。尚(なお)、閨閥とは、妻の姻戚関係(いんせきかんけい)で結ばれた勢力のことである。藤原兼家や藤原道長・頼通などによる摂関政治(せっかんせいじ)は閨閥の一例である。

 日本のパワー=エリート(権力エリートpower elite)の生き方のひとつにこういうのがある。高級官僚となり、28歳あたりから、大蔵省の場合、さまざまな縁談が持ち込まれる。28歳で地方の税務署長となれば、地元の名士(めいし)から娘を嫁に貰(もら)ってくれと頼まれ、大蔵省に戻れば、上司を通じて、社長令嬢や家柄が名門の令嬢との見合いの依頼を受ける。

 こうしたことは、権力に関心のない私でさえ、大学1年生か2年生の頃には知っていたけどなあ。

 実際、官僚としてはトップの事務次官になれそうにないので、退職して、奥さんの実家の父親に足りない分の資金を支援してもらって、当選した国会議員もいた。義理の父親が会社経営をしていた例である。

 同僚の見合い話を目(ま)の当たりにして、結婚を早まったと後悔したにちがいない。

 因(ちな)みに、悲しき高級官僚の話をうちの生徒に話してみたら、中学生以上には、頗(すこぶ)る同情されていた。

「じゃあ、その人、コンクールで優勝するような血統書付(けっとうしょつ)きが貰(もら)えるのに、雑種(ざっしゅ)を拾(ひろ)っちゃたんだ」

 子どものメタファー(隠喩(いんゆ))は、ときどき、面白いのだが、ちょっと待てよ、当時の東京女子大学は、今よりも偏差値高かったし、いくらなんでも、「雑種」はないだろう。世間知らずだなと思ったが、あ、今、キャリア官僚の視点(してん)で、ものを見ているのか。

 その官僚は、お茶の水女子大学・津田塾女子大学・東京女子大学と学生時代に合コン(合同コンパ)をするけれども、学生時代の遊びで終わらせるものであって、結婚するのは、大蔵官僚としては恥ずかしいことだという意味のことを述べていた。

 ふと思い出したが、「上(うえ)見て暮らすな、下(した)見て暮らせ」と、うちのばあちゃんはよく言っていたな。



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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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