2012年11月26日月曜日

福祉を厚くしたらどうなったか:東京都中野区の場合

 東京都中野区は、曾(かつ)てはお洒落(しゃれ)な町であった。
 中野ブロードウェイは、今でこそ、オタクの集(つど)う「まんだらけ」の本店があるにすぎないものと思われているが、人気歌手の沢田研二や元・東京都知事の青島幸男が住んでいたようなところである。今でいえば、六本木ヒルズのようなところであったのである。

 中野といえば、陸軍中野学校があった場所である。戦後も、帝国陸軍のエリートが中野に居を構えた。ほかにも、文化人なども多く住み、比較的革新系の住人が多かった。

 東京23区のうちでも、共産党や社会党などの革新系議員が多く当選していた。
 そうした議員は、福祉を厚(あつ)くした。
「寝たきり老人になるなら、中野区に限る」とまでいわれるようになった。それほどまでに福祉が充実している。福祉の充実ぶりは東京23区でいちばんだろう。

 すると、福祉を目当てに、低学歴低所得で教養に乏(とぼ)しい人々が多数流入してきて、50年前とは違う街(まち)になった。
 今では、私の知る限り、高学歴高所得の人の中は、中野区には家を建てたいとは思わない、中野区に家を建てるくらいなら杉並区に家を建てると言っている人もいる。

「福祉を厚くする」というのは、よいことであるはずなのに、実行すると、街(まち)が荒(すさ)んでいった。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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