2009年9月1日火曜日

川島智太郎って誰?

 今回の総選挙(第45回衆議院議員選挙)で、民主党の比例代表東京ブロックから当選した川島智太郎は、前回の衆議院議員選挙で東京9区から出馬しているのに、うちの近所(東京10区、練馬区の一部と豊島区全域)の人で、まったく憶えていない人が多い。
 以前に開設していたオフィシャル=ウェブサイトは閉鎖しているし、ブログ「ともたろうの『一撃ブログ』」は2008年4月16日からは更新していない。
 2000年に行なわれた第42回衆議院議員選挙では、小沢一郎率いる自由党から出馬したが、共産党候補よりも得票数を下回る見事な負けっぷり。惜敗率(せきはいりつ)27%というまったく惜(お)しくない敗(やぶ)れ方だった。なお、当選は民主党の吉田公一、次点は自民党の菅原一秀(すがわらいっしゅう)だった。
 2003年の第43回衆議院議員選挙では、民社党から比例区代表東京ブロックから出馬するも、落選。
 2005年の第44回衆議院議員選挙では、前回に続いて民主党から東京9区で出馬するも、これまた惜敗率57%という惨憺(さんたん)たる結果で次点となる。
 その智太郎が、今回の衆議院議員選挙では、比例代表東京ブロックの名簿順位27位から、当選した。

 川島智太郎の経歴を紹介しよう。
 1963年3月20日生まれ。大分県別府市出身。中学卒業後は、明治大学中野高等学校定時制に通いつつ、清掃会社に勤務する。1986年、ビル管理会社である株式会社城西企業を設立、代表取締役社長に就任。日本大学法学部政治学科に社会人入試で入学し、2006年4月の時点で、卒業に必要な単位は、残り「4」だった。

 この経歴を耳にしたうちの高校生は、大したものだと感心していた。まあ、夜間高校出身で、代表取締役になり(今は、役員に退いている)、なんだかんだと大学卒業(それも歴史ある日大法学部の卒業)になり、遂(つい)には、衆議院議員となったのだから、世俗的な成功であるとはいえるのかもしれない。
 4年後までは、衆議院議員でいられるだろう。解散総選挙の可能性はきわめて低いと思われるからだ。事務所運営の経費が、自民党の議員は高額であり、意識的に解散総選挙をせずに、じわじわと兵糧攻めにするという作戦を小沢一郎などが採用するにちがいない。麻生太郎が、昨年9月に自民党総裁・内閣総理大臣に就任してから、解散総選挙に踏み切らなかったのは、民主党の候補者を兵糧攻めにするためだったと考えられる。よほど、潤沢(じゅんたく)な選挙資金のある候補者でなければ、東京ならば、家賃だけで100万円の事務所を維持するのは、資金面で相当に苦しかったにちがいない。これに苦しめられた民主党は、意趣返(いしゅがえ)しに、断じて解散しないと考えられる。
 そんなことから、川島智太郎は4年間は衆議院議員でいられるだろう。
 その後はというと、なあに、「元・衆議院議員」という肩書が一生使えるから、それほど、悲観的ではないだろう。

 もっとも、国会議員としての「うまみ」は、あまりないかもしれない。これまでに自民党議員がやってきた不正、あるいは不正に近いものをつぎからつぎへと民主党が暴(あば)くとすると、逆に自分たちも不正なこと・卑怯(ひきょう)なことはできなくなる。せっかく国会議員になれたのに、利権を貪(むさぼ)ることができない。
 これが2大政党制である利点なんだろうな。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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