2009年6月30日火曜日

カレーとハンバーグとオムレツとスパゲッティの好きな生徒がいて……

 カレーとハンバーグとオムレツとスパゲッティの好きな生徒が当校にいて、この生徒が、ふと、カレーとハンバーグとオムレツとスパゲッティをひとつの料理にしたら、さぞかしおいしい料理になるのではないかと考えて、母親にねだって、こしらえてもらったという。
 茹(ゆ)でたスパゲッティにカレーをかけて、その上に、ハンバーグとオムレツを載せて食べたという。
 ところが、期待したほどのおいしさではなかったという。
 カレーの味が強すぎて、ほかのもののおいしさがいわば「消えてしまう」のではないかと思った。気になるので、機会があれば、自分でも試してみようと思っている。

   

ひとつひとつはおいしいはずなのに、全部をひとつにすると、なぜか、おいしくなくなる(らしい)。試してみては?

2009年6月29日月曜日

その昔、NHKの「ドイツ語講座」に宇宙人が登場したことがあって……

 その昔、NHKのドイツ語講座に宇宙人が登場したことがあった。ちょっと検索して調べたところ、「こちらはピコポコ」「ピコポコ宇宙に帰る」なんてのが見つかった。
 このアイデアは、ドイツ語学習者のみならず、外国語学習者の間で、ちょっとした話題になった。「これ、思いついたやつはすごいわ」とだれもが思ったのだ。

 外国語を学習すると、最初は、理不尽なやりとりを憶えなければならない。たとえば、日本語で書くと、つぎのような会話だ。

―これは何ですか?
―それは林檎(りんご)です。オレンジではありません。

 ある程度の年齢以上になると、うんざりしてしまう。「いったい、林檎とオレンジの区別のつかないやつは、めったなことではいないだろうが!」と思ってしまう。
 ところが、宇宙人を登場させると、すべての理不尽な会話が、全面的に正当化される。

―これは何ですか?
―それは灰皿です。煙草を喫(す)うときに使います。

 人間同士の会話なら、「見てわからんのか、こら! いちびっとったら、あかんぞ!」となるところでも、「うむ、きっと、喫煙というものが存在しない星からやって来た宇宙人なんだろうな」と、納得してしまう。

―彼女は何をしていますか?
―彼女は彼と一緒にテニスをしています。

 「テニスのない星から来た宇宙人なんだ」と、これまた、納得してしまう。

 宇宙人を登場させるだけで、無意味に思える会話が、意味のあるものに転換するわけだ。だから、宇宙人を登場させることを思いついたスタッフのことを、だれもがすごいと思ったのだ。

2009年6月28日日曜日

tomorrowの語源

英語のtomorrowの語源について述べよう。

tomorrowは、ときには、to-morrowと綴(つづ)られる。

たとえば、『グレート=ギャツビー』(『華麗なるギャツビー』『大いなるギャツビー』と題名が訳されることもある)Great Gatbyの作者であるF. Scott Fitzgeraldは、to-morrowやto-dayと綴っている。

morrowは中期英語で「朝」morningの意味で、toは今のonくらいの意味。tomorrowは「朝に」on (the) morningくらいの意味だ。元来、複合語だったので、to-morrowとハイフンを入れる人もいたのだ。

「朝に」の意味だったのが、「翌朝に」の意味で用いられ、ひいては「翌日・明日」の意味になった。

このあたりは、古語の「つとめて」(早朝)が、後に「翌日の早朝」の意味も加わったのと事情は似ている。

2009年6月27日土曜日

木曽三川(きそさんせん)の憶え方

 木曽三川とは、愛知県西部・岐阜県南部にまたがる濃尾平野を流れる3つの河川の総称である。
 西から順に

揖斐川(いびがわ)
長良川(ながらがわ)
木曽川(きそがわ)

である。

 濃尾平野で暮らしている人からすれば、べつにどうということもないが、東京の小学生にとっては、憶えづらい。東京の進学塾の中にはつぎのように憶えようと指導しているところがある。

揖斐川(いびがわ)  イビ
長良川(ながらがわ) ながら
木曽川(きそがわ)  クソをする。

 男子小学生にはインパクトがあって、大いにウケるらしい。
 ところが、これには重大な欠点があった。具体例を挙げよう。

木曽三川のうち、最も西側を流れている川の名前を答えなさい。
答え (×) いびり

木曽三川のうち、最も東側を流れている川の名前を答えなさい。
答え × くそ

 「クソ」はいくらなんでも下品ということで、つぎのようにして教えている。

揖斐川(いびがわ)  イビ
長良川(ながらがわ) ながら
木曽川(きそがわ)  基礎(きそ)練習。

 インパクトがないので、憶えてもらえない。また、低学力の生徒の場合、「いびり川」という誤答は解消されない(だろう)。

2009年6月26日金曜日

東京にいるのに関西弁を直さない人は、本当は「直せない」人である。

 東京にいるのに関西弁を直さない人は、たいていの場合、「直せない」人である。私は、大学進学にあたって上京したが、もともと関西弁が強くなかったということもあってか、3日もしないうちに、関西弁がなくなった。
 その一方で、頑(かたく)なに関西弁をしゃべり続けている連中が学内にはいた。勝手にしゃべっている分にはかまわないが、なかには「関西弁を普及する会」なんてものを作っているのまでいた。
 関西弁は、共通語とちがって、イントネーションが正反対である。これが、一部の関西出身者が音声面で共通語を習得できない理由である。
 大学時代に観察した結果では、関西弁を直せない人は、英語もフランス語も発音が下手だった。
 「東京で関西弁をしゃべんじゃねえよ」などとは思わずに、「英語もフランス語の発音も下手なんだろうな、この人は」と、哀れんであげてもらいたい。
 イントネーションが同じであれば、語彙(ごい)を変更するだけで共通語が話せるようになる。九州出身者で、それとわかる人がいないのは、こうした理由からであろう。

 ドイツ語でも、関西弁にあたるものがある。
 スイス方言である。ドイツ南部でも、同じように、標準ドイツ語とイントネーションが正反対でしゃべる地域がある。
 ドイツの哲学者フリードリッヒ=ヴィルヘルム=ニーチェFriedrich Wilhelm NietzscheのNietzscheを、スイス人は、「ニーチェ」の「チェ」のところを上がり調子で発音する。日本語の共通語と関西弁と同じ関係が、ドイツ語では標準ドイツ語とスイス方言のドイツ語にあるわけだ。
 ウェブで、ドイツ語圏のスイス人は、標準ドイツ語で話しかけても、スイス方言で答えると不平不満を洩(も)らしている人がいたが、たぶん、彼らは標準ドイツ語で話せないのであろう。そういう人たちの英語の発音には、それに応じた特有のものがある。
 また、スイスのドイツ語圏出身の知り合いが、「おれたちはドイツ人のしゃべるドイツ語がわかるが、ドイツ人はおれたちのドイツ語がわからないんだぜ」と自慢していたが、なぜ、自慢になるのか、今でもわからないでいる。
 一方、スイスのドイツ語圏在住のスイス人だとわからないくらいに英語の発音がうまい人は、私の少ない経験から、標準ドイツ語も話せるようだ。

2009年6月25日木曜日

金属アレルギーの女に捨てられた男

 知り合いの男性が、以前、つきあっていた女性は金属アレルギーだった。
 ある日、かわいらしい指輪があったので、買ってあげようかと彼はその女性に言った。
 「ごめん。金属アレルギーだから、プラチナか、22金以上じゃないと駄目なの」

 後日、木製の指輪を彼は贈った。

 その話を聞いて、〇〇ホテルの1階にある売店みたいなところで、抗アレルギー=プラスティックのピアスを売っている、ただし、軸というか、ピンというか、その部分はやや太かったが……ということを話した。彼は早速、それを買い求め、彼女にプレゼントした。

 つぎに贈るものは何するかということになったので、金属アレルギーといえば、チタン合金に決まりでしょうと私は彼に提案した。しかし、当時、チタンの指輪なんてものはなかったので、特別註文で製作を依頼しなければならず、下手をすると、加工費がずいぶんな金額になるかもしれなかった。
 しかし、チタンの指輪の製作依頼をすることはなくなった。
 彼がその女性に捨てられたのだった。
 「感性が違いすぎる気がする」というのが、その理由だった。

 木製の指輪はともかく、やっぱり、抗アレルギー=プラスティックのピアスがまずかったのではないかと推測した。
 「そもそもだな」と私は言った。「年収1千万円を超えているのに、木だの、プラスティックだのと、ケチくさいことをしたのが、最大の原因ではないか?」
 この程度のことで感性が合わないと言うようなのは、こちらから願い下げだと、彼はさばさばした様子だった。

 ところで、ウェブでちょっと調べてみたら、通信販売で木製の指輪やチタン製の指輪が売っていた。チタン製の指輪は、廉(やす)くても4,000円くらいで、高いものになると50,000円以上もする。この程度の加工で26,000円はないだろうというものもある。ほかの貴金属と、材料そのものの値段を較(くら)べてみよう(チタンはレアメタルであって、貴金属ではない)。チタンというと、「高価」というイメージがあるようだが、これはあくまでも工業製品を製造する材料としては高価であるにすぎない。

100gあたりのだいたいの値段
チタン 
100円
5,000円
300,000円
プラチナ
400,000円

 チタン製の指輪の中には、ティファニーTiffanyの銀製品並みの値段のものがあるわけだ。なんというか、金属アレルギーの人の弱みにつけ込んでいるような気がする。もっとも、チタンは加工性に難があるそうだが、戦闘機の部品を造るのではなく、指輪なんだから、それほどの技術が必要だとは思えないのだが。

 

左のが幅2.5mm、右のは幅3.0mm。

 それにしても、1gあたり1円の材料で、この値段は、うーん。

2009年6月24日水曜日

慶應義塾大学OB役員がいちばん多くいる主要上場企業一覧

 慶應義塾大学OB役員がいちばん多くいる主要上場企業の一覧を紹介しよう。以下の一覧を見れば、ビジネスに関するかぎり、慶應義塾大学が私立大学ナンバーワンであることがはっきりするだろう。
 情報源は、『就職でトクする大学・損する大学 ランキング 2008年版』(島野清志著・エール出版社発行)であり、2006年9月1日発行のものなので、情報としては、2006年4月あたりのものだろう。今は存在しない企業もあるので、最新の情報を入手したい場合は、『就職でトクする大学・損する大学 ランキング』の最新版を購入するか、『会社四季報』で丹念(たんねん)に自力で調べるかするとよいだろう。
 *のついているものは、他大学OBと役員数が同じであることを示す。
 もっとも、「慶應義塾大学という学閥はない」と近所のじいさんが言っていたのだがという記事に書いてあることも少しは念頭に置いておいたほうがよいかもしれない。真偽(しんぎ)の程(ほど)は不明だが。

水産・鉱業
ニチロ、日鉄鉱業

建設
東急建設、アゼル、*錢高組、大和ハウス工業、住友電設、三機工業、関電工、トーエネック、サンテック、日揮、高砂熱学工業

食品
日新製糖、森永製菓、明治製菓、不二家、*伊藤ハム、アサヒビール、養命酒製造、メルシャン、北海道コカコーラボトリング、コカコーラ・セントラルジャパン、カルピス、永谷園、*はごろもフーズ、ヨコレイ

繊維製品
*ユニチカ、*日東紡、NBC、*ダイニック、*興和紡績、レナウンダーバンHD

紙・パルプ
王子製紙、巴川製紙所

化学
*昭和電工、東亞合成、日本曹達、関東電化工業、イビデン、太陽日酸、カネカ、四国化成、日本合成化学工業、日本ゼオン、積水化学工業、ミヨシ油脂、*東洋インキ製造、大日本インキ化学工業、ライオン、長谷川香料

製薬
中外製薬、久光製薬、持田製薬、*大正製薬、ツムラ、参天製薬、杏林製薬

石油
新日本製油

ゴム
横浜ゴム、ブリジストン、オカモト

ガラス・土石製品
住友大阪セメント

鉄鋼
日本軽金属、日本金属工業

非鉄
*住友金属鉱山、東邦亜鉛、三菱伸銅

金属製品
トープラ、パイオラックス

機械
東芝機械、サトー、小池酸素工業、日本ピストンリング、オーエム製作所、日本精工、丸山製作所、*ミネベア、イーグル工業、住友精密工業

電機
富士電機HD、東芝テック、ブラザー工業、愛知電機、エナジーサポート、TDK、*スタンレー電気、東京エレクトロン、*天昇電気工業、日本信号、小糸工業、日本電波工業、日本ビクター、協栄産業

輸送用機器
ユニプレス、豊田自動織機、三井造船、自動車部品工業、*佐世保重工業、名村造船所、NOK、アスカ、*カヤバ工業、*ヤマハ発動機、小糸製作所、シマノ

精密
金門製作所、*スター精密、オリンパス、シチズン時計、タカラスタンダード

その他製造
大日本印刷、アルメディオ、トッパンフォームズ、*図書印刷、ノダ、*タカノ、河合楽器製作所、三菱鉛筆、タカラ

商業
三陽商会、トーメン、豊田通商、ルック、日本紙パルプ商事、キャノン販売、カメイ、スターゼン、住友商事、*TOKAI、ナラサキ産業、パーカーコーポレーション、バイタルネット、明和産業

流通
三越、高島屋、大丸、松坂屋、松屋、阪急百貨店、丸栄、岩田屋、さいか屋、ユニー、*しまむら

銀行
千葉銀行、静岡銀行、十六銀行、スルガ銀行、広島銀行、中国銀行、山口銀行、みずほ銀行、*四国銀行、佐賀銀行、鹿児島銀行、武蔵野銀行、千葉興業銀行、*ほくほくFG

ノンバンク
東京リース、センチュリー・リーシング・システム、ジャフコ

証券
*新光証券、三井住友海上火災、*日本興亜損害保険、第一生命保険、朝日生命保険、*富国生命保険、ソニー生命保険、損保ジャパン、あいおい損害保険

不動産
東急リバブル、藤和不動産、サンケイビル、テー・オー・シー

電鉄
京王電鉄、*京浜急行電鉄、富士急行

陸運空運海運
泰一中央汽船

倉庫運輸
日新、丸全昭和運輸、三井倉庫、*澁澤倉庫、日本トランスシティ、東洋埠頭、鈴与シンワート

電力ガス
中部ガス、西部ガス

サービス
電通、オリエンタルランド、フジテレビジョン、ウェザーニュース、*東急コミュニティー、東宝、*松竹、東映、キャノンソフトウェア、コマスタジアム、東京ドーム、よみうりランド、帝国ホテル、*日本管財、白洋舎、アルプス物流

 入力するだけで疲れた。
 当校の男子生徒たち(中学生・高校生)は、永谷園と白洋舎(洗濯屋さん)は、慶應義塾のイメージに合わないと言っていたので、君たちの今の成績のままでは、幹部候補生として入社できないという厳しい現実を指摘しておいた。


2009年6月23日火曜日

「おこなう」を漢字で書いたときの送り仮名(がな)

 「おこなう」を漢字で書くときには、「行う」と「う」だけを送ると決められている。「行う」が本則である。「行なう」は、許容の扱いだ。だから、小学生・中学生には、本則の「行う」で書くように指導する。
 ところが、大学の教官・教員は、許容の「行なう」を使う割合がすこぶる高い。
 たとえば、東京大学教養学部「基礎演習」テキストである(であった)『知の技法』では、「行なう」しか使っていなかったように記憶する。大学の教官・教員は、だいたい「行なう」で表記している。
 「行なう」にこだわるのは、「行った」とあった場合、「行(い)った」なのか、「行(おこな)った」なのか、文脈に依存(いそん)するからであろう。文脈があれば、読み間違うことはないのだけれど。
 事実、当初は、「行なう」が本則であったが、途中から、文脈があれば読み間違うことがないので、原則である「活用のある語の場合、活用語尾を送る」に変更した。
 それでも、「行って」だと、「行(い)って」なのか、「行(おこな)って」なのか、ちょっとひっかかるので、大学の教官・教員は、おしなべて「行なう」を使っている。また、大量の答案を処理しなければならない大学入試で自分が答案などを読む場合にも、「行なう」が好ましいと考えているという意見も耳にしたことがある。
 その一方で、中学校や高校の教員は、絶対に「行(おこな)う」でなければ間違いであると信じている者が少なからずいる。

 以上のことから、つぎのように使い分けるのがよかろう。

中学受験・高校受験
「行う」と、活用語尾しか送らない。

大学受験
「行なう」と、活用語尾のほかに「な」も送る。

 ちなみに、高校生にまで「行う」と「う」しか送ってはいけないと指導する塾・予備校は、大学内部のことを知らないと見なせるのではなかろうか。

   

2009年6月22日月曜日

「ホープ」っぼい人

 近所のコンビニエンス=ストアで煙草を買ったら、店員さんにくすくす笑われた。買った煙草は「ホープ ライト」HOPE LIGHTSだ。

 「前から、『ホープ』っぽい人だと思っていたんですよ」

 「ホープ」っぽい人って、どんな人なんだ? どこが、「ホープ」っぽいのだろうか?

2009年6月21日日曜日

語の定義から「本当のしあわせ」は存在しない。

 語の定義から「しあわせ」というものは、存在しえない。理論的に成立しないといったほうがよいかもしれない。「しあわせ」は「幸福」と言い換えてもよいかもしれないが、どこかの団体をおちょくっていると思われると困るので、「しあわせ」で統一する。
 さて、「ほどほどのしあわせ」は、「本当のしあわせ」とはいえない。なぜなら、自分よりも、しあわせな人間がいるかぎり、自己のしあわせに対して、完全な満足感が得られるわけではない。いくらかでも、妬(ねた)みや嫉(そね)みがある以上、それは「本当のしあわせ」とはいえない。
 そうなると、「しあわせ」とは1種類しか存立(そんりつ)しえない。それ以外は、すべて不完全な「しあわせ」である。
 「しあわせな状態」が1種類しかない場合、その「しあわせな状態」も場合分けできる。「しあわせな状態」に到達できるまでの時間で分けることができる。
 唯一の「しあわせ」に到達するのに、30年かかる場合と、2年で到達できる場合とでは、どちらが、より一層「しあわせ」であるといえるのであろうか?
 当然、最短時間で到達できるのが、「究極のしあわせ」であろう。
 「究極の最短時間」を追求すると、その人物のすべての行動が、理論的には、がっちりと決まってしまう。そこには、なんの自由意志も存在しない。
 「究極の最短時間」で「究極のしあわせ」を求めると、自由がまったくなくなり、すべての行為は、苦役(くえき)と同じになってしまう。
 この状態を「しあわせ」と呼ぶ人間がこの世界に存在するとは思えない。
 以上のことから、「しあわせ」という語の定義から演繹(えんえき)すると、「しあわせ」というものは存在しえないということがわかるはずである。

 同様に、たとえば、倫理学(りんりがく)という学問があるようだが、倫理学の始まりが、ソクラテスの「善(よ)く生きよ」を追求するものであるならば、最終的には自由のない苦役(くえき)のような生き方を強いるものになるはずであり、そこには人間性のかけらすらなく、まるでロボットのような生き方にならざるをえない(はずである)。

2009年6月20日土曜日

入院時の医療ミスを軽減する方法

 病気であれ、ケガであれ、入院した際に、医療ミスを軽減する方法がある。
 親類または友人に医師がいると、担当医や看護師に伝えること、これである。
 私自身の経験で、こういうことがあった。
 ある大学病院に長期入院した際に、入院して数日後に、医師である高校時代の同級生に、院内の公衆電話でいろいろと問い合わせたところ……ということを話した。すると、後日、カルテの隅(すみ)に、あるマークがついていた。
 その印(しるし)が気になっていたので、退院後、友人の医師に問い合わせた。

親類または友人に医師がいると、こちらが医療ミスを犯した場合、その医療ミスに気がつかれる可能性が高く、ひいては、医療訴訟を起こされる可能性も高くなる。そこで、親類または友人に医師がいる患者のカルテに、暗号としての記号を記入する。医師ならびに看護師は、カルテにその記号がついている患者の場合には、ふだんよりも注意深く、丁寧(ていねい)に診察・治療をするようにしているという。

 ということは、医学部進学者が多くいる高校に進学した者は、親類に医師がいなくても、「友人の医師が……」などと言うと、上質な治療が受けられるということになる。医療ミスも減るだろう。
 若いときに勉強していると、こんなところでも、ちょっとした利益が得られるということか。
 一方、親類縁者・友人に医師がいない場合は、不利益を蒙(こうむ)ることになる。どうせ、医療ミスに気づくことはないのだし、今は、忙しいのだから、適当にやっちゃえとなる(かもしれない)。若いときに勉強していなかったばかりに、場合によっては、生命にも関わる状況もあるわけか。

2009年6月19日金曜日

江古田駅北口近くに牛めしの「松屋1号店」があるのだが……

 西武池袋線江古田駅北口の近くに牛めしの「松屋」の1号店がある。うちの生徒にこのことを話すと、地元に住んでいるわけではない男子生徒は、ついつい、行ってみたくなるようだ。機会があれば、行って、牛めしを食べてくる。
 ところが、これまでのところ、全員ががっかりして戻ってきた。
 「1号店」だといっても、それらしき痕跡(こんせき)はまったくなく、「ただの松屋」「普通の松屋」「なんの変哲(へんてつ)もない松屋」にすぎないからだ。
 唯一の痕跡(こんせき)らしきものは、立地条件の悪さである。ここまで大きくなったのであれば、もう少し立地条件のよい場所に移転すればよかろうにと思う場所にある。このあたりに、「1号店のこだわり」があるのかもしれない。
 それ以外では、1号店らしさが、本当になにもないそうだ(入ったことがないから、詳しくはわからないけれど)。

2009年6月18日木曜日

「日本は核武装しているんじゃないか」と疑心暗鬼に陥らせる作戦

 日本政府は「非核三原則」つまり「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」を表明している。
 一方、核武装論も喧(かまびす)しい。核武装していないから、他国に舐(な)められるという主張もあり、アメリカ合衆国の「核の傘」も十全には信用できないとされる。
 非核三原則と核武装論の対立があり、解消されていない。
 そこで、私が提唱したい第3の道がある。
 「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼(ぎしんあんき)に陥(おとしい)れる作戦」である。
 核抑止力を行使するのに、実際に核武装する必要はない。日本が本気になれば、1か月で核兵器が作れると、某国軍部(ぼうこくぐんぶ)は潜在的な恐怖心を抱いているのだから、そこにつけ込むのである。
 また、日本には人工衛星打ち上げの技術があるので、その気になれば、大陸間弾道弾を開発する技術もある。
 そういう国が核武装したならば、某国からすれば、たまらない。
 具体的な作戦について述べよう。
 まず、厳重な警戒態勢で、自衛隊がカモフラージュしたと思わせる車両が原子力発電所から「何か」を搬出(はんしゅつ)する(ふりをする)。厳重な警戒態勢から、「何か」はプルトニウムの可能性が高いと思ってしまうであろう。
 しかるのちに、その「何か」を、原子力の研究機関に搬入(はんにゅう)する(ふりをする)。
 また、核兵器搭載(とうさい)のミサイル発射台らしきものも日本各地に作ってみせる。場合によっては、あからさまに、某国にミサイルを向けているふりをする。
 以上のことをやっても、その情報が某国諜報機関(ぼうこくちょうほうきかん)に入らなければ意味がないので、どこかの新聞に「特ダネ」として、すっぱ抜いてもらう。日本共産党の機関紙『赤旗』あたりにやってもらうと、説得力があるだろう。日本共産党は核武装を容認していないけれども、「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼にかける作戦」ならば協力してくれるかもしれない。
 正体不明の車両が原子力発電所から「何か」を搬出して、原子力研究機関に搬入したが、核兵器の開発を開始したのではないかと、『赤旗』が記事を掲載すれば、相当な説得力がある。
 すると、査察(ささつ)させろという意見が外国から出てくる。アメリカ合衆国には、内密(ないみつ)に、「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼にかける作戦」を伝えておいて、アメリカ合衆国軍が査察するようにし、アメリカ合衆国は「日本は核武装していない」と発表する。ところが、日米安全保障条約があるので、「アメリカ合衆国と日本はグルになっている」と疑(うたぐ)り、日本は核武装の可能性があると主張する外国が出てくる。
 そこで、今度は、右寄りの産経新聞あたりに、「現在の日本は核武装していないのに、言いがかりにもほどがある」などと社説あたり論陣を張ってもらう。こういう社説があると、むしろ、「本当のところは、日本は核武装しているのではないか」と考えてしまうだろう。
 さらには、地下核実験をしたふりもする。地下10キロメートルのところで、ダイナマイトなどを使って地下核実験をしたふりができるのかどうか、技術的なことは知らないが、日本の技術者に工夫してもらいたい。実験後の地震の揺れ方から、核兵器によるものではないとバレてしまいそうだが、その点については、偽情報を流して、新しい技術による核兵器なので、まるでダイナマイトを爆発させたような揺れ方だったと思い込ませるようにもっていきたい。
 このあたりになると、国際原子力機関(IAEA、Internationa Atomic Energy Agency)が強制査察に乗り出す。
 ところが、いくら調査しても、核武装の証拠は見つからない。「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼に陥れる作戦」なんだから、当然である。
 それでも、日本は、実に巧妙な手口で核兵器を隠しているのではないかと疑(うたぐ)ってしまうだろう。昔から、日本は外交において、自らの実力を誇示(こじ)しない傾向があるという伝統もあることだし。核武装の証拠が見つかれば、それはそれで、ある意味、安心できる事態であるが、状況証拠は、核武装しているらしいのに、いくら調べても、いつまで経(た)っても、確たる証拠が見つからないというのは、ある種、恐怖にほかならない。人間というものは、未知のもの、正体のわからないものに対して、強い恐怖心を感じるものだからである。
 なお、「『日本は核武装しているんじゃないか』と疑心暗鬼に陥れる作戦」の大きな利点は、実際には核兵器を持っていないので、莫大(ばくだい)な維持費がまったくかからないことである。
 ただし、この作戦の欠点は、某国にバレた際に、強い反感を抱かれてしまうことである。場合によっては、核兵器をぶち込まれるかもしれない。駄目じゃん。



2009年6月17日水曜日

「〇〇〇〇〇 営業中」:ラーメン屋

 西武池袋線江古田駅の南口近くにラーメン屋が3軒、集まっている場所がある。

 そのうちの1件は、知名度も高く、客の入りも上々である。つけめんが中心のお店。ドアの横に、「営業中」の看板があって、つぎのように書いてある。

「一生懸命 営業中」

 その隣のラーメン屋は、どうやら、ラーメン通の間でだけは知名度があるらしいのだが、一般の人には知られていない店の支店らしい。強気の姿勢である。つけめんがメインの店なのに、つけめんの一種といえる「もりそば」の有名店の隣に敢(あ)えて出店した。値段も隣よりも高い。内装や外観に金をかけている。しかし、客の入りはよくはない。

「魂を込めて 営業中!」

 「営業中」の看板まで強気であるが、「強気」以外になにもない店のように見える。

 この2件の向かいにあるラーメン屋は、弱気な店構えで、値段は廉(やす)いが、客も来ない。

「無我夢中 営業中!!!」

 この店には、ちょっと頑張ってもらいたい。化学調味料アレルギーなので、私は食べないが。

 ここからちょっと離れた場所に別のラーメン屋があって、スープも焼豚(チャーシュー)もメンマも、すべてが出来合いのものを買ってきて、丼(どんぶり)に載せるだけの店だったそうだ。スープすら自家製ではないというのは、まずいだろうと思ってしまう。さすがに、1年もしないうちに廃業していた。

「心を込めて 営業中」

 その店は、「心」しか込めていなかったらしい。

2009年6月15日月曜日

メルツェデス=ベンツを買う人の論理

 メルツェデス=ベンツMercedes Benzは、ドイツでは、田舎者が買い、BMW (Bayerische Motoren Werke AG)は都会に住む高学歴の人が買う傾向があるという。メルツェデス=ベンツは、日本でいえば、トヨタみたいなもんだといえなくもない気がするから、かっこいいという感じがしない。
 それでも、メルツェデス=ベンツは人気者だ。うちの生徒の保護者で、2番目に多いのがベンツ=オーナーで、3番目はBMWオーナーだ。1番目はというと、「東京のように交通機関の発達したところでは自動車は要らない」という立場だが、これは当たり前だな(笑)。

 メルツェデス=ベンツを買う理由というものが存在する。まず、例をひとつ挙げよう。

 大学の同期生は、実家が埼玉にある不動産屋で、自分の親父に「ベンツなんかに乗っているのはかっこわるい」と言ったことがあり、こっぴどく反論されたという。彼は、早稲田大学第一文学部出身で、一般に、文学部出身者は、トヨタやベンツを好まないような気がする。ちなみに、自分ならびに自分の文学部時代からの友人知人の車種を挙げてみる。

ホンダ=ビートBeat(軽自動車の2座席オープンカー。ミッドシップ=エンジン。ホンダのNSX生産中止後は、量産車で最も車高が低く、座席に坐ったまま、道路で煙草の火が消せる。それくらいに低い)
ミニMini(ローヴァーRover社のものを乗り続けている。今はBMWが新型を製造している。旧(ふる)いやつは右ハンドルなのに、ウインカーのレバーが逆についている)
マツダRX-7(ロータリーエンジンのスポーツカー。足回りがサーキット用のスパルタンな設定になっていて、気が抜けない)
光岡ビュートViewt(中身は日産サニーだが、外観はクラシックカー)
フィアット500(ルパン3世の乗っているちっこい自動車の最新版)
プジョー106(おふらんすのちっこい自動車)

 以上のように、文学部出身者は、変な自動車を買う傾向が強い(もっとも、私の交遊関係に偏(かたよ)りがあるのかもしれないが)。

 大学の同期生の親父は、不動産業を営んでおり、メルツェデス=ベンツでも、560SELやS500などを乗り継いでいる。親父は息子にこんなことを言ったそうだ。

2億円・3億円の物件を動かす商売をしているやつが、白いカローラに乗っていたら、信用されないだろう。かといって、(英国の)ジャガーJaguarや(イタリアの)マゼラッティMaserattiだと、クルマ道楽のやつだと思われ、堅実な商売をしているかどうか疑われてしまう。(アメリカの)キャディラックCadillacやリンカーンLincolnも堅実さを疑われるという点で、不可。(ドイツの)アウディAudiや(スウェーデンの)ボルボVolvoだと、よほど自動車に詳しくないかぎりは知られていないので、一定のイメージを与えることができない。だから、ベンツでなければならないのだ。不動産屋にとってベンツは、銀行員にとっての背広とネクタイみたいなもんだ

 なるほど。不動産屋は、信念をもってメルツェデス=ベンツに乗っていたんだと、みょうに感心してしまった。

 あるとき、近所の不動産屋(といってもそれほど近所ではないが)の社長に、世間話のついでに、埼玉の不動産屋の発言を話したところ、その社長も大いに感心していた。2か月後、メルツェデス=ベンツS500を買っていた。
 「掃除機くんから聞いた話は、説得力があって、あの話をしたら、女房の許可が出たので、S500を買ったよ」とうれしそうだった。

 不動産業に限らず、同じような観点から、ベンツが接待ゴルフなどに取引先の担当者を連れて行くのも適しているようだし(CタイプまではOK、Eタイプは接待用としては駄目らしい)、下取り価格もBMWやジャガーと較べても高い。また、防弾ガラスにしたり、自動車の下に爆弾を仕掛けられても大丈夫なようにしたりする場合、専門の業者がいるので、メルツェデス=ベンツを改造するほうが安上がりだそうだ。つまり、経済的な側面からも、メルツェデス=ベンツが「お得」といえば「お得」なんだそうだ。

 

2009年6月14日日曜日

ある特定の画家の日本画が不当に値段が高い理由

 日本画は、概(がい)して、世界全体での美術市場の価値からすると、値段が高すぎる傾向がある。じつのところ、一般の日本人は、鑑賞する対象として日本画を見ていない。
 では、どういうものとして日本画を把(とら)えているかというと、換金できる贈答品としてである。
 換金できる贈答品であるならば、値崩れがあってはならない。だから、ある特定の画廊は、そのために、日本画の値段が高止(たかど)まりであるようにする。
 東京のある場所にある画廊は、ある画家の日本画を3200万円で売り、購入者はその日本画を、特定の目的を以(も)って、政治家なり、官僚なりに贈る。贈られたほうは、数年後に換金したくなって、持ち込めば、その画廊は3000万円で引き取ることになっている。この場合の差額は、画廊の手数料だ。
 このシステムは、巧妙な賄賂(わいろ)のようなものである。
 このシステムを維持するには、人気がなくなった画家の作品でも、高値で引き取らねばならない。市場価値からすれば、無駄な高止まりを維持しなければ、このシステムは崩壊してしまう。
 また、世界的に有名な西洋の画家の作品は、このシステムにはふさわしくない。3200万円で売った絵が、10年後には、ヨーロッパやアメリカ合衆国で人気が下火になれば、1500万円で引き取るのが妥当な金額となっているのに、それを3000万円で引き取れば、「おかしい」と気づかれてしまう。
 絵画の価格操作がしやすいのは、海外からはさほど注目されていない日本画になる。その結果、日本画は、健全な美術市場が形成されていた場合と較べて、全体として不当に高くなっているのだ。
 その一方、ある画家が亡くなり、もともとたいした作品でもなかったということで、ある特定の画廊が、それまでに換金用絵画として売った絵も回収した後で、その画家の作品を取り扱わなくなった途端に、暴落する作品群がある。じつは、もともと、その程度の価値しなかった作品が、本来の市場価値に戻っただけのことである。
 日本画を買うというのは、「見る目」が試される行為である。数年後に20分の1の値段になる場合もあるからだ。しかし、本当にその絵が気に入ったのなら、市場価値と関係なしに、大金を支払ってもいいんだろうけど。



 この本でも、日本画の値段の仕組みに触れられている。

2009年6月13日土曜日

大人と子どもの違い:絵画の鑑賞

 大人と子どもとでは、絵画の見方はがまったく違う。
 
 子どもは、美術史の知識がなく、ただ、直観と本能とで、その絵が好きか嫌いかを考える。だから、美術史がわからないと理解できないパブロ=ピカソPablo Picassoの絵はどこがいいのかわからない。

 普通の大人は、美術史的なものも含めた観点から絵画を眺める。

 ちょっと嫌な大人は、その絵を誰が描いたか、美術史的な価値はどの程度あるのか、値段はどのくらいかを考え、値段が高いものはいい絵だと思う。

 もっと嫌な大人は、絵の額縁を見ただけで、その絵の値段の見当がつく。
 ただし、これは、美術館や画廊にも責任がなくもない。絵画の格式と、額縁の格式が、どこに行っても、だいたい一致している。絵画の世間的な評判に踊らされているのは、美術館それ自体なのではないかと思うことがある。
 私自身、額縁を見て、絵画の値段がわかる。以前のマンションの近くに画材屋兼額縁屋があって、そこで絵の具や色鉛筆や画用紙を買っていたのだが、店主自らが額縁を作っている。店主といろいろと話しているうちに、額縁の値段が見ただけでわかるようになり、額縁の値段と絵画そのものの値段の相関関係に気づいた。
 ごくたまに、額縁の値段と絵画の値段が対応しないときがあり、そのときばかりは、「ここの学芸員は、私を試そうとしているのか?」と、ちょっとどきどきする。

 ところで、人間の場合、どういうわけか、身につけているものの値段と、その人間の中身が対応しない場合が多い。これは、どうしてなのだろうか?


2009年6月12日金曜日

学生のときに語学に関して、やった勉強

 大学生のときの勉強について手短に述べよう。
 第2外国語はフランス語を選択した。大学でする予定の勉強に関しては、本来は、ドイツ語を選択すべきであったのだが、そうすると、おそらくは、フランス語にはまったく手を出さないだろうと思ったので、あえてフランス語を第2外国語にしたが、この選択は結果としては間違っていなかった。とりわけイギリスの上流階級はフランス語とラテン語を学習しており、上流階級の人々がしたためる文章には、どこかしら「フランス語的」なものがあって、ロンドンの下町の労働者階級の英語とは質が違う。英語でなにかを読む場合にも、フランス語の素養はいくばくかは必要なのである。
 大学1年生のときには、夏休みなどを除けば、英語の原書などをだいたい200ページは読んでいた。必修の英語の授業のほかに、早稲田には「語学研究所」というものがって、学生はそこでハイレベルな英文を講読することができた(ただし、ふつうの学生は授業についていけないレベル)。
 フランス語の授業でのメインとなる教科書は、「京都大学フランス語教室」が編集したもので、週2コマの授業で使用する教科書としては最も難しいレベルだったらしい。この件については、知ろうと思ったことはなかったが、こんなことがきっかけで知るにいたった。
 同じクラスのフランス文学マニアの連中が、「こんなレベルの教科書をやっていて、大学2年生になったときに辞書さえ引けば原書でフランス語が読めるようになるのでしょうか? もし、そうでなければ、適切な参考書などを指示してほしい」と、とんでもないことを6月あたりに言い出しやがった。
 私のように、英語とドイツ語の文献を読むのがメインで、フランス語はあくまでも「余技(よぎ)」である者にとっては、こうした発言をきっかけに、膨大(ぼうだい)な量のプリントが配布されて、学習量が格段に増したら、ちょっと困ると思った。
 担当講師はちょっと困って、「これよりも難しい教科書はないんだが……」と答えていた。その流れから、フランス文学マニアくんたちの要望で、希望者を対象に、これだけをおさえておけば、夏休みに自力で簡単なフランス語のものが読めるように指導することになり、夏休み前(夏休み突入直後?)に、授業以外でその講師から接続法などを習い、アルベール=カミュAlbert Camusの『異邦人』L'étrangerを大学1年生の夏休みに、ペンギンブックスPenguin Booksの英訳と照らし合わせながら読んだ。
 なお、大学1年生のときのフランス語の学習方法に関して、一般的な参考書なども読みつつ、授業に関しては律儀に予習復習をし、さらに、イギリス人向けのフランス語の入門書や文法書も紐解いた。最初の1冊目がA First Frenchとかいうタイトルだったと思う。ほかにもそうしたたぐいのイギリス人向けのフラン語の参考書を使って、時間の空いたときに英文をフランス語に、仏文を英語に訳すという作業もしていた。
 ちなみに、1年生のときのフランス語の文法の教科書の仏文和訳・和文仏訳などについて、後期試験ように、答えを印刷したプリントを作成した。当時は、まだ、たいしたワープロすらなかったので、理工学部の大学院生のコンピュータを借りて、入力し、プリントアウトした。それを配布した。数年後、12月だか、1月だかに、大学に赴(おもむ)く用があって、足を運んだら、学生食堂で、自分が作成したプリントのコピーにコピーを重ねて、文字がいささかつぶれているプリントを必死で暗記してる学生を見かけ、ワープロで打ち直して、配布するやつがいないのかと呆(あき)れた。
 大学2年生になると、ドイツ語の学習も始めた。1年生のドイツ語の授業に勝手に出席して、授業を受けることにしたのだが、名簿に載っていない学生がいると、目ざとく見つけられた。そこで、「友人から先生の授業は非常に素晴らしいと聞いたので、ぜひともドイツ語を習いたいと思い、勝手に出席しました」と嘘をついたら、たいそう喜んでくれた。本当は、時間の都合がよかっただけだったが、名簿の末尾に名前まで書き込まれ、毎回、出席をとられ、おまけに、前期試験・後期試験も受けさせられた。そのクラスで(非公式)1番だった。まあ、ハンディキャップ戦だからな。
 英語を低くはないレベルまで勉強した上で、さらにフランス語の文法をひととおり学習してから、ドイツ語を習うと、「これは英語の〇〇に相当する」「これはフランス語の〇〇と一緒だ」という部分が多くなり、学習がきわめて容易になる。英語の学習にかかる時間とエネルギーが10とすれば、フランス語で同じレベルに達するには3くらいの時間・エネルギーで、その上でドイツ語を学習すると、1くらいの時間・エネルギーで済む。そのクラスでドイツ語を勉強していると、接続法なんかはすいすいと理解できるので、まるで自分の頭が格段によくなったという錯覚(さっかく)に陥(おちい)った。
 大学3年生への進級時に専門外国語を選ぶ。ドイツ語を専門外国語にしようとしたが、1・2年次に履修した外国語でなければ駄目という規約があり、専門外国語はフランス語にした。
 大学3年次に、フランス語の発音の訓練をなおざりにしていたので、発音を少しはよくするという目的のためだけに、1学期だか、夏休みだかに、日仏学院で、2番目にやさしいフランス語の授業を受けることにした。同じクラスに早稲田大学高等学院1年生の生徒がいたので、ちょっとびっくりした。
 その学院生は、おやじにこんなことを言われたそうだ。
 「数学と漢字の読み書きと英語とフランス語がちゃんとできれば、あとは、お前の好きなようにしてよい」
 なぜ、フランス語?
 学院生によると、もともと、最低限、数学と英語と漢字の読み書きができるだけで、世の中をわたっていけるというのが彼の親父の持論で、早稲田大学高等学院では高校1年生から第2外国語が学べる(あるいは、学ばなければならない)のだから、そのメリットも生かせ、ということで、「数学と漢字の読み書きと英語とフランス語がちゃんとできれば、あとは、お前の好きなようにしてよい」となったそうだ。フランス語を入れるのであれば、個人的には、ついで、物理も入れたいところだが。それから、漢文とかも。って、こんなことを言い出したら、すべてを学習しなければならなくなるな。
 また、3年生からは、日仏学院の「上級仏文和訳」という通信添削も始めた。ところが、5回目で10点満点をとってしまった。私の悪いところは、満点をとると、モチベーションが上がるのではなく、むしろ、モチベーションが完全になくなってしまうところである。高校時代の話でも書いたが、高校1年生のときに始めた通信添削を、満点しかとれないということで、やめている。ただ、勉強方法としては、じつは、正しい。満点がとれるようだと、修正ポイントが少ないから、学力向上という点では無駄が多くなる。もっとも、性格によっては、満点をとることで調子づいて勉学に励むということもあるから、一概(いちがい)にはどちらがよいとはいいがたいが。

2009年6月11日木曜日

100人中30番目であるとはどういうことか?

 うちの生徒で、公立中学に通う、勉学意欲に乏しい2年生に訊いてみた。
 「たとえば、大まかに言って、100人中何番目くらいの成績だと、自分は勉強ができると満足できるか?」
 「100人なら、30番目くらいです」

 2006年の資料で、男子の4年生大学進学率が50%で、女子は37%くらいである。大学に進学するのは100人中45人に満たない。100人中30番目ということは、大学進学者のうち、上から3分の2、下から3分の1の位置になる。底辺学部を除いた日東駒専(日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学)に進学できない計算になる。日本大学法学部で、100人中14番目くらいでないと苦しい。
 この事実を指摘したところ、思う存分、びっくりしていた。

 また、首都圏の場合、およそ15%は中学受験を通じて、中高一貫校に進学している。その15%全員が勉強が得意というわけではないにしても、小学校から名門私立(雙葉など)に通うきわめて優秀な生徒もいる。となると、100人30番目を目指すとしても、公立中学校では、15%分(つまり15人分)を除いて考えないといけない。すると、大雑把にいって、15人を取り除いた残りの85人のうちで、15番目の成績を収めないと、全体として100人中30番目の成績とはならない。つまり、公立中学校で、100人中17番目か18番目の成績を収めないと、全体として100人中30番目の成績にはならない。この成績でも、日東駒専の看板学部には合格できない。

 数字の取り扱いは相当にいい加減だけれども、まあ、大体、こんなものだというイメージをもつとよいであろう。
 同じように、いい加減な言い方をすると、東京大学は400人に1人、東京大学・京都大学・一橋大学・東京工業大学に進学できるのは200人に1人である。
 東京大学・京都大学・一橋大学・東京工業大学・国公立医学部・旧帝国大学など(「など」とつけたのは、神戸大学なんかも一流大学に入るから)、ならびに慶應義塾・下位学部を除いた早稲田に進学できるのは、120人中4人くらいである。
 いかん、当初は、大学受験はたいへんだと述べようと思ったのに、難関大学といっても意外とちょろそうという結論になってしまった。実際のところ、勉強法を間違えなければ、ちょろいんだけど。

2009年6月10日水曜日

白バイに追いかけられたときの正しい逃げ方

 白バイ(正式名称:交通取締り用自動二輪車)に追いかけられたときの正しい逃げ方について述べる。
 もっとも、ここで述べる逃げ方は、路地のある都市部にかぎったものであって、周辺に何もないような田舎での逃げ方ではない。

 まず、オートバイにかぎらず、日本人は左折は得意だが、右折は苦手という特質に着目しておいてもらいたい。日本の道路は、英国と同様、自動車・オートバイは左側通行である。したがって、対向車線に注意しながら右折しなければならない。とりわけ、東京のように片側3斜線が普通だと、右折は面倒だし、危険だし、手間・時間がかかる。
 その結果、とりわけ、東京の場合、右折を1回するよりも、左折を3回繰り返したほうが時間的にも速く移動できることがよくある。
 東京でなくても、日本人は概(がい)して右折が得意ではない。
 以上のように、左折する癖がついているので、白バイに追いかけられると、とくに意識しないと、左折を繰り返して、白バイから逃げ回ることになる。
 そして、白バイ隊員もこのことを熟知している。逃げるオートバイを見失うと、とりあえず左折するのだ。白バイ隊員はこの原則にしたがって、追いかける。
 ということは、一旦(いったん)左折して、白バイから自分が見えない位置になったら、そのときに、つぎの十字路を右折すればよいのである。

 以上の内容は、あくまでも理論にすぎない。ただし、白バイ隊員に直接、訊(たず)ねたところ、「よく知ってるな」と感心された事実はある。しかし、実戦データがない。
 さらに、白バイ隊員の運転技量は、並のオートバイ乗りがかなうものではなく、白バイ隊員が本気を出せば、簡単に追いつかれてしまう。白バイ隊員が本気を出さないのは、あくまでも安全第一であり、本気を出さなくても、たいていは相手が自滅するからであるらしい。
 元F1ドライバーのニキ=ラウダNiki Laudaは、現役時代、強引な追い越しを仕掛けなかった。ただ、相手ドライバーの背後にピタリとついて走るだけだ。緊張に耐え切れなくなった相手が勝手にミスをした瞬間に、すかさずオーバーテイクした。いってみれば、全盛期のニキ=ラウダのように白バイ隊員は、じわりと逃げるオートバイを追い詰める。
 だから、逃げようとしないで、とっとと捕まるのが、じつは正しい。私自身、上京してからは1度たりとも、逃げたことはない。

  

 ↑このDVDを観れば、小僧が逃げても無駄だということがよくわかるよ。

2009年6月9日火曜日

大学入学までに英語に関して、やった勉強

 こんなことにそれほど需要があるとは思えないが、別のブログで高校生に質問されたので、ここで詳しく述べてみよう。
 まず、中学校のときには、学習塾には通わなかった。これは、親が教育熱心ではなかったからだろう。それと、和歌山県という田舎出身だからということもあるだろう。もちろん、そんな田舎にも、学習塾はあり、教育熱心な親が通わせている学習塾はあったが、今から考えると、そこで習った同級生の学力から考えると、ごく普通の学習塾だったらしい。田舎の基準で「ごく普通の学習塾」というのは、公立中学校・公立高校の教員のレベルを超えないということである。したがって、学習塾に通うというメリットはさほどなかったと思われる。せいぜいのところ、ちょっとだけ先取り学習をするという程度だったようだ。
 ほかのところのにも書いたことだが、とりわけ西日本の田舎の高校入試は、生温(なまぬる)い。地頭(じあたま)がよければ、塾通いしなくても、地域ナンバーワン校に進学できる。その程度に小学区制だったのだし、今でも変わらない。
 高校に進学してからは、自分が読みたいと思う書物が日本語よりも、英語・フランス語・ドイツ語に多かったので、まずは、英語の勉強に力を入れなければならないと考えた。同時に、自分の日本語の力にも不安があったので、教養を身につけるという点で、古文や漢文を、勉強しようと考えたというよりは、いろいろと読み込んでおいたほうがよいと考え、実際に、読み込んだ。
 現代の日本語しか、わかっていない人間は、所詮、現代の日本語も理解できていない。少なくとも、英語・古文・漢文はできないと駄目だと考えている。
 英語の文法の関しては、『総解英文法』『新自修英文典』という分厚い文法書を読んだ。
 中学3年生のころから、1000単語レベルとか、1500単語レベルとかの、いわゆるrewrite(リライト)あるいはretold(リトールド)と呼ばれる英語の本を読んでいた。有名な作品を一定の単語レベルで書き改め、かつ、短くしたものだ。中学生のときに読んだものでは、「イノック=アーデン」Enock ArdenというテニスンTennysonの物語詩の書き直したものや、『不思議の国のアリス』Alice's Adventure in Wonderland のrewriteが記憶に残っている。あまり心に残っているわけではないが、チャールズ=ディケンズCharles Dickensの作品のリライトはけっこう読んである。
 これは、「自然な英語」の習得という点では、よくない部分もあったと思う。使用できる単語に制限を加えているのだから、おのずと、不自然な英語になるのは仕方ない。
 リライトでないものとなると、オスカー=ワイルドOscar Wildeの「幸福な王子」The Happy Princeなどを原書で読んだが、童話だから日本の高校生でも簡単に読めると思いきや、苦労した。童話だからといって、なめてはいけないということを知った(これは、大学生で『星の王子さま』をフランス語で読もうとして、接続法をなめちゃいかんなと思ったのと同じだ)。
 Asahi Weeklyという学習用の英字新聞を中学3年生から読んでいたが、英語の難しさによって、星1つ(★)から、★3つだか、そのくらいに分類していたが、最初は、配達される毎週、日曜日の午前に星1つ(★)の記事から、読んでいた。そのとき、流行している英語の歌の歌詞が載っていたりして、けっこう、楽しかった。
 辞書を引きながら、なんとか読みこなせるようになったと思った高校2年生のときに、Asahi WeeklyからThe Japan Timesに変えたところ、あまりよくは理解できなかったので、これは3か月で講読するのを止めた(ちなみに、The Japan Timesのクロスワードパズルは、いまだに、クロスワードパズル用の専用辞書がなければ解けない)。
 高校1年生のときに、マイナーな通信添削を始めたが、満点しかとれないので、これはやる意味がないと思って止めた。高校2年生になってから、やる意味のある通信添削があると聞いて、Z会を始めた。途中で、数学はこれほどのレベルは必要ないだろうと考えて、参考書での学習だけにして、英語と国語を続けた。
 当時のZ会は、大学別のコースがあるわけでもなく、ただ、英語の長文が出題されて、「訳せ」、日本語の文章が出題されて、「訳せ」というものだった。これは、なかなか歯ごたえがあった。たとえば、経済学者が書いた普通の著書の一節を長めに抜粋して「訳せ」となっていて、経済学の一部くらいは知らないと、辞書と文法書では歯が立たないものだった。百科事典を紐解(ひもと)いたり、新書などで関係しそうなものを読み込んだ。
 なお、岩波新書や講談社のブルーバックスBLUE BACKSは中学2年生のときから日常的にというほどではないが、比較的よく読んでいた。中学1年生のときに読んだ『パズル・物理入門』が、最初に読んだブルーバックスだった。高校生になってからは、新書のたぐいは、だいたい年間100冊くらいは読んでいた。 
 英語の勉強でいちばん大事なのは、じつは、教養を身につけることだろう。そこに書かれている内容を理解する教養がなければ、辞書を引こうが、文法書を紐解(ひもと)こうが、理解できないからだ。
 自由英作文を書いて、イギリス人やオーストラリア人の教師に添削してもらっていた。「書く」という作業を通して、一般の英文を読む際に、なぜ、複数形なのか、なぜ、単数形なのか、なぜ、定冠詞のtheがつくのかなど、英文の細かい部分もわかるようになり、これはきわめて効果的だったと思う。
 聴き取りについては、ロックRock 'n' Rollなどの歌詞を憶えてから、その曲をかけっぱなしにしていたり、朗読テープのスクリプトを机の前に貼って、ひたすら、テープをかけ続けていた。これくらいのことしかしていない。聴き取りのために、必死で取り組むということはしなかった。
 英英辞典は、高校1年生のときから使っていた。最初は、研究社の『新英英辞典』を使っていたが、すぐにOxford Advanced Learner's Dictionary of Current Englishに換えた。4冊くらい引き潰(つぶ)している。今は、基本的に辞書は引かないのだが、訳語探しに、ときどき、『英辞郎』を、細かい語義・用法が気になるときには、Collins COBUILD English Dictionaryを使っている(特定分野の専門用語は除く)。
 なお、研究社の辞書や参考書は、どれもこれも使っていない。どうも、「英語しかできない人」が作っているようである。早慶以上の大学入試で研究社が間違っているときは、英語の知識が足りないからではなく、教養(理数系のみならず、人文系や社会学系の教養も含む)やフランス語・ラテン語の知識がないので、間違っていることが多いようだ。こうしたことは開拓社・旺文社などにも見受けられる。研究社の『英和中辞典』の例文には間違いが多すぎると、副島隆彦が『欠陥英和辞典の研究』(宝島社)で煽動的(せんどうてき)なかたちで指摘し、そのことで研究社が副島隆彦を訴えた。裁判の結果は宝島社が400万円を研究社に支払うことなった。批判の仕方が「過激すぎた」という理由によるものであり、批判内容そのものが否定されたわけではなかったようだ。その後、批判されないような間違いのない例文にしようとした研究社はOxford Advanced Learner's Dictionary of Current Englishから例文をパクリまくり、オックスフォード大学出版局から訴えられた。
 問題集に関しては、適当にいろいろとやったが、記憶に残っているのは、駿台文庫の『基本英文700選』『新・英文法頻出問題演習』『英文解釈教室』と、Z会の『英文解釈のトレーニング』『英作文のトレーニング』などをこなした。『英文解釈のトレーニング』には「基礎編」と「必修編」があったように記憶している。当時のZ会の英語と国語の問題集はすべてこなしたと思う。
 駿台予備学校講師だった伊藤和男の『新・英文法頻出問題演習』『英文解釈教室』は、本人が東京大学哲学科出身ということもあってか、向いている人には向いているが、そうでない人にはとっつきにくいらしい。知能指数が高くなく、かつ暗記に長けている人は、桐原書店の『即戦ゼミ大学入試英語頻出問題総演習』がよいようにも思うが、難関大学向きではない気がする。同時に、量が多すぎて、中堅大学受験にも適していない気もする。要するに、どこにも適していない気がする。いや、『即戦ゼミ大学入試英語頻出問題総演習』は上智大学・青山学院大学には適しているかもしれない。
 「英文解釈」に関しては、ほかにも何冊か読んだが、サイドリーダー代わりに読み散らした。ほかに、有名な文学作品の有名箇所や、有名な演説のさわりなどが載っていて、註などがついているものがよかったという気がする。英文解釈の参考書のほとんどは、大学の入試問題から採っているので、英語そのもの勉強には、ズレているところがないこともないと感じる。原書で数冊、読み込むほうがよい気がするが、そういうことは、普通の人の場合、大学に入ってからすることなのであろう。

 大学受験では、3科目の受験科目のうち、2科目で合格点がとれていたのが過去問5年分のうち、2年分あり、残りの3年分についても、2点から7点とれば、合格最低点だったので、早稲田大学第一文学部だけを受験したら、不合格になった。この経緯(いきさつ)については、PROFILE(お笑い編)を参照。
 予備校時代の英語の勉強は、予習中心主義だった。一般には復習中心でやるのが効率がよいとされるが、自分には合わなかった。しかし、他人には予習中心主義は勧めない。ほぼ完璧に予習ができるには、相当な学力が必要だからだ。
 毎週、教材のうちから長文をひとつ選んで、日本語訳を見ながらであれば暗唱できるようにしていた。週に1つくらいの割合で、1000単語くらいの文章を暗唱できるようにしていた。こういうのを聞くと、暗記力にすぐれていると思うかもしれないが、知識というものは、雪だるまと同じで、最初は少しずつだが、あとになればなるほど、唯だるまでいえば、急激に大きくなるものなので、たとえば、知識量が50倍あっても、勉強量は8倍くらいであったりする。それを知らないと、他人と自分の能力差を、実際以上に大きいと勘違いしてしまう。
 大学受験までにエリッヒ=フロムErich Frommの『自由からの逃走』Escape from Freedomを読み終えていた。エリッヒ=フロムはユダヤ系ドイツ人の精神分析学者で、移住先のアメリカ合衆国で英語で著(あらわ)したものなので、英文は読みやすいが、ところどころ、正しくはこう書いたほうがいいんじゃないかという部分がなくもない。本人による地の文は難しくないが、1箇所、むやみに難しいところがあって、そこは、引用だった。
 ほかに、英語で読んだものはつぎのとおり。
 ミシェル=フーコーMichel Foucaultというフランスの哲学者が、前半を自らが英文で、後半は本人がフランス語で書いたものを英訳した短い論文。
 ルートヴィッヒ=ヴィトゲンシュタインLudwig WittgensteinのThe Blue and Brown Booksを途中まで読んでみたが、なにが言いたいのか、わからなかった。中身がわかるようになったのは大学に進学してからのことだった。
 アーネスト=ヘミングウェイEarnest Hemingwayの『老人と海』The Old Man and the SeaとJ. D. サリンジャーJ. D. Salingerの『ライ麦畑でつかまえて』The Catcher in the Ryeは、よくわからないところは飛ばしながら読んだ。『老人と海』は話がわかったが、『ライ麦畑でつかまえて』は英語だけだと、わけがわからなくなり、読んだというよりは、活字を眺めただけだったといえる。邦訳を読んで、「こんな話だったのか」と思ったくらいだ。予備校の同じクラスに灘高校出身の生徒がいて、当時の灘高校では、高校2年生の夏休みの宿題で『老人と海』を原書で読むというのがあったと聞いて、びっくりした記憶がある。
 ジョージ=ミケシュGeorge Mikes(ハンガリー人なので、Mikesと書いて「ミケシュ」と発音する)のHow to be an Alien(外国人のなり方)は、大爆笑しながら読んだ。大学進学後には同じ著者によるHow to be Poorも読んだ。なお、How to be an Alienはつぎのサイトで無料で読めるよ。
 夏休みには、夏期講習を受けずに、ちょっくらイギリスにホームステイした。How to be an Alienに書いてあるとおりだったので、これまた大笑いだった。そこで、なんとはなしに、The Pitman English for Speakers of Other Languages (ESOL)のAdvanced Levelを受験したら、合格した。ブリティッシュ=カウンシルによればTOEIC換算990点以上に相当するとか、別のもので910点以上に相当するという資料を目にすることがあったが、当時の自分がTOEICを受験していても、850点くらいしかいかなかったと思う(今更(いまさら)、TOEICは受験できない心境である。満点をとってもうれしくなれない試験は受ける気がしない)。イギリス系の英語検定は、単なる暗記よりも教養などを重視するところがあるようで、長い自由英作文で、イギリス的な気の利いたことを書かないといけないようだったと思うし、今でもたぶんそうだろう。TOEICが満点でも不合格になるし、細かいアメリカ英語を知らなくても、英語での文章力があれば、合格できるものであるように思う。その一方で、実用英語検定1級取得者が多数、不合格になっていたから、それなりに難しい試験だったのだろうけど、試験の質が違うのだろう。TOEICは丸暗記しかできないタイプでも高得点ができるように感じており、事実、TOEICが高得点で、国連英検も受験しているが、イギリス系の英語検定は受検していない(あるいは受験したけど成績が振るわないので隠している)のが多いようだ。自分がPitmanのAdvanced Levelに合格しているのは、たぶん、大量に新書を読んでいたということと、普段から、日本語であれ、英語であれ、文章を書いていたからだろう。
 予備校に通っている間、夏休みを除けば、予備校の寮の近くにある英会話学校に週に1回通っていたが、講師のカナダ人(トロント大学卒業)は大麻不法所持で捕まって、強制送還になっていた。この講師に、ミシェル=フーコーMichel Foucaultの短い論文を見せたところ、「こんなのが読めるやつが不合格になるような大学が日本にあるのか!? 日本って、すごいな」と感心され、不合格になった早稲田大学よりも難しい大学は、ほかにも東京大学・京都大学・一橋大学・東京工業大学・東北大学などいろいろあると答えたら、さらに驚かれた。

 以上にしたためたことが、だれかの役に立つようなことがあるのか、疑問である。
 需要がなさそうだが、のちに、大学編も書こう。

2009年6月8日月曜日

「普通がいちばん」というのは、本当か? あるいは「普通」にはなりたくない。

 「普通がいちばん」と言われると、だれもが「そういうものかな」と思う。

 ところがよく考えてもらいたい。
 まず「普通」とはなにかを考えてみよう。「普通」とは、「平均」ではなく、「最頻値」である。たとえば、年収に関して、年収10億円の人がひとりいて、年収300万円の人が99人いたとすると、(100000万円+300万×99人)/100人=1297万円となるが、この平均が「普通」なのではなく、多数派の300万円が「普通」といえる。

 このような観点、最頻値から、日本人の「普通」というのを考えると、つぎのようなことになる(かもしれない)。

年収300万円台である。
都市居住者である。
1戸建てには住んでおらず、マンション・アパート住まいである。
高卒である。
中学校で習ったことはほとんど憶えていない。
高校数学はまったく理解できず、中学数学はほとんど理解できない。したがって、数字でものを考えたり、場合わけしてものを考えたりすることができない。ましてや、対偶(たいぐう)でものを考えることができない。
20年先、30年先のことを考えた行動ができない。
髪と目は黒で、髪は直毛である。
欧米人と較べて、手足が短い。
欧米人と較べると、皮下脂肪が厚く、にきびになりやすい。
これまた欧米人と較べて、身長に対して顔(頭)が大きい。
一重瞼(ひとえまぶた)である。
自動車・オートバイは持っていない。
男性の場合、あえて聞かれたときには、とりあえず「野球はジャイアンツ=ファン」である。サッカーにはそれほど興味はないが、ワールドカップ関連のニュースがあるときだけ、気にかける。ほかのスポーツについては、だれかが世界レベルの大会で優勝するか、マスコミが煽(あお)ったりしないかぎり興味はない。
学歴なんかは関係ないと思っているが、近所の人が東大卒だと聞くと、なぜかビビッてしまう。
難しい大学の出身者は、ときどき、理解できないことをいうと思っている。
学校で習う勉強なんか、世の中に出たら、なんの役に立たないと思っているが、「学校で習う勉強が役に立たない仕事」に自分が就いているという事実に気づいていない。
結婚したことを後悔している(私の調査では、生まれ変わっても今の奥さんと結婚しますかと、奥さんのいないところで訊くと、全員が厭(いや)だと答えた)。
自分の子どもはかわいいと思っている(ただし中学2年生まで)。
癌(がん)か、急性心筋梗塞(きゅうせいしんきんこうそく)か、脳卒中(のうそっちゅう)で死ぬ確立が高い。
英語をはじめ、外国語で本が読めない。英会話すらできない。
古文・漢文も読めない。
物理で使う記号にギリシア文字があるということを知らない。
常用漢字表で書けない漢字がある。
間違った筆順でおぼえている漢字がある。
楽器の演奏はできないが、カラオケは好きだ。
自転車に乗れる。
普通自動車(一種)の運転免許は持っているが、それ以外(大型・特殊・二種・自動二輪)は持っていない。

 適当にしたためてみたが、「普通」にはなりたくないと思った。しかし、3分の1は自分に当てはまっている。とほほ。



2009年6月7日日曜日

円の中心はなぜ、O(オー)なのかと訊かれて困った。

 「円の中心O(オー)」というけれど、なぜ、「O(オー)」なのかと小学生に訊かれて、困ってしまった。
 円の中心ということは、「点」であることは間違いない。点はふつう、pointからとって「点P」を使う。そのつぎに登場する点は「点Q」となるが、「Q」はアルファベットで「P」のつぎの文字である。
 一方、「O」はアルファベットで「P」の直前の文字である。円の中心といういわば特殊な点なので、通常の点を示す「P」はやめて、「P」の直前の「O」にしたのではないかと考えた。
 そこで友人に問い合わせてみた。
 「『原点O』と同じで、originから採っているのではないか!?」
 あ、それがあったか。

 それはともかく、面積Sはsquareから採ったものだと思っていたし、たぶん、多数派はsquareに由来すると思っているだろう(じつは、これだと四角形の面積にしか当てはまらない)。また、surface areaに由来すると考えるむきもあるだろう。
 ところが、以下のリンク先の記述を読むと、sumまたはsummationの頭文字から採ったという説が、説得力があるように思えてくる。

面積を表す文字になぜSをつかうことが多いのか

2009年6月6日土曜日

『悪問だらけの大学入試』に関するこのブログの記事がだれかに「検索結果から除外」されていた。

 だれかに、このブログ「掃除機庵主人日乗 l'homme révolté」の記事が「検索結果から除外」にされていた。
 「検索結果から除外」について、まず、説明する。
 最近になって、Googleの検索結果に、題名の右横に四角いボックスが2つ並ぶようになり、ボックスの左側には「↑」(上向き矢印)が、ボックスの右側には「×」(バツ印)が表示されている。
 「↑」のクリックは、「順位を上げる」ものであり、「×」のクリックは、「検索結果から除外」するものである。

 このような工作活動に気がついたのは、「アクセス解析」を調べてみたところ、ある英文(の一部)で検索して、「掃除機庵主人日乗 l'homme révolté」にある「『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その4)」を訪問した者がいるのに、同じ英文(の一部)で検索しても、「『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その4)」にたどりつけないようにされていた。調べてみたところ、(その1)(その2)も検索結果に出てこないように工作されていた。(その3)だけは読まれてもかまわないらしい。

 これらの記事を読まれると、非常に困る人あるいは団体がいるようなので、ここにリンクを貼り、おまけに、再録もしておく。さらには、べつのブログやウェブサイトにも記載する予定だ。





 ということで、以下は再録。リンクを削ったり、多少編集してある。

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『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その1)(12.22.2008)


 2000年に河合塾の丹羽健夫が集英社新書から『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』という新書を出した。
 当時、新聞や週刊誌の書評欄では、日本本土への初空襲の爆撃機の名前や空襲を指揮した中佐の名前などは憶えたくはないなどと、ある大学の入試問題がこてんぱんに叩かれた。その問題はつぎのとおり。

日本本土への初空襲は、1942年4月18日、航空母艦ホーネットから発進した( 1 )中佐指揮の( 2 )爆撃機16機によるものであったが、これはアメリカ国民の戦意高揚が大きな目的であった。この空襲は、開戦初期の勝利感に酔っていた日本軍部に大きな衝撃を与えた。

 これだけを目にすると、「これはひどい」「悪問だ」と感じるかもしれないが、しかし、くだんの大学入試では選択肢が与えられており、そこから推測することは可能である。
 まず、初空襲を指揮した中佐の名前であるが、選択肢にあるなかで、アメリカ人の名前らしきものはつぎの3つしかない。

ハルゼー ドゥリットル マッカーサー

 マッカーサーは、のちにGHQ総司令官となっているので、そのような人物が、中佐という高くはない階級とは考えられない。ハルゼーとドゥリットルが残る。受験というものは、どんな問題でも確実に正解しなければならないわけではなく、ここで2分の1の確率でどちらかを選べばよいだろう。戦史マニアならば、ハルゼーが第3艦隊司令長官だということを知っているだろうが、そこまで知っている受験生は、その分、英語や国語ができないので、気にしなくてよい。
 受験では、すべてを知っていなければならないわけではない。ここで、簡単に説明しておく。60%正解できれば合格できるとする。自分の知識で確実に正解できるのが30%だとすれば、残りの70%の問題を選択肢2つにまで絞り込めれば、確率上は、70%の半分である35%が正解となり、合計で65%が正解しているので、合格となる。したがって、完璧に正解がわかる問題が60%以上である必要はない。

 つぎに、初空襲時の爆撃機の名前であるが、これも選択肢からつぎの3つに絞り込める。

B17 B25 B29

 B29は太平洋戦争の末期に投入された爆撃機である。Bはbomber(爆撃機)の頭文字だ。17、25、29などの数字は、正確ではないが、だいたい、開発の順番を示している。ということは、大戦末期に投入されたのがB29だということがわかっていれば、1942年の爆撃に使用されたのはB25あたりではないかと見当がつけられる。たかだか2年くらいのうちに、爆撃機を何機も開発できるはずがないと考えるのが妥当である。実際、正解はB25である。
 もちろん、これを悪問だとする人のなかには、B17だって第2次世界大戦初期にヨーロッパ戦線で活躍していたと主張するかもしれないが、これは知識の有無を試しているのではなく、常識の範囲内で、妥当な推測ができるかどうか、つまり、地頭(じあたま)がよいかどうかを試している問題であって、むしろ、知識偏重を否定している問題であるといえなくもないのである。むろん、中途半端な戦史マニアは、B25よりもB17のほうが活躍していたからと、誤答してしまうかもしれないが。
 当校には、大手予備校に通いながら、週1日だけ受講している受験生もおり、大手予備校での授業内容を耳にする。実際、対処方法がわからない問題に関して、悪問と騒ぐよりも推測などの対処方法を指導すべきであろう。

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『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その2)(12.23.2008)

 つぎのような問題も推測すれば正解できるようになっている。

栄西より日本茶が中国からもたらされたのは西暦何年か。
①1250年 ②1191年 ③1320年 ④1110年

 栄西について、受験生ならば、最低でもつぎの知識は備えているだろう。すなわち、栄西は、鎌倉仏教と呼ばれる宗派のうちのひとつである「臨済宗」の創始者である。
 栄西が、何年に、宋にわたり、戻ってきたのかを知っている必要はない。
 ポイントは、彼の宗旨・宗派が、「鎌倉新仏教」に分類されている点である。時代区分がその名称につくものは、たいてい、その時代の最初のころに登場したものである。
 たとえば、「昭和維新」とは、昭和初期に起こった国家改革の標語である。
 平安仏教といえば、真言宗と天台宗である。場合によっては、融通念仏宗も含むことがあるが、一般的ではない。平安時代は794年に始まり、1185年(ないしは1192年)まで続いている。真言宗も天台宗も9世紀初頭に、日本に持ち込まれている。真言宗も天台宗も、800年代に登場しているわけだ。
 もしも「昭和の歌姫」を選ぶとするならば、昭和20年から活躍した美空ひばりがふさわしいだろう。ただし、山口百恵という反論は認める。しかし、中森明菜は「昭和の歌姫」の称号には無理がある。登場が遅すぎるからだ。
 以上のように、時代を表すことばが伴うものは、その時代区分の初期に登場している。
 栄西の臨済宗が鎌倉仏教に数えられるという最低限の知識から、正解が得られる。選択肢の年号を並べなおそう。

1110年 1191年 1250年 1320年 

 鎌倉時代は、1185年(かつては1192年)から始まり、1333年に終わる。
 すでに述べたことからわかるように、臨済宗が鎌倉仏教に分類されるのであれば、栄西が活躍したのは、鎌倉時代の初期であるはずである。
 となると、1110年は、鎌倉幕府の始まりよりも75年(ないしは82年)も前のことなので正解ではない。
 1320年は鎌倉幕府崩壊の13年前なので、これも正解ではない。
 また、ちゃんと勉強している日本史選択者であれば、臨済宗が鎌倉幕府の庇護を受けたという事実は知っているはずであるが、かりに、栄西が宋から戻るのが1250年であれば、鎌倉幕府の庇護を受けたというのは考えづらくないだろうか? ある体制が整ってから50年以上も経過してから、幕府公認の仏教となるとは考えにくい。このあたりにまで考えることができれば、1250年も正解であるはずがないと判断できる。
 以上の推測を成り立たせるために、出題者は意図的に「1110年 1191年 1250年 1320年」という選択肢を用意したのであろう。
 つまらない瑣末(さまつ)な知識を憶えておけというのであれば、たとえば「1188年 1191年 1197年 1201年」という選択肢を用意していたはずである。
 出題者は、日本史で「稼(かせ)ぎ逃げ」をされないようにしつつ、地頭(じあたま)のよい受験生ならば、得点できるようにと選択肢を工夫しているのである。

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『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その3)(12.24.2008)

 もちろん、河合塾が指摘するとおり、悪問と呼べるものが多数存在する。しかし、大学入試の出題者は、意識的に悪問を出題しているようであり、そのことを指摘して、受験指導に役立てるようにするべきであろう。
 そもそも、私立文系の場合、大学側は社会科の選択科目で「稼ぎ逃げ」をする学生は好まないようである。だから、日本史・世界史・地理などで稼(かせ)ぎ逃げができないように難問を出すのだ。関西の大学に見られるのだが、英語・国語・日本史(世界史・地理)の配点を、英語200点・国語150点・日本史(世界史・地理)100点という具合に傾斜配点にして、英語・国語が苦手な受験生が合格しにくくする。
 同じ配点にしているところは、そのかわりに、難問・悪問を多くしている。
 社会科の選択科目で得点を稼(かせ)いだ学生が、入学後の大学での成績ではあまり成績が振(ふ)るわないというデータもある。
 内部でしか明らかにされなかったのであるが、小論文導入以前の早稲田大学第一文学部(現在の早稲田大学文学部。昔の東京専門学校文学科・哲学科)で、過去10年分の入学者の入学試験での得点状況と入学後の成績との相関関係を調べ上げたことがある。結果はというと、入学試験での英語の成績は入学後の大学での成績に強い相関関係があったが、日本史・世界史などの社会科では、あまり相関関係が見られなかったそうだ。つまり、入試での英語の成績のよかった者は大学での成績もよく、英語の成績の悪かった者は入学後の成績も悪いという傾向にあったわけである。その一方で、日本史や世界史で高得点であった者は、成績がよい傾向にあるわけでもなく、入学後の学業成績にはなんの関係もなかった。
 入学試験での日本史や世界史の成績のよさが、入学後の学業成績をなんら担保(たんぽ)しないのであるなら、入学試験としてあまり意味があるとはいえず、単に浪人生に有利になるだけにすぎないということから、選択科目をなくして、英語・国語・小論文という形式に変更したそうである。(もっとも、これは後に、西洋史学専修・東洋史学専修・日本史学専修の人材不足を招いたことから、再び日本史・世界史を受験科目に加えたようだ。)
 難問・悪問を出題する大学は、どうも、社会科で得点を稼ごうとはせず、英語・国語に力を入れなさいというメッセージを発していると私は考えている。

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『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その4)(01.18.2009)

 この本ではまた、つぎの問題を掲げて、「複数解答が出てしまう」と述べている。

The phrase information revolution is often used in the media to describe the (1)radical change in recent society which (A) the widespread diffusion and use of computers in everyday life. (以下略)

設問1. 下線部(1)から(4)の意味として最も適切なものを一つずつ選べ。

(1) a. acute b. fundamental c. progressive d. recent

 これに対して、つぎのようにコメントしている。

設問1 (1) のradicalの意味については a. acuteとb. fundamentalの複数解答が出てしまう。

 acuteも正解だとする感覚が信じられない。
 そもそも、acuteは、「急性アルコール中毒」の「急性」にあたる語であり、小さな辞書でも、acute pain(げきつう)が掲載されている。acuteを正解の候補とする時点で、入試問題などを除いた英文をふだんから読んでいないと告白しているようなものである。
 しかし、一般の高校生の場合、英文での読書量が少なく、用法・用例からは正解にたどりつけない場合もあるだろう。
 その場合は、「語源」から考える。
 radicalの語源は「root」を意味するラテン語のradixに由来する後期ラテン語のradicalis(を持っている)である。
 acuteは、「鋭くする」の意味のacuereの過去分詞acutusからきている。「」とはなんの関係もない。基本となる訳語は、「鋭い」や「(病気が)急性の」である。
 一方、fundamentalはというと、「基礎base」「底bottom」の意味のラテン語のfundusに由来している。そもそも「本からの」の訳語があり、さらには、「〈和音が〉基本形の」の意味もあり、これは、音(root)を最低音を最低音とすることについていうものである。
 どうして「複数解答が出てしまう」と考えるのか理解に苦しむ。
 こうした問いを設けているのは、辞書を引くときにはふだんから語源などにも目を通しておけという出題者からのメッセージなのであって、単語集を使って、日本語の意味だけを憶えているようでは的確に正解がわかるようにはならないということを告げているのだ。
 西洋由来の学問を勉強すると術語[=専門用語]の解説に際して、頻繁に語源に言及されるということがわかっていれば、なんの苦もなく正解がわかる。どうやら、著者はアカデミックな知識がかけらもないようである。
 自分が簡潔に説明できないからといって、悪問と決めつけるのは困ったことだ。

 河合塾は意図的にこうしたことを煽(あお)っているのであろうことはわかる。ビジネスの基本はボリュームゾーンを狙うことである。対象となる顧客を最大にすることだ。偏差値63以上の受験生を対象にすると、上位の10%しか顧客になりえないが、偏差値37から63までの受験生を対象にすると、80%がカバーできる。つまり、この本は、偏差値63以下、あるいは偏差値58以下の受験生が抱きそうな不満を代弁しているにすぎないのかもしれないのだ。
 また、大学入試問題の作成請負を行なうに当たっての宣伝もあったのだろう。実際、委託している大学は少なくないそうだ。
 金儲けの臭いのするものは、やはり信用すべきではない。

 著者は「やはり大学は正解を発表すべきであろう」とも述べているが、そうなると、どうしてそれが正解なのかを理解できない、あるいは公表された正解を、自らの思い込みから間違っていると判断した予備校から問い合わせが殺到するであろう。そうなると、なぜ、それが正解なのかを説明しなければならない。それを説明すると、出題の意図が知られてしまう。
 大学受験で試している能力は、ものごとを理解して憶えていることだけではない。過去問を解く作業を通して、どんな出題傾向なのか、どういう選択肢が正解となることが多いのか、そういった「規則を見出す」能力も試している。そう考えないと、出題者がいくら変わっても、あれほど出題傾向を維持しているのを、偶然と考えるには無理がある。正解を公表して、正解の根拠を示すと、手の内がばれてしまう。「規則を見出す」能力の持ち主が有利にならなくなる。そうなると、暗記に長けた者ばかりが合格することになる。これは大学にとって避けたい事態であろう。

 著者はまた、悪問を出題する大学の代表例として早稲田大学を槍玉(やりだま)に挙げている。すでに述べたことだが、「捨て問」はあっても、それほど悪問はない。
 資料を探す時間がないので、具体例は挙げないが、以前、つぎのような出題が早稲田大学法学部であった。
 下線を施した単語の意味を訊ねる設問だが、駿台予備学校のハイレベル模試でコンスタントに偏差値75以上がとれる受験生でもさっぱりわからないはずの単語だった。しかし、その年度のその設問だけを見て「悪問だ」と騒いではいけない。
 その単語は、3年前の入学試験の長文の中に登場していた。その年度では設問に関わりがなく、知らなくても問題は解けるようになっていた。
 3年後に、その単語が出題されたのであるが、早稲田らしい意地の悪い出し方をしていた。3年前の長文で使っていたのとは違う意味でその単語を使っていたのである。正確に述べると、別の意味というよりは、同じ綴(つづ)りだけれども、辞書では別の見出し語となっているほうの意味で出題していた。
 これはどういうことか?
 3年前の過去問の長文を自力で辞書を引きながら、考えつつ訳した受験生だけが正解できる設問ということである。他大学が第1志望の受験生は、第1志望でない大学・学部の問題を丁寧に自力で訳してみたりはしないだろう。また、単なる滑り止めの場合だと、3年分も解かないことが多い。
 つまり、第1志望にしており、丹念(たんねん)に辞書を使って自力で訳したことのある者だけが、得点できる設問だったのである。
 以上のように、時系列を踏まえれば、悪問でもなんでもない問題だったのである。悪問と騒ぐ前に、対処方法を伝えるべきであろう。
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買って読むほどの本ではない。

2009年6月5日金曜日

17の自乗(2乗)が289であることの憶え方

 高校受験用の数学の問題集で、約分や素因数分解では、17の自乗(2乗)を憶えていると、計算でまごつかなくなる。一般には、11の自乗(2乗)から20の自乗(2乗)は憶えておくようにと、中学校の教師は指示するが、20の自乗(2乗)は400ということがわかるので、実際には、11の自乗(2乗)から19の自乗(2乗)まででよい。
 実際には、17の自乗(2乗)で、つっかえる生徒が多い。
 そこで、17の自乗(2乗)を語呂合わせで憶えるのを考えた。

稲庭饂飩(いなにわうどん)、喰う?

 い(1)な(7)に(2)(8)、うどん、く(9)う?

 正仮名遣い(せいかなづかい=旧仮名遣い)だと、

 いなにうどん、くふ?
 い(1)な(7)に(2)(8)、うどん、く(9)ふ?

 これは憶えやすいぞと思ったが、うちの生徒は、だれも「稲庭饂飩」を知らなかった。
 素麺(そうめん)でいうと、「揖保乃糸(いぼのいと)」ほどではないにしても、「三輪素麺(みわそうめん)」よりは知名度があると、個人的には思っていたので、ちょっとびっくりした。

 それにしても、自乗(2乗)の数って、計算していれば、自然に憶えてしまうものだと思うのだけど。

2009年6月4日木曜日

嘉手納弾薬庫地区

 米軍(アメリカ合衆国軍)の空軍と海兵隊が管理する嘉手納弾薬庫地区(かでなだんやくこちく)Kadena Ammunition Storage Areaが沖縄にあるので、以前から、沖縄には行きたいと思ったことがない。
 アメリカ軍の弾薬が最も多く保管されているのが、沖縄だ。本土(ハワイ州・アラスカ州などを除く)には、それほど弾薬は保管されていない。当然といえば当然であるが、アメリカ合衆国は本土で対外戦争をしたことがない(独立戦争を除く)。
 最近では、アフガニスタンに展開したり、イラクに戦争をふっかけたり、湾岸戦争を起こしたり、1970年前後だとベトナム戦争を遂行(すいこう)したりである。
 弾薬が必要になるのは、中東であり、東南アジアである。本土に弾薬を保管するよりは、日本の沖縄に保管するほうが、理に適(かな)っている。
 日本とアメリカ合衆国とが、日本の近くにあるよその国と戦争状態になった場合、アメリカ軍や自衛隊の駆逐艦や基地などを急襲すると同時に、ほかにどこかにミサイルを飛ばすかを考えると、兵力に余裕があればということになるが、当然、弾薬庫を標的にするはずだ(弾薬庫も基地の一部だが)。
 駆逐艦や戦闘機があっても、弾薬・ミサイルなどがなければ、補給が完了するまでは、有効な攻撃ができない。
 ハワイあたりから弾薬を補給するとしても、うまい具合に嘉手納弾薬庫にミサイルを落としておけば、数日は弾薬なしの状態になる。
 以上のことから、たとえば、定年退職してから、沖縄で暮らすなどということは、怖ろしくて、とてもじゃないが、自分にはできない。
 ところが、アメリカ軍も、私が思いつくようなことは充分に想定しており、たいした迎撃システムを構築しているらしい。となると、人口密集地である東京23区で暮らすよりも、もしかすると、嘉手納基地の近所で暮らすほうが、よっぽど安全かもしれない。だけど、騒音がなあ。



2009年6月3日水曜日

英国の数学教育:日本とのちがい

 日本で、多項式と多項式の乗法はつぎの順序で計算する。

(a + b)(c + d) = ac + ad + bc + bd

 ところが、英国では、こんな順番だ。

(a + b)(c + d) = ac + bc + ad + bd

 理由はわからない。
 個人的には、どの順番でもかまわないと思っているのだけれど、指導するという点では、生徒の間違えたポイントをすばやく見つけるためには、全員が同じ順序で計算するように指導したほうがよいという考えがあり、それに対して、異論はない。

 つぎは、円周率について述べる。
 日本の小学生は、円周率は3.14で計算する。一方、英国では、22/7(7分の22)で計算する。
 建築なんかで設計するときは、3.14で充分に間に合うそうだ。温度によって金属は膨張(ぼうちょう)したり、収縮(しゅうしゅく)したりするし、湿度によってもいろいろと変化する。だから、それほど細かい数字は必要なくて、3.14159265くらいで計算しなくてよいそうだ。
 なお、3.14よりも22/7のほうがπに近似である。

π-3.14=0.00159...
22/7-π=0.00126...

 日本の小学校も22/7でやればいいのにと思ってしまう。

2009年6月2日火曜日

甲子園を狙うレベルの野球部の部員に定期試験で負けた一般生の気持ち

 当校には、過去5年間に甲子園に1度出場した高校(偏差値60台後半)の野球部員がいる。
 甲子園を狙うレベルの野球部の練習時間は、長いところだと、朝の練習(いわゆる朝練(あされん))や昼休みの筋力トレーニングなども入れると、毎日7時間から8時間だ。そんなに練習するのは、むしろ、効率が悪いのではないかと心配になってしまうのだが。ここの高校の野球部の練習時間は、これよりも少し短いくらいだ。
 野球部は試験期間中も練習をする。
 練習で疲れるので、頑張っても、1日あたり1時間半から2時間くらいしか勉強できない。週に何日かは寝てしまってまったく勉強できない。
 そんな状態だが、先日の定期試験の英語では86点だった。平均点は64点だった。
 彼は、自分の成績を自ら話すことはないが、訊(き)かれれば答えていた。
 試験前に相当勉強したのに、平均点前後と成績が芳(かんば)しくない生徒が数人、彼に英語の得点を訊(たず)ねたそうだ。
 訊ねた連中は、よもや、試験前でもあれほど練習している野球部員には成績で負けることはないと踏(ふ)んでいたのであろう。
 ところが、結果は、惨敗(ざんぱい)。
 こうした場合の反応はつぎの類型にわかれるそうだ。

その1
冷静を装(よそお)いつつ「へえ、すごいね」と言って、そのまま、立ち去るが、顔面から血の気が失(う)せている。
その2
「えっ」と言ったっきり、真夜中の国道に飛び出し、自動車のヘッドライトに目が眩(くら)んだ狸(たぬき)のように数秒間、立ち竦(すく)む。顔が引き攣(つ)っている。

 彼のクラスには、「おめえ、すげえな。あれだけ練習していて、そんな点数がとれるなんて!」と好意的な感想を漏(も)らしたやつはいなかったそうだ。
 それにしても、甲子園を狙うレベルの野球部の部員に勉強で負けたとなれば、勉学意欲は100%、ふっ飛んでしまうんだろうなあ。

 で、その彼は、別の高校で甲子園を狙うレベルの野球部の主将で、毎日、3時間勉強している人物がいるのを知って、「そいつはバケモノだ」と驚いていた。毎日、8時間近く、練習して、その上で、3時間も勉強ができるというのは、相当な体力がないとできないだろうな。こういう人物が正しい勉強法で勉学に邁進(まいしん)すれば、東京大学も簡単なんだろうな。

2009年6月1日月曜日

身長と学力の関係(その3)

 身長と学力の関係について、これまで、身長と学力の関係(その1)身長と学力の関係(その2)で述べてきた。
 脳の血管が太くなればなるほど、単位時間あたりの情報処理量が多くなり、勉強の速度が上がるということを指摘した。ところが、脳の血管を劇的なまでに太くする方法が今のところはない。また、身長が高くない場合には、どうすればよいのかについても述べていなかったので、ここでわかる範囲で述べたい。

 まず、心臓を鍛える。
 脳の血管が太くないという点で不利ならば、血流量を増やすために、心臓の機能を高める必要がある。自動車に詳しくない場合には、ピンとこないかもしれないが、排気量2000ccのエンジンの自動車で、排気量3500ccの自動車に対抗するには、ターボをつけるなり、スーパー=チャージャーをつけるなりして、パワーアップを図るのと同じだ。
 手近なところで、心臓の機能を高めるには、2日に1回くらいの割合で40分くらい走ればよいだろう。
 スポーツ推薦で選手をかき集める高校を除くと、長距離走や駅伝が強いところは、勉強のできる高校の割合が高い。関係ないが、短距離走の強い高校は、勉強が得意とは言いかねる場合が少なくないと感じているが、瞬発力だけで、持続力に欠けるからではないかと考えている。

 つぎに、脚に筋肉をつける。
 心臓のポンプとしての機能だけでは、全身に血液を送り、再び心臓に戻ってくるだけの能力がない。足りない部分は、ものを呑み込む際に喉(のど)が嚥下運動(えんかうんどう)をするように、毛細血管が嚥下運動のようなことをおこなうことで、全身に血液がくまなく巡(めぐ)るようにしている。
 この働きを強めるには、脚に筋肉をつけるのが効果的だそうだ。
 歌手の長渕剛(ながぶちつよし)は、ジムで筋力トレーニングを毎日、4時間おこなっている。太ももの筋肉を充分につけておくのは、酸欠状態になることなく、ライブで最後まで唄いきるために必要だから、そうしていると、なにかのインタビューで答えていた。
 脚の筋肉をつける簡単な方法を考えた。たとえば、21段変速の自転車で、前のギアを直径のいちばん大きいものに、後ろのギアを直径のいちばん小さいものにしたまま、どんなときでもそれで走り続けるという方法である。もともと、一般の人よりも脚に筋肉がついている私でさえ、1週間もしないうちに、太ももの周囲の長さが2センチアップした。
 太ももに筋肉をつけるのは、勉強には必要なことだと考えているのだけれども、うちの女子生徒は全員、嫌がる。
 ファッション=モデルの影響で、日本の女子の勉学能力が落ちているといえなくもない気がする。

 3つ目に、血液の流れる量が増えるようにする、つまり、血流をよくする。
 ほかの条件が同じであるならば、血液をさらさらにして、血流がよくなるようにすればよい。以前、勉強と食事、あるいは頭を使う際に必要な物質(その1)で紹介した『菊川怜の頭のよくなるレシピ48』などにも載っているが、不飽和脂肪酸(ふほうわしぼうさん)の摂取量を適度にして、脳の中を流れる血液の量が増えるようにする。
 Googleで検索したら、「旺文社パスナビ-福田千晶の合格脳の作り方!」というのが出てきた。運動と食事の重要性が書いてある。
 リンクを貼っておく。

 検索結果から判断すると、2006年6月のものがよく読まれているらしい。

 ときどき、見かけるのであるが、家庭での食事担当者(母親である場合が多い)が大の料理嫌いである場合、食生活が悪すぎるせいで、子どもの勉強に支障を来(きた)している場合がある。きちんとした食事を出すように依頼しても、このような食事担当者は、適切な食事を毎日3回、作るようになったことがない。朝・昼・晩とちゃんとした食事を作るには、最低でも3時間はかかる作業である。県庁所在地などを除いた地方の公立中学校の生徒であれば、毎日、3時間、家庭で勉強したら、ほとんどだれでもオール5がとれてしまう。3度の食事を適切にこしらえることができるのは、本来、学力水準の高い人でないと難しいらしい。
 そうなると、対処方法はひとつだけだ。
 自分で食事を作る、これである。
 自分が食事担当者になれば、よく勉強した後は、それに応じて、必要な物質が多く含まれるものが食べたくなる。猛烈な運動をした人間が、そのあと、餡子(あんこ)などの甘いものを食べたくなり、そのあとは、炭水化物を大量に食べたくなるようなものだ。
 以前に、こんなことがあった。ある母親が資格を取得しようと、資格試験の勉強を昼間の空いた時間にするようになった。すると、途端(とたん)に、冷蔵庫に納豆が増えたそうだ。納豆にはレシチンが多く含まれており、頭を使うには、これがないと始まらないという物質である。だから、逆に、頭を使うことがまったくない生活をしている人が食事担当者であった場合、これこれのものを食事に取り入れてくださいと申し入れても、「自分にとってはまったく必要のない物質」なので、理屈ではわかっても、結局は、作る気にならないようだ。

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自己紹介

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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