2009年5月31日日曜日

身長と学力の関係(その2)

 身長と学歴には一定の相関関係があるわけらしい旨(むね)を学歴と身長の関係(その1)で触れたわけだが、さきほど、つぎのような一覧を見つけた。

大学別男子平均身長ランキング(egg編集部調べ)

1位 174.1cm 早稲田大学
2位 174.0cm 東京大学
3位 173.7cm 慶應義塾大学
3位 173.7cm 昭和大学
5位 173.6cm 国際基督教大学
6位 173.5cm 東京慈恵会医科大学
6位 173.5cm 麻布大学
8位 173.2cm 学習院大学
8位 173.2cm 法政大学
10位 173.1cm 日本獣医畜産大学

 以上のランキングは大学ランキング 偏差値・資格・就職なんでもランクづけというところで見つけた。サンプル数や調査方法がわからないから、多少は割り引いて考える必要はあるだろうけど、概(おおむ)ね、そんなものだろう。

 さて、前回のつづきである。なぜ、身長が高いと勉強ができる傾向があるのかについてである。

 最近の脳科学では、頭の回転がよいということと、脳の血管の太さとの関係が指摘されている。脳を働かせるには、最低限でも必要な物質として、ブドウ糖とレシチンが必要である。
 単位時間あたりの勉強量を増やそうと思えは、ブドウ糖とレシチンが効率よく脳に運び込まれる必要がある。そうなると、効率よく血液が流れる必要があり、そこから、血管の太さのほかに、心臓の機能や、これはちょっとぴんとこないかもしれないが、足の筋肉、とりわけ太ももの筋肉も関係してくる。ここでは、心臓と筋肉は除いて、脳の血管の太さに絞(しぼ)って述べる。
 身長が高いと、概(がい)して体格もよくなる。例外はけっこうあるけどね。
 体格がよいと、脚や腕も太くなる。ついでに、血管も太い傾向にある。
 身体全体の血管が太い傾向にあるのであれば、脳内の血管も太いと推測される(反論はありそうだが)。
 このあたりに、身長が高くなればなるほど、高学歴になる理由の一端があるような気がする。つまりは、血管の太さが関係しているのだ。



武蔵大学の「学内運動会」で、不本意ながら長距離走の邪魔をしたらしい。

 今日の昼過ぎに、武蔵大学の塀沿いの歩道を自転車で走っていた。その歩道は狭く、歩行者2人が並んで歩くと道幅いっぱいになるというくらいだ。歩行者がひとりしか通れない箇所もある。
 厳密にいうと、道路交通法違反になるのだけれど、歩道を自転車で移動していた。それも、逆方向にだ。
 すると、後ろから、大きな音でバチンと掌(てのひら)を叩く輩(やから)がいる。振り返ると、体操着姿の男子学生が、走っていた。
 武蔵大学「学内運動会」の競技のひとつだったらしい。
 もちろん、「拍手」されて、すぐに歩道の脇に自転車を寄せて、道を譲った。
 「学内運動会」というわりには、大学の敷地外に出て運動会をしているのだなと思ったけど、参加できる者が「学内」にかぎられるという意味だったんだろうな。もしかすると、周辺の歩道も大学の所有地なのかもしれない。

2009年5月30日土曜日

身長と学力の関係(その1)

 大学の格が上になればなるほど、学生の身長が高くなる傾向がある。
 総合大学、つまり、ひととおりの学部がそろっている大学の中では、東京大学の学生の平均身長がいちばん高いという資料を目にしたことがある。
 総合大学にかぎらなければ、体育大学の学生の平均身長が高くなりそうだが、これは、学問が中心の大学とはいいかねるので、除外する。
 総合大学以外では、医科大学の平均身長が高そうだ。

 以前、人間工学ergonomicsに関係する翻訳に関わったときに、その分野の関連書籍を読み込むという作業をした。大学教授の中には、自分が所属する大学の学生のデータで論文などを執筆している者がいるのだが、驚くべき事実に出くわした。
 早稲田大学理工学部の学生の平均身長は、比較的学生数の多い、別のある大学のある学部の学生の平均身長よりも、6センチメートル以上、高かった(曖昧な記憶なので、もしかすると10センチメートルくらいかもしれない)。ちなみに、駿台予備学校の全国判定模試の場合、早稲田大学理工学部は、偏差値62から64であり、くだんの大学のある学部の偏差値は、42から53であった。
 平均身長が6センチメートル違うというのは、いってみれば、民族が違うどころではなく、人種が違うくらいの差である。
 ちなみに、うちで運営している学習塾・予備校で非常勤講師をしていた早稲田大学理工学部数学科の大学院生は、身長172センチメートルで、学部内では、自分よりも身長の低い男子学生を見たことがないと言っていた。
 私自身は、身長が167センチメートルから168センチメートルだが、早稲田大学第一文学部在学中に自分よりも明らかに身長が低い男子学生は2人しか記憶にない。
 身長と学力にいくらかの相関関係が見られる理由については学力と身長の関係(その2)を参照のこと。



2009年5月29日金曜日

九九の苦手な人が言えないのは「七の段」よりも、むしろ「八の段」である。

 漫画やドラマで、勉強の苦手な人間を描き出すにあたって、「こいつは、九九の『七の段』が言えない」という台詞(せりふ)がある。
 また、九九の苦手な人は、どの段が苦手だと思うかと訊ねると、たいていの人は、「七の段」と答える。
 ところが、素数(1とそれ自身でしか割り切れない整数)である7が絡(から)んでくる「七の段」は手ごわいと、だれしも感じるので、七の段は、真面目に憶えようとする。意外と、算数・数学が苦手であっても、七の段は言えるものなのである。
 意外と、言えない人がいるのが、「八の段」である。
 驚くかもしれないが、本当なのである。
 八の段が言えない人というのは、小学2年生のときに、九九のテストが済んでからは、ずっと、数字を入れ替えて、計算しているのである。
 たとえば、

8×6(はちろく)

の場合に、答えが、とっさに口をついて出てこない場合には、

6×8=48(ろくは、しじゅうはち)

と、数字を入れ替えている。
 こうしたことをずっと繰り返しているうちに、「八の段」がちゃんと言えない人間になってしまう。高校生でも、数学が苦手(というか、計算が苦手)な人は、百ます計算で、「八の段」でペンが一瞬、止まったりする。
 一般的には、計算しているうちに、頭の中で九九を唱えることは、最終的にはなくなる(と思う)んだけど、八の段がつまづいている人は、いつまで経っても、頭の中で九九を唱えているようだ。それも、八の段では数字を入れ替えて。

  

2009年5月28日木曜日

「学園祭でウケるバンド」計画

 うちの生徒から、学園祭でウケるバンドになるにはどうすればよいかという相談を受けた。

 そこで、まず、「ヴァイオリン=パンク=バンド」を提唱してみた。ヴァイオリン=パンク=バンドについては、以前、ベーシスト最強理論で述べているのだが、このアイデアは即座に却下された。ヴァイオリンの弾けるやつがいないのだという。

 つぎに提案したのが、「女装バンド」だ。
 質問者の通う高校は男女共学であるから、「女装バンド」はインパクトがある。男子校だと、学園祭で女装する輩(やから)は、むやみに多い。なんでそんなに多いのだと思うくらいだ。女装コンテストまであったりする。
 質問者の身長が188cmなので、メンバーの身長を、できれば、180cm以上、少なくとも175cm以上で揃えて、女装すると、なかなかのものになるはずだ。
 これも却下された。

 そのつぎに提案したのが、オリジナル=ピックをばらまくというアイデアである。
 首都圏では、あまり見かけないが、関西では、餅撒(もちま)きという風習がある。餅撒(もちま)きというのは、神事に際して集まった人々に餅を撒く行事である。
 餅のかわりに、ギターのピックでやるのである。
 その場合、オリジナル=ピックにして、たとえば、つぎにような文言(もんごん)を入れる。

◇◇高学園祭
209.05.31
〇〇〇〇〇

 〇〇〇〇〇にはバンド名を入れる。
 これは記念品になる。
 たとえば、つぎのようにする。
 本当は3曲演奏するとして、名目上は2曲の演奏ということにして、1曲目の演奏終了時に、オリジナル=ピックを30個くらいをばら撒(ま)く。その上で、2曲目が終わったときに、アンコールが盛大にあれば、オリジナル=ピックを100個くらいをばら撒(ま)くと宣言する。また、予算に余裕があれば、オリジナル=ピックをつかった携帯用ストラップも30個くらい製作していおく。それも最終的にはばら撒(ま)く。
 こんなふうにすれば、ギターのオリジナル=ピック目当てで、盛大にアンコールが行なわれるだろう。

 なお、選曲についても述べておこう。
 気合いをいれてオリジナル曲で勝負しても、あまりウケない。耳馴染(みみなじ)みのない曲だと盛り上がりにくい。だれもが知っているような曲にしたほうがよい。
 1959年に結成されたザ=べンチャーズThe Venturesは、今でも、毎年、日本でツアーを行なっている(2009年の夏は、今のところ、12週間で54ステージの予定。1930年代生まれのメンバーもいるのに)。1999年以降は、年2回だ。そんなザ=ベンチャーズでも、前年、日本で流行した曲もツアーで演奏している。昔の曲だけではウケないし、まったくの新曲もむつかしいので、日本で流行した曲を入れているのだろう。「ロックの殿堂」The Rock and Roll Hall of Fame and Museum入りしているザ=ベンチャーズでさえ、こうした工夫をしているのであるから、アマチュア=バンドならば、なおさらであろう。
 以上のことから、耳馴染みのある曲を中心にするのよいと思われる。オリジナル曲を入れるとしても、いわば、ありきたりの展開をする曲にかぎるべきだろう。

 オリジナル=ピックをばら撒(ま)くことに関して、懸念(けねん)されることがなくもない。餅撒(もちま)き文化が定着していない東京の都市部では、ばら撒(ま)かれたものを拾うという行為は、卑(いや)しいと考えられなくもないので、期待されるほどの効果はないかもしれない。

2009年5月27日水曜日

大学入試でのThe Japan Timesからの出題:4月に掲載されたものが多く出題される。

 大学入試でジャパン=タイムズThe Japan Timesから出題されることがよくある。低レベルの大学だと、受験生の質が低いので、出題すると、受験生が読めないので、それなりに難関大学にかぎられるが、かといって、超難関大学では出題されることはないのだが。
 以前、ジャパン=タイムズに掲載された文章で、どの時期に掲載されたものがよく出題されるのかを調べたことがある。
 4月だった。
 4月に掲載された文章が最も多く出題されていた。
 理由を考えてみよう。
 大学ごとに異なるが、翌年度の入試委員が決まるのは、おそらく、入学試験が終わった3月であろう。すると、ジャパン=タイムズの文章が入試問題として機能しそうな大学の場合、入試委員になった教員は、3月からジャパン=タイムズを読み、入試問題に使えそうな文章を渉猟(しょうりょう)する。そして、入試に使えるものが見つかると、新たに長文読解の題材を求めることはない。
 その結果、ジャパン=タイムズにかぎっては、4月に掲載された文章が多く出題されている。


いちおう、こういうものが売られている。役に立つかどうかは不明。

2009年5月26日火曜日

無理のある社会体制はだいたい70年で崩壊する。

 どういうわけか、無理のある社会体制は、70年くらいで崩壊する。例を挙げよう。

ソビエト社会主義共和国連邦
成立 
1922年
崩壊 
1991年

 69年後に崩壊している。

 明治維新から大東亜戦争(第2次世界大戦)敗戦に至るまでは、日本が望んだわけではなく、帝国主義の列強に挟まれ、知らず識(し)らずのうちに(?)、軍国主義となったといえなくもないが、無理のある社会体制だったといえる。

明治維新から大東亜戦争敗戦
明治維新 
1868年
大東亜戦争敗戦 
1945年

 77年後だ。

 鎌倉幕府そのものは無理のある社会体制ではなかったといえなくもない。しかし、御恩と奉公の秩序を維持するには、戦争で勝てば、新たに獲得した領地を家来に分け与えなければならないが、元寇(げんこう)によって、そのシステムが維持できなくなった。戦争に勝ったのに、領地を与えることができなくなった。元寇によって、無理のある社会体制になったといえなくもない。

元寇と鎌倉幕府崩壊
第1回元寇(文永の役)
1274年
鎌倉幕府崩壊
1333年

 59年後だ。

ルイ15世即位とフランス革命
ルイ15世即位
1715年
フランス革命
1789年

 74年後だ。
 ルイ14世のときから、国民に重税を課していたではないかという反論がありそうだけど。

 こういうちょっとした知識を使うだけでも、わからない問題の正解が推測できる。とくに選択肢のある問題なら。
 受験のテクニックという場合、そのテクニックを使えば、100%正解できるものでないといけないと思っている人がいるけれども、このテクニックを使えば、100%正解できるものなど、その辺に転がっているものではない。むしろ、100%正解できるとなると、それは、受験テクニックというものではなく、「当たり前の手法」となってしまう。本当の受験テクニックとなると、その手法を使えば、未知の問題の3分の1が正解できるようになるようなものでしかなかったりする。「3分の1」だとがっかりするかもしれないが、それが積み重なれば、大きな違いとなる。
 「無理のある社会体制は70年くらいで崩壊する」のように、まったくわからない問題が5問あれば、そのうちの3問が正解できるくらいのものを大量に仕入れ、わからなくても正解できる問題を可能なかぎり増やすのが、選択肢のある問題の対処方法である。
 憶えたことを正解できるというのは、小学生でもできることであって、中学受験・高校受験・大学受験では、こうしたことができるようにしなければ、損をする。
 これを「邪道」だと思う人は、これまでの試験、高校受験・大学受験のみならず、資格試験や就職での採用試験で、損ばかりしているということになる。
 真面目すぎるのも、なんだかなあ。

2009年5月25日月曜日

「なんにもお礼できないから、ノーブラにした」

 大学生のときのことだ。同期生の女の子から電話があった。時間がないので、暇(ひま)があれば、どこそこまでオートバイで送ってくれという。駄目ならタクシーで行くという。
 時間があったので、オートバイで送ることにした。
 ちなみに、そのときのオートバイは本田技研工業のブロス プロダクト ツーPROS Product Twoというやつで、色は黒だった。近所の子どもに、「蟻(あり)のように見える」と言われたことがある。
 筑波大学附属高等学校出身の彼女が住んでいる女子学生限定の寮についてから、インターホンで呼び出した。5月の連休を過ぎたころだった。

 「なんにもお礼できないから、ノーブラにした。うふ」

 オートバイの後ろへの安全な乗り方は、身体を密着させて、運転者の腰に両手をまわし、運転者の臍(へそ)のあたりで手を組むというのが基本だ。
 オートバイでずっこけた場合に備えて、造船所で働く労働者が雨の中でも作業ができるようにと防水加工が施された分厚い革ジャンをいつでも着ていた。ノーブラだからと言われても、なにもわからない旨(むね)を告げて、さっさと目的地まで運んだ。
 それにして、「うふ」とか、「えへっ」とか、そういうことばを本当に口にする女の子には、ちょっと変わった子が多いと思う。

 「なんにもお礼できないから、ノーブラにした」という発想のばかばかしさが、おかしくて、後日、ほかの女子学生数人に話して、「そういう発想がどこから出てくるのか理解できない(爆笑)」と言った。男子学生には話さなかった。なんだか、妬(ねた)まれそうな気がしたからだ。
 すると、「なんにもお礼できないから、ノーブラにした。うふ」発言は、瞬(またた)く間に広まっていた。

 「掃除機くんは、あんな人とはつきあわないほうがいいと思うよ」
 数人の女子学生が、入れ替わり立ち代り、忠告してきた。
 べつにつきあっているわけではなく、近所だということと、オートバイを持っているということで、送っただけだと答えたし、事実、そのとおりなのだ。
 もっとも、あの類(たぐ)いの発言は、一般の女性の顰蹙(ひんしゅく)を買うものらしいということがわかった。

 数日後、くだんの彼女の(陰の)渾名(あだな)が「ノーブラ」になっていた。
 おれのせいじゃないと思いたい。

2009年5月24日日曜日

冷房導入闘争を学生運動家たちが始めたことがあって……

 その昔、早稲田大学文学部に冷房がなかったとき(今、冷房があるのかどうかは知らないが)、学生運動家たち(いわゆる革マル派)が、「冷房導入闘争」と始めようとしたことがあった。
 学費値上げ闘争でさえ、私は理解できないでいたから、「冷房を入れろ!」なんて要求で当局側と闘争をしようというのは、なんの意味があるのだろうかと思った。
 闘争目標があまりにもしょぼいので、この時点で駄目だと思ったが、一般学生には「冷房は、ないよりは、あったほうがいいかな」と思う者がいなくもなかった。
 ビラを読むと、確か、こんなことが書いてあった。

専修大学は、全室冷房が完備されている。早稲田に冷房がなくてどうする!

 神田にある専修大学は、ビル街にあるビルみたいなもんなんだから、冷房は必要だろう。周辺に自然の多い早稲田では、冷房がなくても、なんとかしのげる。よそと較べてもしょうがないと思う。

 この闘争(というほどのものではないが)は、ビラをまいた翌日には、一気にしぼんでしまった。
 一部の教員が、授業中に、「私なら、冷房導入には断固と反対する。冷房がないから、学科・専修によっては、6月中に実質的な夏休みになるのに、冷房があると、『暑くないから勉強できるだろう』となって、7月いっぱいまで授業・試験があるようになったら困る。断固反対だ」というようなことを言ったので、冷房導入運動に共感する学生が皆無になった。

 冷房があることよりも、授業がないことを学生たちは望んだのである。ついでに、教員のほうも、7月いっぱいまで授業・試験をやらされてはたまらないと思っていたんじゃないかと思う。

2009年5月23日土曜日

大人と子どもの違い:印税について

 1冊1,000円の本が100万部売れたとする。

普通の子どもの反応

すごく売れたんだ。すごい

少し智慧(ちえ)のついた子ども

1冊あたりの印税が10%だとすると、著者には1冊あたり100円が入る。それが100万部となると、100円×100万部=1億円となる。うらやましい

大人

1冊あたりの出版社の収入は、半分の500円である。それが100万部となると、500円×100万部=5億円となる。あそこくらいに経営規模の小さい出版社だと、税金対策がたいへんそうだ


2009年5月22日金曜日

「アルト=サックス、始めました」ときたか。

昨日の記事「数学と楽器演奏」で述べたが、両者には密接な関係があるにちがいない。あくまでも、経験的にだが。

公立高校の場合、やる気満々の中高一貫校とはちがって、文部科学省が決めたとおりのカリキュラムから大きく逸脱して、過度な先取りすることはない。英語に関しては、検定済み教科書ではない教材(Progress in English 21・Treature・Birdlandなど)を使うことは、一般的にはない。一方、中高一貫校のなかには、中学3年生終了時に高校2年生が学習するCrown English Course IIを終えている学校もある。

灘中学校・高等学校の場合、中学数学は1年とちょっとで終え、4年くらいかけて高校数学を学び、残りの1年を受験勉強にあてる。高校数学を始めてから、5年後に大学受験するわけである。普通は、高校数学を学び始めて3年後に大学受験なのだから、灘高校の場合、現役合格でも「実質2浪」じゃないのかとは言ってはいけない。中学2年生のときから高校数学を始められるということ自体、才能がいるし、高校1年生終了の段階で、受験していれば東京大学や京都大学に合格する学力を備えている者もいるのだから。

こうした状況を踏まえ、かつ、物理は数学がわかっていないと話にならないところがあるので(高校の数学II・Bを終えてもいないうちに物理を中学校から教えるところは、変な気がする)、公立高校であっても、自主的に先取り学習したほうがよい。

ところが、定期試験でまずまずの成績だと、自ら率先して先取り学習をしようという気にならないものらしい。

かといって、強制するのは、当校の方針ではない。

ということで、地道に説得するわけだ。


数学の才能が、10万人中で上位10人までのレベルであれば、べつだん、公立高校のカリキュラムどおりでもよいが、並みのレベルで「数学が得意」(上位3%)というくらいならば、どんどん先取りしたほうがよいと指摘した上で、「数学と楽器演奏」の話をして、楽器に入れ込んでいないのであれば、並みのレベルで数学が得意なだけである可能性が高いから、どんどん先に進めたほうがよいと述べる。

そうした際には、こんなことも述べる。

数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞受賞の広中平祐は独学でピアノにエネルギーを注いでいたが、始めた年齢が遅いということで、音楽家の道を諦(あきら)め、高校2年生から数学を真剣にやりはじめて、京都大学に合格し、「普通レベルの超難関大学の大学院レベル」の授業が展開される京都大学理学部数学科で落ちこぼれることがなかった(京都大学の数学科は100人いれば99人が落ちこぼれるとされる)。しかし、それは広中平祐だから可能であったのであって、普通のレベルの意味で数学が得意なだけの場合、どんどん先取りしたほうがよい。むろん、楽器演奏に入れ込んだことがあったからといって、超1流の数学の才能があるとはかぎらないが、しかし、少なくとも、楽器演奏に入れ込んだことがないのであれば、「普通レベルで数学が得意」にすぎない可能性が高いのだから、広中平祐のようになれるとは思わないほうがよい。


以上のようなことを、ときおり、話すことがあるのだが、こういうことを話した数日後、ある生徒がこう言った。


「アルトサックス、始めました!!!」


そうきたか。まるで「冷やし中華、始めました」みたいだった。

 

2009年5月21日木曜日

数学と楽器演奏

 数学の得意な人間は、楽器の演奏もできることが多い。

 フィールズ賞を日本人として初めて受賞した小平邦彦はピアノが上手だった。
 同じく、フィールズ賞受賞者の広中平祐は高校生のとき、音楽家になりたいと思っていた。
 相対性理論のアインシュタインはヴァイオリンの演奏が趣味であった。
 数学の基礎づけに関する研究をしたパウル=ベルナイズは、若いころ、音楽家になるか数学者になるかで迷ったことがある。
 量子力学の創設者のひとりであるハイゼンベルクはピアノの演奏が上手だったらしい。
 ピュタゴラスは、ピュタゴラス音律を考案したとされる。
 スウェーデンの王立科学アカデミーの数学研究所にはピアノが備えつけられている。
 高校2年生のときに、国際数学オリンピックで金メダルを獲得した中島さち子は、今は、ジャズピアニストをしている。▼公式ウェブサイトはこちら→SACHIKO NAKAJIMA -OFFICIAL WEB SITE- MySpaceはこっち→Nakajima Sachiko - MySpace
 早稲田大学理工学部数学科では、60名中57名が楽器の演奏ができたという年度があった。

 事例に関しては、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
 もちろん、音楽はできるが、数学は苦手という場合もあるだろうが、本気でやりはじめたら、数学でもそれなりのレベルに達するのであろう。

 どうして楽器の得意な数学者が多いのかについて、これまで、数学と音楽の類似点から説明しようとすることがよく見られた。たとえば、どちらも、抽象的なものの中に美を感じるものであるからとかである。
 最近の脳科学では、数学と音楽は、脳の近い部分を使うということがわかっている。だから、数学を鍛えると、音楽で使う脳の部分もいくぶん鍛えられ、音楽に脳を使うと、数学で使う部分も、ある程度まで同様に鍛えられるということになるらしい。あるいは、もともと、脳のそのあたりの部分が発達しているとも考えられなくもないだろう。

 楽器の演奏がまったくできない場合でも、素地はあるが、家庭環境などによって、楽器演奏に手を出さなかった可能性がなくはない。
 同様に、一定レベル以上に訓練・勉強をしないと数学はわからないだろうから、才能があっても数学ができないという者もいるだろう。

 うちの生徒をみていると、自発的に楽器の演奏を始めた者は、当初、数学が苦手であっても、伸び方は悪くないという印象を抱いている。しつこいようだが、楽器の演奏ができなくても数学の才能のある者はいる。

↓この記事の続き
「アルト=サックス、始めました」ときたか。



↑中島さち子が大学在学中に共著として出版した本。

2009年5月20日水曜日

Bourbon ホワイトロリータ

 当校では、授業中でも飲み食いが自由である。お腹が空いては勉強の効率が下がるからだ。とりわけ、小さい子どもの場合、昼ごはんを食べていたとしても、午後3時以降にはおやつは必須だ。
 ときどき、生徒が自分のお菓子をわけてくれる。
 昨日、もらったのは、Bourbonの「ホワイトロリータ」というものだった。ウェブサイトではつぎのような商品説明があった。

ミルク風味のホワイトクリームクッキー
ひねり模様の軽い歯ざわりのスティッククッキーを、上品なミルククリームで包みました。
昭和41年に発売されて以来、長きにわたり、ご愛顧いただいている商品です。

 個人的には、つぎの点がおもしろい商品だと思う。

Bourbon ブルボン フランス語
white ホワイト 白 英語
Rolita ロリータ 人名 ロシア語

 3か国語でできている名前だ。
 そう思って、ウェブサイトをちょろっと見てみたら、こんなのもあった。

Bourbon エリーゼ北海道ミルク

Bourbon ブルボン フランス語
Elise エリーゼ 人名 ドイツ語
北海道 日本語
milk ミルク 英語

 4か国語でできている。語学の得意な社員のいない会社のような気がしてきた。

2009年5月19日火曜日

最近、答えられなかった生徒の質問:ドキンちゃんは、どうして、しょくぱんまんが好きなのですか?

 「ドキンちゃんは、どうして、しょくぱんまんのことが好きなんですか?」という質問を受けた。ドキンちゃんも、しょくぱんまんも、『それゆけ! アンパンマン』に登場するキャラクターである。今、「登場人物」と書こうとして、黴菌(ばいきん)と食品なので、「登場するキャラクター」とした。
 この質問には困った。
 そもそも、『それゆけ! アンパンマン』のアニメも絵本も見たことがない。今回のことがなければ、「しょくぱんまん」が正式な表記であって、「食パンマン」ではないということも知らなかったくらいだ。わかるわけがない。
 それで、終わりにするというのもなんだから、「やっぱり、しょくぱんまんが男前だからじゃないのかな」と、とりあえず、答えておいた。
 その後、ウェブで調べたところ、MSN.相談箱に答えがあった。引用に際して、一部、表記を改めた。

ドキンちゃんが、足をケガしているふりをして、しょくぱんまんがそちらに気をとられているうちに、ばいきんまんが車からパンを盗む作戦だったが、そのときのしょくぱんまんがとても紳士的だったので、好きになってしまった。

 そのつぎの授業で、以上の内容を子どもにもわかるように話したところ、感動していた。それのみならず、その内容をノートにまとめていた。ノートを覗(のぞ)いてみた。

足をケガしたふりをしたドキンちゃんを、しょくぱんまんが助けようとしているすきに、ばいきんまんがしょくぱんまん号からパンをぬすむ計画だった。しょくぱんまんが親切だったので、ドキンちゃんはしょくぱんまんがすきになった。

 日本の経済よりも、ドキンちゃんがしょくぱんまんのことが好きな理由のほうが、小学生には大事なんだろうなと思いながら、同時に、小学3年生にして、こんなふうにまとめられるということに、たいそう感心してしまった。

 小さな子どもは、丸いものが好きである。アンパンマンの顔は丸だけで構成されている。ミッキー=マウスMicky Mouseは大きな丸ひとつと、小さな丸ふたつでできているといえる。
 小さな子どもが丸いものが好きなのは、人間の目が丸いからである。子どもは生まれると、母親の目を見てすごす。目は丸い。だから、人間は、最初、丸いものに親近感をおぼえる。
 赤ん坊が、なにを以(も)って母親を認識するかという実験がある。母親の写真をさまざまなパーツのない写真に加工する。耳を削除した写真や、眉毛を消去した写真や口のない写真という具合である。こうした実験の結果、目がきわめて重要だということが判明した。極端な場合、鼻・口・眉毛・耳・頭髪がなくとも、目さえついていれば、自分の母親だと、赤ん坊は認識する。一方、ほかにはなにも手を加えていなくても、目がなければ、母親とは認識しない。目だけのない母親の写真を見せると泣き出す赤ん坊もいる。
 小さな子どもは丸いものが好きという観点からすると、四角い顔のしょくぱんまんが好きというのは、相当な謎ということになりそうだ。ドキンちゃんがしょくぱんまんのことが好きな理由が、小学生中学年(低学年)にとって、大問題であるのは、このあたりに理由があるのかもしれない。 

  

2009年5月18日月曜日

地方出身で、かつ、地元ナンバーワン高校出身の親が陥(おちい)りがちな罠(わな)

 東京在住の地方出身者で、かつ、地元ナンバーワン高校出身の親が、高校受験で陥(おちい)りがちな罠(わな)について述べる。
 太平洋戦争で敗戦した日本は、GHQ(General Headquaters 連合軍最高司令官総司令部)によって、エリートを輩出しないようにと指導された。できるかぎり、小学区制にして、特定の高校(旧制中学校)に、立派な人材が集まらないようにした。それでも、東日本、とりわけ東北地方はその指導に従わない場合が多かったが、西日本では、おおむね、小学区制を取り入れた。
 その結果、西日本では、大阪などの都会を除けば、地域ナンバーワン高校といっても、まったく大したことのない高校となった。
 たとえば、私の出身高校の和歌山県立橋本高等学校は、「高校受験 高校偏差値情報」というサイトによれば、現在、探究科偏差値56、総合科偏差値53であるが、それでも学区ではナンバーワン高校なのである(私立を除く)。この程度の偏差値なので、地頭(じあたま)がすこぶるよければ、家庭でまったく勉強していなくても、中学3年生の夏休みから勉強し始めれば確実に合格できる。いや、本当に地頭のよい中学生の場合、塾に通わず、自宅で勉強することなくとも合格できてしまう。
 以前、自分の高校入試のときには、計算ミスして、数学は満点を逃し、綴(つづ)りを間違えて、英語も満点を逃し、理科と社会科は細かいことを暗記していなかったので満点を逃し、結果的には国語しか満点がとれなかったと、当校の生徒に話したところ、生徒たちは「この人はそれほどまでにすごいのか」と思ってしまったらしく、神妙な顔つきになったが、和歌山県の県立高校の入試問題や、橋本高等学校の推薦入試だかなんだかの問題を見せたら、大爆笑された。「これなら、5教科満点でも狙える」というのである。その通りだと思う。
 1学年315人のうち、自分の学年の場合、京都大学に3人が進学し、早稲田・慶應義塾には4人が進学したのだけれども、半分くらいが専門学校進学・就職だったと記憶する。このことを大学時代に都立国立高校出身の学生に話したところ、「うちは、たまにグレて大学に行かないというのが1学年に1人か2人いるくらいで、基本的にはほぼ全員が大学に進学するので、東大・京大・早慶に進学する生徒と、就職する生徒が同じ学校にいるというのは、考えられない」と、びっくりしていた。
 また、あるとき、当校の生徒が自動車で母親の実家に帰省するときに、途中で出雲大社に立ち寄る予定だと言ったので、その近くにある出雲高校は島根県でいちばん難しい高校だと指摘してから、そこの偏差値が62であると告げたところ、大爆笑していた。東京の感覚では、県内トップ高の偏差値が62というのは考えられないのだ。東京23区のそれぞれの区内でいちばん難しい高校でさえ、62は上回っているのだ(なお、確認してみたら、今は、松江北高等学校理数科が偏差値63で島根県下ナンバーワン高になっていた。それでも、たかだか63である)。
 地頭(じあたま)がよければ、偏差値63くらいなら、中学3年生の夏休みから勉強しても、充分、間に合う。
 こうしたことの結果、地方出身者で、地元ナンバーワン校出身の親は、東京の国公立も同じようなものだと思い込んでしまう。
 その結果、あんまり勉強していなくても、中学3年生の夏休みから勉強すれば、都立日比谷高校や都立西高校(どちらも偏差値70)でも、開成高校や筑波大学附属駒場高校よりも、はるかにレベルが低いのだから、簡単に合格できると思い込んでしまう。開成高校や筑波大学附属駒場高校よりも、はるかにレベルが低いという点だけはまちがっていないのだけどね。
 それで、受験に失敗してしまう。

2009年5月17日日曜日

小沢一郎・森田一義(タモリ)・久米宏・宮藤官九郎の共通点

小沢一郎・森田一義(タモリ)・久米宏・宮藤官九郎の共通点について述べよう。

一見すると、なんの共通点もなさそうに思うかもしれないが、どんぴしゃりの共通点がある。

全員、いわゆる「末っ子長男」なのである。

末っ子長男とは、上に2人以上の姉がいて、最後に生まれた男の子で、その後、弟・妹が生まれなかった(あるいは、作らなかった)ものをいう。

学習塾を運営していると、生徒の兄弟姉妹関係からも適切な指導方法はなにかを検討する。すると、有名人の言動や、劇作家の場合は作品の傾向なども、兄弟姉妹関係から考えたりしてしまう。

そういうことを考えながら、新聞を読んだりしていると、小沢一郎・森田一義(タモリ)・久米宏・宮藤官九郎の4人は、大胆でありながら、この一線を越えるのはまずいという手前で留まるが、たとえば、第1子長男などからすると、大胆すぎると感ぜられるところがあるらしい。

小沢一郎
「豪腕(ごうわん)小沢」と呼ばれ、自民党から出ていって、新進党を結成したかと思うと、民主党に合流し、代表を務めはしたものの、西松建設からの献金が暴露され、それでも民主党代表を辞任するが気がないかと思えば、健康問題を理由に辞任してみたりする。健康問題については、小沢一郎の心臓が悪いというのは周知の事実だけど。

森田一義(タモリ)
今ではそういうことはないんだろうけど、昔は、二日酔いどころではなく、単に酔っ払った状態で「笑っていいとも!」に出演していたことがある。イグアナの物真似(ものまね)をしていたということや、「タモリ倶楽部」の内容も、いかにも、末っ子長男という感じがする。

久米宏
「ニュースステーション」で、「じゃ、烏龍茶(ウーロンちゃ)を1本賭けましょうか?」などと平気で言っていた時期がある。「烏龍茶1本」というのは、賭けゴルフなどでの隠語で「1万円を賭けませんか?」という意味だ。1万円札の色合いと、缶入りの烏龍茶の缶のデザインの色合いが似ているからだ。「烏龍茶を1本賭ける」ということをテレビで口にしていいのかとどきまぎしたものだが、なんということもなかったらしい。「本当に烏龍茶を奢(おご)るという意味です」と言い張れば、難癖(なんくせ)をつけられないということまで計算して言っていたのであろう。こういう大胆なことは、末っ子長男じゃないと言えないような気がする。

末っ子長男ネタからは離れてしまうのだけれど、久米宏は、テレビカメラのレンズの奥の絞りを見て、自分が今、アップなのか、引いた絵で映っているのかを的確に見てとり、アップのときには、目などの表情で言いたいことを補足的に表現し、引きのときには、手を挙げたり、大きく動いたりして、多角的に表現していた。「ニュースステーション」だけで5億円もらっているだけのことはあるなと感心したおぼえがある。

宮藤官九郎
自分はテレビを持っていないし、DVDもあまり観ないので、よくわからんが、『真夜中の弥次さん喜多さん』では、弥次さん喜多さんは同性愛者らしいし、江戸時代の物語のはずなのに、女子高生が出てくるし、なんだかわけがわからない(映画は観ていないくて、新聞やウェブでの情報による)。初監督作品でこういうのを選ぶのは、末っ子長男だからだと思う。

この人が台本を書いたドラマの視聴率は、決して高いわけではないそうなんだが、そのドラマのDVDの売り上げ・レンタルは、目を瞠(みは)るものがあるそうだ。この点について、第1子長男だったら、まずは、テレビでの視聴率を意識した台本作りをしてしまうだろう。だが、DVD・レンタルの売り上げを含めると、トータルでたいした結果を残している。こうした点で、第1子長男だと、到底できないことがやってのけている。

末っ子長男に関して、理由がわからないこと

末っ子長男は、どういうわけか、愛人スキャンダルがきわめて少ない。どうしてだろうか?

末っ子長男というのは、上に2人以上の姉がいる。姉たちを見ていれば、女性というものがどういうものかがわかる。このあたりに理由がありそうだ。どうやら、姉たちを見ていることから、女性に対する幻想を抱かないようだ。女性に対する幻想というのは、たとえば、おしとやかである、清純である、清潔である、やさしいなどである。女に囲まれて育てば、こうした幻想を抱くことはない(はずである)。

こういうことから、末っ子長男は、女に入れ込むことがないし、また、姉たちを通じて、女性を見ているので、どういう女性が性悪(しょうわる)女であるかを、的確に区別できるのだろう。だから、女性スキャンダルがきわめて少ないのだろう。

なお、女性に対して過度の幻想を抱くのは、たとえば、男子3人兄弟で男子校に通っている男性だと思っている。これについては、後日、したためるつもりだ。

2009年5月16日土曜日

今更(いまさら)ながら、ストラディバリウスはすごいらしいと思った。

 昨日、ヴァイオリンの銘器と演奏者リストというページをウェブで見つけた。それを見て、びっくりした。自分が「すんごく気に入っているヴァイオリニスト」は全員、ストラディバリウス Stradivarius を使用していたのだ。音色を聴き分けられる能力が自分にあるとは思えないのに、ひとりの製作者によるヴァイオリンの使用者ばかりだったので、ひどくおどろいたのだ。
 ストラディヴァリウスというのは、アントニオ=ストラディヴァリ Antonio Stradivariが製作したヴァイオリンなどのことだ。2億円、3億円で取り引きされている。およそ4億円で落札されたことがそうだ。
 自分は、どちらかというと、権力志向がなく、権威に阿(おもね)るのは厭(いや)だと感じるタイプなので、そんな自分がストラディヴァリウスの音色をたいそう気に入っていたことに驚きつつも、同時に、それほど、ストラディヴァリウスはすごいのかとも感心した。
 演奏は好きなんだけど、どうしても「すんごく好き」というところまではいかなくて、「ふつうに好き」なヴァイオリニストは、ことごとく、グァルネリ=デル=ジュス Garneri del Gesu の使用者だった。
 もちろん、ストラディヴァリウスを使っていても、演奏が好きなれないと、「ふつうに好き」にもならないし、演奏が好きでない上に、グァルネリ=デル=ジュスを使っている人は、どうしても好きにはなれないでいる(ということに、「ヴァイオリンの銘器と演奏者リスト」を見ていて気がついたわけだ)。
 生存する日本一のヴァイオリニストは五嶋みどりでまちがいないと思し、演奏も素晴らしいと思っているのだけれども、「すんごく好き」というわけではなく、「すんごく好き」と「ふつうに好き」の中間くらいなんだ。これが不思議だった。謎が解けた。五嶋みどりは、ストラディヴァリウスとグァルネリ=デル=ジュスの両方を所有したのだ。つまり、グァルネリ=デル=ジュスでの演奏のときは、たぶん「ふつうに好き」で、ストラディバリウスでの演奏のときは、「すんごく好き」で、全体としては、「すんごく好き」の一歩手前になってしまうのだろう。

 以前、ストラディヴァリウスが高く評価されている理由を述べているものを読んだ。それによれば、こういうことらしい。

 ヴァイオリンは、元来、室内楽を念頭において製作されていたので、音量は重視されておらず、音色優先で製作していた。その後、市民革命により、王侯貴族を愉しませる室内楽が下火になり、劇場で多数の聴衆を対象に演奏するようになると、アンドレア=アマティ Andrea Amati ヤコプ=シュタイナー Jacob Stainer (Steinerではない)の製作するヴァイオリンは、音量の小ささゆえに評価を下げ、ストラディヴァリウスの評価が相対的に高まったにすぎない。ちなみに、当時、シュタイナーのヴァイオリンはストラディヴァリウスの4倍の値段で取り引きされていた。
 また、グァルネリは、音に関係しない部分、たとえば、渦巻きの部分などは手を抜いているそうだが、ストラディバリは職人気質(しょくにんかたぎ)からか、どんな部分でも手を抜くことがなく、長年の使用に耐える楽器を結果的に製作した。「200年以上経っても使える楽器=すごい楽器」という認識が得られたというわけだ。
 つまり、「音が大きい」ことと、丁寧に作られているので「長年、使用できる」の2点から、評価が高くなっているだけで、本当のところは、「単なる素晴らしい楽器」にすぎないという。

 以上の解説に、納得していた。
 この説明が正しければ、私は、なぜ、ストラディヴァリウス使用の演奏者ばかりをえらく気に入るのであろうか? これに対する答えは見つからない。
 自分は音にあまりこだわらないので、オーディオにはたいしたものを使っていない。いちばん音質がましなのが、ボーズBoseのスピーカーとかではなく、並レベルのヘッドフォンなのである。旋律さえわかればよいと子どものころから思っていた。そんな環境でしか音楽を聴いていないのに、以上のように、ヴァイオリニストの嗜好が、楽器によって截然(せつぜん)とわけられてしまっているのも不思議である。こんな環境でさえも、感じ取れるほどの違いが、両者のヴァイオリンにはあるのであろうか? それに、弓の毛や弦によって、音もいくらかは変わるはずなのに、どうして、こうもくっきりとわかれてしまったのであろうか?

 ま、楽器の音色なんてものは、あくまでも個人的な嗜好(しこう)にすぎないし、グァルネリの音のほうが好きだっていう人もいるし、そこに異論を挟むつもりはない。
 もっとも、演奏と楽器の組み合わせで、「すんごく好き」と「ふつうに好き」と「好きになれない」が、機械的に決まってしまうのは、ちょっと厭だなあ。なんていうか、自分では、いろいろなものが好きだと思っていたら、見事にひとつの型に嵌(は)まっていたんだから。

2009年5月15日金曜日

雨上がりの夜空に

 RCサクセッションについて、うちの小学生の生徒と話していたところ、「雨上がりの夜空に」がすごくいいという。



 こんな歌詞だ。

この雨にやられて エンジンいかれちまった
おいらのポンコツ とうとうつぶれちまった
どうしたんだ Hey Hey Baby
バッテリーはビンビンだぜ
いつのようにキメて ブッ飛ばそうぜ

そりゃあ ひどい乗り方 したこともあった
だけど そんなときにも おまえはシッカリ
どうしたんだ Hey Hey Baby
機嫌直してくれよ
いつのようにキメて ブッ飛ばそうぜ

Oh どうぞ勝手に降ってくれ ポシャるまで
Woo... いつまで続くのか 見せてもらうさ
こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

こんなこといつまでも長く続くかない
いい加減 明日のこと 考えたほうがいい
どうしたんだ Hey Hey Baby
おまえまでそんなこと言うの
いつのようにキメて ブッ飛ばそうぜ

Oh 雨上がりの夜空に輝く
Woo... 雲の切れ間に散りばめたダイアモンド
こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

おまえについているラジオ 感度最高!
すぐにイイ音させて どこまでも飛んでく
どうしたんだ Hey Hey Baby
バッテリーはビンビンだぜ
いつのようにキメて ブッ飛ばそうぜ

Oh 雨上がりの夜空に流れる
Woo... ジンライムのようなお月様
こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて
こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

 いずれ、歌詞の中に潜(ひそ)んでいる別の意味に気がつき、びっくりするんだろうな。
  

2009年5月14日木曜日

「大造じいさんと雁(がん)」:大造じいさんの年齢

 椋鳩十(むくはとじゅう)の「大造じいさんと雁(がん)」に登場する大造じいさんの年齢はいくつかという、どうでもよい問題がある。

 雁狩(がんが)りが行なわれていたころの話だ。残雪と名づけられた雁の棟梁(とうりょう)が登場すると、さっぱり雁が捕れなくなった。大造じいさんは残雪を捕らえようと、智慧をめぐらせるが、いずれも失敗する。智慧(ちえ)較べで、雁に負けるとは、大造は大丈夫か? 2年前に生け捕った雁を囮(おとり)にして雁の群れをおびき寄せ、猟銃で撃とうとするが、そこへ隼(はやぶさ)が雁の群れに襲いかかる。大造じいさんになついていた雁が逃げ遅れる。残雪は仲間を助けようと、隼に闘いを挑む。

 「大造じいさんと雁」は昭和16年「少年倶楽部」11月号に発表された作品である。60年以上も前だ。日中戦争(支那事変)真っ盛りで、真珠湾攻撃の数か月前に発表された作品だ。
 我が身を省みずに、仲間を救おうとするというストーリーには、戦意高揚(せんいこうよう)の匂いがする。こうした点から、この作品を読み解くというのはどうだろうか?
 椋鳩十は考えもしなかったのだろうけど、1941年12月にフライイング=タイガーズ(Flying Tigers 飛虎隊)というアメリカ合衆国義勇軍が投入され、加藤隼戦闘隊と死闘を繰り広げている。

「大造じいさんと雁」 日中戦争          
残雪           加藤隼戦闘隊
隼            フライイング=タイガーズ(アメリカ合衆国義勇軍)

 雁の棟梁の残雪が現実では加藤戦闘隊に相当するところが興味深い。

 で、大造じいさんの年齢についてである。
 小学校の教科書のよっては、前書きの部分が書き改めてあることがあるのだけれど、もとの文章では、大造じいさんは72歳で、残雪との闘いは35、6年前のことだという設定になっている。とすれば、大造じいさんが残雪と関わっていたのは、36歳あたりのことになる。
 これでは、もはや、「じいさん」とは呼べない。「大造にいさん」じゃないかと、以前から考えていた。「大造じいさんと雁(がん)」を読んで、60歳から70歳あたりのじいさんをイメージするのは、誤りであると考えていた。
 実際、挿絵(さしえ)には、60歳以上の老年には見えないものが多い。
 やはり、36歳程度の設定なのであろう。

 しかし、気にかかることがある。物語の中で、終始、「大造じいさん」と呼んでいる点である。それだけではない。単に「じいさん」としているところが、18箇所もある。「若き日の大造じいさん」のつもりなのだろうが、かなりの小学生は、本当に「じいさん」だと思ってしまう。

 そんなことを思っていたのであるが、新しい意見があった。大造じいさんの話を元に、作者の椋鳩十が、新たに、作り直したものだと考えるものである。

「わたしは、その折(おり)の話を土台として、この物語を書いてみました」

 と、前書きにある。実際の話は、あくまでも土台なのであるから、「大造じいさんと雁」で、残雪と闘う大造じいさんは、老人でもよいとする考えである。

 自分は、ずっと、大造さんが35歳前後のときの話だと思っていたんだがな。ま、椋鳩十自身、あまり、細かいことは考えないで執筆したのだろうけど。



2009年5月13日水曜日

正しいボールの投げ方について

 HAL496の小学4年生の生徒が、当校の建物の前で、ゴムボールを使ってキャッチボールをしていた。
 ひとりの投げ方が、「手投げ」というか、「女の子投げ」というか、そういう投げ方をしていたので、それが気になった。
 そこで、ついつい、のこのこと「正しい投げ方」をレクチャーした。

肘(ひじ)は肩から水平に延ばしたラインより下げない。
左手の掌(てのひら)を外側に向けて、たぐりよせるように引き戻しつつ、鞭(むち)のように右腕をしならせながら、最終的には右肩を相手に向ける形で動作を終える。
バドミントンのラケットを振る要領で右腕を振るとよいだろう。

 小学生の女の子に、こういうことを教えているというだけで、通りがかりの人が、にやにやしたり、笑いをかみ殺したりしていた。
 女の子に、正しい投げ方のレクチャーをするのは、みょうな感じがするのだろう。

 それはともかく、説明を繰り返しつつ、実際に投げてみせることにした。

 しまった。
 ゴムボールが軽いということを忘れていた。力が入りすぎて、ボールは3メートルほど先のアスファルトの路面にぶつかった。
 通りすがりの若者にふきだされてしまった。カッコわる。

 

2009年5月12日火曜日

Vanilla NinjaとTokio Hotel

 ある事情から、ガール=バンドの歴史的位置づけを調べていたら、Vanilla Ninjaというバンドがあった。エストニア出身の女性バンドだ。エストニア・ドイツ・オーストリア・スイス・ポーランドなどを中心に、人気のあるバンドらしい。エストニアはバルト3国のひとつで、ロシア・ラトビアに隣接し、海を挟んでフィンランドに面している。
 それにしても、なぜ、Ninjaなんだ。Vanilla Ninjaって、日本語に訳すと「バニラ忍者」だ。vanilla(ヴァニラ)の和名を調べたら、「バニラ」だった。トマトの和名が「赤茄子(あかなす)」であるように、おもしろい和名があればいいのにと思った。中国語なら、漢字だらけで訳せるぞ。「香草蘭忍者」となる。女の子バンドとは思えない名前になってしまう。
 なお、va-nil-laは第2音節に強勢(いわゆるアクセント)がおかれる。アクセント問題で、たまに出題されるよ。
 祖国エストニアではVanilla Ninjaというアイスクリームが売られている。
 こんなバンドだ。



 題名のとおり、なにかあると'Liar!'(嘘つき!)と叫んでいる。
 Dangerzoneという曲のヴィデオクリップでは、「賭場(とば)」という日本語の貼り紙が登場する。日本のマーケットを意識しているらしい。
 バンド名だけで、思いっきりストライクが入ってしまった。
 で、こういう動画もあるよ。


 ここ数年で、バンド名だけでストライクが入ってしまったものでは、ほかに、Tokio Hotelが挙げられる。「東京ホテル」と日本で呼ぶのかと思いきや、「トキオ=ホテル」となっていた。「東京旅館」とか、「東京飯店」「東京賓館」などでもいいと思うんだけど。
 ドイツの少年4人で結成されたバンドだ。20万枚売れれば大成功とされるドイツ音楽業界で60万枚を売り上げたことがある。日本の音楽市場の規模に換算すると300万枚売れたようなものである。
 ヴォーカルは、わざわざ、漆黒の髪に染めている。一般的な日本人よりも黒い髪だ。奇妙な印象を抱いてしまう。これを見ると、欧米人が茶髪の日本人を目にしたときに抱く印象というものが、少しはわかるのではないだろうか?
 なお、ho-telも第2音節に強勢がおかれる。高校受験のアクセント問題で出題されることがなくもないよ。


 英語の題名はMonsoon(モンスーン)だが、ドイツ語の題名はDurch den Monsun(モンスーンを越えて)だ。Durch den Monsunを英語に直訳すると、Through the Monsoonである。
 映像を見ると、若い女の子に人気があるというのも理解できる。たぶん、ゴスバンドとかいうものに分類されるんだろう。バンド名に「東京」を入れたのは、「日本語がかっこいいから」という理由によるものだそうだ。

 個人的に「東京」も「忍者」も、さほどかっこいいとは思わないのだけれど。
 日本って、人気者だな。

 Tokio HotelもVanilla Ninjaも、いずれも、英語のアルバムも出している。世界市場を考えると、英語で唄うことは必須なんだろうな。
 それに、ロックは、強弱で話す英語のような言語に適した音楽だということもあるんだろう。
 ドイツ語は子音が多すぎて、歌には適していない。子音には音の高低がないからだ。ドイツ語でオペラを聴くと、曲によっては、相当な数の子音をとばして発音している。歌詞を知らないまま聴くと、何を言っているのか、さっぱりわからないときがある。英語も子音が多くて、唄うのに適した言語だとは思わないけど。唄うに適しているのは、イタリア語や日本語だろう。

    

2009年5月11日月曜日

円が登場する図形問題に関する攻略法

 高校入試の数学の図形問題で、円が登場する場合、原則として、つぎの1点に注意するとよい。

 「中心O」が描き込まれているかどうか。

 「中心O」が描き込まれている場合、その問題は、中心Oから補助線を引かなければならない問題である。
 「中心O」が描かれていない場合、その問題は、中心Oを用いなくとも、解ける問題である
 「中心O」が描かれているにもかかわらず、中心Oを使うことがない問題が、ごく稀(まれ)に存在するが、これはたぶん、作問研究が充分でない教師による出題であろう。偏差値70を超える高校でさえ、中心Oを使わないのに描き込まれている問題があったこともあるが、どのレベルの高校であれ、「中心O」が描かれているにもかかわらず、中心Oを使うことがない問題というのは、例外中の例外である。
 一方、中心Oが描き込まれていないにもかかわらず、中心Oから補助線を引かないと解けないという問題は、これまで、1度も目にしたことがない。

 図形問題が得意な人からすれば、大したことのない指摘に思えるかもしれないけれど、じつは、相当に効果的である。

2009年5月10日日曜日

日本大学藝術学部に合格しやすいタイプ

 日本大学藝術学部(芸術学部、いわゆる日大藝術学部、あるいは日芸・日藝)に合格しやすいタイプというものがあるらしい。

 正直なところ、どうしても、日藝に合格したい場合、附属高校からの内部進学が最も確実性の高いルートであると考えている。
 とはいえ、一般入試で日藝を目指す場合、あらかじめ、どのようなタイプが合格しやすいのかを把握していれば、すこしは対策が練られるのではないだろうか?

 以下の情報は、日本大学藝術学部に在籍している学生から聞いた。情報の精度については、保証のかぎりではない。

日藝に合格しやすいタイプ

面接で「日藝にしか行きたくないんです」などと強くアピールするタイプ。
 大学は日藝以外は受験していないと訴えるのもよいらしい。「日藝一筋」は好感をもたれるらしい。
 放送学科出身の女子アナウンサーで、親の命令で受けさせられた、日藝以外の大学の入学試験ではすべてを白紙で出したという人がいる。
 「不肖・宮嶋」として有名な戦場カメラマン宮嶋茂樹は日本大学藝術学部写真学科出身だが、大学入試のときの筆記試験のできは、本人によれば、さほどよくなかったそうだ。ところが、面接試験のときに、尊敬するカメラマンはだれかと問われて、同じく日本大学藝術学部写真学科出身で、『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画ならびに同名の写真集・書簡集で有名な一ノ瀬泰造の名を挙げたところ、面接官が「一之瀬くんか……」をつぶやき、目をつぶったという。一ノ瀬泰造は、地雷を踏むことはなかったが、1973年にカンボジアでクメール=ルージュに処刑されていたが、それが判明したのは9年後のことである。宮嶋茂樹は1961年生まれで、18歳で受験したとすれば、1980年2月あたりに受験していることになるが、その時点では、一ノ瀬泰造はカンボジアで行方不明のままだったということになる。当時、尊敬するカメラマンとして一ノ瀬泰造の名を挙げるのは、相当に一ノ瀬泰造ならびに、日藝に入れ込んでいると判断できる。こういうタイプが合格しやすいのだろう。

親・兄弟姉妹が日藝出身である。
 これは、日藝というところがどういう学部であるかときちんと知ったうえで、志望しているということになるから、合格しやすいのであろう。日藝の実態を知ったうえで、受験するということは、たとえば、就職がよいわけではないからといって、大学を怨(うら)んだり、嘆いたりすることがないということが推測できる。また、授業料が、一般的な私立文系学部と較べれば(芸術系としては高くないのだろうけど)、廉(やす)くはないということもわかっている。

地方出身者は合格しやすいのではないか?
 地方出身者は、なんとなく合格しやすいというイメージがあるそうだ。
 日本全国から学生を集めたいという意向があってのことかもしれない。
 同時に、つぎのような推測も成り立ちそうな気がする。つまり、授業料と東京での下宿費用を考え、将来、得られるであろう生涯所得から考えると、いわば、経済学的観点から考えると、日藝に進学することはコスト=パフォーマンスがよいとはいえない投資である。このようなことを考えなければならないような経済力の持ち主の子どもは、そのそも、地方からやって来て、日藝を受験することはないだろう。となると、地方出身者は、おおむね、資産家の子弟である確率が高く、面接などでそうしたことが伝わると、合格しやすいのではないかという可能性も考えられる。芸術関係で芽が出るには、時間がかかりそうで、実際に売れるようになるまでに、生活費などの資金援助は欠かせないだろう。その点、親からの理解も得られている資産家の子弟であれば、東京で10年以上、がんばることもできよう。考えすぎかもしれないが。

どういうわけか神奈川県出身者が多い。
 実際のところ、理由は不明。1・2年生は所沢の校舎に通うので、埼玉県出身者も少なくないが、神奈川県出身者は、通学に時間がかかるわりには、いくぶん目につくそうだ。これも「日藝一筋」にあたるかもしない。自宅から通うとすれば、時間がかかる。にもかかわらず、日藝を志望するということは、それだけ熱意があるということにもなろう。千葉県出身者は神奈川・埼玉ほどではないようだが、経済水準が高くないからだろうか?

 以上、小耳にはさんだことを中心に、憶測・推測もまじえて書いてみた。あまり役に立っていないような気がしなくもない。

2009年5月9日土曜日

コンビニエンス=ストアでの商品の並べ方

 コンビニエンス=ストアでは、当然のことながら、賞味期限の早いものが前に置かれている。
 同じ商品を2列に並べる場合、古いもの、つまり賞味期限の近いものが向かって右側に置かれる。これは、日本人の大半が右利きなので、右側のものを取る習性があるからである。
 ということは、新鮮なものを食べたければ、後ろの商品を手に取る・2列に並んでいる場合は、左側のいちばん後ろにある商品を買うということをすればよいはずである。

 以上の話を、以前、HAL496の生徒たちに話したことがあった。
 高校生のひとりが、それ以来、コンビニエンス=ストアで、いろいろと観察したという。
 確かに、原則としては、そのとおりにならんでいるのだけれど、いい加減なアルバイト店員の多い店舗では、ランダムに並んでおり、商品の列のいちばん後ろ、あるいは左側の列のいちばん後ろの商品を原則どおりに取っても、必ずしも、新鮮なものを買うことになるとはかぎらないそうだ。

「結局、確実に、新しいものを買うには、賞味期限の日付をチェックしないといけないんですね」

 なるほど。
 だが、コンビニエンス=ストアごときで、なぜ、新鮮なものを買おうとするのかが、疑問であるぞ。もしも、健康に気をつけたいというのであれば、コンビニエンス=ストアで物を買うということが自体がまちがっている。ちゃんとした店で買えよと言いたい。ちゃんとした店は、あんまりないんだけれど。

2009年5月8日金曜日

日本一速い男:星野一義

 星野一義(ほしのかずよし)は自動車レーサーであった。1970年半ばから「日本一速い男」と呼ばれ出した。歌手の近藤真彦のレーサーとしての師匠である。
 1976年に日本でF1が初開催された。そのときの名称は「F1世界選手権・イン・ジャパン」だった。星野一義はそのレースに旧式のマシンでスポット参戦し、一時は3位を走行していた。しかし、予算の都合でタイヤの予備が充分にはなかった。「交換するタイヤがなくてリタイヤ」という今なら考えられない理由でリタイヤとなった。もしも、交換するタイヤがあったならば……とだれもが思った。
 ル=マン24時間レースでは、1990年に5位、98年には3位になっている。
 1970年代半ばからは、全日本F2選手権・富士グランチャンピオンレースシリーズ・全日本ツーリングカー選手権などのチャンピオンの常連となっていた。
 日本のF3000選手権に参戦した経験のあるF1レーサーたちからも一目を置かれていた。
 これほどの男だから「日本一速い男」と呼ばれたのだ。

 しかし、じつは、単なる速さだけなら、星野一義よりも速い男たちが、この日本にはいる。

 航空自衛隊のF15イーグル戦闘機パイロットたちだ。彼らは、俗に、イーグルドライバーと呼ばれている。最高速度マッハ2.5だ。換算すると、だいたい時速3000キロメートルだ。
 彼らこそが日本一速い男たちだ。

2009年5月7日木曜日

「天声人語」1文字の値段

 「天声人語」1文字あたりの値段を考えてみたい。
 「天声人語」の執筆担当者の年収がいくらなのかは不明だが、朝日新聞社では、早い人で、50代前半で年収2,000万円くらいだそうだから、2,000万円くらいだとしておこう。
 「天声人語」の執筆担当者は、「天声人語」以外の記事は書かないそうである。翌日分の「天声人語」を書き終えると、1日中、ぷらぷらして、資料室で、文献を調べたり、のんびりしているようだ。「天声人語」以外には何も執筆していないということは、年間に書いた「天声人語」の総文字数で、年収を割れば、1文字あたりの値段が割り出せるわけだ。

 「天声人語」1回分の総文字数であるが、最初の行頭を下げてある空白の部分は文字として数えないものとする。
 句点(。)と改行とを同時に示す「▼」は、1文字とみなす。
 すると、1回あたりの総文字数は623文字となる。
 毎日、掲載されているが、年間の掲載回数を考える場合、「新聞休刊日」の分を引いておかなければならない。新聞休刊日は、年間12回である。

  365-12=353

 つぎに、年間総文字数である。

  623文字×353回=219919文字

 1文字あたりの単価を算出する。

  20,000,000円÷219919文字=90.942574

 1文字あたり、約91円となる。とんでもないくらいに高い。
 10文字で、909円となる。コンビニエンス=ストアのアルバイト店員の時給よりも「天声人語」10文字分のほうが高い。
 1回の掲載分で考えるほうが、もっとわかりやすいだろう。

  91円×623文字=56,693円

 掲載分1回につき、およそ5万7千円である。

 政治や経済について論じる前に、自社の給与体系を論じたほうがいいんじゃない?



2009年5月6日水曜日

最も衝撃的なピアニストはだれ?

 当校では、音楽が勉強の邪魔にならない生徒しかいないときには、なにかしらBGMを流している。音楽を聴きながらの「ながら勉強」はよくないと思う向きもあるのだろうが、「ながら勉強」だと集中力は削(そ)がれるタイプは、元来、ハイレベルな勉強向きではない。
 それに、音楽を愉しむ大脳の部分と数学で使う部分は隣接しているので、音楽を聴くことそのものは、脳のためにはきわめて有効なのである。
 生徒全員に、当校で聴いたものでも、自宅などで聴いたものでもよいから、「これまでに最も衝撃を受けたピアニストはだれか?」と訊ねたところ、山下洋輔ということになった。
 しまった。質問の仕方が悪かったか? 「素晴らしいピアニスト」とか、「上手なピアニスト」にすれば、結果も違っていただろう。
 ある年齢から上だと、「山下洋輔」と答え、小学生だと、「ピアノを燃やす人」などの答えになった。「ピアノを燃やす人」というよりは、燃えさかるピアノを弾く人のほうが適切など思うんだが。


 同じ映像が、さまざまなタイトルの下で、YouTubeに上げられているところをみると、小学生にとってだけでなく、たいていの人にとっても、「衝撃的なピアニスト」なのは、まちがいないのだろう。

2009年5月5日火曜日

井上章一は、基本も習わずにジャズピアノを始めたせいで、痔になった。


 年寄りのあつまりではピアノの弾けるじいさんがモテるらしいが……のつづきなんだが、井上章一は、基本を習わずに、ジャズピアノを始めたせいなのか、すぐに、手や肩など、あちこちが痛くなるそうだ。挙句の果ては、痔になったという。
 40歳を超えてからピアノを始めるというのも、たいへんだ。
 痔になると、坐(すわ)って演奏し続けるのがつらくなる。それで、中腰で演奏したりもする。
 そこから、中腰の姿勢で演奏するジャズピアニスト、キース=ジャレットKeith Jarrettは、痔なのではないかと井上章一は推測していた。

 

↑右側がLimited Edition。

2009年5月4日月曜日

年寄りのあつまりではピアノの弾けるじいさんがモテるらしいが……

 井上章一の『アダルト・ピアノ―おじさん、ジャズにいどむ』という著書を読んだ。井上章一は、国際日本文化研究センター教授で、『美人論』などで知られる。それにしても『アダル・トピアノ』というタイトルは、売れることを狙った編集者が考えたものではないかと勘ぐってしまうなあ。
 『アダルト・ピアノ』は、井上章一が41歳でピアノをはじめ、猛烈に練習して、そこそこに弾けるようになった奮戦記のような部分を含むものである。

 もともと、ジャズが好きだということもあったんだろうけど、話をおもしろくするために、ピアノを始めた動機を、モテるからだということにしている。
 まず、老人のあつまりで講演をおこなった際に、ピアノの演奏ができるじいさんがモテると知らされる。ついで、大阪のバーかどこかで、店のピアノを借りて、初老の男性がジャズピアノをやってみせたら、ホステスにモテていたのを目撃する。そこで、ピアノの練習を始めるわけだ。

 女性にモテる男性は、一般にはつぎの3種類である。

 音楽の上手な男性(ミュージシャン)
 スポーツが得意な男性(スポーツ選手)
 話術が巧みな男性(お笑い芸人)


 だから、ピアノのできるじいさんがモテると指摘されても、そりゃあそうだろうなとしか思わない。
 しかし、現役時代にどんなに素晴らしいスポーツマンであったとしても、80歳になれば、むしろ、スポーツをしていなかった人たちよりも、身体の衰えが激しいだろうから、高齢になってもモテつづけることはできなさそうだ。
 また、お笑い芸人がモテると言っても、耳の遠いばあさんは、ことばが聞き取れないので、モテなくなる。
 この2点から考えると、いつまでもモテるのは、楽器の演奏のできるじいさんとなるだろう。

 だからといって、40歳からピアノを始めても、それほどモテるようにはならないような気がする。
 バーのピアノでジャズを演奏してホステスにモテていた初老の男性に関しては、たとえば、2000年の時点で60歳だと仮定すると、1940年すなわち昭和15年生まれであり、昭和20年代に自宅にピアノがあったとすれば、相当な金持ちで、ずいぶんと「育ちのよさ」を感じ取れる。だから、ピアノの演奏だけで、ホステスにモテていたわけではなく、育ち・人柄など、ピアノの演奏以外のものを含めた総合評価としてモテていたのではなかろうか?
 やはり、40歳を超えてから、ピアノを演奏するようになっても、モテモテ度はそれほど向上しないのではなかろうか?

2009年5月3日日曜日

この味がいいねと君が言ったけど……

ずいぶんと前の5月3日のことだ。

友人宅に招かれて、食事をふるまってもらった。友人である夫がほとんどすべてのイタリア料理をこしらえた。

彼の家庭では、寝起きのよくない奥さんに代わって、朝食は彼が作る。晩御飯は、遅く帰ってきてから、彼が自分の分を作って、食べる。奥さんは、自分の食事しか、ほとんど作らないそうだ。

その日、奥さんが唯一、作ったものは、ドレッシングだけだった。そのドレッシングは、けっこう、おしかった。たぶん、ワインヴィネガーがよかったんだと思う。

「このドレッシングはおいしいね」と言ってから、ちょっと笑わせようと思って、「なんだか、短歌を詠(よ)みたくなってきた」と期待させてから、こう詠んだ。

この味が いいねと君は 言ったけど
五月三日は 憲法記念日

すごく不機嫌になられた。おもしろいと思ったんだけどな。

ちなみに、上記の短歌は、作家の清水義範が『騙(だま)し絵 日本国憲法』の掲載していたものをそのままつかったもの。もちろん、オリジナルの短歌は、俵万智の「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」である。

俵万智の短歌は、当初、カレー味のから揚げだった。

また、短歌集『サラダ記念日』が話題になった直後の早稲田大学文学部学生食堂では「サラダ記念日サラダ」というものを販売したが、普通の女子学生には食べきれないほどの半端(はんぱ)ない量で、「サラダ記念日サラダ」を註文したのは、いかつい体育会系の男子学生だけだったそうだ。

ちっちゃくて、おしゃれなサラダにしておけばよかったのに。

 

2009年5月2日土曜日

澪標と澪

 このごろ、「澪(みお)つくし」という醤油(しょうゆ)を使っている。280年あまりの歴史をもつ入正醤油の製品だ。なんとなく買っていたが、NHKのドラマ『澪(みお)つくし』に由来するということを最近になって知った。ドラマの存在は知っているが、ドラマはまったく観ていない。
 この文章では、現代仮名遣いは緑色で、正仮名遣い(旧仮名遣い)はで表記する。
 「澪標(みをつくし)」は、『源氏物語』の巻名にひとつでもあるが、同時に、小倉百人一首に登場する元良親王(もとよししんわう)の和歌に登場することでも有名である。

  わびぬれば 今はたおなじ 難波なる 
   みをつくしても あはむとぞ思う

 「みをつくし」は「澪標」と「身を尽くし」とを掛けている。
 「澪標(みをつくし)」の「澪(みを)」は、川や海で、底が溝のように深くなった部分のことで、船の水路となるもの。「澪標(みをつくし)」の「つ」は現代語の「の」に相当し、「澪つ串」つまり「澪の串」の意味で、川や海で、水路に杭(くい)を並べて、船が往来する際の目印とするもののことである。
 「身を尽くし」とは、「命を捨ててでも」くらいの意味。

 さて、NHKの『澪つくし』は「みおつくし」と読んでいた記憶している。元良親王の和歌からだったと思うのだけど、「澪」が気になって、たしか、『大言海』という4分冊の国語辞典で調べたと思うのだが、そこでは「澪」の読みが「みよ」となっていた。

 はっきりしないのだけど、古語で「みを」「みをつくし」だったのが、明治・大正ならびに昭和初期には、それぞれ、「みよ」「みおつくし」と分化したという可能性を考えた。それをおもしろい現象だと思っていたのだが、今では、手許の辞書ではどれもこれも「澪」は「みお」となっている。
 「みよ」という読みもあったはずだと思って、Googleで検索してみたら、「青空文庫」では幸田露伴(こうだろはん 慶応3年‐昭和22年)の「幻談」(新字新仮名版)では、つぎのようにルビがふられていた。

澪(みよ
澪釣(みよづり
澪杭(みよぐい

 「みお」は、ちょっと気を抜くと「みよ」に近い音で発音してしまいがちである。これは、「マリア」を「マリヤ」と発音するのと似ているのだろう。
 もしかすると明治から昭和初期には「みお」「みよ」の両方の読みがあったのが、「みお」に収斂(しゅうれん)したのかもしれない。もし、そうだとすれば、NHKの『澪つくし』の影響がすこぶる大きいのだろうな。

2009年5月1日金曜日

新しいシーズンが始まると、アニメ番組の第1回をすべて観るという生徒がいた。

 新しいシーズンが始まると、アニメ番組の第1回をすべて観るという生徒がHAL496にいた。そういうアニヲタ(=アニメオタク)はいるんだろうなと想像していたが、こんなにも身近にいるとは思いもよらなかった。
 ところが、本人は、自分はアニヲタではないという。第1回はひととおり観るが、最後まで見続けるのは1つしかないからだという。
 アニヲタでなければ、第1回はすべてチェックするということはしないと思うのだけど。
 その生徒によれば、このシーズンでいちばんのお薦めは『けいおん』という高校の軽音楽部を舞台にしたガールズバンド物語だそうだ。原作は漫画だそうだ。
 以前から、音楽漫画は流行(はや)るはずがないと思っている。漫画からは音が聞こえてこないから、絶対に評価されるはずはないと思っている。
 ところが、『けいおん』はアニメ化されたし、少し前だと、『のだめカンタービレ』が漫画の原作から、アニメや実写になっている。また、『ピアノの森』も漫画の原作からアニメ化されている。
 音楽の聞こえない音楽漫画がおもしろいとは、どうしても思えないのだが。あるいは、音楽は作品の小道具みたいなもので、本質にさほどかかわらないものなのだろうか?

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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