2009年2月28日土曜日

入試問題からその学校の学生・生徒の弱点をちょっと考えてみる。

入試問題で出される問題は、大学・高校ならびに中学校からすると、今後の学習・勉強のために必要なことがらが盛り込まれているが、同時に、授業などで、その学校の生徒ができなかった問題を出す場合もある。

「最近の学生はこんなことも知らないのか」と思った教官・教員が、翌年の入試で出題することもある。

入試問題を見れば、この大学の学生はこれを知らない学生が多くなったということが見て取れる。

東京大学で加法定理を証明させる問題が出されたが、これは定理を証明できない学生が増えていることを示している。

早稲田大学教育学部では「耳順」の意味を訊ねる問題が出されたが、このことからわかることは、最近の早稲田大学教育学部の学生は『論語』の有名箇所すら知らないということが窺(うかが)われる。

出典はつぎのとおり。

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子曰、吾十有五而志學、三十而立。四十不惑、五十知天命。六十而耳順、七十而從心所欲不踰矩。

子曰く、「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰(こ)えず」と。

先生はおっしゃった、「私は十五歳で学問に志し、三十歳で自立した。四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、五十歳で天命を知った。六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになり、七十歳で心の欲するままに任せても限度を超えなくなった」
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早稲田大学理工学部では、英語の試験で対偶を利用できるかを試す問題が出された。数学で対偶は習っているのに、英語で対偶を利用しないと解けない問題が出されたということは、数学では対偶を活用することはできても、日常の議論などでは有効に利用できない学生が少なくないということを示唆(しさ)していると考えられる。

こんなふうに、問題を見ながら、その学校の生徒・学生がどういうものかを考えることができるわけだが、ちょっと古い問題だが、最初、不可解に思う出題があった。

慶應義塾女子高等学校の漢字の書き取りだ。

屋台」が出題されたことがある。

いくらなんでも、慶應義塾女子高等学校で、この出題はないだろうと思ってしまったが、ひとつの仮説に辿(たど)りついた。

慶應義塾女子高等学校での出題というのがポイントだ。

並みのレベルの高校で出題したら、ただの易問にすぎないはずなのに、慶應義塾女子高等学校で出題されたということは、そこの生徒には「屋台」が書けない者が少なからずいるはずである。

「屋台」が書けない生徒がいるのは、お嬢さますぎて(それも勉強がものすごくできるお嬢さま)、屋台で買ったたこ焼きを食べたりはせず、屋台そのものの存在が、身近ではないからである。育ちがよすぎるので「屋台」が書けないわけだ。ただし、このことから、慶應義塾女子高等学校がいわゆる「庶民」を入れたがっていると考えてはいけない。庶民が普通に知っている漢字の熟語も書けるようにしておけというメッセージにすぎないのである。

ちなみに、当校の中学生以上の女子生徒は全員、「屋台」が書けてしまいました(笑)

2009年2月27日金曜日

中学受験の算数や高校受験の数学の図形問題を実際に描いてみる場合に必要となるものさしの長さの大部分は23cmである。

 中学受験の算数や高校受験の数学の図形問題を実際に描いてみる場合に必要となるものさしの長さは23cmである。これで、大半の図形は描ける。
 当校では、図形問題の苦手な生徒には、方眼紙に三角定規やものさしを使って、丁寧(ていねい)に描いてもらっている。実際に描くことで感覚が養われるのである。
 これまでの経験から、図形問題の図形を描くのに必要とされるものさしの長さは、23cmくらいである。30cmのものさしだと、ちょっぴり長すぎて使い勝手がちょっと悪い(ただし、身長185cm以上になると、むしろ、30cmのものさしが使いやすいようである)。15cmや18cmだと、短すぎるので、2回にわけて引かなくてはならない直線が出てくる。
 23cmのものさしは、調べた範囲では販売していないのだが、25cmのものさしがあったので、数本、購入してある。
 15cmや18cmのものさしが多いのは、缶ペンケースなどの大きさに合わせたものだと思われる。鉛筆の長さは、172mmとJIS規格で定められている。それに合わせてペンケースのサイズを決めると18cm程度になる。ペンケースに入る長さとして、15cmや18cmのものさしが多く販売されているようだ。
 中学受験や高校受験の図形問題では、ほとんどの図形を描くのに23cmのものさしで間に合うわけだが、一般的なものさしの長さが15cmや18cmであるのと同様に、これにも理由がある。
 B5判の方眼紙である。
 一般的なコクヨの「上質方眼紙B5 1mm目ブルー刷り」は、印刷している部分のサイズは22cm×15cmである。
 三平方の定理で、対角線の長さを計算すると、およそ26.6cmとなる。方眼紙の端から端までを使った図形を考えるわけではないから、23cmあれば、必要にして充分な長さのものさしになるわけだ。

 つまり、中学や高校の数学教師は、B5判の方眼紙を使って、作問しているので、図形問題の図形は、ほとんどがB5判の方眼紙に収まる大きさになっているのだ。
 ときには、中学受験などでよく見られるのだけれど、B5判の方眼紙で図を考えてから、それを4倍の大きさにして出題している例もある。図形が大きくなりすぎると、実感しづらくなり、それで惑(まど)わされる受験生がいなくもないからである。

 もともと、日本人はB5判やB4判が好きだ。B判は、紙の規格を考える際に、美濃紙を基に定めたもので、A判はドイツの工業規格によるものである。だから、海外のプリンターにはA4サイズしか印刷できないものが多いというか、A4サイズしか印刷できなかったりする。
 また、よく売れるものは量産効果により廉(やす)くなる。
 コクヨの「上質方眼紙 1mm目ブルー刷り」のサイズごとの値段を列挙してみよう。サイズによって枚数が違うので、1枚あたりの値段も併記する。価格は、カウネットというところの値段である。

B5(40枚)132円 1枚あたり3.3円
A4(50枚)255円 1枚あたり5.1円
B4(50枚)453円 1枚あたり9.06円
A3(50枚)583円 1枚あたり円11.66円

 価格面でもB5判は圧倒的に廉(やす)い。

 以上のことから、日本人は、意識しないところで、B5サイズに収まる図形問題を大量に解いているのである。
 一方、欧米の数学教師は、A4サイズ、あるいはそれに準ずる大きさの用紙で図形問題を作成している可能性が高く、日本人が普段、解きなれた大きさの図形よりも、すこしばかり大きな図形の問題を解いているかもしれない。A4サイズは用紙の大きさで21cm×29.7cmである。
 ウェブで調べたところでは、8.5インチ×11インチがいちばん小さい方眼紙cross-section paperだった。1インチ=2.54cmなので、21.59cm×27.94cmである。A4サイズに近い大きさである。B5判の印刷面の15cm×22cmよりも大きい。B5判の用紙そのもののサイズは18.2cm×25.7cmである。
 対角線も35cmくらいで、B5サイズの印刷面の26.6cmよりも8.4cmも長い。
 数学という一見、普遍的に思える科目でも、国ごとの文化的背景による影響を受けているということになる。興味深い事実だと思わないかな?



25cmのものさし 長からず短からず、便利だよん。

2009年2月26日木曜日

ディズニー映画の『アラジン』を指定席で観たら

 ずいぶんと昔のことになるが、ディズニー映画の『アラジン』Aladdinを女ともだちと観に行った。私はべつだん、ディズニー映画のファンというわけではないが、その女ともだちが、どうしても観に行きたいと言ったから、映画館に足を運んだ。
 『アラジン』は『千夜一夜物語』の「アラジンと魔法のランプ」に基づいている。初めのほうで、アラジンが王女ジャスミンJasmineに'Trust me!'(ぼくを信じろ!)と言っていて、のちに、変装しているアラジンが'Trust me!'(ぼくを信じろ!)と叫んだときに、ジャスミンが変装したアラジンだと気づくという場面と、魔法のランプの魔人ジーニーthe Genieがやたらと早口だったということくらいしか憶えていない。
 映画そのものよりも強烈に憶えていることがある。ディズニー映画のファンではないから、指定席でなくてもよかったが、一緒に行った女ともだちが、大ファンだったので、不本意ながら指定席の鑑賞券を買った。指定席は2階席の前半の中央部分にあり、椅子の布のカバーも一般席よりもちょっと豪華になっていた。ぼくたちの指定席は最前列の右から3席目と4席目だった。
 席に着いて、ほどなくして、おもしろいことに気づいた。
 『アラジン』を指定席で観ようとするのは、ことごとく若いカップルばかりだったのである。しかも、男性は、ほかのカップルの男性の隣に坐るのを好まないのか、あるいは、一般に男女のカップルは、男性が右側に、女性が左側に位置する傾向があるので、そのせいなのか、男性・女性・男性・女性……と並んでいる。
 図式化すると、つぎのようになる。

男性……
女性……
                        赤い部分のふたりの男性の存在が気になる。
 最後列



▼△ 最前列
 緑色がぼくとおともだち

 こんな具合に、男性と女性が見事なまでに、交互に並んでいたのである。
 よくよく観察すると、この図でいうと、右上の部分の赤いところが目についた。
 なんか、すっごい気になったぞ。男同士でディズニー映画を観る、それも指定席とは……。

2009年2月25日水曜日

第2志望の人生

 知り合いにこういう女性がいるんだけど。



 国立大学附属小学校を受験するも、抽選で不合格。しかたがないので、公立小学校に進学。

 高校受験。第1志望校に不合格。第2志望の日比谷高校に進学。

 大学受験。第1志望校に不合格。第2志望の早稲田大学に進学。

 大学院受験。第1志望校に不合格。第2志望の慶應義塾大学大学院に進学。

 就職活動。第1志望の企業に不採用。第2志望の〇〇新聞社に就職。

 就職後、希望の部署に配属されることなく、不本意な業務にのみ従事。




 あるとき、彼女がこう言った。

 「結婚だけは、第1志望よ」




 あれから、10年以上、経ったけど、まだ結婚していない。



2009年2月24日火曜日

Japってそんなに侮蔑的ではないよ。Nipのほうがひどいよ。

 日本人を侮蔑(ぶべつ)することばとして、一般的にはJapが知られているが、状況によっては侮蔑的な使い方もあるけど、もっとひどいのは、Nipponeseであり、それを短くしたNipはもっとひどい。個人的にはNipponeseのほうがかわいい感じがして、好きなんだけど。
 第2次世界大戦以前には、Japという語には、それほど挑発的・攻撃的な意味合いは込められていなかった。日本人が「ソヴィエト社会主義共和国連邦」のことを「ソ連」というようなものだ。英単語は第1音節に強勢が置かれる。強勢とは、いわゆるアクセントaccentのことだが、正確にはストレスstressである。アクセントはストレスとイントネーションintonation(抑揚)を合わせたものである。英語では第1音節に強勢があるものが多いのに、Jap-a-néseは第3音節に強勢がある。これは言いにくい。だから、もともとは、単に、言いにくいという理由だけで、Japと略していただけだった。
 しかしながら、真珠湾への奇襲攻撃によって、Japという語に憎しみが込められるようになった。宣戦布告なしに攻撃を加えるのは、国際法上、断じて許されることではない。
 それでも、JapはNipよりはましなことばである。映画などで、場面によってはJapを使うことはあっても、Nipはそういうことはない。フィクションの中のできごとだとしても、使えないことばなのである。
 Nipはまた、nipple(乳首)を連想させるので、ちょっと恥ずかしい側面もある。
 辞書以外で、Nipを使っているのを見たのは、英語の掲示板とYouTubeのコメント欄くらいのものである。
 ちなみに、シンガポールや香港の新聞では、形容詞のJapaneseの省略形としてJapを使うが、これは、英字新聞でInternationalをInt'lと表記するのと同じ感覚である。

2009年2月23日月曜日

世界的に有名な日本人ヴァイオリニストは誰かということをウィキペディアを基準に考えてみる(失敗だった)

 世界的に有名な日本人ヴァイオリニストは誰なのかということを無料百科事典ウィキペディアThe Free Encyclopedia Wikipediaという多少いんちきくさいものを基準にして考えてみた。表題にあるように、この試みは失敗である。

 ウィキペディアの記事を見ると、日本語の場合、画面の右下に「他の言語」という項目がある。真面目に調べものをしているときは、私は基本的に英語を読むが、日本語のほかにもフランス語・ドイツ語にも目を通す。ときには、イタリア語・スペイン語などもチェックすることもある。このことからわかるように、私はアラビア語やペルシャ語やインドネシア語やタイ語や韓国語などはまったくの苦手である。
 知名度の高いものは、複数の言語でウィキペディアに記事が載っている。
 そこで、どのくらい多くの言語で記事が掲載されているかで、世界的なレベルでの知名度の指標になるのではないかと考えた。
 日本人ヴァイオリニストで複数の言語で記事があれば、日本国外でも知名度が高いといえる。ただし、日本語と英語だけの場合、日本は、事実上、アメリカ合衆国の文化的属国状態にあるので(留学する人間の9割以上の留学先がアメリカ合衆国というのは独立国ならば考えられない数字である)、日本語・英語のみのヴァイオリニストはここでのランキングからは外した。日本語だと顕著なのだが、英語にも、どうやら、本人による自作というか、本人あるいはその関係者が書いたらしい記事が見受けられたからである。

 ということで、ランキング(2009年2月23日)。

7位 2言語(日本語・英語の組み合わせは除く)
寺神戸亮(てらかどりょう)
日本語・ドイツ語

小野明子(おのあきこ)
日本語・ロシア語

4位 3言語
川井郁子(かわいいくこ)
日本語・英語・フィンランド語

五嶋龍(ごとうりゅう)
日本語・英語・ドイツ語

諏訪内晶子(すわないあきこ)
日本語・英語・スウェーデン語

3位 4言語
西崎崇子(にしざきたかこ)
日本語・英語・スウェーデン語・中国語

 西崎崇子って誰? と思う人がいるかもしれない。この人は、ヴァイオリニストとしてというよりは、ナクソスNAXOSというクラシック系音楽レーベルを、ドイツ人の夫とともに創設した人物としての扱いが大きいようだ。同時に、会社の営業戦略の一環としてウィキペディアに記事を載せている可能性もなくない。

2位 8言語
五嶋みどり(ごとうみどり)
日本語・英語・ドイツ語・オランダ語・フィンランド語・ポルトガル語・ロシア語・ベトナム語

 五嶋みどりが1位じゃないことに驚いた人も多いだろう。では、だれが1位なのだろうか?

1位 9言語
鈴木鎭一(すずきしんいち、鎮一とも書く)
日本語・英語・ドイツ語・オランダ語・デンマーク語・スウェーデン語・フランス語・スペイン語・エスペラント語

 誰だ、このおっさんと思った人へ。ほら、姓が「スズキ」なんだから、わかるでしょ?

 ヴァイオリンを主とする指導理論であるスズキ=メソードSuzuki Methodの創始者である。ヒラリー=ハーンHilary Hahnはスズキ=メソードでヴァイオリンを学んだそうだ。

 並んでいる言語が、人工語のエスペラント語を除けば、それもこれも先進国ばかりというのが、奇妙な感じがする。

 どういう指導方法なのかは知らないままなのだけれども、「メソード」という読みだけで胡散(うさん)くさいと感じてしまう。英語のmethodならば、/meˈθəd/なんだから、日本人の耳には「ッソド」くらいに聞こえるはず(決して「メッド」ではない)。フランス語のméthode /metɔd/ ならば、「メド」か、「メード」か、その中間くらい。ドイツ語のMethode /metoˈdə/ だと「メーデ」くらいになるだろう。よっぽど変な方言を耳にしたのかなあ。

 音楽ができるには音感は必要だ。音感があれば、外国語の発音は滑(なめ)らかに習得できる。だから、「外国語の発音は悪いが、音楽家としては優秀である」というような音楽家はいないはず。これまでの経験で、外国語の発音がおかしいなと思ったミュージシャンで、優れているとは思った人はいなかった。

 音楽の指導理論提唱者とレコード会社の営業とを除けば、3言語以上に記事のあるヴァイオリニストが、五嶋みどり・五嶋龍・諏訪内晶子・川井郁子の4人しかいないというのは、日本の音楽界を象徴しているようだ。また、掲載言語数が最も多い日本人ヴァイオリニストが、指導理論提唱者というのも、象徴的な感じがする。

 それにしても、庄司紗矢香の項目が日本語・英語の2言語しかないのはどうしてなんだろう?

 ちなみに外国のヴァイオリニストは、こんな具合だった。

イツァーク=パールマン Itzhak Perlman 
24言語

ヤッシャ=ハイフェッツ Jascha Heifetz 
23言語

 ヴァイオリニストとは関係なしに、日本人で掲載言語数が最も多い日本人は誰かと思って、適当に調べてみた。

昭和天皇
69言語

 昭和天皇を上回る日本人は、いないんじゃないかな。

   

2009年2月22日日曜日

早稲田大学第一文学部で、フランス語のクラスでは、中学1年生あるいは高校1年生からフランス語を勉強している学生が1割以上いた。

 フランス語のクラスには、高校1年生から、あるいは中学1年生からフランス語を勉強している学生が1割以上いた。そのクラスがたまたまそうであった可能性は否(いな)めないが、フランス語に関しては、たぶん、早稲田だったら、どこでもそのくらいだろう。
 私がそのことに気づいたのには、じつにばかばかしい経緯(いきさつ)がある。

 私は受験生時代、駿台予備学校(「予備学校」が正式名称)の模擬試験では英語の偏差値は70を下回ったことがなかった。当時は、たとえば、東京大学文科三類の合格偏差値が53だったくらいに、駿台予備学校の規模は今よりも小さく、下手な大学よりも入学するのが難しかった。
 たとえば、歌手の山本コウタローは、上智大学に合格したときは少しもうれしくなかったが、駿台予備学校に合格したときは、よし、これで1年間真面目に勉強すればちゃんとした大学に入れるぞと喜んだそうだ。翌年の1969年は東京大学が学生紛争によって入学試験を中止した年で、山本コウタローは一橋大学に進学した。なんて、悲しいんでしょ。
 それはともかく、山本コウタローよりは時代は下るが、それでも駿台予備学校の模擬試験の受験者層のレベルは高かった。そこで偏差値70を下回ったことがないのである。
 フランス語やドイツ語の学習において、英語力が高ければ高いほど、効率よく勉強できる。この構文は英語のやつと同じだなとか、この単語は英語の綴(つづ)りと1箇所ちがうだけだなとか、そうした点で、憶えることなく身につく部分が、英語力が高ければ高いほど、有利に働くのである。

 さらに、私は、普通のフランス語の参考書のほかに、イギリス人向けに売られている英語で書かれたフランス語の入門書もこなしていた。フランス語の文を英文に訳したり、英文をフランス語に訳したりしていた。英語とフランス語は、代名詞の位置などの一部を除けば、基本的に語順が同じなので、日本語を介在してフランス語を勉強するよりもはるかに効率がよい。ちょっとした反則技で勉強していた。

 ところが、上には上が少なからずいた。前期試験の結果を担当の教員が発表したので判明した。
 もちろん、当時の私にとって、フランス語は余技であって、もともとはドイツ語を学ぶつもりであった。ドイツ語は、のちに落ち着いたときにやる予定でいた。しかし、選択科目でフランス語をとっておけば、実際に自分の勉強したいことは英語とドイツ語の文献が中心なので、ドイツ語も必ず勉強することになると考えて、あえてフランス語を選択したのだ。そうすれば、英語・ドイツ語・フランス語の3つの言語で本が読めるようになるはずだ。実際のところは、ドイツ語も勉強したが、哲学書はなんとか表面的に読めるが、深い意味を見逃したりするし、普通の小説に必要な語彙は不足気味のままだ。
 また、当時は、予習が10時間くらいかかる「上級漢文II」の授業を受けつつ、毎週、100ページ以上、英語の原書購読もしていた。
 それでも、成績は悪くなかろうとふんでいたのだが、自分よりも上の成績の学生が予想よりも多くて、軽いショックを受けた(成績はA評定[90点から100点]で、悪くはなかった)。
 フランス文学マニアがふたりいて、彼らが自分よりも3倍以上の時間をフランス語の学習にかけていたので、そのふたりに負けているのは理解できる。また、早稲田大学高等学院出身者は高校1年生のときからフランス語を勉強しているので、これも理解できる。
 普段の勉学に対する姿勢ならびに英語力の貧弱さなどから、フランス語の成績が負けているのが、どうしても解せないのがいた。

 前期試験のフランス語の成績が自分よりもよかった女子学生がいる。かりに、〇〇子ちゃんとする。
 私にはある癖がある。その癖がよい癖なのか、悪い癖なのかはわからないが、この人にはこの分野ではかなわないと思うと、そのことを周囲の人間のみならず、本人にも伝えるのである。「いやあ、これこれの分野では◇◇くんには逆立ちしてもかなわないなあ」
 それで、1年生の前期試験の結果を担当教員が発表してからはずっと、〇〇子ちゃんとキャンパスで世間話をしたときにはかならず、「あれだけ勉強したのに、負けてたんで、軽いショックを受けた」「英語の参考書でもフランス語を勉強していたのに、負けていたので、上には上がいると痛感した」ということを、言い続けたのである。
 世間話をすると、必ず、そんなことを言っていた。学生食堂で一緒に昼食を食べているときにも、そんなことを言っていた。〇〇子ちゃんはいつも、ふふっと笑っていた。
 そういうことをしていたら、〇〇子ちゃんは、さすがにうんざりしたらしい。大学3年生の秋に、1年生のフランス語の前期試験の成績が負けていたので、あれはショックだったと、またもや言っていたら、〇〇子ちゃんがこう言ったのだった。
 「ああ、私はね、☆☆外国語大学の附属高校だったから、高校1年生のときからフランス語はやってたよ」
 そうか。なるほど。
 その後、そういえば、なぜ自分がフランス語の成績で負けているのかがさっぱりわからない▽▽子の出身高校は、フランスのキリスト教団が運営しているミッション系だったと思い出し、本人に確認したところ、中学1年生からフランス語を勉強していたという。
 全員に確認したわけではない。60人のクラスにはほとんど赤の他人のような学生もいるからだ。それでも、フランス語を高校やっていてもおかしくさなさそうなところの学生30人くらいに訊いた。少なくとも7人は3年以上フランス語を勉強していたことが判明した。
 60人中7人である。見当をつけた30人くらいのうちで7人もいたともいえる。
 首都圏となると、国際人と呼べる人や外交官の子女も多くおり、英語だけでなくフランス語もできたほうがよいということを知っている。また、フランスのキリスト教団によるミッション系も東京には少なくなく、中学生からフランス語も勉強しているのである。日本の知的な点での上流階級っていうのはそういうものなのである。
 ミッション系の女子高出身者は、基本的に早稲田よりも慶應義塾を好む傾向が強いから、慶應義塾大学文学部でフランス語を第2外国語で選ぶと、3年以上勉強している学生の割合は、1割以上どころではないんだろうな。

 かわいそうなのは、田舎の公立高校出身者で、ぎりぎりで合格したような学生たちである。3年以上に亙(わた)ってフランス語を勉強してきた学生が少なくないという事実を知らずにいて、同じくらいに勉強したはずなのに、たとえば、自分は60点で、相手は96点という事実から、自分はこの大学の中では相当に頭が悪いほうではないかと思い込んでしまう。頭が悪いかどうかはともかくとして、3年以上フランス語を勉強している学生に流されて、勤勉ではなかったのは事実であるが。

 というわけで、早稲田以上のレベルの大学に進学する人で、フランス語を選択するつもりがあるのならば、入学までにできるかぎり先取り学習をしておいたほうがよいだろう。早稲田あたりでも、中堅上位とされる大学の20倍から25倍の勉強量が求められるのだし。
 もっとも、最近は、東京大学でも、早稲田大学でも、中国語を選択する学生が増えているようだが。

 多くの大学ではつぎのことわざのようなものが一般に流布(るふ)している。

 フラ語とる馬鹿、チャイ語落とす大馬鹿

 フラ語はフランス語のことで、チャイ語は中国語のこと。

解釈:フランス語のような習得がむずかしい言語を第2外国語に選択するようなやつは馬鹿であるが、しかし、単位取得が楽だとされる中国語の単位を落とすようなやつは大馬鹿である。

 発音はフランス語のほうがむずかしいが、憶えなくてはならない文法事項はドイツ語のほうが多くて、ドイツ語の形容詞と副詞が同じ綴(つづ)りというのが精密な理解を困難にしているし(ドイツ語には形容詞・副詞専門辞書というものがある)、さらには、枠構造(わくこうぞう)というものがあって、ひとつの動詞がふたつにわかれてるなんていうものがある。本当はドイツ語のほうがめんどうくさいと実体験から感じているのだが、フランス語のほうがむずかしいというイメージがあるらしい。

追記:大学3年生の秋になっても、1年生前期の試験結果の話を〇〇子ちゃんにしていたということを聞いたHAL496の生徒の反応は「うざい」「しつこい」「掃除機先生のような人は早稲田に多いんですか?」などであった。▼夏休みにも弛(たゆ)むことなく、勉学に勤(いそ)しめば、夏休み明けには、3年、6年の学習期間の差は、逆転できるよ。もとともの英語力が高ければ、の話だけど。

    

『フランス語ハンドブック』は、フランス文学らしい「変な内容」の引用が多くて、おもしろい。HAL496の生徒に見せると、フランス文学に対する偏見が養われるらしい。
『新フランス文法事典』の前の『フランス文法事典』を持っているが、辞書や事典を読むのが趣味なのだけど、これだけは読了していない。
『翻訳仏文法』と『翻訳英文法』を読んでおけば、翻訳に必要な技能やテクニックはだいたい充分であろう。

2009年2月21日土曜日

「そうね、私、『地獄の門』の前で待ってる」と彼女は言った。

上野にある国立西洋美術館に絵を観に行ったときのことだ。

異常なまでに忙しかったが、そのときに催されていたウィリアム=ブレークWilliam Blakeの展示をふたりともどうしても観たかった。

彼女をオートバイに乗せて行ったり、車で迎えに行ったりする時間的な余裕はなかった。

そこで、彼女は電車で、ぼくはオートバイで現地に赴(おもむ)き、西洋美術館で待ち合わせて、一緒に絵を眺(なが)めて、その場で別れるということになった。

「じゃあ、外で待ってるのは嫌だから、敷地(しきち)の中で待ってる」と言う。

「敷地のどのあたりにいる? 『カレーの人々』の前?」とぼくは訊(き)いた。「カレーの人々」は彫刻の名前だ。

そうね、私、『地獄の門』の前で待ってる」と彼女は言った。

「地獄の門」Le Porte de l'Enferはオーギュスト=ロダンの作品である。

ロダンといえば、「考える人」Le Penseurが有名だが、「考える人」は「地獄の門」を構成する群像のひとつとして造られたものである。

「地獄の門」そのものは、ダンテDanteの『神曲』Divina Commediaに登場する地獄への入り口の門である。

「考える人」は、ダンテが地獄の門を前にしてその門をくぐるかどうかを迷っているものだ。

だから、「考える人」というのは、じつは「迷っている人」と訳すのが適切なんじゃないかな。


地獄の門 Le Porte de l'Enfer

当日、オートバイで西洋美術館の近くまで行き、分厚い革ジャンに、フルフェイスの真っ白のヘルメットを手に、西洋美術館に入った。

ほほえみながら、小さく手を振っている彼女が、地獄の門の前にいた。

2009年2月20日金曜日

役に立たないものを勉強する特権

 漫画やドラマに登場する勉強嫌いのステレオタイプとして、「こんな勉強が何の役に立つんだ!」というものがある。だが、これは大いに間違っている。少なくとも高校までに習うことは、どれもこれも、役に立つことばかりである。役に立たないことはひとつもないと言っても過言ではない。もちろん、特定の職業に就くには、これは知らなくてもなんとかなるというものはある。それでも、知っておいたほうがある局面では少しは有利になる。 「役に立たない」と決めつける者は、どのような局面で役に立つ場合があるのか、想像することができない人間である。

 では、大学に進学すれば役に立たないことが学べるかというと、これは大学次第である。今は、大学の数が多くなりすぎている。大学も生き残りをかけて、さまざまな工夫を凝らしている。受験しやすいシステムにしようとしていたり、イメージアップ戦略に走ったりしている。大学の偏差値は何で決まるかを端的に述べると、就職の良し悪しであり、OBの平均生涯所得である。すると、中堅大学のみならず、そこそこの難度の大学でも、数多く資格を取らせることに力を注ぐようになっている。言ってみれば、大学という名の「高度な専門学校」と化している。大学に進学しても、「役に立つ」ことしか学べなくなっている。

 だからこそ、役に立たないことを学んだり、研究したりできるのは、一定レベルの勉強をこなした者だけの特権である。ずっと、そんなふうに考えていた。学生時代に、言語哲学や分析哲学という分野を勉強した。言語の構造や言語分析を通じて、われわれの認識にとっての世界の論理構造を把握しようとしてみたのである(結局、失敗した)。

 ところが、実生活ではまったく役に立たないと思っていたのに、役に立っている。いや、むしろ、役に立ちすぎている。HAL496では、入試の問題文に見られる特徴的な言葉遣いから出題者の意図を読み取るなどの指導をしているが、言語哲学が役に立ちすぎて、一般の塾・予備校に通う場合よりも、とりわけ、選択肢のある問題では、はるかに少ない知識で正解できてしまう。こんなにも役に立ってしまうことを勉強したのかと、ちょっとがっかりしている。

 同じようなことを考える人はほかにもいるもので、東京大学理学部数学科で整数論が専門の教授がこんな意味のことを書いているのを読んだことがある。

 大学というのは、役に立たない学問ほど偉いとされる。学部紹介で最初に紹介されるのは理学部であり、理学部でも数学科が最初に紹介され、数学科でも整数論が最初に紹介される。整数論が理系学問のなかで最も役に立たないがゆえに、最も尊いのである。ところが、最近、整数論の素数が公開鍵暗号に利用されるようになった。役に立ってしまう。これは嘆かわしいことだ。

 役に立たないからこそ、立派な学問だと思っていたのに、メルセンヌ素数なんかを利用して、ウェブ上でのセキュリティのために公開鍵暗号なんてものが考案されたのである。がっかりな気持ちはわかる。

 ちなみに、たいていの理学部の組織図では数学科が筆頭に置かれるが、文学部では哲学科が筆頭に置かれる。世間的な意識では「最も役に立ちそうにない学問」なんだな。

   


2009年2月19日木曜日

本味醂(ほんみりん)の使用量と学力の関係について

 理由は、はっきりとはしていないが、本味醂(ほんみりん)の使用量が多い家庭の子どもは、勉強が苦手ではない傾向があるように感じている。ここでは、味醂風調味料は含まない。

 以下、Microsoft Encartaからの引用。一部、表記を変えた。

 味醂(みりん)とは、日本独特の調味料用の酒で、焼酎(しょうちゅう)あるいは40%のアルコールに、蒸したもち米と米麹(こうじ)を混合して仕込み、40日から60日ほど熟成してから、もろみを圧搾(あっさく)・濾過(ろか)して造る。米の澱粉(でんぷん)が麹の酵素によって糖化され、アルコール14%・糖分42%ほどの甘みのある黄色い味醂となる。これが本味醂で、調味料として、また屠蘇(とそ)酒の原料として使われる。

 本味醂は、ほかの調味料と較べると割高である。1997年以前は酒屋でしか販売できなかったが、酒税法改正により、届け出さえしておけば、酒屋でなくとも販売できるようになっている。
 ところが、うちの近所の店を見ると、あまり売っていない。比較的安売りの店では、もともと酒販売業免許があるのに、本味醂をおいていない店がある。その店の客層の経済力にとって味醂は贅沢品(ぜいたくひん)なのだろう。
 また、近所の高級食材店でも、本味醂は置いておらず、味醂風調味料しか置いていない。その店の客層からすれば、高価とはいえないにもかかわらずだ。
 酒税法改正後も売り上げが伸びていないのは、値段だけが理由ではないようだ。

 さて、味醂の使用量と、子どもの地頭(じあたま)のよさには、比較的強い相関関係があるようだ。ところが、その理由がはっきりしない。
 これまでに考えた仮説を挙げる。

1)アミノ酸やコハク酸が脳(の成長)によい影響を与えているのかもしれない。じつはアミノ酸の細かい研究はそれほど進んでいないらしいので、この可能性を考えてみた。

2)本味醂をよく使うということは、和食中心の食生活で、それが脳によい影響を与えているかもしれない。

3)本味醂を気楽に購入できる家庭はもともと富裕層なので、富裕層ということは、高学歴である可能性が高く、遺伝的形質によって、元から地頭がよいのかもしれない。

4)本味醂を使って料理を作ることが多いということは、料理好きで、毎日、3食をきちんとこしらえる保護者であり、食育という観点からもしっかりしているので、子どもが勉強で困るようにはならない。保護者が料理が不得意だと、いい加減な食事になりがちで、子どもの学力に悪影響がある場合もある。また、調理という作業自体、頭がよくないとできないので、この点で、親の地頭がよいと考えられる。

5)本味醂を普通に使う家庭はもともと家柄がよいので、勉強が不得意な子どもが育つ割合が低い。

 まあ、いろいろと考えたが、結論は出ていない。理由はわからないが、とにかく、本味醂の使用量と子どもの学力とには相関関係があるように感じている。

 ところで、本味醂の使用量と学力の関係に気がついたのは、私自身の育ちの悪さに起因する。
 共働きで、両親ともに夜中にならないと帰宅することがなかった。とりあえず、夕食は用意されていたが、手抜き料理ばかりだった。仕方がないので、小学5年生のときから自分で夕食を作っていた。『土井勝の料理教室』とかいう題名の本が本棚にあったので、最初は、それを見ながら、夜は自炊していた。その料理の本は母親が買ったものらしいが、ひもといた形跡はなかった。
 自炊するようになって気づいたことがあった。実家には本味醂がなかったのである。貧困家庭には本味醂を使う余裕がない。これが、生徒の家庭での本味醂の使用量を気にかけるようになったきっかけである。
 夜は自炊していたので、自分の身体が欲しがるものを調理していた。今にして思えば、その結果、レシチンなど、脳を働かせるのに必要なものを多く摂取していたようだ。
 その結果(かどうかは、はっきりしないが)、私は父方・母方の両方の一族で、初の大卒である。旧帝国大学出身が普通の家系では、たいしたことはないだろうが、親類の間では、「大卒、それも早稲田」と言われている。
 基本的な家庭環境に違いがなく、大きな違いは食事しかないから、一族で初めての大学進学者に自分がなったのは、食事の影響が大きいという気がしてくる。サンプルが少なすぎるから、実際はなんともいえないのだけれど。



2009年2月18日水曜日

ベーシスト最強理論

 アコースティック=ヴァイオリンならびにエレクトリック=ヴァイオリンを入れたロックバンドなんかは既(すで)にあるが、ヴァイオリンをメインに据(す)えたパンク=バンドは寡聞(かぶん)にして知らない。そこで、ヴァイオリン=パンク=バンドを結成する計画を立てた。
 知り合いに声をかけたが、「忙しい」と断られてばかりいる。
 そこで、HAL496の生徒をメンバーに仕立てることにして、ベースをやらないかとか、今、加入すれば第2ヴァイオリンの地位を与えるぞとか、だれかドラムやりたい人はいないかなとか、そんなことを言っているのだが、だれものってこない。完全に無視されている。

 そもそも、ヴァイオリン=パンク=バンドって、コンセプト自体に問題がある。

 まず、ヴァイオリンそのものがパンク的ではない。エレクトリック=ヴァイオリンなら、そんなに高価ではないんだが、それでも、なんとなく、ヴァイオリンはお金持ちのイメージが拭(ぬぐ)いきれないので、パンクにふさわしくないといえなくもない。

 つぎの困った点は、乱闘でのヴァイオリンの取り扱いである。パンク=バンドたるもの、演出の一部として、乱闘は入れたいところだ。
 乱闘となると、楽器で殴りあったほうが見た目にも派手である。楽器を武器として使用した場合、破壊力は、当然のことながら、質量と速度で決まる。
 エレクトリック=ギターで2kgから3kgくらいである。エレクトリック=ベース=ギターとなると、3kg、4kgは当たり前で、なかには5kgのものもある。
 ところが、ヴァイオリンは、500gもないのである。エレクトリック=ヴァイオリンで700gくらいのがあるくらいだ。乱闘では、まったく勝ち目がない。それに、弓を折られたら、涙目になってしまいそうである。簡単に折られてしまいそうだ。
 この問題点を解消するために、乱闘用に中古の安物、1万円くらいの中国製を用意するという方法が考えられる。これなら、演出として派手にぶっ壊しても惜しくはない。しかし、5kgのベースとの対決となると、乱闘場面が貧弱に見える。
 金属製のソリッド=ボディのエレクトリック=ヴァイオリンを特別註文で製作してもらうということを考えたが、乱闘用には適してはいても、たぶん、重くて、楽器としては使いにくい気がする。それに、金属でできたボディだと音はどうなるのか、見当がつかない。
 このあたりの問題が解決しないと、ヴァイオリン=パンク=バンド計画は挫折しそうだ。

 いずれにしても、乱闘となると、重量のあるベースを武器にできるベーシストが最強だ。ドラマーは、スティックくらいしか武器にならないし、ピアニストは椅子くらいしか武器にできない。ギターは、重量でベースに負けている。

2009年2月17日火曜日

大学受験の出題予想の絞り込み方の事例研究:昔の千葉工業大学の英語

 ある特定の大学の入学試験で、たとえば英語の文法問題と英熟語の出題を予想する場合、その大学と偏差値的に近く、比較的有名で、かつ併願されることがなさそうで、過去問の出題傾向が比較的近い大学の過去問も、受験しなくても確認する、これである。ただし、大学・学部によってあてはまらない場合もあるが。

 たとえば、ずいぶんと以前のことで、HAL496開校以前の別の勤務先でのことだが、千葉工業大学が第1志望の受験生がいた。もともと出題形式が似ているということと、レベル的にも近いので、日本大学文理学部(理系)などの英語の問題をチェックして、いわゆる捨て問的な千葉工業大学では出題できなさそうな問題を除外して、まとめた。1問1答式の文法問題と英熟語の問題がそれぞれ100問くらいになった。
 問題そのものをパソコンに入力して、その上で、正解となる英文とその対訳を作成して、生徒に渡した。

 本番の受験で出題された問題すべては、まとめたなかに入っていた。たかだか100の文法事項と英熟語だけで、すべて的中したわけだ。
 しかしながら、この生徒は不合格だった。この生徒は渡したプリントの文法事項と英熟語を1つとして憶えていなかったのだ。
 「よっしゃあ! よかったな。これで合格だ、ははは」と入試問題を見た私が言ったところ、その生徒は浮かぬ顔をして「いや、あの、出るとは思ってなかったんで……憶えてませんでした」と言った。こういう受験生は、決して少なくはない。

 以上の方法で中堅大学以下の、とりわけ理系学部において、文法問題や英熟語の問題が100程度に絞り込める理由については充分には、はっきりしていないが、考えられることはつぎのとおり。

(1)きわめて優秀な大学出身者は、高くないレベルの大学の問題作成に不慣れなので、似たようなレベルの大学の出題を参照するから。
(2)優秀な人間が同じ形式で同じようなレベルの問題を作成すると、おのずと似たようなものになってしまうから。

 いずれにしても、こうしたやり方で出題を絞り込むことができる。もっとも、千葉工業大学に関しては、ある年度を境に、変な出題ミスやエレガントさに欠ける設問が急に影を潜め、まるで河合塾の模試ような出題に変わっているので、この方法では絞り込むことはできないようだ。河合塾は大学入試の問題作成を請け負っているので、もしかすると大学側が河合塾に業務委託しているのではないかと疑っている。ともかく、今の千葉工業大学の英語の対策には使えないだろう。あしからず。

2009年2月16日月曜日

If I were a bird, I would fly to you.という文は理不尽だと感じる。

 英語で仮定法を習うときに必ずといってよいくらいに登場する文がある。

If I were a bird, I would fly to you.
もしも私が鳥だったら、あなたのもとへと飛んでいくのに。

 これを習ったときに、疑問符だらけだった。

 まず、この文の意味が成り立つのは、交通機関が発達していない時代を前提としているはずだ。伝書鳩で平均時速160kmくらい。隼(はやぶさ)は急降下時に時速300kmくらい出るが、水平飛行であれば、時速100kmくらいだ。ましては小鳥だと、オートバイで移動するほうがはるかに速い。
 鳥の時速ならびに体力を考慮に入れれば、東京在住の人物が博多にいる恋人に逢いに行くのであれば、新幹線で逢いに行くのが正解である。けっして、鳥になって飛んでいくことではない。
 この英文の意味が妥当なものとなるのは、交通機関が発達していない時代でなければならないはずである。疑問を抱く人がいないのが不思議でならない。

 つぎに、突然、自宅のベランダに鳥にやって来られても、相手は迷惑なだけである。鷹や鷲などの猛禽類なら怖いだけだ。もしも、相手が鳥アレルギーであれば、どうなるか? ちっともロマティっクではない。

 だから、初めてこの例文を目にしたときに、なんじゃこりゃと思ったのである。

 世の中には同じようなことを考える人がいた。御茶ノ水大学教授の土屋賢二である。彼によれば、「もしも私が鳥ならば、私は人間ではなく、鳥の雌に恋しているだろう」となるはずだと何かに書いていた。
 そのとおりだ。

2009年2月15日日曜日

経済学者のケインズは若い頃に「確率原理」という論文で、確率は直観的な概念なので定義を必要としないとした。

 ジョン=メイナード=ケインズJohn Meynard Keinesは、イングランドの経済学者である。有効需要に基づいてマクロ経済学を確立した。主著は『雇用・利子および貨幣の一般理論』The General Theory of Employment, Interests, and Money
 彼は、ケンブリッジ大学キングズ=コレッジKing's College, Cambridge Universityの数理学部に入学した。なお、イギリス英語ではcollegeは「コレッジ」と発音する。1905年に学士を得て、1908年に修士号を取得。修士号の際、1907年に提出した論文が「確率原理」'The Principles of probability'であった(ちなみに、論文のタイトルはイギリス英語では一重引用符single quatation marks('...')でくくる)。さらには、1921年に『確率論』A Treatise on Probabilitiesを刊行している。もっとも、ケインズの確率論は、現代数学の確率論ではなく、当人自身も哲学的なものと考えていたらしい。

 さて、「確率原理」でケインズは確率の概念を定義しなければならないのであるが、おどろくべき方法で処理しているぞ。

確率」という概念は直観的なものなので、定義を必要としない。

 こんなのありかよと思いつつ、ケインズは確率や期待値を周囲の人々に納得させる説明が思いつかなかったか、あるいは、数理感覚の乏しい人しか周囲にいなかったのかもしれない。実際、期待値の概念がさっぱりわからないという怒涛の文系タイプっているものな。たとえば、1枚100円の宝くじの期待値は40円で、競馬の馬券(正式名称は「勝ち馬投票券」だったっけ?)の100円あたりの期待値は80円なので、数学的には競馬のほうが得なのに、宝くじを買う人が多いのは数学的に不思議であると言っても笑わない生徒がいる。本当は、どちらにしても損するようにできているのだけど。
 日本語だけで読むとアクロバティックに思えることをケインズが言ったのは、ジョージ=エドワード=ムーアGeorge Edward Mooreというケンブリッジ大学教授の著書に影響を受けてのものである。

 ムーアは1903年に『倫理学原理』Principia Ethicaを著(あらわ)した。この著書で、倫理学、つまり道徳を論ずるにあたり、まず、「善とは何か」を定義しようとする。そこでムーアが行なったことは、「善い」goodということばの用例を集めて、それらの用例に共通するものが「善」の本質であろうとみなすつもりであったが、ところが、用例すべてに共通する性質がなかった。
 そこで、ムーアはつぎのように結論づけた。

」とは直観的な概念なので、定義を必要としない。

 直観主義倫理学の始まりだ。

 ムーアのこのやり方を知ったケインズは、確率の概念に適用したのである。

 日本語でしか考えないと、いったい、どこが「直観的」なのかと思うかもしれない。しかし、確率はprobabilityであり、これはprobable(起こりそうな、ありそうな)という形容詞やprobably(たぶん)という副詞の名詞形である。英語を話す人には、probableやprobablyから、なんとなく「直観的に」わかる。だからこそ、ケインズは「確率原理」という論文で学位を取得し、チューターの地位についている。チューターっていうのは、1人またはごく少数の学部生を対象とする補助教員のようなものである。
 ケインズの確率の定義づけはつぎのように書き換えることができる(かもしれない)。

 probabilityは、probable(起こりそうな、ありそうな)やprobably(たぶん)などの語の使い方からなんとなくわかるので、なんとなくそのまま使ってもかまわない。

 ケインズによる確率の概念の定義づけは、日本語だけで読むと「はぁ?」となるものが、英語で考えると「ふーん」となる例である。
 probabilityは、また、「蓋然性(がいぜんせい)」とも訳すが、漢籍の素養がなければ、字面(じづら)からはなんのことか推測すらできないな。

  

2009年2月14日土曜日

『理科年表 平成21年度版』から2010年度の国立大学附属高校の理科の出題を考える。

 高校入試の理科といっても、難関国立大学附属高校などの理科について、『理科年表 平成21年度版』から考えてみる。
 2009年はどんな年かというと、つぎの2点がまず挙げられる。平成21年度版の特集となっている。

1)ガリレオ=ガリレイが初めて天体望遠鏡を使用したのが1609年である。つまり、2009年は、400年の節目である。

 これを記念して、国際連合・国際連合教育科学文化機関(UNESCO)・国際天文学連合は2009年を「世界天文年」と定めた。公式名称は、英語ではInternational Year of Astronomy 2009で、日本語では「世界天文年2009」である。

2)7月22日に日本国内で48年ぶりに皆既日食が見られる。

 この2点を中心に、きちんとした進学塾は出題を予想する。

 今年度、つまり2009年1月・2月の入試で、以上の2点をきっかけに作成した問題が急増するかというと、入試問題がないうちに述べておくと、急増することはない。
 というのも、『理科年表 平成21年度版』が販売されたのは2008年11月28日なので、強い影響を出題に与えることはない。入学試験まで日数が少なすぎるのである。だから、今年度、つまり2009年度の入試に臨んで、天体望遠鏡と皆既日食を押さえておけと声高に主張する理科の講師のいる進学塾は、出題予想に関する力量には、疑問符がつく。
 もちろん、天体マニアの高校教員のいる国立大学附属高校であれば、『理科年表』とは関係なしに、こうした情報をチェックしているので、上記の2点に絡む出題があってもおかしくないが、しかし、「急増する」とまではいえない。
 まあ、2009年度入試でも、余力があれば押さえておくのが望ましいのだけれども。

2009年2月13日金曜日

立教小学校の算数の問題集に怪人二十面相が登場する理由

 立教小学校の算数の問題集に掲載されている問題に、なぜか、怪人二十面相が登場する。

 正確には憶えていないが、つぎのような問題であったと記憶している。ひらがな表記の部分も漢字に直してある。

問題
 怪人二十面相が、8枚の金貨のうちの1枚を本物よりも軽い贋物(にせもの)にかえました。天秤(てんびん)を2回か3回つかって、贋物を見つける方法を考えなさい。

 3回は簡単だが、2回は、ちょっとむずかしい。

 3回で見つける方法はつぎのとおり。

答え(3回で見つける方法)
 まず、それぞれの金貨に、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)と番号をつける。天秤の左右の皿に載せる。
 右:(1)、(2)、(3)、(4)
 左:(5)、(6)、(7)、(8)
 ここで、軽いグループのほうに贋金貨があるので、そのグループの皿にある金貨をふたたび2つにわけで、左右の皿に載せる。ここでは、かりに、左の天秤が軽かったとする。
 右:(5)、(6)
 左:(7)、(8)
 贋金貨のあるほうが軽いので、軽いほうの皿の金貨2枚をそれぞれ左右の皿に載せる。ここでは、かりに、左の天秤が軽かったとする。
 右:(7)
 左:(8)
 軽いほうが贋金貨である。

 つぎに、2回で見つける方法。

答え(2回で見つける方法)
1回目
 まず、3枚ずつ、左右の皿に載せる。
 右:(1)、(2)、(3)
 左:(4)、(5)、(6)

2回目(その1)
 ここで、天秤が釣り合った場合は、(7)、(8)を左右の皿に載せる。
 右:(7)
 左:(8)
 軽いほうが贋金貨である。

2回目(その2)
 釣り合わなかった場合は、軽いグループの金貨3枚のうちの2枚を左右の皿に1枚ずつ載せる。ここでは、1回目の皿の左側((4)、(5)、(6))が軽かったとする。
 右:(4)
 左:(5)
 ここで、釣り合わなかった場合は、軽いほうが贋金貨である。一方、ここで、釣り合った場合は、残りの(6)が贋金貨である。

 さて、これは、どう考えても、怪人二十面相が登場する必然性のない問題である。それなのに、わざわざ怪人二十面相を登場させるのかというと、立教大学・立教小学校の近くに『怪人二十面相』の作者である江戸川乱歩の旧邸があり、のみならず、旧江戸川乱歩邸とその蔵書は立教大学の所蔵となっているからだ。
 それにしても、贋金貨を3回、天秤を使って見つけるのはまだしも、2回で見つけるのは、小学4年生にはむずかしすぎると思うのだけれど、立教小学校の生徒だと、大丈夫なんだろうなあ。

2009年2月12日木曜日

ウィキペディアでフェルマーの最終定理を証明したアンドリュー=ワイルズの項目を読んでいたら

 無料百科事典ウィキペディアWIKIPEDIA The Free Encyclopediaで、フェルマーの最終定理Felmat's Last Theoremを証明したアンドリュー=ワイルズAndrew Wilesの項目を読んでいたら、つぎの記述があった。

 One of two multiple choice questions, on a fictional television quiz show watched in episode 15 of the anime series Lucky Star, concerns "Princeton's Sir Wiles," asks which theorem he proved in 1994.
 テレビアニメシリーズ『らき☆すた』第15話に登場する架空のクイズ番組で、2問ある三者択一問題のひとつは「プリンストン大学のワイルズ教授」に関するもので、1994年にワイルズが証明した定理は何かと訊いている。

 HAL496にいる漫画研究会所属の生徒によれば、この『らき☆すた』というアニメは相当なアニヲタ[=アニメオタク]でないと楽しめない内容だそうだ。数学やってるやつが、どうしてこんなことを知ってるんだ?

 ↓フェルマーの最終定理に関しては、つぎのような記事も書いているよ。

2009年2月11日水曜日

「鋼鉄の男、スターリン」ていうけど、ただの「鉄男」じゃん。

 いうまでもないことだが、スターリンはソヴィエト社会主義共和国連邦共産党書記長である。ロシア人っぽい顔つきじゃないなとずっと思っていたが、グルジア人だった。それなら、ロシアっぽくないのも理解できる。
 それはともかく、ヨシフ=スターリン(ロシア語:Иосиф Сталин、英語:Joseph Stalin)は本名ではなく、通り名というか、ペンネームというか、そういうものだ。
 で、スターリンはロシア語で、「鋼鉄の男」の意味である。

 鋼鉄の男
 
 かっこいいと感じるかもしれないが、それはまちがっている。
 人名で、「鋼鉄の男」の意味だと説明できる日本人名を考えてみれば、決してかっこいいわけではないことがわかる。
 日本人の名前でいうと、「鉄男」となるはずではないか!?

 鉄男

 ほら、意外と普通の名前じゃないか? 「鋼鉄の男」から受ける印象とは違う。

 Googleで「鉄男」を検索してみた。

 石立鉄男(俳優)
 長岡鉄男(オーディオ評論家)
 篠崎鉄男(熊本県宇城市長)
 永野鉄男(姜尚中(カンサンジュン)東大教授がかつて名乗っていたもの)
 高田鉄男(アメリカン=フットボールの選手)
 高原鉄男(グラフィックデザイナー・アーティスト)
 野副鉄男(化学者・東北大学理学部名誉教授)
 『鉄男』(B級映画のタイトル)
 鉄男(鉄道オタクの男性のことらしい)
 
 ほかにもいたが、よくわからない人たちだったので、省いた。
 自分の名前をロシア語にすると、かの独裁者「スターリン」になると知ったら、どんな気持ちになるんだろうか?

2009年2月10日火曜日

入院中に自分の病気に関する本を読むと生存率が高い。

 大きな病気で入院している患者が、自分の病気に関する本を読み始めると、どういうわけか、そうでない場合と較べて、その後の平均余命が高まるそうである。
 一般的に考えられる理由はこういうものである。

 まず、自らの病気と闘う意志があるから、長生きをする。

 つぎに、自分の病気のことを詳しく知ることで、食事制限など、医師から指示される内容をきちんと守ることができるようになるからである。
 どうしてそういうことをしてはいけないのかが理屈として理解できていると、医師の指示を守る。しかし、理屈が理解できていない患者は、このくらいはいいだろうと医師の指示に反することを、往々にしてしがちで、その結果、寿命を縮めてしまう。

 もっともらしい見解である。

 だが、時代ゆえに、教育を充分に受けられなかった人には、活字を読むのが苦手な人が少なくないと思うのだが、そうした人たちは、すいすい本が読める人よりも平均寿命が短いのだろうか? 
 一定レベルの教育を受けた階層からすると、朝日新聞が難しくて読めない人がいるというのは驚くべき事実かもしれないが、実際に、そうした社会階層は存在する。吉田秀和や昨年12月に亡くなった加藤周一の随筆を読んでもまったく理解できないという人を、私自身、少なからず知っている。
 そうした人々の平均寿命はどのくらいなのだろうか?

2009年2月9日月曜日

演奏を聴かずにアマチュアのギターの腕前が最低レベルに達しているかどうかを知る方法

 左の手で、小指だけを曲げてもらえばよい。薬指・中指・人差し指はすべてまっすぐにしてもらった状態で、左手の小指だけを曲げることができれば、最低限の練習量はしているということがわかる。練習量が足りない場合は、小指を曲げることがなんとかできても、薬指がまっすぐにならないことが多い。むろん、最低レベルをクリアしているかどうかだけしかわからないが。

 日本で生まれ、日本式の生活をしていると、小指と薬指を使うことはめったにない。場合によっては、小指がなくてもそれほど困らないので、極道の世界では、けじめをつける際に、小指を第1関節から切り落とすということが行なわれた(行なわれている)のである。

 ところが、西洋では小指がないと非常に困る。
 映画「下妻物語」で、主人公の父親であるチンピラやくざが小指を落とされそうになって、「ピアノが弾けなくなる」と許しを請う場面がある。純日本的といえなくもない極道の世界で生活しながら、ピアノ演奏という西洋的なものを日常に取り入れると、小指がないと困るという滑稽さが笑いを生み出しているといえよう。
 小指がないとピアノが弾けなくなるだけではない。西洋の楽器のほとんどは演奏できなくなる。
 また、タイプライターやキーボードにしても、10本の指をフルに使わないと効率よく扱えない(なかには人差し指だけで入力する人がいなくもないが)。手動タイプライターを使ったことがあれば、「A」のような使用頻度の高い文字を小指で押さなければならないということに理不尽さを感じるのがふつうだろう。しかし、日常生活で10本の指を使う場合が多いヨーロッパ人はそれほど理不尽とは感じないらしい。

 一方、日本の楽器はというと、三味線は弦が3本しかないし、尺八も10本の指を使う必要はない。篳篥(ひちりき)や笙(しょう)や琴にしても、同様である。

 その一方でヨーロッパ人はジャンケンをしないので、「チョキ」が作れなかったりする。だから、日本人は写真撮影時に好んでピースサインをするが、欧米人は手を「グー」の形にして、親指だけを立てるしぐさをする。欧米人からすると、ピースサインをするのは、日本人の若い女性特有の奇妙なしぐさに見えるようだ。

 日常で小指だけを単独で使うことがないが、ギターやヴァイオリンを練習すると、練習量に応じて、弦を押さえる左手の小指だけを曲げて、残りをまっすぐに伸ばせるようになる。
 しかしながら、日本人のギター演奏者やヴァイオリニストは、往々にして左手の小指しか曲げられないが、欧米人は右手の小指も曲げることができる。
 これは、指を使っての数え方に由来する。欧米人は、まず、「グー」の形で「ゼロ」を示し、「1」で親指を伸ばす。「2」で親指と人差し指を伸ばし、「3」で親指と人差し指と中指を伸ばす。「4」で親指と人差し指と中指と薬指を伸ばす。この時点で小指だけを曲げた状態になる。幼少のときからこうした数え方をしていれば、だれでも、どちらの手でも、小指だけを曲げるということができる。
 日本人が右手の小指だけを曲げて、残りをまっすぐに伸ばすことができないのは、ギターを演奏したとしても、弦を押さえない右手の小指を使うことがないからである。
 指を使っての、こうした数え方ゆえに、たとえば、日本人とフランス人とが、どちらも10歳の時点からギターやヴァイオリンを始めたとして、小指の使い方の上達には大きな開きがあることは自明であろう。この点に関しては、音楽それ自体の才能の差ではない。あくまでも、生活様式に由来する差である。

 HAL496の生徒では、嫁入り道具としてヴァイオリンを習っている生徒は、残りの指をまっすぐに伸ばした状態で小指だけを曲げることはできなかったが、アコースティク=ギターをやっている高校生は小指だけを曲げることができた。

 将来はギタリストになりたいという中学生・高校生で、小指だけを曲げることができないのが少なからずおり、最低限の練習量にも達していない段階で、よくもそんなことが言えるものだと感心したことが何度もある。ま、あこがれは大事だけどね。

2009年2月8日日曜日

ねえ、わたしの左手の薬指のサイズ、7よ。

 ねえ、わたしの左手の薬指のサイズ、7よ。

 こんなことを急に言われても、ねえ。
 そこで、友人・知人にこの話をして、困っていると伝えた。
 ところが、男性と女性とでは、反応がまったく違っていた。

 男性の場合(その1)
 「どや、覚悟、決めたんか」
 「覚悟もなにも、何回か、一緒にお出かけしただけです」
 「また、また」と、くすくす笑う。「そういうことを言われて当然のことをしとるんやろ」
 「本当になにもしてませんってば」
 いっこうに埒が明かない。

 男性の場合(その2)
 「憲法第24条に『婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し』とあるから、きみが合意すれば即座に成立するぞ」
 「あの、そういうことを訊いているんじゃないんですけど」
 「目をつぶって、1歩踏み出せば大丈夫」
 「け、結婚って目をつぶってするものなんですか?」
 なぜか、結婚させようとする。既婚者に多い。他人をひとりでも多く自分と同じ不幸な状態に陥れたいという無意識の願望の表出ではないかと推察している。

 女性の場合(その1)
 「あらまあ、細いわねえ。羨ましい」

 女性の場合(その2)
 「あの人、前から指が細くて羨ましいと思ってたのよ。そうかあ、7かあ」
 「ところで、〇〇さんのサイズは?」
 「10.5」
 「ちょっと待って。9のつぎは11じゃないの?」
 「いいんです。私は10.5って言いたいんです」
 「ちょっとむくんだりすると、11になるんじゃないの?」
 「ほっといてください」

 女性の場合(その3)
 「それは自慢だわ。ハーレクィンロマンスのヒロインはね、全員、薬指のサイズが9なのよ。ど、どうして2桁じゃあ駄目なの?」
 べつに私は駄目とは言っていないのだが。

 女性の場合(その4)
 「7だとね、0.1カラットのダイヤが0.3カラットくらいに見えたりするのよぉ」

 女性の場合だと全員の話題が、指輪のサイズに集中していた。

↓サイズが#7の指輪

               

2009年2月7日土曜日

「右に見える競馬場 左はビール工場」って、見えへんやんか。

 松任谷由美が、まだ荒井由美だったころ、「中央フリー・ウェイ」という曲を唄っていた。こんな歌詞だ。

中央フリーウェイ
作詞:荒井由美 作曲:荒井由美

中央フリーウェイ
調布基地を追い越し 山にむかって行けば
黄昏(たそがれ)が フロントグラスを染めて広がる
中央フリーウェイ
片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
愛してるって言っても きこえない
風が強くて
町の灯が やがてまたたきだす
二人して流星になったみたい
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道はまるで滑走路 夜空に続く

中央フリーウェイ
初めて会った頃は 毎日ドライブしたのに
このごろは ちょっと冷たいね
送りもせずに
町の灯が やがてまたたきだす
二人して流星になったみたい
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道はまるで滑走路 夜空に続く
夜空に続く 夜空に続く

 初めて中央自動車道を自動車で走ったときに、競馬場もビール工場も見えなかった。防音壁があるから、見えないのである。
 そのときの自分の自動車は、当時、日本の量産車のなかでも車高が2番目に低いものだったので(いちばん低かったのは本田技研工業のNSX)、ふつうの乗用車なら見えるのかと思った。
 その後、調べたところでは、松任谷由美の熱心なファンが多数、中央自動車道を使ったドライブデートをしたが「見えなかった」と松任谷由美のラジオ番組かなにかに報告したそうである。
 じつは、松任谷由美は、地図を見ながら作詞しており、実際に中央自動車道で運転して作詞したわけではなかったそうだ。
 じゃあ、自分のクルマが特別に低いから見えないわけではなく、普通の乗用車でも見えないのかと、まあ、納得していた。

 ところが、あるとき、友人の引越しを手伝ったときのことだ。4トントラックの助手席からだと、府中の東京競馬場も、サントリーの武蔵野ビール工場も見えたのである。

 そうか、「中央フリーウェイ」は、4トントラック以上の大きい自動車でドライブデートをしていたのか! そう納得していたのであるが、しかし、つぎの動画では乗っている自動車が1960年代か1970年代あたりのアメリカ車風のオープンカーなのである。うーん。




 この動画の前半に登場するオープンカーだと、競馬場もビール工場も見えない。
 「愛してるって言っても きこえない 風が強くて」と歌詞にあるが、古いタイプのフロントガラスのオープンカーは風の巻き込みが激しいから、そりゃそうだ。

 夜、中央自動車道で上り坂で、前方の赤いテールランプの等間隔の列と、対向車線側のヘッドランプの等間隔の列が、空港の滑走路灯のように見える。「この道はまるで滑走路 夜空に続く」のくだりは、うまいこと言うなあと感心する。

 そういえば、今、ふっと思い出したが、以前、ミッドシップの2座席オープンカーで中央自動車道をドライブしていたら、助手席の女の子に「ねえ、わたしの左手の薬指のサイズ、7よ」って言われたことがある。そのときの記事はここをクリック→ねえ、私の左手の薬指のサイズ、7よ。

   

2009年2月6日金曜日

麻生太郎が読み間違えたので、高校受験・大学受験の直前にこの漢字はチェックしておこう。

 一時期、麻生太郎が漢字を読み間違えたとの報道が相次いだ。こういうことがあると、高校にしろ、大学にしろ、「うちの生徒(または学生)も、これが読めないやつが多いんだよな」という感想を出題者が抱くと、ついつい出題してしまう。だから、麻生太郎が読み間違えたもので、高校受験あるいは大学受験で出題するに相応しいものの出題校は例年よりも多くなるはずである。あ、でも、よく考えたら、もともとよく出題されているものが多いなあ。

 麻生太郎が読み間違えた漢字はつぎのとおり。

有無 うむ
措置 そち
踏襲 とうしゅう
詳細 しょうさい
頻繁 ひんぱん
未曾有 みぞう
物見遊山 ものみゆさん
思惑 おもわく
低迷 ていめい
順風満帆 じゅんぷうまんぱん
破綻 はたん
焦眉 しょうび
完遂 かんすい
前場 ぜんば
実体経済 じったいけいざい
詰めて つめて
疑って うたぐって
怪我 けが

 完遂(かんすい)は、副詞の「遂に」(ついに)があるので、うっかり間違える人が多い。ついでに「遂行(すいこう)」もチェックしておこう。

 思惑(おもわく)は、「思う」という動詞の未然形に、準体助詞の「く」がついてできたことばである。準体助詞とは、用言の後ろについて、体言と同じ働きをさせるもの。「思わく」は「思うこと」「思ったこと」くらいの現代語に直訳できる。この「思わく」に当て字をしたのが「思惑」である。「おも」は動詞の語幹で、「わく」のところが音読みの漢字というのは、一般的にはピンとこない構成だろう。だから、一部の辞書は両方の漢字を音読みで読む「しわく」も許容範囲にしているのだが。

 後ろの5つは出題されそうにはない。麻生太郎がどのように読み間違えたかはここでは書かない。間違えたほうをうっかり憶えてしまう人っているんだよね。
 本当のところは、このくらいの偏差値の高校なら、これとこれを書けるようにとか、中堅大学を受験するなら、これとこれという具合にもう少し細かく指示しないといけないのだが。

 これだけ話題になったのであるから、茶目っ気のある出題者なら、書き取りで出題するだろう。他人の読み間違いを笑っておいて、試験で書けなかったとなれば、受験生への精神的ダメージは大きい。

 一般的な傾向としては、話題になったものや日常的に見かけるものは、私立高校・私立大学では平気で出題してくる。
 漢字ではないが、たとえば英単語の場合、早稲田大学本庄高等学院の英語の問題の場合、中学生にこの単語はきついだろうと思わせるもののほとんどは、過去問に登場しているか、あるいは日常的に見かけるカタカナことばから推測できるものである。leap(跳躍する)が長文に出てきたが、SFなどではごくふつうに「タイムリープ(時間跳躍)」ということばが使われている。swiftlyという副詞が長文に登場したが、スズキが製造・販売している自動車に「スイフト」SWIFTがあり、swiftの意味が「迅速な」という形容詞であることを知っていれば推測できるものであった。テレビなどで見かけるようになると、その英単語は単語集に掲載されていなくとも中堅大学でも出題されるようになる。こうしたことについては、いずれ、詳しく述べる予定。

 ところで、麻生太郎の読み間違いは「読字障害」の疑いがあると指摘する医師がいた。もし、その指摘が正しいのであれば、障害者いじめを報道機関が行なっていたことになるんだが。

2009年2月5日木曜日

高校受験の社会科対策として直前にチェックすること

 これは、受験対策の基本中の基本である。国立大学附属高校あたりの対策である。
 2009年度入試の場合、2007年9月から2008年9月くらいの間に起きた事件・出来事から、立ち入った出題がありそうな部分を検討し、対策プリントなどを作成する。

 ここでは、この1年に関して、いくつかの事例のみを挙げる。

 まず、歴史的分野に関しては、田母神論文問題が挙げられる。田母神俊雄第29代航空幕僚長が「日本は侵略国家であったか」という論文が取り沙汰された。従来の学説とは異なる見解を披露しているが、田母神とは思想的立場を異にする社会科教員は、従来の定説とは違う部分を中心に日中戦争から第2世界大戦敗戦の部分から出題してくるであろう。まあ、高校の社会科教員は、比較的、左翼思想の持ち……、あ、いや、進歩的知識人なので、出題という形式で田母神論文への批判を行なう場合があると想定できる。過去問分析から、もともと、左寄りの立場の教員がいると判断できる高校を受験する場合には、絶対に手を抜いてはいけない。

 つぎに、四川大地震があり、北京五輪が開催されたので、中華人民共和国に関して、注意を払う必要がある。チベット自治区ラサでの暴動があったが、これに関連することはちょっと出題しづらいかな。

 金融危機が起こっているので、世界恐慌にも注意。世界恐慌そのものはいつでもよく出題されているが。

 バラク=オバマがアメリカ合衆国大統領に当選し、2009年1月の就任式にはエイブラハム=リンカーン大統領が用いた聖書を使って宣誓したが、この点から、リンカーンが関わった南北戦争に絡んだ出題が想定できると考える向きがあるかもしれない。たとえば、日本と貿易を開始するために日米修好通商条約を強引に締結させたのに、日本の開国後の輸出入を見ると最大の取引先が大英帝国なのはどうしてかという出題がある。正解は、南北戦争が始まったので、日本との貿易どころではなかったからというものである。ところが、すでに述べているように、中心となるのは、2007年9月から2008年9月くらいの間に起きた事件・出来事であり、かなりの教員は夏休みくらいに問題作成のほとんどを終えていることが多いので、この手の問題の出題率がとくに上昇することはないだろう。

 ほかにもいろいろとあるが、残りは自力で対策しよう。って、もう試験が終わっているところもあるな。

2009年2月4日水曜日

YouTubeの再生リスト:美人ヴァイオリニスト? 天才ヴァイオリニスト?

 YouTubeには「再生リスト」というものがある。
 リストに名前をつけ、連続して視聴したい複数の動画を再生リストに登録して、作成する。その際、公開か非公開かを選ぶことができる。公開された再生リストは検索できるようになっている。
 HAL496では、勉強の邪魔にならない音楽なら、小さい音で流していることがある。
 先日、ある女性ヴァイオリニストで検索したところ、再生リストも並んでいた。
 再生リストのうちのひとつを再生した。
 それぞれの動画に登場する演奏家は、こんな感じだった。
 Lisa Batiashvili、Julia Fischer、Viktoria Mullova、Anne-Sophie Mutter、Nicola Benedetti、Hilary Hahn……。

 
 













 Lisa Batiashvili




















 Julia Fischer



 Viktoria Mullova

 Anne-Sophie Mutter

 Nicola Benedetti

 Hilary Hahn

 「この再生リストには、美人ヴァイオリニストばかりが集められているな。美人ヴァイオリニスト=マニアが作成したらしい」と言って、再生した。

 ずいぶん経ってから、生徒が言った。
 「それって、美人ヴァイオリニストの再生リストじゃないと思います」
 「いや、だれがどう見ても美人ばっかりじゃないか」と私は答えた。
 「だって、今、〇嶋み〇りさんが演奏しているもん」

 演奏のうまい人はそれだけで輝いて見えるものだが、普段から音楽を鑑賞していないとそうは見えないらしい。

2009年2月3日火曜日

イギリス英語でトイレのことはloo(/lu:ˈ/ルー)っていうけど

 イギリス英語ではトイレのことを日常会話では、loo /lu:ˈ/っていう。

 語源・由来についてはいくつかあって、はっきりしていないとされるが、そのうちのひとつがつぎのもの。

 フランス語で「水」のことをeau /o/という。英語のtheにあたる冠詞はフランス語では名詞の性や単数・複数によって、le、la、lesを使い分ける。eauは女性名詞なので、laを使うが、la eauは言いにくいので、l'eau /lo/とつづめて言う。
 英語に直訳するとthe waterにあたるl'eauで、婉曲表現としてトイレを表現しているうちに、自分たちの訛った発音にあわせて、looと呼ぶようになった。

 また、英国の主婦がバケツの水を窓から投げ捨てる際に、警告としてGardy loo!と言っており、それが短くなったという説もある。Gardy loo!はフランス語のGardez l'eau!の訛ったもので、「水に注意しろ!」の意味。

 このほか、フランス語のlieu(場所)の訛ったものであるとか、1885年のワーテルローの戦いBattle of Waterlooに起源があるとするものもある。

 実は、結局はよくわかっていない。

2009年2月2日月曜日

パスタマシン(製麺機)を買って自家製パスタを作ろうと調べていたら……

 パスタマシンを買って自家製パスタを作ろうと考えた。パスタマシンというのは、パスタを作る機械だ。パスタ用製麺機と呼んだほうがわかりやすいはずだが、パスタ好きはなぜか「パスタマシン」と呼ぶ。小洒落(こじゃれ)た言い方にしたいのなら、パスタはイタリアのものだから、le macchina per la pastaとか、macchina per la pastaとか、macchina per pastaとか、macchina pastaとか、どれかで呼べばよいのにと思ってしまう。
 イタリアで買えば44ユーロ(今のレートだと5,000円くらい)のマッキーナ=パスタ(パスタ用製麺機。発音はあっているのかな?)が日本では定価17,000円になっていた。ぼったくりすぎだって。
 どうせ製麺機を買うのならば、十割蕎麦やうどんや冷麺も作りたいと考えて、どれでも作れるものを探していたら、思いっきり迷い出したので、しばらくは購入を控えることにした。

 同時に、小麦粉の値段も調べた。パスタ用のデュラムセモリナ粉1kgが488円であった。ちょっと待て、100gあたり50円を切っている。じゃあ、業務用だとどのくらい廉いのか気になってきた。
 大手製粉企業の業務量卸売価格を調べてみた。パスタには強力粉を使うので、強力粉25kgの価格を掲載する。

平成18年平均3,568円
平成19年平均3,640円
平成20年11月4,601円

 小麦粉の価格が上昇した平成20年11月の時点の価格4,601円で計算すると、100gあたり18.4円である。自家製麺でパスタ屋をやれば、人気が出さえすれば、大儲けできるなあ。人気が出るかどうかが、難しいところなんだろうけど。

  

2009年2月1日日曜日

完全数496について

なにかにつけて、496という完全数を使っている。

当校の略称には496を入れているし、英語の指導で使用するプリントには掃除機496方式としている。ここでは掃除機庵主人というハンドルネームを使っているが、ときには掃除機496というのも使っている。

当初、塾の略称については、ありきたりな名前の個人・集団は有象無象にいそうなので、区別するために数字をつけた。それが496である。

496は、整数論の好きな人なら知っているはずだが、完全数である。

完全数とは、それ自身を除いたその数の約数の残りすべてを加えるとその数自身になるものである。

具体例を挙げよう。

たとえば、6は完全数である。6の約数は1、2、3、6である。6を除いた残りを足すと、1+2+3=6となる。

28も完全数である。28の約数は1、2、4、7、14、28である。28を除いた残りを足すと、1+2+4+7+14=28となる。

同様に、496も完全数である。496の約数は1、2、4、8、16、31、62、124、248、496である。496を除いた残りを順次加えると1+2+4+8+16+31+62+124+248=496となる。

そのつぎの完全数は8128である。私自身、ここまでしか憶えていない。ちなみにそのつぎは33550336であり、そのつぎは8589869056だそうだ。

国立大学の附属中学校に通っている生徒がいるのだが、そこでは中学生に完全数を教えていた。授業内容がそのあたりの区立中学校とはちがうんだなあと感心する。しょっちゅう感心させられているんだけどね。教師が6と28の完全数に言及した直後に、うちの生徒が、「496と8128」と言ったので、教師がびっくりしたそうだ。整数論に関する本を読んだ者でも、よほどのことがないかぎり6と28くらいしか憶えないものだから、そりゃあ、びっくりするだろうね。

そういえば、以前、当校に講師として在籍していた早稲田大学理工学部数理科学科(以前は数学科で、最近、再び数学科に戻った)の大学院生も、「数学科の学生でも普通は6と28くらいしか知りませんよ。哲学科なのに、どうして知っているんですか?」と、驚きまじりに訊かれたことがあった。

手持ち無沙汰なときには、身近な数字が素数かどうかを調べたり、いろいろと計算したりする癖が私にはある。たいていは電車の中だ。本を持っていくのを忘れたときには、乗車券に記された4桁の数字が素数かどうかを調べたり、4つの数を使って、ある特定の数字にするにはどんなふうに加減乗除をすればよいかということをしたりする。学生のときには、大学の南門近くにあった貸漫画屋(本も少しはあった。今は美容室になっている)の会員番号が1069で、素数だったのでちょっとうれしかった。

ちなみに、数学者の秋山仁は自動車を運転しているときに、前の自動車のナンバーが4桁の素数だとちょっとドキドキするそうだ。わかるな、その気持ち。

今でもそうなのかは知らないが、当時の早稲田大学第一文学部の学籍番号はこうなっていた。

C△-〇〇〇〇-◇となっていて、「C」は第一文学部を示す。「A」は政治経済学部で、「B」は法学部である。つまり、「偉い順」にアルファベットが学部に与えられているのである(大嘘です)。△には入学年度の末尾が入る。1982年度入学ならば、「2」が入る。〇〇〇〇のところには、ほかの学生の学生番号を較べたときの印象からすると、たぶん50音順で自分の番号が入る。◇にはチェック=ディディットcheck diditが入る。チェック=ディディットとは、数列の誤りや捏造を防ぐために、一定のアルゴリズムにしたがってつけ加えられる数値や記号のことだ。

学生時代の学籍番号の〇〇〇〇のところが、0496だった。

入学後しばらくして、完全数だということに気づき、周囲に自慢した。

ところが、私立の文学部に進学するような連中は、まず、完全数ということばがわからない。だから、完全数とは何かから説明をしないといけない。「ね、ね、すごいでしょ」と言っても、感心してくれない。こっちは猛烈に感動しているのに、この感動がちっとも伝わらない。「から、何?」という反応が多かった。

挙句の果ては「それって、毎年、ひとりはいるじゃん」である。そりゃ、そうだけどさ。

第1志望で入学した大学なんだけど、こんなときには、自分は進学先の選択において大きな間違いを犯したんじゃないかと思ったりもした。そして、その印象はまちがっていなかったと思う。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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