2009年1月31日土曜日

人間とは道具を作る道具を作る動物である。 はぁ?

 「人間とは道具を作る道具を作る動物である」は、意識的にわかりにくく書いたものだが、もう少しわかりやすく書き直すとこうだ。

 人間とは、道具を作るための道具を作る動物である。

 人間の特徴として、古来から、火を使う・道具を使う・ことばを使うの3点が挙げられてきた。ギリシア神話や聖書からの影響である。いや、人間の素朴な感覚がギリシア神話や聖書に反映しているのであって、神話や聖書から、人間とは火と道具とことばを使う動物だと考えてわけではないから、ギリシア神話や聖書の影響とはいえないだろう。とはいえ、ギリシア神話や聖書に親しんでいる西洋人のほうが、直観的に理解するだろう。

 ことばを使うに関しては、たとえば、蜜蜂はダンスによって花の在り処を仲間に伝えるから、人間だけにかぎった特徴とはいえない。

 火の使用については、火をおこせなくとも、たとえば日本猿は焚(た)き火にあたることができなくもないから、人間の特権とは言いがたい側面がなくもない。しかし、火をおこすことは人間にしかできない。

 道具に関しては、数多くの動物が道具を使っている。ラッコは背泳ぎをしながら胸の上に石を載せ、前足で持った貝を石にぶつけて、中身を取り出して食べる。また、エジプトハゲワシは石をくわえて、駝鳥の卵にぶつけて、割って食べる。加工はしていないが、道具の使用といえる。
 野生のチンパンジーは、木の枝を折って、葉をむしり取り、白蟻の巣の穴に差し込んで、白蟻釣りをする。この場合、葉をむしり取るなどの行為がみられるので、道具を製作した上で、使用しているといえる。
 こうなると、道具の使用が人間の特徴といえなくなる。しかし、道具にちょっとこだわると、つぎの観点をわれわれは獲得できる。すなわち、人間とは道具を作るための道具を作る動物である、と。確かに、道具を作る道具を作る動物は人間のほかにはいない。

 道具を作るための道具ってのは、つまりは、工作機械だな。ということは、工作機械メーカーはすぐれて「人間的な」企業であり、「人間らしい」企業ってことになる。
 ついでに国別工作機械の生産量を調べてみたところ、日本とドイツがトップ2で、いずれも輸出量が多い。ということは、日本とドイツはすこぶる「人間的な」国家であり、「人間らしい」国家ということになる。
 「人間らしい」ということばの使い方がちょっと変な気がするけど。

 ところで、火をおこすのは人間にしかできないのであれば、「放火」はきわめて「人間らしい」犯罪ということになると思ったけど、理性のない存在には罪は問えないから(人が石につまずいて転んでも、石に責任は問えない)、この点からすれば、犯罪そのものが「人間的」といえなくもないんだけど。

2009年1月30日金曜日

鬼ころし

 近所の店の前を通ったら、「鬼ころし」という日本酒がずらりと並べられていた。どうして、安酒を前面に出しているのだろうかと疑問に思ったが、その隣に豆まきのセットなんかが置いてあるのを見て納得した。節分の「鬼は外」にあわせて、「鬼ころし」を売ろうという考えらしい。
 なるほど。

 節分といえば、恵方巻が全国的に普及したのはほんの最近のことだが、恵方巻というのは、もともとは関西のごく一部のすこぶるつきのローカル=カルチャーにすぎなかった。コンビニエンス=ストアかなんかの戦略なんだろうな。豆よりも利益率は高そうだ。

 「鬼ころし」は、「鬼ごろし」とも書く。昔に日本語ではいちいち濁点をつけなかったので、「鬼ころし」と表記するのはその名残だ。
 「鬼殺し」を辞書で引くと、「粗悪で悪酔いする強い酒」と「辛口の強い酒。おにごのみ」との2つの意味が掲載されている。ちなみに「鬼ごのみ」という日本酒もある。
 「鬼ころし」というのは、もともとは普通名詞だったようだ。いや、今でも普通名詞になるのかな?

 この「鬼ころし」「鬼ごろし」を冠した日本酒は数多くある。
 私の聞いた話では、こういうことだ。ある蔵元が「鬼ころし」という名称を使っていた。その名前を使いたいと考えた別の蔵元が、その蔵元に申し出たところ、登録商標にする気もないし、使いたければ勝手に使えと返答した。
 この話を聞いたあちこちの蔵元も、じゃあ、うちも辛口の酒に「鬼ころし」の名前を使おうということになった。その結果、「鬼ころし」「鬼ごろし」を冠する日本酒が多く販売されることとなった。

 Sunkistはもともとサンキスト=グロワーズがブランド化して、世界各国のメーカーとブランド使用料の許諾契約をして、ライセンス料を得ている。ところが、「鬼ころし」は、ビジネスとは関係なしに普及している。日本酒だけではなく、焼酎まである。

 「鬼ころし」の元祖は、飛騨高山の老田酒造店の「飛騨自慢 鬼ころし」らしい。元祖以外で、評価が高いのは、「翁鶴 鬼ころし」のようだ。

 以下、「鬼ころし」「鬼ごろし」を冠する日本酒を列挙してみよう。

飛騨自慢 鬼ころし
翁鶴 鬼ころし
清洲城信長 鬼ころし
尾張常滑郷の鬼ころし
鬼ころし 伊勢の里
福扇 鬼ころし
愛情一杯 鬼ころし
鬼怒 鬼ころし
六甲山麓 鬼ころし
大和の鬼ころし
福豆 鬼ころし
摩耶の鬼ころし
円満家族 鬼ころし
日本盛 鬼ころし
若竹 鬼ころし
佐渡の鬼ころし
ゴールド鬼ころし
国稀 鬼ころし
みちのく 鬼ころし
宮泉 鬼ころし
平城京 鬼ごろし
源べえさんの鬼ころし
下野国 鬼ころし
闘将伝説 鬼ごろし
能登 鬼ごろし
日光戦場ヶ原 鬼ごろし
長州 鬼ころし
真野鶴 鬼ころし
少林山の鬼ころし
國盛 鬼ころし
三河の鬼ごろし
小山本家 鬼ころし
灘の鬼ころし
灘・西宮の鬼ころし
灘・西宮郷の鬼ころし
京舞妓 鬼ころし
さくら浪漫 鬼ころし北海
犬鳴山 鬼ころし
酒伝 鬼ころし
八洲 鬼ころし
宝川 鬼ごろし
甲斐の国 鬼ごろし
忠正 鬼ごろし
君盃 鬼ごろし
寶川 鬼ごろし
彩雲の鬼ころし
若松 鬼ごろし
北海 鬼ころし
精撰 鬼ころし
信州野沢の鬼ころし
清州 鬼ころし
播州桃太郎の鬼ころし
独眼流 鬼ころし
比良の鬼ころし
三宮の鬼ころし
耶馬の鬼ころし
柳生流 鬼ごろし
吉備路 鬼ころし
銀嶺月山 鬼ごろし
高波 鬼ころし
秋田 鬼ごろし
楯の川 鬼ころし
とうこうの鬼ころし
越中 鬼ころし
蝦夷 鬼ころし
尾張知多の鬼ころし
鬼ころし 智仁勇
伝説の里 豊の国の鬼ころし
ニュー鬼ころし
伏見の国 鬼ころし
豊後の鬼ころし
渡る世間の鬼ころし
がま伝説 鬼ころし
但馬の鬼ころし
日光二荒山の鬼ころし
さつまの鬼ころし
利助さんの鬼ころし
服部半蔵・鬼ころし
鈴鹿 鬼ころし
金剛 鬼ころし
荒神山 鬼ころし
浦島太郎 鬼ころし
名人 鬼ごろし
甲賀流 鬼ころし
長久 鬼ころし
武蔵之国一之宮 鬼ころし
黒田藩正宗 鬼ころし
富久娘 赤顔の鬼ころし
万楽 鬼ころし

 いい加減につけたとしか思えないネーミングがちらほらと見かけるな。

2009年1月29日木曜日

梶井基次郎の「檸檬」に登場する店のモデルになった八百卯(やおう)が閉店

梶井基次郎の「檸檬(れもん)」に登場する果物屋のモデルになった八百卯(やおう)がひっそりと閉店した。

「檸檬」という作品については以下を参照。


今よりもずっと若いときに、八百卯に行った。

「檸檬」に登場するレモンはサンキスト=レモンだ。

それの産地だといふカリフオルニヤが想像に上(のぼ)って來(く)る」と小説にある。

サンキストという名称・ブランドは、1893年設立のサンキスト=グロワーズSunkist Growers, Incorporatedという柑橘類生産者販売共同組合が1908年から高品質のオレンジにサンキストSunkistの名前を与えたことによる。サンキスト=ブランドのレモンが登場したのはいつなのかははっきりしないが、梶井基次郎の「檸檬」は1925年の作品だから、私が訪れたときの店主も言っていたのだが、梶井基次郎が買ったのはサンキスト=レモンだろう。

梶井基次郎の頃は、おそらく、高級品だったのだろう。小説の道具に使うくらいだしね。ところが、八百卯に行ったときには、高級品のサンキスト=レモンと、5個くらいが袋詰めにされている安物のサンキスト=レモンとがあった。もちろん、安物のほうをたくさん買った。

今、いちばん高級なレモンって、完全無農薬国産レモン(完熟)なんだろうな。

実家に戻ってから、高校の同級生や、学年が2つ下の女の子たちにサンキスト=レモンを配った。

学年が2つ下の女の子たちは1学期に梶井基次郎の「檸檬」を習ったばかりだった。

「モデルになった店で買(こ)うてきたレモンなんよ」

ちょっとはウケるかなと思ったのだ。

レモンを上げた女の子のひとりがずいぶんと経ってから、電話をかけてきた。

「あんねえ、掃除機先輩にもろたレモン、大事にしよう思(おも)て、床の間においといたら、知らん間(ま)に、茶色になって、ミイラみたいに干(ひ)からびてしもてたん」

干からびるまで気がつかなかったのだから、こいつは、絶対に「大事にしよう」と思っていなかったにちがいないな

なお、小説「檸檬」つぎのところで読める。



2009年1月28日水曜日

国境なき医師団がフランスで生まれた理由を考えてみた。

 国境なき医師団Médicins Sans Frontièresが、英国でもなく、スイスでもなく、どうしてフランスで始まったのか、以前から気になっていた。
 根拠の薄い推測だが、以下の要因が大きいのではないか?

1)人口当たりの医師数は日本よりも多い。日本よりは医師があまっているわけだ。先進国の基準からすれば、むやみにあまっているわけではないが。
2)平均所得がフランスの医師は高くない。ある資料によれば平均年収は55,000ドルだそうだ。1ドル=100円だとして、550万円にすぎない。日本の勤務医(40歳)の平均年収が1,200万円であることからすると半分以下である。

 あくまでも「日本と較べれば」の話だが、医師があまり気味で、年収も低い。フランスの医師の年収だと、ギリシアなどの海外でヴァカンスを過ごすことはできなさそうである。そういう状況なら、しばらく外国で暮らしながらヴォランティア活動でもしようという気になるんじゃないかなと思ったのだ。
 もしも、フランスの医師の平均年収が2,400万円だとしたら、年収を1,800万円に減らしても9か月だけ働いて、毎年3か月間は、海外でヴァカンスを楽しむ生活を送りそうだ。
 動機がどういうものであれ、国境なき医師団の活動そのものに対して、私は肯定的である。募金を呼びかけるダイレクトメールに国境なき医師団が年間30億円くらい費やしているのも、より大きな活動をするためには必要なんだと思うし。

2009年1月27日火曜日

St. Valentine's Day バレンタイデー:「もっとおいしいにんじんケーキの作り方」

 数日前から、生徒たちがヴァレンタイデーの計画を練(ね)っていた。
 そこで、私が今よりも若いときにもらったもので心に残ったものを授業中に列挙(れっきょ)してみた。

・「もっとおいしいにんじんケーキの作り方」と題したレシピ
 ただの紙切れなわけだが、これがいちばん心に残っている。
 ヴァレンタインデーに先立って、前年の誕生日にフランス人のお嬢さんからとってもおいしいにんじんケーキの作り方」というタイトルのレシピだけをもらっていた。留学先のトロント大学の近所においしいにんじんケーキを出すカフェがあるので、しつこく頼み込んで教えてもらったレシピだという。「レシピどおりに作れば、私がいつも食べているのと同じとってもおいしいにんじんケーキが食べられるわよ」とかなんとか書いてあった。
 オーブン(ovenはアヴン/ʌˈv(ə)n/と発音する)がないから、作らなかったが、材料のところにoilとしか書いていなかったので、にんじんケーキを作るときの使う油は、何なのかが気になって、レシピを見せながら知り合いの女性に訊(たず)ねた。なんのことわりもなしにoilとあれば、一般的にはオリーブオイルolive oilのことだそうだ。「それにしても、オイルが多すぎるわねえ」と彼女はつけ加えた。
 4か月後のヴァレンタインデーに彼女はもっとおいしいにんじんケーキの作り方」のレシピをくれた。オイルの量を減らして、アーモンドをふりかけるとかのひと工夫を凝(こ)らしてあった。
 ここに登場したふたりは、ひとりは大学で准教授(じゅんきょうじゅ)として心理学を、もうひとりはフランスの大学でEnseignant-rechercheurとして英語と英米文学を教えている。フランスの大学の仕組みはわからないが、enseignantは大学教員のことで、rechercheurは研究員の意味。
 どうでもいいことだけれど、これまでの人生を振り返ってみるに、どうも高学歴の女性にしかモテない気がする。

・森永の「ミルクチョコレート」を10枚、束にしてリボンで結んだだけのもの
 「量で勝負」と書いた紙がはさんであった。
 こういうことをする人物は、大雑把で大胆な性格ではないかと思うだろうが、まさにそのとおりだった。
 100円×10枚=1,000円でそのくらいにインパクトを与えられるならば、対費用効果は高いと判断する生徒がいた。ただし、彼女は真似する気はないと言っていた。

・甘くないケーキ
 「掃除機くんはたくさんチョコをもらうだろうから、甘さを抑(おさ)えたケーキにしました。甘いものに飽(あ)きたときに食べてください」と書いた手紙がついていた。アイデア勝負だな。

・明らかに失敗作の手作りチョコレート
 溶かすときに熱を加えすぎて、チョコに空気が混じっていない。硬い。口の中で溶けない。ひと工夫しようとしてブランデーを大量に入れすぎている。
 たぶん、失敗作をこっちにまわしたのだろう。ちゃんとできたのは本命に贈ったにちがいないと思った。

 生徒たちには、レシピを贈るというのを奨(すす)めているが、そういうユーモアを理解する人がいないということで、却下(きゃっか)された。一方、森永の「ミルクチョコレート」10枚セットは値段が廉(やす)いわりにはインパクトがあるということで、実践(じっせん)しそうな生徒がいる。

「これまでに最も多くのチョコレートをもらったのは中学3年生のときだが、中学3年生だと、同級生からももらえるし、2年生からも、1年生からももらえるからだ。高校生以上になると、いわゆる『本気チョコ』ばかりになり、いい加減な気持ちでチョコレートを渡す人が減るので、もらえるチョコレートは減るものだ」と、こんなことを言ったところ、高校の男子生徒が、「えっ、中学3年生のときに1枚ももらえなかった俺は、一生もらえないってことですか?」と絶望的な顔つきで質問してきたが、同級生の女子生徒が「大丈夫、私が義理チョコあげるよ」と慰(なぐさ)めていた。「義理」のところに力を込めて発音していたのがちょっと気にかかった。

2009年1月26日月曜日

バラク=オバマが大統領就任の宣誓で、リンカーン元大統領が使用した聖書を使ったことで考えたこと

 バラク=オバマはエイブラハム=リンカーンが本当に好きらしいな。リンカーンが大統領就任の際に使用した聖書を自分の就任の際にも使っていた。
 どちらもイリノイ州出身の弁護士など、オバマとリンカーンに共通するものが少なくない。
 確かに、リンカーンは歴代大統領の中で最も高く評価されているらしいし、人気もいちばんだ。奴隷解放の父とも呼ばれている。
 ところが、リンカーンは純然たる「奴隷制廃止論者」ではなかった。「奴隷制の拡張」に反対しただけだ。
 また、国家が南北の2つに分裂するのを喰い止めたという評価がなされるが、奴隷廃止論がなければそもそも南北戦争(1861-65)は起こっていなかったであろう。
 その一方で、ネイティヴ=アメリカン(いわゆるアメリカ=インディアン)のソーク族との戦いが1832年にイリノイ州で始まったが、1834年に大尉としてニュー=セーレムの連隊を率いたリンカーンはソーク族を全滅に近い状態にしている。
 奴隷制廃止に関しては、南北戦争中に、リンカーン率いる北軍が勝利した場合には南軍所有の奴隷を解放すると宣言したが、これはあくまでも戦術としてのものだ。北軍が勝利すれば奴隷としての身分は解放すると言われれば、奴隷身分から逃れたいと考えている黒人奴隷は北軍の味方をする。具体的には、南軍に対するゲリラ的攻撃を南部の黒人たちが行なった。
 南北戦争終結後、南部の奴隷だけが解放されたにすぎない。北部の奴隷制は維持されたままで、リンカーン家には南北戦争終結後も黒人奴隷が数名おり、リンカーンは自宅の奴隷を解放することはなかった。
 また、南北戦争終結後に解放された南部の黒人たちは、読み書きすらできない者がほとんどで、自ら職を求めることもできず、以前なら、衣食住を保証された状態で肉体労働で酷使はされていたが、解放後は、衣食住の保証がないまま、低賃金で農場での肉体労働に酷使されるようになったのだから、経済的な状態は、以前よりも悪化しただけだった。

 リンカーンって、そんなに高く評価するほどでもないと思うのだけど、アメリカ合衆国国民は高く評価しているようだから、ほかの大統領がそれほどまでにひどいってことなのかなと思ってしまう。

2009年1月25日日曜日

近所の区立図書館の駐輪場で思ったこと、あるいは自転車に見る格差社会

 HAL496のすぐ近くに図書館はない。近い順に、練馬区立小竹図書館・中野区立江古田図書館・新宿区立西落合図書館・豊島区立千早図書館・練馬区立練馬図書館の順である。
 駐輪場で気がついたことがあった。
 新宿区立西落合図書館の駐輪場では、ブリジストンなどの3万円以上の自転車が圧倒的主流で、なかにはヨーロッパ製の自転車もちらほらと置いてある。
 一方、豊島区立千早図書館は、1万円以下の中国製ママチャリがみょうに多くなる。
 練馬区立小竹図書館は、ちょっとだけ新宿区立西落合図書館に近い感じ。
 練馬区立練馬図書館と中野区立江古田図書館の駐輪場は、ふつうの風景だ。

 自転車からも格差社会が見てとれるわけだ。

 新宿区西落合はそこそこに高級住宅地で、坪200万円はするところだからな。
 練馬区小竹町は以前はなにもないところだったけれど、西武池袋線江古田駅のほかに、小竹向原駅(東京メトロと西武鉄道の共同使用駅)ができてから、地価が高騰して、富裕層が住むようになったそうだ。
 自転車の値段まで、きっちりと所得に対応しているのがおもしろい。高所得でも、自転車はただの足がわりだからと1万円以下のものを買うという人は少ないということも見てとれるが、近所なんだから歩いて行けよと思ったりもする。
 私は、小竹図書館と江古田図書館には歩いて行く。

2009年1月24日土曜日

もしもこれから死ぬまでひとつの料理しか食べられないとしたら何を選ぶか?

 もしもこれから死ぬまでひとつの料理しか食べられないとしたら何を選ぶか、訊ねてみた。

 カレーライス
 なんとなく納得できる選択である。

 ラーメン
 すぐに飽きてしまいそうだが、ラーメン好きならかまわないのだろう。

 うどん
 わからなくもない。

 ちなみに私の答えは、「パスタ料理」で、そのなかでも1種類に限定するとすれば、好きなのはカルボナーラだが、選択するのは「刻んだセロリも入れた自分で作ったミートソース=スパゲッティ」である。

 玄米ごはん
 なにげに栄養のことを考えやがったな。「智」に走った解答だ。

 衝撃の答えはつぎのもの。

 トマト
 トマトだけを一生食べ続けるのは、つらい気がするのだが……。減量中のボクサーの気分になれるかもしれない。

2009年1月23日金曜日

上智大学の日本史対策:進歩史観に基づく作問(世界史にもちょっと使えるかも)

 上智大学の日本史の問題は、難問であるように見えて、じつは、強い規則性が見られる。

 HAL496では、たんなる知識だけではなく、その大学特有の傾向や規則に基づいて、未知の問題に出合ったときの対処法をも指導している。

 端的に述べるならば、上智大学の日本史の正解が、進歩史観に強く基づいているのである。したがって、この点に注意するだけで、大幅に正解率を上げることができる。

 進歩史観とはなにか、説明しておこう。

 進歩史観とは、人類が最終的な形態(たいていは理想的な形態)へと進んでいくプロセスだとみなす歴史観である。単純に述べると、歴史の過程において、世界はどんどんよい方向に進んでいき、最後には理想的な状態になるものと考える歴史観である。いずれは、素晴らしい状態に到達するのであるから、その過程である現在を肯定的に把(とら)えるむきがあるようだ。なんともはや、おめでたい考え方であると思わなくもないが、同時に、高度経済成長期にはそんなふうに歴史を感じていた日本人が少なくはなかったのではないかと想像している。

 ドイツ観念論の哲学者ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの弁証法も広い意味で進歩史観とみなせなくもない(むちゃを言うなというつっこみがありそう)。ヘーゲルによれば、「正=反=合」をくり返すことで、無限に世界は絶対へと近づいていくらしい。絶対知や絶対的概念にいずれはおもむくことになっているらしい。

 ヘーゲルの影響下にあるマルクスKarl Marxの唯物史観も、同じく、進歩史観である。人類の歴史は、原始共産制社会(あるいは氏族制社会)から始まり、古代奴隷制社会→中世封建制社会→近代資本主義社会→社会主義・共産主義社会へと、移行すると考えていた。それが実際に理想的な社会かどうかはともかく、マルクスが理想的だと考える共産主義社会へと歴史は向かうと信じていたらしい。

 さて、上智大学の日本史の問題で、生徒がわからないという問題をチェックして、消去法で残った選択肢から正解となる選択肢を抽出すると、進歩史観に縛られている人間が作成したものだと仮定して、選択肢を選ぶと、相当な確率で正解となった。つまり、世の中が「よくなる方向」に向かっているとすれば、どれを選べばよいかを想像して選択肢を選ぶだけで、未知の問題の正解率が大幅に上昇するのである。

 どう考えても、進歩史観に拘泥(こうでい)しているとしかいえない具合なのである。こんな単純な問題作成でよいのだろうかという疑問が生じる。また、どうして、そこまで単純なことができるのであろうか?

 上智大学はいうまでもなく、ミッション系大学である。ミッション系大学の「ミッション」はmissionであり、missionはこの場合、「宗教の布教・伝道団体」の意味である。まあ、要するに、ミッション系とは、教育活動を通じてキリスト教を身近なものと感じさせて、徐々に他国・他文化・他宗教の圏内で布教活動を行なうキリスト教を伝道する団体のことである。
 結論から述べると、キリスト教の思想そのものが「進歩史観」にほかならないから、みょうに進歩史観に拘泥しているとしか思えない出題をしてしまうらしいのである。たぶん、出題者は意識していないだろうけど。

 キリスト教は、創世記から始まって最終的には「永遠の王国」へと行き着くという歴史観であるという点で、進歩史観にほかならない。
 マルクスは「宗教は阿片である」としてキリスト教を批判したが、進歩史観に拘泥しているという点で、同じ枠組みでしか、ものを考えていないとして、ハイデゲリアン(Heideggerianハイデガー主義者)はマルクス主義を批判したりする場合もあるようだ。

 それはともかく、上智大学の教員全員がキリスト教徒であるとはかぎらないが、日本史の問題に関するかぎりは、いかにもミッション系だなと思わせる出題なのである。

 このような指摘を受けると、上智大学が出題傾向を変えてくるのではないかと考える場合もあるかと思うが、出題傾向を変えることはないだろう。キリスト教徒であれば素朴な進歩史観の持ち主であるし、キリスト教徒でなくとも、素朴な進歩史観の持ち主であれば、キリスト教的価値観の中で勉学に励むのに適しているからだ。ただし、同時に、素朴すぎるものの考え方であるがゆえに、上智大学は偏差値の高さのわりに、男子学生の就職状況が決してよくはないのではないかと考えている。

2009年1月22日木曜日

最後の出撃に際して戦艦大和から下艦させられた人

 これは『文藝春秋』に書いてあったことだが、第2次世界大戦末期、最後の出撃に際して、戦艦大和から下艦させられた士官がいるそうだ。
 よほどのことがないかぎり、これが最後の出撃であり、ほとんどは生きて帰れないだろうと思われていた。出撃の位置づけも「一億総特攻の魁(さきがけ)」であった。総員のほとんどは戦死するだろうと考えられていた。
 そういう出撃に際して、下艦を命ぜられたときの気持ちはどういうものなんだろうな? 友人・知人が特攻に出かけるときに自分だけが日本に残ったままというのは、複雑な気持ちだろうな。

 下艦を命ぜられた若者たちは、海軍兵学校をきわめて優秀な成績で卒業した士官たちだった。これほどまでに優秀な人材を今回の出撃で死なせるのは、じつにもったいないという判断がなされたわけだ。敗戦後の日本の復興をふまえると、優秀な人材はできるかぎり残しておきたいわけだ。

 竹内久美子という動物行動学に関わる書物を著(あらわ)している人物がいる。書物で取り上げられる話題がおもしろくて、ほとんどを読んでいる。そのなかで、頭がよいということで生死に関わることはあまりないが、自分の遺伝子を有効に残すという点で、女性にモテるということは頭がよいよりも重要であるという意味のことを書いていた。
 「頭がよいと死なずにすむことが多い」と思ったので、みょうなひっかかりを感じていた。

 気になって、いろいろと調べていくと、実際には、頭がよいということが生死に関わることが多く見つかった。海軍兵学校を優秀な成績で卒業した軍人がその一例である。ほかにもいろいろと見つかった。

 それにしても、気になるのは、最後の出撃にあたって、下艦させられた仕官の代わりに乗艦させられた兵士たちは、いったい、どのような人たちだったのだろうか? 失礼な言い方をすれば、「死んでも日本の将来にはさほど影響がない」と思われた人たちとなってしまう。
 どういう人なんだろう? うーん、気になる。しかし、本格的に調べようと思えば、地味な史料の読み込みを延々としなければならなさそうで、そんな時間はない。でも、気になる。

2009年1月21日水曜日

一部のヴァイオリン愛好家は、なぜ、エレクトリック=ヴァイオリンが嫌いなのか?

 昨日、シグナリング理論について言及した。シグナリング理論から、エレクトリック=ヴァイオリンに対して批判的なヴァイオリン愛好家の存在が説明できる。


 ヴァイオリンは、楽器にお金をかければ、それに応じて、音色がよくなる。ヴァイオリンを演奏するには、投資が必要なのである。

 ところが、エレクトリック=ヴァイオリンにはそれほど経済的負担がない。
 ちなみにヤマハのサイレントバイオリンだと、SV130で本体価格72,000円、SV150で115,000円、エレクトリックバイオリンだと、EV204が139,000円、EV205(5弦)が155,000円だ。たったのこれだけでそこそこの性能である。

 さて、エレクトリック=ヴァイオリンに対して批判的なアコースティック=ヴァイオリン愛好家にどんな意見があるかを紹介しておく。

・まったく別の楽器である。アコースティック=ギターとエレクトリック=ギター以上に違う。
・反応が鈍いので、表現力が低い。
・エレクトリック=ヴァイオリンが弾けても、アコースティック=ヴァイオリンが弾けることにはならない。
・音程が取り難い。
・重い。
・音色が非常に単純。
・電源が必要なので弾ける場所がかぎられる。
・騒音対策での自宅練習用なら、自宅練習を諦めるほうがまし。
・弓の返し(ボーイング)が雑でも気にならず、正しいボーイングが身につかない。
・重量バランスがまったく違うので、正しい構え方が身につかない。
・“ヴァイオリンの音”が出ない。

 いうまでもなく、エレクトリック=ヴァイオリンと従来のアコースティック=ヴァイオリンはまったく違う楽器である。製品開発をしている技術者自身がそう考えている。違うものを較べるのは、そもそもおかしい。それに、違う楽器だといいながら、「同じ楽器」として、比較をしている人がいたりする。
 アコースティック=ギターが演奏できるならば、エレクトリック=ギターも演奏できるが、その逆は不可であるのと同様に、エレクトリック=ヴァイオリンが演奏できても、アコースティック=ヴァイオリンは演奏できない。楽器の性質からすれば、こんなことは当たり前なのに、アコースティック=ヴァイオリン愛好家の一部は敢(あ)えて指摘する。
 本来のヴァイオリン愛好家は、ヴァイオリンの音色が好きだからこそ愛好家であるのに、エレクトリック=ヴァイオリンは音色が非常に単純であると声を荒げる。エレクトリック=ヴァイオリンを弾く人は、音をいろいろと加工したいだけなんじゃないのかな。

 ギターでは同じことは起こらなかったのではないかな? エレクトリック=ギターが弾けるからといって、アコースティック=ギターはちゃんと弾けないとか、エレクトリック=ギターの音色が嫌いだとか、そうした批判は記憶にない。エレクトリック=ギターに対する批判は「エレキは不良のもの」というくらいであったように思う。
 ヴァイオリンとギターで、アコースティックのほうの愛好者の反応が違うのは、ギターの場合、もともと庶民的な楽器であったからであろう。そこに「電気を使った別の庶民」のグループができたからといって、なんらダメージを受けない。「エレキの人は、ああいう音が好きなのね。ぼくはこっちが好きだから」で終わっている。

 一方、ヴァイオリンはというと、庶民的な楽器ではない。ちゃんとした楽器ならば、モダン=イタリアンでも、300万円くらいからしかない。本格的にやろうと思えば、庶民には手の出ないものであった。
 ところが、まったく別の楽器のくせに「ヴァイオリン」を騙(かた)るものが登場した。エレクトリック=ヴァイオリンである。

 もともと、ピアノも富裕層の楽器であった。ところが、高度経済成長期に、ヤマハが中流の家庭でもピアノが買えるように、ローンの制度を整えた。これで、普通の家庭でもピアノがもてるようなった。
 その結果、「ピアノが弾ける」は「お嬢様」のシグナルではなくなり、ひとりでそれなりの曲が弾けて、富裕層であるシグナルの機能を果たすものはヴァイオリンくらいになった。
 そのヴァイオリンをも、「エレクトリック」という形でヤマハは庶民的なものにしようとしているわけだ。

 この状態で、エレクトリック=ヴァイオリンもヴァイオリンとして認めてしまうと、本来のアコースティック=ヴァイオリンに備わっているシグナルとしての機能が損なわれてしまう。「お嬢様」としてヴァイオリンを嗜(たしな)んできたこれまでの人生が台無しになってしまう。「庶民でもできる楽器の愛好者」の地位へと転落してしまうのである。エレクトリック=ヴァイオリンを認めると、場合によっては、1000万円以上つぎ込んだのが、無駄になってしまう。

 エレクトリック=ヴァイオリンを貶(おとし)める人って、とくにある年齢以上の女性に多いように思うのだが、本当はヴァイオリンが好きなんじゃなくて、ヴァイオリンが備えているシグナルが好きなだけなんじゃないのかなと、思ったことがあったんだな。

 あ、おれ、庶民だから、エレクトリック=ヴァイオリンがいいや。




2009年1月20日火曜日

嫁入り道具としてのヴァイオリン、嫁入り道具としての日本舞踊

 ヴァイオリンを習っているという中学生がHAL496に入学したときの話だ。
 これで、ヴァイオリン薀蓄を語る相手ができると期待していた。ところが、ヤッシャ=ハイフェッツJascha Heifetzも知らなければ、イツァーク=パールマンItzhak Perlmanも知らないという。諏訪内晶子や五嶋みどりなら知っているかと思えば、「それ、だれですか?」という。
 いろいろと話してみたところ、レッスン以外ではヴァイオリンは弾かないし、自宅でヴァイオリンの曲を聴くこともないという。
 その一方で、使っているヴァイオリンは、そこそこのものである。ヴァイオリンと弓で、「100万円には届きませんから」という。

 「ヴァイオリン、好きじゃないの?」と訊いたところ、返事はこうだった。
 「私にとって、ヴァイオリンは嫁入り道具ですから」

 嫁入り道具。

 そういう考え方もあるのかと、みょうに感心していたら、べつの中学生が、「私も、日舞は嫁入り道具です」と言った。
 日本舞踊って、発表会ごとに、50万円以上も費用がかかったりするのだが、それがたんなる「嫁入り道具」なのか。うーん。

 シグナリング理論というものがある。スペンスはこの理論でノーベル経済学賞を受賞している。以下、『学歴社会の法則』(荒井一博著・光文社新書)からの受け売り。
 身につけている物や居住地・肩書きなどから、その人物に関する情報が得られる。豪邸を建てるのも、フェラーリを運転するのも、シグナルの一種である。ところが、「お金」だけで済むシグナルは、品がよくない。
 学歴もシグナルとしての機能を果たすということが、『学歴社会の法則』で論じられている。豪邸や高級車は反感を買いやすい側面があるが、高学歴の場合はそれが軽減する。教育への投資が必要だということから、高学歴ということから富裕層出身である確率が高くなる。また、高学歴となるには、一定レベル以上の才能・能力・努力も必要である。
 ただし、学歴に備わっているシグナル効果は、日本にあってはアメリカ合衆国ほどではない。教育費はアメリカのほうが格段に高いからだ。
 ただし、日本では、地頭のよさが認定されやすい。日本は、富裕層でなくても、高学歴になれる社会体制だからである。アメリカほども学歴獲得に資金は必要ない。
 さて、『学歴社会の法則』では論じられていなかったと記憶するが、ヴァイオリンや日本舞踊のような芸事もシグナルである。富裕層出身であることが明らかになるし、本人もそれを習得するのに、一定の努力はしているから、継続してなにごとかに取り組むことができる証(あかし)にもなる。
 だから、ヴァイオリンや日本舞踊を「嫁入り道具」だというのは、理論としては正しい。
 しかし、そのことを言ってしまうのは、どうかと思う人がいるかもしれないが、生徒がそう言ったのは、相手が私であったからであって、ほかの人には言わないだろう。話す相手を選んでいるということだ。

 同級生に「お母様のお下がり」の100万円のヴァイオリンを使っている中学生がいるというのを日本舞踊をやっている生徒から聞いたけど、気合が入っているのなら、中学生くらいから、それくらいのものを使わないといかんわな。

2009年1月19日月曜日

こんな翻訳は嫌だ。

 こんなことがあった。
 スウェーデン人のおっさんが英語で書いた人間工学に関する短い論文を訳した。依頼された条件が「辞書に載っている語のみで訳す」というものだった。
 これが一筋縄ではいかなかった。基本となる訳語だと、どうにも、微妙に意味のずれた文章になってしまう。うんと考えて、適訳になるように工夫するのだが、中型の辞書には載っていない訳語になってしまう。ところが、依頼内容は「辞書に載っている語だけで訳す」というものだから、思いついた訳語が辞書に載っているということをいちいち確認しなければならない。『ランダムハウス大英和辞典』などの大型の辞書をならべて、頭に浮かんだ訳語が辞書にあるのを確認した。適訳だと考えた訳語は、むろん、辞書には載っていることは載っている。しかし、掲載されていることを確認する作業がわずらわしい。
 こうした作業をしているうちに、みょうなことに気がついた。
 適訳を考えると、いつもいつも、辞書には後ろのほうに載っているものが圧倒的に多い。9番目とか、13番目とか、そのあたりに載っている意味ばかりだ。確かに、そういう意味もあることにはあるけど、ふつうはそういう意味では使わないものが多い。
 そうしているうちに、あることに気づいた。
 微妙に意味がずれている使い方をしている語は、どれもこれも、フランス語と綴りが同じか、あるいはよく似ているものばかりだった。
 そこで、もしかすると、こいつは同じような綴りの英単語をフランス語の意味で使っているのではないかと考えて、部分的に仏和辞典を使って、その英文を訳してみた。
 そのとおりだった。仏和辞典を使うと、作業が捗(はかど)った。最初の3つのまでの訳語でことたりる。
 フランス語から英語に直訳したものという可能性を考えてみたが、そうではなく、「フランス語の得意なスウェーデン人のおっさんが、ほぼフランス語での意味で英文を書いていた」ということが判明した。

2009年1月18日日曜日

『悪問だらけの大学入試――河合塾から見えること』(その4)

 この本ではまた、つぎの問題を掲げて、「複数解答が出てしまう」と述べている。

The phrase information revolution is often used in the media to describe the (1)radical change in recent society which (A) the widespread diffusion and use of computers in everyday life. (以下略)

設問1. 下線部(1)から(4)の意味として最も適切なものを一つずつ選べ。

(1) a. acute b. fundamental c. progressive d. recent

 これに対して、つぎのようにコメントしている。

設問1 (1) のradicalの意味については a. acuteとb. fundamentalの複数解答が出てしまう。

 acuteも正解だとする感覚が信じられない。
 こうした場合は、訳語から考えるのではなく、用法や用例から考える。そもそも、acuteは、「急性アルコール中毒」の「急性」にあたる語であり、小さな辞書でも、acute pain(げきつう)が掲載されている。acuteを正解の候補とする時点で、入試問題などを除いた英文をふだんから読んでいないと告白しているようなものである。
 しかし、一般の高校生の場合、英文での読書量が少なく、用法・用例からは正解にたどりつけない場合もあるだろう。
 その場合は、「語源」から考える。
 radicalの語源は「root」を意味するラテン語のradixに由来する後期ラテン語のradicalis(を持っている)である。
 acuteは、「鋭くする」の意味のacuereの過去分詞acutusからきている。「」とはなんの関係もない。基本となる訳語は、「鋭い」や「(病気が)急性の」である。
 一方、fundamentalはというと、「基礎base」「底bottom」の意味のラテン語のfundusに由来している。そもそも「本からの」の訳語があり、さらには、「〈和音が〉基本形の」の意味もあり、これは、音(root)を最低音を最低音とすることについていうものである。
 どうして「複数解答が出てしまう」と考えるのか理解に苦しむ。
 こうした問いを設けているのは、辞書を引くときにはふだんから語源などにも目を通しておけという出題者からのメッセージなのであって、単語集を使って、日本語の意味だけを憶えているようでは的確に正解がわかるようにはならないということを告げているのだ。
 西洋由来の学問を勉強すると術語[=専門用語]の解説に際して、頻繁に語源に言及されるということがわかっていれば、なんの苦もなく正解がわかる。どうやら、著者はアカデミックな知識がかけらもないようである。
 自分が簡潔に説明できないからといって、悪問と決めつけるのは困ったことだ。

 河合塾は意図的にこうしたことを煽っているのであろうことはわかる。ビジネスの基本はボリュームゾーンを狙うことである。対象となる顧客を最大にすることだ。偏差値63以上の受験生を対象にすると、上位の10%しか顧客になりえないが、偏差値37から63までの受験生を対象にすると、80%がカバーできる。つまり、この本は、偏差値63以下、あるいは偏差値58以下の受験生が抱きそうな不満を代弁しているにすぎないのかもしれないのだ。
 また、大学入試問題の作成請負を行なうに当たっての宣伝もあったのだろう。実際、委託している大学は少なくないそうだ。
 金儲けの臭いのするものは、やはり信用すべきではない。

 著者は「やはり大学は正解を発表すべきであろう」とも述べているが、そうなると、どうしてそれが正解なのかを理解できない、あるいは公表された正解を、自らの思い込みから間違っていると判断した予備校から問い合わせが殺到するであろう。そうなると、なぜ、それが正解なのかを説明しなければならない。それを説明すると、出題の意図が知られてしまう。
 大学受験で試している能力は、ものごとを理解して憶えていることだけではない。過去問を解く作業を通して、どんな出題傾向なのか、どういう選択肢が正解となることが多いのか、そういった「規則を見出す」能力も試している。そう考えないと、出題者がいくら変わっても、あれほど出題傾向を維持しているのを、偶然と考えるには無理がある。正解を公表して、正解の根拠を示すと、手の内がばれてしまう。「規則を見出す」能力の持ち主が有利にならなくなる。そうなると、暗記に長けた者ばかりが合格することになる。これは大学にとって避けたい事態であろう。

 著者はまた、悪問を出題する大学の代表例として早稲田大学を槍玉に挙げている。すでに述べたことだが、「捨て問」はあっても、それほど悪問はない。
 資料を探す時間がないので、具体例は挙げないが、以前、つぎのような出題が早稲田大学法学部であった。
 下線を施した単語の意味を訊ねる設問だが、駿台予備学校のハイレベル模試でコンスタントに偏差値75以上がとれる受験生でもさっぱりわからないはずの単語だった。しかし、その年度のその設問だけを見て「悪問だ」と騒いではいけない。
 その単語は、3年前の入学試験の長文の中に登場していた。その年度では設問に関わりがなく、知らなくても問題は解けるようになっていた。
 3年後に、その単語が出題されたのであるが、早稲田らしい意地の悪い出し方をしていた。3年前の長文で使っていたのとは違う意味でその単語を使っていたのである。正確に述べると、別の意味というよりは、同じ綴りだけれども、辞書では別の見出し語となっているほうの意味で出題していた。
 これはどういうことか?
 3年前の過去問の長文を自力で辞書を引きながら、考えつつ訳した受験生だけが正解できる設問ということである。他大学が第1志望の受験生は、第1志望でない大学・学部の問題を丁寧に自力で訳してみたりはしないだろう。また、単なる滑り止めの場合だと、3年分も解かないことが多い。
 つまり、第1志望にしており、丹念に辞書を使って自力で訳したことのある者だけが、得点できる設問だったのである。
 以上のように、時系列を踏まえれば、悪問でもなんでもない問題だったのである。悪問と騒ぐ前に、対処方法を伝えるべきであろう。

2009年1月17日土曜日

「修飾する」について(「就職する」ではない)

 「修飾する」とはどういうことかを生徒に説明した。
 ホワイトボードにさまざまな色のマーカーで花の絵を描いた。ここでは絵は描けないので、文字で表現しよう。

          
      花     
          

 「あくまでも50年以上も前の説明になるが」と前置きをしてから、つぎのように説明した。
 上には花(の絵)が11輪ある。つまり、「花」ということばで指し示すことができる「もの」の数が11あるということである。
 ここで「赤い」という修飾語を「花」につけて、「赤い花」とすると、この表現で指し示すことができる「もの」の数が3になる。
 したがって、修飾するというのは、指し示すことができる「もの」の数を減らすことである。

 こんな説明をしたわけだ。感心している生徒がいる一方で、こんな質問をされた。

 「もとからいないもののときは、初めから数はゼロのままじゃないの?

 すごい質問だ。
 たとえば、「ペガサス(天馬)」は架空の存在であって、実在しない。もとから指示対象はゼロだ。だから、「赤いペガサス」としても、指示できる対象はゼロのままだ。
 そこで、“だから、50年以上も前の説明だって言ったじゃん”と思いつつ、「可能世界意味論というものがあってだな、可能世界というものを考えて……」と、詳しく説明しようと思ったが、質問した生徒が「まずい」という顔をした。どうやら、ややこしい話になりそうだと感じたらしい。それで、「きちんと説明すると、1週間かかってもうまく説明できる自信がないので、説明するのはやめにして、こう考えてみてはどうだろう? 頭に思い浮かべることができるものの数が減ることが修飾することだとしてはどうか?」と言っておわりにした。

 それにしても、「もとからいないもののときは、初めから数はゼロのままじゃないの?」という疑問を即座に思いついた小学3年生は、もしかすると天才かもしれないと思った。

2009年1月16日金曜日

勉強と食事、あるいは頭を使う際に必要な物質(その4)

 レシチンの摂取量が少ない事例が多いということから、これまでレシチンを強調しすぎたきらいがあるので、訂正というわけではないが、もうひとつ重要なことをつけ加えておこう。もっともこれはそれほどたいしたことではなく、よく指摘されていることである。
 すでに述べたことだが、これがないとはじまらない2つの物質が、糖質とレシチンである。実際のところ、レシチンの摂取が少ないと思えることが多かったので、その2・その3で強調した。
 一方、糖質も重要である。脳を使う際にエネルギーとなるのはブドウ糖だけだからである。
 ブドウ糖を効率よく使うには、ビタミンB1、すなわちチアミンが必要である。
 ビタミンB1をとりわけ多く含むのは豚肉・鰻であるが、卵・豆類・牛乳にも多く含まれる。じつは、これまでに述べたものを摂取していれば問題ないのであるが、指摘しておこう。


2009年1月15日木曜日

東京理科大学のアクセント問題

 東京理科大学のアクセント問題は、なんの対策もしなくても合格ラインに達するようにできていた。
 具体例を挙げよう。
 まずは、2006年度の理学部数理情報科学科・応用物理学科・応用化学科のアクセントの問題。

次の文中の各語のもっとも強いアクセントのある部分の番号を解答用マークシートにマークしなさい。
(ア) con-clude
(イ) cos-tume
(ウ) how-ev-er
(エ) i-de-as
(オ) im-ages
(カ) mu-se-um
(キ) stan-dard

 つぎに2007年度の理学部数理情報科学科・応用物理学科・応用化学科のアクセントの問題。

次の文中の各語のもっとも強いアクセントのある部分の番号を解答用マークシートにマークしなさい。
(a) at-tit-ude
(b) e-vent
(c) in-flu-ence
(d) in-nu-mer-a-ble
(e) re-sult
(f) suf-fi-cient

 正解は以下のとおり。

2006年度

(ア) 2 con-clude
(イ) 2 cos-tume
(ウ) 2 how-ev-er
(エ) 2 i-de-as
(オ) 1 im-ages
(カ) 2 mu-se-um
(キ) 1 stan-dard

2007年度

(a) 1 at-tit-ude
(b) 2 e-vent
(c) 1 in-flu-ence
(d) 2 in-nu-mer-a-ble
(e) 2 re-sult
(f) 2 suf-fi-cient

 「なにも考えずに2番だけを選べば、67%あるいは71%が正解となってしまう」ということだ。
 こんな出題で、入試問題として機能しているのかと思う人がいるかもしれないが、現に機能しているから、こういう問題を出しているのである。いつだったか思い出せないが、アクセント問題が10問あって、そのうち8問が第2音節にアクセントがあるという出題も、東京理科大学はやってのけている。
 東京理科大学を第1志望に考える受験生は、数学・理科は苦手ではないが、英語・国語はすこぶる苦手というタイプが多いということが見て取れる出題である。

 日本人がアクセントの位置を間違える単語を集めると第2音節にアクセントのあるものが多くなる。
 学校にもよるが、高校受験でも、偏差値50前後の私立高校のアクセント問題は第2音節に正解が集中してしまう。ちょっと前の事例としては、私立育英工業高等専門学校(今は、私立サレジオ工業高等専門学校杉並育英キャンパス)のアクセント問題では、なにも考えずに2番目を選べば、50%から67%の正解となった(今はどうなっているのか知らない)。それでも試験として機能するのは、そのレベルの高校を受験する中学生は、ほとんどだれもがこうしたことに気づかないからである。

 ちなみに、「2番だけを選ぶ攻撃」を防ぐ高校もある。その場合の方法のひとつとしては、つぎのようなものが挙げられる。

次の各組で、最も強く発音する部分の位置が他と異なるものをそれぞれ1つ選び、その記号を〇で囲みなさい。

 こういう出題の仕方だと、「2番だけを選ぶ攻撃」を防ぐことができるわけである。

 なお、大学受験におけるアクセント問題の一般的な対策はつぎのものである。
 まず、アクセントのルールが大きくわけて24、細かい技まで入れると30近くあるので、そのルールを見ながら、アクセント問題を解いていく。解いていくうちに憶えられる頻出語は憶えていく。アクセントのルールが身につき、頻出語をある程度まで憶えたら、憶えていない頻出語をチェックして憶える。アクセント問題の頻出語は200程度である。また、英単語をmu-se-umのようにハイフン(-)で区切ることを分綴(ぶんてつ)と呼ぶのだが、分綴の仕方からアクセントの位置が推測できるので、それも活用するとよいが、これはあまり教えられないようである。

 最後に、東京理科大学理学部数理情報科学科・応用物理学科・応用化学科では、2008年度の入試ではアクセント問題を出していないので、これらの学科を志望している人には2009年度の入試では役に立ちません。あしからず。

2009年1月14日水曜日

『東大合格生のノートは必ず美しい』大田あや著

 美しいノートがとれるのは、もともとその講義の内容がわかっているからである。
 私自身、学生時代にノートをさまざまな人に貸した。それなりのノートがとれたのは、もともとある程度以上に内容を知っていたからである。講義を受ける前に3冊から5冊くらいは関係する文献を読み込んでいた。それなら、ちゃんとノートがとれるのである。
 ノートがとれない学生というのは、まったく未知の内容の講義を受けた学生である。なにを言っているのかさっぱりわからない講義のノートはとれないだろう? 綺麗にノートがとれるかどうかは、それ自体は関係ではない。

 それよりも、この本の嫌なところは、商業主義が前面に出ているところである。
 美しいノートをとるのに適したルーズリーフを同時に販売しているのであるが、すべてB5判のノートである。これは根本から間違っている。
 勉強に適したノートは大きいほうがよい。既製のノートで比較的手軽に入手できて大きいものとなるとA4判のノートである。だから、勉強を効率よくこなそうと思えば、A4判のノートを使うのが正しい。実際、あちこちの大学の売店に足を運ぶと、大学の偏差値が上がれば上がるほど、店頭に置いてあるA4判のノートが増えるという事実に気がつくはずである。
 HAL496の生徒でも、父親の出身が東京大学や早稲田大学理工学部や一橋大学となると、A4判のノートの使用率が急に高くなる。もちろん、私もA4判のノートを使っている。

 それなのに、『東大合格生のノートは必ず美しい』に準じたルーズリーフやノートがB5判ばかりなのはおかしい。定価を示しておく。いずれもコクヨ。

「キャンパスノート(ドット入り罫線)」セミB5サイズ 157円
「キャンパスルーズリーフ(ドット入り罫線)」B5サイズ 273円
「ツインリングノート(ルートマップ柄)(ドット入り罫線)」セミB5サイズ 262円

 勉強に適したノートのとり方を指南する前に、勉強向きのノートのサイズを論ずるべきではなかろうか?
 なぜ、B5判のルーズリーフを売ろうとしたのかというと、コストが原因であろう。B5判なら、廉く発註できる。ところが、A4判だと、日本ではそれほど普及していないので、単価が高くなる。ノートの場合、A4判でふつうに売っているものでも200円以上する。200円以上もするノートに、美しいノートがとりやすいようにドットをつけて、400円で売ろうとしてもだれも買わないだろう。しかし、100枚のルーズリーフで「美しいノート」がとれるように工夫したドットがついたものならB5判のノートであっても273円なら買うだろう。

 金儲けの臭いがするものは、信じないほうがよいだろう。

追記:8月の時点でコクヨは、A4判のノートも販売していた。値段は不明。

  

カスタマーレビューを読み較べるとおもしろいよ。『東大合格ノート術』以外は買わないほうがよいかも。他人のノートの取り方を知りたいのであれば、『東大合格生のノートはどうして美しいのか』は買いかもしれない。

2009年1月13日火曜日

なぜイングランド人はアメリカ英語の発音を馬鹿にするのに、オーストラリア英語の発音はそれほど馬鹿にしないのか?

 イングランド人はアメリカ英語の発音を馬鹿にする人が多いようなのに、オージーイングリッシュ(オーストラリア英語)の発音を馬鹿にしているところを見たことがなく、ずいぶんと不思議に思っていた。
 一方、アメリカ人はオーストラリア人の発音をものすごく馬鹿にする。
 これが不思議でならなかった。

 アメリカ人に「英語がうまいな」とよく言われる。これはまあ、あくまでの「日本人としては」ということであろう。それに、私はアメリカ人と話すときには徹底したイギリス英語で話すことにしている。それも中流の上くらいの発音で話すようにしている。
 そして、「たとえば、ドイツ人がきちんと子音を発音するのと較べると、日本語訛りが少しは残っているから、自分ではたいしたものではないと考えている」などと答えると、そんなときにアメリカ人は必ず、こう言うのだ。
 「いや、君の英語は、オーストラリア人の英語よりもはるかに素晴らしい」
 しかも、その上で、大笑いして、オージーイングリッシュの真似をするやつがすこぶる多い。アメリカ人が数人いるときには、そのまま、オーストラリア英語の発音の悪口になることが少なくない。アメリカ人って、こうなんだよなあ。

 もうひとつ、疑問に思うことがあった。
 アメリカ合衆国はもともとは英国の植民地だったのに、アメリカ発音に近い発音のイングランド人がずいぶんとわからなかった。英国の植民地だったのだから、イングランドのどこかの地域にアメリカ人のように話すイングランド人がいてもよさそうなのに、なかなか見当たらない。変だなあと思っていた。

 あるとき、リバプールLiverpool出身の英国人としゃべっていたら、彼はアメリカ人に多い発音でしゃべる。たとえば、patriot(愛国者)をイギリス人はふつう「パトリオット」と発音するのに、「ペイトリオット」と発音するという具合(関係ないが、パトリオットミサイルはアメリカの兵器なのでペイトリオットミサイルと呼ぶべきだと思っている)。イングランド人なのに、どうしてアメリカ風に発音するのかと訊いてみたが、「わからない。出身地の近所の人も家族もこう発音する」という。
 で、詳しく聞いたところ、リバプール出身といってはいるが、本当はリバプール近くの小さな村出身であるが、リバプール出身だというと、日本人女性が「あら、ビートルズの出身地ね」と喜んでくれるので、そうしているとのことで、今、両親はリバプール近くの村に住んでいるが、もともとは北アイルランド出身のアイルランド系なんだそうだ。リバプールには、北アイルランドに近いということもあって、少なからずアイルランド系住民がいるらしい。

 そうしたことがあったので、アメリカ発音はアイルランド訛りがベースになっているのではないかと考えていたが、きちんと論証した資料がいまだに見当たらない。
 書名は忘れたが、アメリカ英語の標準的な発音はアイルランド訛りがベースになっていると、なにかの新書に書いてあった。

 そこに書いてあったのは、こういうことだ。
 19世紀初頭にイングランド人に土地を奪われたアイルランド人は、みずからの食料としてはジャガイモを栽培していた。ところが、ヨーロッパ全域にわたってジャガイモの疫病(えきびょう)が蔓延(まんえん)した。アイルランドは、1845年から1849年にわたって、ジャガイモの疫病に襲われ、壊滅的な被害を受け、100万人以上ともいわれる餓死者(がししゃ)を出した。
 この時期に、100万人がアメリカ・カナダ・イングランド・オーストラリアに移住した。さらにその後の10年間でも100万人以上が移住した。
 その結果、アメリカには大量のアイルランド系移民が存在することとなった。もともと英語を話しているので、アイルランド訛(なま)りを直すことなく、アメリカ社会に入り込んだ。現在、22%のドイツ系移民に次いで、アイルランド系移民は15%という第2の集団である。
 現在の標準的なアメリカ発音はアイルランド訛りがベースになっているそうである。

 イングランド人がアメリカ発音を異常なまでに馬鹿にするのは、たぶん、ふだん、自分たちが強烈に差別しているアイルランド人の発音に近いものがあるからではないだろうか?
 その一方で、イングランド人はアメリカ英語に対するほどもオーストラリア英語の発音に嫌悪感を抱いていないようであるが、オージーイングリッシュって、ロンドンの労働者階級の英語というか、コックニーCockneyという方言というか、そういう階層の英語がベースになっているように感じているのだが、確証はない。

 で、結論。イングランド人が標準的なアメリカ発音を大いに馬鹿にするのは、日ごろ差別しているアイルランド訛りがベースになっているからであり、オーストラリア発音をさほど嘲笑しないのは、あくまでもイングランドの方言がベースになっているからであろう。確たる証拠はないが。

2009年1月12日月曜日

早慶の両方に合格すると慶應義塾大学に進学する受験生が増えている。

最近、早慶の両方に合格すると、慶應義塾大学に進学する受験生が圧倒的になっている。

もちろん、早稲田大学政治経済学部と慶應義塾大学商学部に合格した場合なら、早稲田大学政治経済学部に進学する受験生が多いだろうが、しかし、将来は公認会計士を目指しているというのであれば、慶應義塾大学商学部に進学する者もいなくはなさそうである。

ところが、早稲田大学法学部と慶應義塾大学法学部の両方に合格した場合は、7割から8割が慶應義塾大学に入学金を納める。商学部同士の合格でも、7割から8割慶應義塾大学に入学金を納める。

昔は両方に合格した場合には早稲田に入学する者が多かったのに、これはいったいどうしたことだと驚く早稲田OBがいる。

主な理由は、経済的なものであった。

慶應義塾大学の場合、国公立に合格・進学する受験生には入学金を返還しているのだ。

東京大学や京都大学・一橋大学・東京工業大学が第1志望の受験生からすれば、滑り止めが早稲田であろうが、慶應義塾であろうが、どちらにしても単なる「挫折」にすぎない。積極的にどちらかに進学したいとは思っていない。

そうなれば、第1志望大学に合格したら入学金を返還してくれる滑り止め大学に手続きをするのは当然であろう。

それに、授業料そのものも慶應義塾大学のほうが廉いし。

また、別の理由もある。

女子生徒には、早稲田は人気がない。とりわけ、校内が綺麗なミッション系の高校出身者にとっては、早稲田のキャンパスは小汚く、進学したいという気にならないようだ。

早稲田の同窓会誌『早稲田学報』を読むと、早稲田OBの娘が早稲田と慶應義塾の文学部に合格した場合、ほぼもれなく慶應義塾大学に進学しているが、早稲田はああいう大学だから、親の立場になると、娘にはあまり奨められないのだろう。

さらには、あまり知られていないのだが、成績評定は、慶應義塾のほうが甘い。楽していい成績がとれるのだ。

2009年1月11日日曜日

入学式の写真を見ているとわかること

 生徒の入学式の写真をいろいろと見せてもらっていると、学校の格によって、ある傾向が見られた。

 まずは、着物である。
 中学校・高校の入学式では、偏差値が高くなればなるほど、母親の着物着用率が高くなる。
 着物はそれなりに値段が高い。富裕層になればなるほど、高価な着物を購入する余裕がある。しかしながら、着物で出席できる場はあまりない。箪笥の肥やしにしてばかりでは、ちょっともったいない。羽織る機会があれば、なるべく羽織りたくなるというものだ。
 そうした数少ない場が、子どもの入学式だ。
 着物姿の母親が10%を超えると、その学校は格式/偏差値が高いといえるようである。

 もうひとつ。
 格式/偏差値が高くなると、両親の出席率が高くなる。つまり、保護者と生徒が揃った写真だと、保護者が生徒数の2倍くらいになる。2倍近くとなると、格式/偏差値が高いといえるようだ。
 ちなみに、東京大学の入学式ともなると、入学者数の4倍の保護者ならびに関係者が出席するときもあるそうだ。祖父母も出席するし、「これを逃したら東大の入学式に出席する機会はない」と叔母までもが出席する家庭もあるそうだ。

 これまでに指導した生徒のうちで、入学式の出席者が最多であったのは、7人というもの。生徒の両親と、母親の妹夫婦で歯科医院を運営しており、その歯科医院は母方の祖父が経営していたものだが、2人の娘夫婦が歯科医師や歯科技工士の資格で運営していた。妹夫婦には子どもがなく、跡継ぎはその生徒だけ。歯学部に合格して、一族全員が大喜びで、両親・妹夫婦・母方の祖母・父方の祖父母が入学式に出席した。

 私が大学に入学したときには、祖父母どころか、両親も入学式には出席しなかったなあ。というか、私自身、辞書や教科書を購入する費用を捻出するため、入学式のときにはアルバイトをしていた。入学式のことを、民俗学などでいうところの「ハレ」とはだれも把えていないようだ。

2009年1月10日土曜日

こんな早稲田対策講座があった。

 HAL496には、大手の予備校に通いながら、週に1日、志望校の対策を受ける生徒がいるときがある。以前に勤務していた、小学生から高校生までを指導するこぢんまりした塾でも、同じような受講の仕方をする生徒がいた。だから、大手予備校の講師がどんな解説をしたのか、耳に入ってきたりする。
 これは今年の話ではなく、以前に非常勤講師として勤務していたときの話だが、ある生徒が冬期講習で某大手予備校で英語の早稲田対策を受けるという。事前に配布されたテキストを見せてもらった。これがすごい問題ばかりを集めてあった。易問(えきもん、やさしい問題のこと)だらけだった。
 早稲田大学となると、今なら、政治経済学部・法学部・文学部・理工学部・商学部・教育学部・社会科学部・人間科学部・スポーツ科学部・国際教養学部・文化構想学部もの学部がある。11学部だ。一般入試の英語の大問が3問から5問として、平均で4問あるとすると、毎年、大問で44問ある。これが10年分となると、440問もの大問がある。
 すると、早稲田とは思えないくらいの易問もそれなりに見つけることができる。そうした易問は、全問正解してもなんら有利にならず、全問正解でなければ、話にならないような問題であったりする。
 くだんの予備校の早稲田対策では、そういう易問ばかりを並べていたのだ。
 受験対策というものは、解けない問題・正解できない問題を解けるようにすることである。正解して当然であって、全問正解しても合格に近づくことにならない問題ばかりを演習しても意味がない。
 ところが、問題の難易度を見極めることができない受験生にとっては、たぶん、気分のよくなる講座となるのだろう。大学や年度にもよるが、だいたい正解率60%のところに合格ラインがあり、普通はどんなに合格ラインが高くても75%が正解できれば合格となるのだから、軒並み80%以上が正解できれば、「おっ、これは合格できるかも」と思ってしまう。意図的に易問を集めているということを知らなければ、問題の当たり外れという点での「当たりが集中すれば」、すなわち「運がよければ」合格すると思ってしまう。
 合格するための知識・技術・方法を教えるのではなく、「合格するかも」という夢を売るだけの仕事というものがあるということを、そのとき初めて知った。

2009年1月9日金曜日

ベレー帽に合わせて坊主頭にしたら星座が見えた。

 ベレー帽を買ったものの、チェ=ゲバラ風にしかかぶれないわけだが、かといって、チェ=ゲバラのような長髪はみっともない。私は革命家ではないのだ。最初は、長いままにしていたのだが、ベレー帽をかぶった陸上自衛隊の隊員を見ていると、やはり、自分も髪を短くしたほうが似合うのではないかと考えた。
 しかしながら、これまで坊主頭にしたことがないのが急に1mmくらいの長さにすると、ふだん、日の当たらない頭皮の青さが目立つそうなので、床屋のお姉さんの助言にしたがって、最初は9mmくらいにした。その後は、毎月、それくらいの長さにしていたのだが、男たるもの、一度は一枚刈り(2mm)とか、一厘刈り(0.5mm)とか、そういうものに挑戦しておかねばと考えた。
 ということで、先日、0.8mmに刈ってもらった。自覚はなかったのだが、じゃりっぱげが意外と多かった。
 床屋のお姉さんが「プラネタリウムみたい」という。合わせ鏡で見てみると、じゃりっぱげが、まるでオリオン座のように並んでいる。四角形の位置と、その中央部に3連星のじゃりっぱげだ。



 かっこいいのか、かっこわるいのか。「後頭部にオリオン座を持つ男」というわけか。まあ、カシオペア座や、かみのけ座(髪の毛座)でなくてよかったとも思っている。
 そんなこんなで、今後は、じゃりっぱげが目立たぬくらいの長さに刈ってもらうことに決めた。それよりも、やはり、鳥打帽(hunting cap)を買おうかな。

2009年1月8日木曜日

教科書3年分が暗唱できれば早稲田の文学部の英語は簡単ですよ。

 問い合わせ電話があった。高校生1年生の子どもは娘なので、文学部ぐらいでいいという。話の流れで、あちこちの文学部について、どういう特色があるかとか、女子学生の就職状況はどうかとか、話しているうちに、「早稲田の文学部の英語だと、文法的に完璧に理解したうえで3年分の教科書を日本語を見ながら暗唱できるようにして、過去問を解いておけば、よほどのことがないかぎり合格点がとれますよ」と言った。「それがなかなかできないんですが」とはつけ加えておいたのだが。
 すると、問い合わせた母親の声が、すこぶる明るくなった。今にして思えば、「なあんだ、早稲田って、意外と簡単なんだ」と思ったらしい。その母親は、娘がもう早稲田に合格した気になって、ほがらかな様子で、「いろいろと情報をありがとうございました」と言ってから、電話を切った。
 うちに入らないだろうなと思いつつも、その高校についてはあまり知らなかったので、偏差値や進学実績などをいろいろと調べてみた。
 使用している教科書がわかった。
 教科書を文法的に理解した上で暗唱できるようにしたとしても、いわゆる中堅大学にできるかできないかというレベルの教科書を使っていた。
 しまったと思ったが、問い合わせの電話があっても、住所・氏名・電話番号を訊ねるようなことはしていないので、訂正しようにも、連絡先がわからない。営業電話をしないから、こちらから積極的に訊ねることは基本的にしていないのだ。
 万が一、再び、電話での問い合わせがあれば、訂正しようとは考えていたが、結局、そのままになってしまった。

 ちなみに、ウェブで検索した場合の標準的な偏差値ランキングでいうと、残念なことだが、偏差値58以下からは基本的には早慶の合格者は皆無といえる(例外はあって、都立大山高校(偏差値43)から早稲田に合格した人を知っている)。58から63の間だと、学校にすこぶるつきの進学熱があれば、少しは合格する。早慶を目指すならば、最悪でも偏差値63以上の高校(中学受験ならば50から55あたりよりも上)でないと難しい。さまざまな理由が複合的に絡み合っているが、まず、使用教科書のレベルが低いので、完璧にマスターしても、大学受験に関しては、超えられない壁がどうしてもできてしまう。それを乗り越えるのは、並大抵の努力ではない。


なお、HAL496では、教科書にかぎらず、入学試験の過去問なども暗唱しやすくしたプリントを作成している。Linksの「掃除機496和訳道場」に進めば、どういうものがかわかるよ。

2009年1月7日水曜日

「教科書レベル」という表現に関わる根本的な誤解

 一般に、教科書レベルがきちんと理解できていればセンター試験では6割が得点できるといわれている。
 ところが、教科書といっても、レベルが大きくちがう。ここに誤解が生じる余地がある。
 たとえば、数学の教科書にしても、数研出版は6種類のレベルの教科書を発行している。正確には数研出版名義のものは3種類であるが、これは、法律上、1つの出版社は3種類までと決められているからである。残りの3種類の教科書は、グループ企業に出版させている。形式的には別会社が発行していることになる。
 さまざまなレベルの教科書があるにもかかわらず、教科書がわかっていればセンター試験で6割が得点できると一般の高校生は思い込んでいる。ところが、レベルの低い教科書だと、すべてを理解していても、6割の得点は見込めない。
 以前、ほかの予備校で非常勤講師をしていたときに、どう考えてもセンター試験で6割の正解は見込めない学力なのに、のんびりとしている生徒がいた。「そろそろ、本気出したら、どう?」と言ってみても、「大丈夫ですから」という。いったい、なにがどう大丈夫なのかと思ったので、ちょっと話してみたところ、自分の高校の教科書に書いてあることが理解できているので、6割は大丈夫で、第1志望の大学は6割の得点で合格できるところだから、余裕なんだという。
 教科書レベルがわかっていれば6割といっても、基本的にはいちばんレベルの高い教科書での話であって、レベルの低い教科書では6割は難しい。しかも、レベルの高い教科書でも、数学の場合、「章末問題」もきちんとこなせていなければならない。
 結局、自分の通う高校で使用している教科書が理解できるということで、彼は大きな勘違いをしていたのであった。

 大学受験について語る場合、たいていの予備校講師にしろ、受験関係の出版社にしろ、レベルの高い教科書しか念頭においていないので、誤解が生じるのである。「教科書レベル」と予備校講師がいう場合、「いちばん難しいレベルの教科書のレベル」という意味なのである。
 じつは、私自身、それで、厳密にいうと「誤った」情報を問い合わせ電話の相手にもたらしたことがある。以下の記事を参照のこと。


2009年1月6日火曜日

東京タワーの色は何色?

 東京タワーの色で論争になった。
 東京タワーは朱色で、これは鳥居の色で、すこぶる日本的だと考えていた。ところが、生徒たちが、東京タワーは赤だという。
 金鉱ではたいてい水銀鉱石も採れ、水銀鉱石の辰砂という赤い金属を使って、鳥居に色をつけていた。結界・魔よけの意味で鳥居を朱色にしていた。また、防腐作用もあった。
 鳥居の朱色にはそういう由来があるのだから、当然、東京タワーのあの色も、鳥居の朱色に由来するものだろうと漠然と考えていたのだ。エッフェル塔は、この点で、無粋な色をしていると思っていた。
 ところが、うちの生徒はだれも朱色だと思っていなかった。赤だという。
 そういわれてみると、鳥居の朱色の由来を知らない者が東京タワーを見れば、赤だと思うのはそれほど変だとは思えない。
 東京タワーの色をほぼ自動的に鳥居の朱色と結びつけていたのは、実家の近所に丹生都比売神社があるからかもしれないと思った。

 丹生都比売神社はともかく、東京タワーの色について検索してみた。
 正解は、「インターナショナルオレンジ」だった。朱色と赤の中間くらいの色だ。航空法が定められた色で、勝手に変えることはできないそうだ。

 鳥居の色だから東京タワーは日本的なんだと思い込んでいたのだけど、そのまま思い込んだままでいたかったな。

2009年1月5日月曜日

ベレー帽を買った。

 半年ほど前にベレー帽を買った。
 野球帽型の帽子をずっとかぶりつづけていた。オートバイ用品の英国ブランドの帽子で、ひさしは厚みのある革製で、細部もいろいろと凝っていた。発色の美しい深緑色だったが、イタリア製の服の染め方と同じらしく、洗うと色落ちしていった。色落ちも楽しんだから、問題はなかった。しかし、10年以上も使っていると、さすがにボロくなった。これ以上はかぶり続けられないなと考え、新たに帽子を買うことにした。
 いい年齢をして、いつまでも野球帽型の帽子はどうかなという気になった。比較的ラフな服装でも大丈夫そうなのは、鳥打帽hunting capとベレー帽béretで、とりあえず、ベレー帽にした。
 新品でいちばん廉いのを探したところ、陸上自衛隊の「91式略帽」が正式名称のベレーだった。ちょっと迷ったが、それにした。


帽章はつけていない。
ここでベレー帽を買った。

 軍隊の正規品が手軽に入手できるのかと怪訝に思う人もいるかもしれないが、軍用品とはいえ、すべてが支給されるわけではない。隊員が基地内の売店で自費で購入するものが一部にある。現役の隊員が売店でベレーなどを購入して、横流ししているらしい(憶測)。
 ありがちな誤解としては、軍用品だからさぞかし立派な品物だろうというものがあるが、軍用品は短期間で使い捨てるものなので、あまり品質はよくない。むしろ、軍ヲタ(軍事オタク)向けのレプリカのほうが、高品質なのだそうだ。被服などの品質に対する軍ヲタの要求する水準は、現役の軍人よりも高いそうだ。ベレー帽を買うまで、そういうことは知らなかった。

 購入前は、英国陸軍軍人のバーナード=ロー=モントゴメリーBernard Law Montgomeryのようにかぶろうと思っていた。そのためには、たぶん、こういうふうに軽くアイロンがけをすればよかろうということも考えていた。

バーナード=ロー=モントゴメリー
Bernard Law Montgomery

 ところが、私は頭が大きかった。
 いや、頭がとくに大きいわけではなく、正確にいうと、自己紹介に貼りつけてある写真を見てもらえればわかると思うが、目が顔の真ん中にあるのである。目から上の部分の体積が大きいわけだ。帽子の内部を占める頭の部分が大きいから、帽子に折り目をつけて、形を整えるということがむずかしい。で、どうなったかというと、南米の革命家チェ=ゲバラChe Guevara風にしかベレー帽がかぶれないのである。もちろん、自己紹介の写真から大人になったときの風貌を想像すればわかるだろうが、チェ=ゲバラほどもかっこいいわけでは断じてない。とほほ。


チェ=ゲバラ
Che Guevara

 予定とはちがうかぶり方になってしまった。鳥打帽を買おうかと考えている。

2009年1月4日日曜日

校歌や応援歌で他大学に張り合おうとする早稲田

 早稲田大学校歌にはつぎの一節がある。

現世を忘れぬ久遠の理想

 東京大学教養学部の前身、旧制第一高等学校の寮歌に「嗚呼玉杯」(「嗚呼玉杯に」、あるいは「嗚呼玉杯に花うけて」とも呼ばれる)があり、そこにはつぎの歌詞がある。

栄華の巷(ちまた) 低く見て

 これに対抗するために「現世を忘れぬ」ということばを入れたんじゃないのかと言っている人がいた。「嗚呼玉杯」は1902年に成立しており、早稲田大学校歌は1907年に成立している。早稲田の校歌のほうが新しい。

 つぎに慶應義塾大学の応援歌『若き血』の一節を紹介する。

慶應 慶應 陸の王者 慶應

 ある雑誌で、早稲田出身のライターが慶應義塾大学を取り上げて「自らを『陸の王者』というような大学」と書いているのを見て驚いた。早稲田はもっと傲慢なのだ。応援歌「紺碧の空」にはつぎの歌詞がある。

理想の王座を占むる者 我等

 「理想の王座」ときたもんだ。「陸の王者」は、あくまでも「陸」に限定されているが、「理想」ときたか。大言壮語もここまでくるとねえ。「自らを『陸の王者』というような大学」と書いた早稲田出身のライターは、出身大学の応援歌にある歌詞の意味を考えたことがないのだろうか?
 「若き血」は1927年発表。「紺碧の空」は「若き血」に張り合うために1931年に第六応援歌として制定したもの。資料によれば、作曲者選定にあたって、「『若き血』を圧倒する力強い歌をと検討を重ねた」とあるから、張り合う気満々だったらしい。
 張り合おうとした時点で「負け」だということに気づいていないらしい。
 いや、早稲田にも「日本一」があるぞ。一部上場企業の「部長どまり」のOBの数は日本一だ。こういう情けないところは、けっこう好きなんだけど。



2009年1月3日土曜日

早稲田大学の校歌を知っていれば正解がわかる法学部の日本史の問題

 2008年2月の早稲田大学法学部の日本史の問題で、早稲田大学校歌の歌詞、それも1番の歌詞を知っていれば正解がわかる問題があった。

 まずは問題文を掲載する。

(前略)

 一方、民間においても福沢諭吉の慶応義塾、新島襄の同志社英学校、大隈重信の東京専門学校をはじめ、明治法律学校、英吉利法律学校やミッションスクールなどの私立学校が発展し、教育の普及に力を注ぎ、h 特色ある学風によって、新しい時代に相応しい新知識を身につけた多くの人材を世に送り出した

(問)

(中略)

12 下線hについて。小野梓は、東京専門学校の開校式で、不偏不党にして真正の学問を研究教授することを教育の目標とすると宣言した。この目標を表す小野の言葉を、4文字で記述解答用紙に記入しなさい。

つぎに早稲田大学校歌を載せる。

早稲田大学校歌

相馬御風 作詞  東儀鉄笛 作曲

都の西北 早稲田の杜(もり)に
聳(そび)ゆる甍(いらか)は われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠(くおん)の理想
かがやくわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

東西古今の 文化の潮(うしお)
ひとつに渦巻く 大島国(だいとうこく)の
大なる使命を 担ひて立てる
われらが行く手は 窮り知らず
やがても久遠の 理想の影は
あまねく天下に 輝き布(し)かん
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

あれ見よ彼処(かしこ)の 常磐(ときは)の杜は
心の故郷(ふるさと) われらが母校
集まり散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光
いざ声そろへて 空にとどろに
われらが母校の 名をば讃(たた)へん
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

 ということで、12の答えは「学の独立」でした。
 実際のところは、建学の精神として建学時に唱えられていたのは「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」だったので、大学のウェブサイトを熱心に閲覧した受験生のなかには「学問の独立」が思い浮かんだ者もいた可能性がなくもない。また、「在野精神」「反骨精神」と答えたら、少しは部分点がもらえたのだろうかという疑問がなくもない。
 以前から、早稲田大学の創立年度が1882年だということを知っていると正解できる問題が、ほぼ毎年、どこかの学部で出題されている。たとえば、つぎのようなぐあい。

大隈重信は、早期の憲法公布と国会の即時開設を説く一方、開拓使官有物払い下げをめぐりかつての盟友である伊藤博文ら薩長勢と対立し、参議を免官となり、下野したが、その翌年、東京専門学校を開設した。

 以上のようなことが書いてあって、大隈重信が下野したのは何年かという問題が出されたりする。東京専門学校の創立が1882年なので、下野したのは1881年が正解である。日本史で受験できる学部がたくさんあるのだから、毎年、どこかで出題されていてもおかしくはなし、実際に出題されている。こうした問題が正解できたからといって、有利になることはまったくなく、落とすようだと致命的になるにすぎない。

 早稲田大学系属早稲田実業学校中等部(いわゆる早稲田実業中学校)の入学試験で、早稲田実業を開設した人物は早稲田大学も開設した人物ですが、その人物の名前を漢字で答えなさいという問題を出して、あちこちの進学塾から顰蹙を買ったということがあった。小学6年生で「大隈重信」と漢字で書けるのは、逆に思想的偏りが感ぜられて、むしろ問題のような気がするのだが。

追記:
 自分自身は早稲田大学を卒業しているが、校歌は1番すら正確に唄えない。歌詞があやふやなのである。真面目に唄ったことがない。2番・3番となると壊滅的である。
 第1志望だったとしても、第一文学部哲学科哲学専修の学生には校歌が唄えないのが多いように思う。同じく理工学部の学生も校歌がちゃんと唄えないのが多いようだ。

2009年1月2日金曜日

早慶にデブなし、あるいは太った豚よりも痩せたソクラテス

 「早慶にデブなし」ということわざは存在しない。が、HAL496でよく言っている。肥満が嫌いな子どもは少なくないので、「デブが嫌いなら、なるべく難しい大学に行くように」と言っている。

 もっとも、早慶だけに肥満体質の学生がいなくなるわけではない。そこそこ以上の大学、たとえば、東京六大学やMARCHにも肥満体質に学生はめったにいない。ぽっちゃりしているなと思える学生の場合でも、たいていは筋肉質タイプの肥満体型であって、大相撲でいうところの「アンコ型」はいない。だから、「早慶にデブなし」にこだわらなくとも、「東大にデブなし」でも「東京六大学にデブなし」でも、かまわない。

 そういえば、難しい本を読むと太れなくなるので、哲学書を読むことを力士に禁止している相撲部屋があるそうだ(伝聞情報)。

 『大学図鑑!2006』の大妻女子大学の「本音で一言!」という欄には「モデルのような美人が多い。高校まではクラス2~3人はいた肥満体質の人がまったくいない」と書かれている。肥満体質だと、一定レベル以上の大学には進学できにくいということがわかるだろう。

 ずいぶんと前のことだが、「早慶にデブなし」と言っていたら、ある日、保護者から反論(?)された。
 「『早慶にデブなし』と言っているそうですが、私から言っておきますが、学習院にもデブはいません!」
 「そうでしょうね」と流したが、よく考えなくてもわかることだが、「早慶にデブなし」という命題からは、「学習院にはデブがいる」という命題はどうやっても導き出せない。なぜ、反論(?)されたのか、いまだにわからない。

 「太った豚になるよりも、痩せたソクラテスになれ」ということばがある。1964年の東京大学の卒業式で大河内一男総長が述べたものである。これは英国の功利主義の哲学者ジョン=スチュワート=ミルJohn Stuart Millがその著『功利主義』Utilitarianismで述べたつぎの文が元になっている。

It is better to be a human being {dissatisfied} than a pig {satisfied}; better to be Socrates {dissatisfied} than a fool {satisfied}.
満足した豚よりも不満足な人間になるほうがよい。満足した愚か者よりも不満足なソクラテスになるほうがよい。

 大河内一男の影響で、その後は、「倫理・社会」(今の「倫理」)の教科書にジョン=スチュワート=ミルのこのことばが載るようになった。

 ある相撲部屋の例に見られるように、難しい本を読むと太りにくくなるのは、深く考えると胃があまり働かなくなるからだろう。将棋指しは、数日に亙(わた)る対戦のときには、胃に負担をかけないようにするために、ぐつぐつに煮込んだうどんを食べたりするそうだ。

 また、肥満体質となっている場合、幼少の頃からの食生活がよくない場合もあるようだ。

 いずれにしろ、肥満体質は勉強には向いていない部分があると考えるのは、不当なことではないようだ。しかし、してみると、肥満体質である不利益をこうむりながらも、同じ大学に進学した者は、脳そのものの理解力が高いということにならないのだろうか? つまり、肥満体質であるということは、脳の中での血流が少ないということが考えられるから、単位時間あたりのレシチンの消費量が少なくなるはずだが、それで同じ大学・学部ということは、たとえば、当該大学・学部に合格した一般的な学生がレシチンを10g消費することで理解できるものを、2g消費したくらいで理解できているということになる可能性がなくもない。

 勉強と肥満体質の関係について話したところ、京都大学出身の友人が「いや、京大にはすごいデブがひとりいた。アンコ型のすごいデブだった」と言った。もしかすると、その人は脳の機能のみならず、なにか根本のところで頭がよいのかもしれないな。

 

2009年1月1日木曜日

苧環蒸し(おだまきむし)をこしらえた。

 今日は時間があったので、苧環蒸し(おだまきむし)をこしらえた。苧環蒸しというのは、うどんの入った大きな茶碗蒸しだ。小田巻き蒸しとも書く。関西では普通の料理だが、東京では苧環蒸しを知らない人が多いので、関西ローカルな料理らしい。
 蒸し器がないので、Lodge社の鉄鍋Dutch Ovenを使った。ふたと鍋の間に手ぬぐいをはさんで、水滴が落ちないようにして、かつ、水蒸気が適度に鍋の外に出て行くように、菜箸で隙間を作って、蒸した。
 蒸し器が必要な料理はあまり作らないし、今のままで用が足りているので、蒸し器がどうしても欲しいとは思わないのだが、やっぱり、あった方が便利かな。

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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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